facebookを作文の勉強の予習に生かす方法の続きです。
小学3、4年生は、題名課題で作文を書く練習が中心になります。そして、ときどき感想文課題が入ります。このように課題があらかじめ決まっていると、予習は更に充実したものになります。
例えば、小3の8月1週の作文の課題は「おふろ」です。この課題に合わせて、facebookの「言葉の予習室小3」には次のような記事を入れました。
====引用ここから。====
小3の8.1週の課題は、「●おふろ、ぎりぎりセーフ」これは、どちらかで書くということです。
おふろの話を書く場合、家庭での予習は、おふろで遊ぶことがいいと思います。
私の家でやっていたのは、これ。
1、泡でいっぱいになる入浴剤
2、又は、菖蒲湯のように、香りのする葉っぱを入れる
3、水鉄砲
4、水中メガネ
今、どの家のうちのなかのお風呂に入っていると思いますが、たまにはみんなで近所の銭湯に行ってみるといいかもしれません。
その行き帰りに、お父さんやお母さんが、昔のお風呂の話をしてあげると、似た例も話せて一石二鳥。
ほかにも、お風呂に関していいアイデアがあったら、どなたでもご自由にお書きください。
====引用ここまで。====
お父さんやお母さんによっては、おふろという課題で、自分の子供時代の面白い体験を話せる人も多いはずです。普通、そういう話は、偶然出てくることがあっても、意識的に話す機会がなかなかありません。
ところが、作文の課題が決まっていることによって、あらかじめ子供に聞かせるいい話を準備できます。
小学3、4年生の感想文課題のときは、準備がもう少し難しくなります。題名課題のときは、その題名に合わせて書くことを考えればよかったのですが、感想文課題の場合は、まず課題となる長文(1200-1600字程度)を読んで、その内容を自分なりに把握していなければなりません。
そこで、毎日の音読の自習が大切になってきます。
音読の自習は、朝ご飯の前にやるのが理想です。ゆっくり読んでも3、4分で終わってしまう自習なので、朝食前のように例外なく確保できる時間でないと続けにくいのです。音読や暗唱のような短い時間の毎日の自習は、朝食前に、読書のような時間をかける自習は夕方に、というように使い分けていくといいと思います。
朝ご飯の前、お母さんが支度をしているときに、子供が食卓で大きい声で音読をします。小学生の勉強は、勉強部屋のようなところではなく家族の中でやる方が能率が上がります。お母さんやお父さんは、聞くともなしにその長文を聞いているので、内容が何となく頭に入ります。
そして、感想文の課題の授業がある日の前までに一度、子供が親にその長文の内容を説明するようにします。何度も音読をしている長文は、すっかり頭に入っているので、子供はその長文を見ないでも内容をくわしく説明できます。
小学校中学年の子供が、何も見ずにこのようにすらすらと文章の内容を説明するのを聞いていると、お父さんやお母さんはちょっと感動すると思います。
文章の理解とは、このように内容が丸ごと頭に入り、自由に説明できることです。決して国語の問題を解くような、どこの指示語が何を指しているかというような理解の仕方ではないのです。(つづく)
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facebookを作文の勉強の予習に生かす方法です。
作文の勉強で大事なことは、書くことではありません。書く前に、書くための材料を増やしておくことです。材料がないのに表現力だけで書こうとしても長くは書けません。逆に、材料があれば、その材料に引っ張られてだれでも書けるようになります。
では、材料とは何でしょうか。
小学校1、2年生は、自由な題名で書く練習が中心ですから、書くことを決めておくことが材料になります。それは、毎回同じような「今日のこと」や「この前のこと」という題名でもかまいません。大事なことは、先生からの電話指導があるときまでに、何を書くか決めておくということです。
ところが、実際には小学校1、2年生の子で、先生が、「今日は何を書くの」と聞いても、「えーと」とそれから考え出す子がいます。これではいい作文は書けません。この場合の予習は、親が作文の授業がある前までに、「今度の作文は何を書くの」と聞いてあげることです。そして、そこから親子の対話が始まります。
子供が書きたいと思っている題名と、実際に書きやすい題名とは異なる場合があります。例えば、子供はよく、「明日○○するので、そのことを書きたい」と言います。しかし、明日のことは作文にはうまく書けません。作文の中心は、過去の体験です。ですから、親子の話のときに、子供から明日の話が出たら、親が優しく「明日のことは、それが終わってから次の週に書いたらいいんじゃない」と修正してあげるといいのです。
同じように、「テレビを見た」「映画を見た」「ゲームをした」という自分の行動が少ない話も、いい作文にはなりません。作文の材料で大事なことは、その子がどういう行動をしたかということですから、これも、親子の対話の中で優しく軌道修正してあげるといいのです。
そして、更に大事なのは、面白い作文を書くために、親が子供にいろいろなイベントを用意してあげることです。例えば、ひとりでお使いに行かせる、一緒に公園にセミの幼虫を見つけに行く、料理を作る、大掃除をする、旅行に行くなどのイベントです。お金や時間をかけて大げさにやる必要はありません。身近なところに子供が興味を持ついろいろな機会があります。
facebookでは、主にそういうイベントをシェアします。
言葉の森のfacebookに「言葉の森予習室小1」などという学年別のグループがあります。そこで、「我が家では、この前こんなことをしてみた」というような情報を交換します。実は、この、他の家の例というのが、かなり参考になります。
家庭における父親と母親の間でも、二人の興味や関心はかなり違います。父親は、母親の考え付かないような方法で子供を喜ばすことができ、母親もまた父親の考え付かないような方法で子供に接することができます。こういう違いがあるから、子供はバランスよく成長します。この違いは、二人よりも三人、四人と増えた方がもっといいのです。これが、facebookのグループで、イベントをシェアする意義です。
小学校3、4年生は、題名課題で作文を書く練習が中心になります。そして、ときどき感想文課題が入ります。このように課題があらかじめ決まっていると、予習は更に充実したものになります。(つづく)
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言葉の森のfacebook教育が、いよいよ本格的にスタートします。
7月下旬と8月上旬に、保護者にfacebookのお知らせを送ります。もちろん、保護者の中ですぐにfacebookに参加できる人はまだ多くないと思います。また、当然facebookに参加しなくても従来のやり方で十分にやっていけます。しかし、facebookを利用すると、勉強がもっと飛躍的に楽しくできるようになるのです。
以下、そのやり方の概略を説明します。
ポイントは、5つあります。
第1は、facebookを利用した予習の仕組みです。
第2は、facebookを利用した発表の仕組みです。
第3は、facebookを利用した教材の仕組みです。
そして、教育よりも話は広くなりますが、。
第4は、facebookを利用した生活の仕組みです。
第5は、facebookを利用した自治の仕組みです。
この話に入る前に、教育の中でも、なぜ作文教室で作文を教えるのかということを説明します。
作文力は、国語力の集大成です。読解力、漢字力、思考力、表現力という国語的な力のほとんどが作文の中に統合されています。
そして、国語力というのは、数学、英語、理科、社会などあらゆる教科の土台です。国語力はないが数学は得意という生徒は、大学に入ってから伸びないと言われています。また、国語力はないが英語は得意という生徒も、学年が上がるとだんだんいなくなってきます。国語力というのは、単に文学的な心情を味わうというような狭い学力ではなく、ものを考える土台となる本質的な学力なのです。
以上の二つのことをまとめると、作文力は、あらゆる教科の土台の集大成だいうことになります。(土台の集大成ということがイメージとしてわかりにくいですが(^^ゞ)
言葉の森の生徒の中には、習い事は言葉の森だけという子がよくいます。そういう子は、読書も作文も得意です。学校や家庭だけでは、文章を書く機会が少ないということと、作文は自分ひとりでは自分の書いた文章を評価できないということで勉強しているのです。
勉強とは、本来ひとりでできるものです。教科書や参考書や問題集があれば、解答や解法を見て自分でいくらでも勉強を進めることができます。しかし、作文に関しては独学というものはしにくいのです。
ところが、自慢になりますが(笑)、そういう学力の土台の集大成となるような作文の指導をしているのは言葉の森しかないと思います。
最近、公立中高一貫校の作文入試や、高校や大学の推薦小論文入試が増えたために、作文の書き方を教える教室も増えてきましたが、言葉の森のように読む力と書く力を組み合わせて小1から高3まで指導をしているところはほとんどないと思います。
ところで、話は少しはずれますが、習い事ということに関連して、今の社会の風潮に対する問題点もいくつか指摘しておきたいと思います。
ひとつは、運動や音楽の習い事は、やりすぎないようにするということです。こういう身体的なことは、かけた時間に比例して上達する面があります。また、勝敗やコンクールという競争状態に置かれる結果、必要以上にやりすぎる面が出てきます。教育の根本は、確実な学力をつけることです。運動や音楽的なことは、幹ではなく枝葉なのだと自覚して取り組んでいくことが必要です。運動や音楽によって集中力がつき学力にもプラスになったという人もいる一方、運動や音楽によって勉強する時間が足りなくなったという人もいます。家庭での位置づけをしっかりさせておくことが大事です。
もうひとつは、幼児期からの英語教育には、弊害がある可能性がかなり高いということです。幼児から小学3年生ぐらいまでは、日本語という母語を確実に身につける時期です。この時期に他の言語が入ってくると、やり方によっては、母語である日本語に悪影響を及ぼします。他の言語を学ぶのは、日本語脳を確実に形成したあとで、しかし、まだ他の言語を習得する柔軟性の高い小学4年生から6年生が最適のようです。このあたりの研究は進んでいるはずなのですが、英語教育の利害関係者が多いせいかあまり明らかになっていません。
最後のひとつは、小学校低中学年までは勉強をさせすぎないということです。早めにやって人より先に進んだとしても、それがあとまで続くことはまずありません。本当の勉強は、小学校5年生以降の思考力がついてから始まります。また、子供が勉強というものに自覚して取り組めるようになるのは中学3年生以降です。早めに勉強させすぎることのマイナス面は、勉強というものに飽きてしまうことです。小学校低中学年までは、勉強はほどほどにできるぐらいでちょうどいいのです。その分、遊びと読書と対話の時間を増やして子供らしい楽しい小学校生活を送っていくことが大切です。
次回は、facebookを利用した予習の話です。(つづく)
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前回は、実際の作文の書き方を説明しました。
志望校の過去の傾向に合わせた予想問題をとりあえず10本書いておきます。
そのあとは、推敲です。最初に書いたのは、時間制限を意識しながら書いたので、必ずしも満足のいく出来ではありません。
そこで、小学生の場合は、両親も参加して、実例や表現の見直しを行います。実例というのは、小学生の場合は主に体験実例です。高校生の場合は主に社会実例になります。
体験実例で値打ちのあるものは、その子の個性、挑戦、共感、感動が感じられる実例です。平凡なだれでも書くような実例よりも、やはり自分の個性が出ている実例の方がいいのです。しかも、その実例は、明るいものの方が文章に力が出てきます。文章を読むのは人間ですから、明るく前向きなものの方がどうしても好意的に見られるからです。
ところが、実例の価値というのは、本人には意外とわかりません。これは、大人でも同じです。自分ではいいと思っていても、あまり他人には受けない実例と、自分ではそれほどではないと思っていても、他人には高く評価される実例があるのです。
そこで、お父さんやお母さんが、子供の作文の実例にアドバイスをしてあげます。「この意見の理由としては、こういう体験実例があったんじゃないかなあ」などと言えば、そのヒントで子供はすぐに書き直すことができます。
そのようにして、10本の予想問題を自分が納得できる形になるまで仕上げます。
これでかなり実力がつきます。試験の本番でどんなテーマが出ても、それまでに書いた文章の蓄積があれば安心して取り組めます。
さて、実際の作文で意外と目立つのが誤字です。学校の漢字のテストがよくできている子でも、作文には誤字が出てきます。それは、なぜかというと、ずっと下の学年のときに習った漢字を勘違いして覚えていることが多いからです。
勘違いしているのですから、実際に書いてみないと、自分がどういう漢字を間違えて覚えているかわかりません。
大人の場合でも、手書きで文章を書く場合、ほとんどの人の書くものに誤字があります。今は、パソコンの自動変換で出てくるのであまり問題はありませんが、作文試験の場合は手書きで書くので、誤字対策は重要です。
これは、普段の練習で作文を書くつど、それを身近な人にチェックしてもらうことで少しずつ直していくしかありません。
試験のときに、あまり自信のない漢字を書く必要が出てきたときは、別の表現にして自分のよく知っている漢字で書くようにします。ひらがなで書いてごまかすのはよくありません。
普段の練習で作文を書くときに、いちいち途中で辞書などで調べてしまうと、文章の流れが止まってしまいます。あいまいな漢字を書く場合は、とりあえずカタカナなどで小さく書いて四角で囲んでおき、作文を全部書き終えたあとにまとめて辞書で調べるようにします。
以上、駆け足で、作文試験の対策を3回にわたって書いてきましたが、ここに書いてあるとおりに勉強するだけで、文章力は飛躍的に上達します。
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動物行動学者であるローレンツの著書「ソロモンの指環」には、ローレンツがさまざまな動物たちと過ごした生活が愛情深く描かれています。
私は、昔どこかで次のような文を読んだ記憶があります。「動物と一緒に暮らしたことのない人には、世界の美しさの半分は隠されている」。ローレンツの本かと思って探してみましたが、そういう言葉は見つからなかったので、ほかの本だったのかもしれません。
動物と一緒に暮らす幸福感というのは、たぶんペット好きな人はすぐに同意するでしょう。朝、目をさますと、近くで犬が静かに寝息を立てているという場面など、しみじみといいなあと思うはずです。しかし、もちろんそうでない人からは、いろいろ異論がありそうですが(笑)。
ところで、この動物と一緒にいて幸福に感じる感覚というのは、人間にもともとあるものではなく、小さいころの環境によって学び取るもののようです。
犬を飼った経験のある人はご存知だと思いますが、ごく小さい子犬のころ、ワクチン接種による免疫がやっと完成しかけるころまでに、ほかの犬と接する生活を経験しないと、その犬は成長してからも正しい犬関係(人間関係のようなもの)を結べません。だから、今ペットとして飼われている多くの犬は、犬どうしで遊ぶことが苦手です。
これと同じことが、人間にもあてはまるのではないかと思います。子供が小学校に上がるよりも少し前の時期までに、動物に接する生活があると、動物と一緒にいる際の幸福な感覚が育つようなのです。
教育の目的のひとつは、人間が幸福な生活を送ることにあります。この場合の幸福感を、音楽や絵画や読書などの芸術感覚として考える人も多いと思いますが、もっと原初的な幸福感は、自然や動植物と一緒にいるときに感じる感覚です。空を見たり、山道を歩いたり、草の匂いをかいだり、動物をなでたりするだけで幸福感を感じることができるとすれば、その人は、そうでない人よりも、世界からより多くのものを得ていると言えるでしょう。
言葉の森の通学教室で、ペットの犬や小鳥を飼っていますが、それを見て、すごく喜ぶ子もいれば、あまり関心を示さない子もいます。そして、まれに犬や小鳥をこわがる子もいます。こういう感覚の違いは、成長しても変化がないでしょうから、子供が人生からより多くの幸福を味わえる機会を増やすためにも、小さいころに動物と接する時間を増やすといいと思うのです。
今の日本では、住宅事情によって犬や猫を飼うのは難しいかもしれませんが、文鳥やインコなどの小鳥であれば飼える家庭は多いと思います。小鳥は、ヒナのころからえさをやれば手に乗るようになります。あちこちフンをするので大変ですが、こういう生き物が家の中にいるだけで、家の中の雰囲気がなごみます。
話は少し脱線しますが、小鳥を飼うときにカゴの中に入れて飼うのはやや不自然です。そこで、私は、小鳥を野生状態で飼えたらいいと思い、手乗りになった文鳥やオカメインコたちを時々表に出していました。しかし、小さいころにカゴの環境で育った鳥は、やはり遠近感がつかめないようで、近くにいるときはすぐに戻ってくるのですが、風に乗って高くまで飛んでしまうと戻る場所がわからなくなってしまうようでした。
しかし、鷹匠などは、うまくそういう訓練をしているので、工夫次第ではできないことはないと思います。手乗りの小鳥を野生状態で飼うというのが、今の私の研究課題です。(そんなバカなことするなと、いつもみんなから言われていますが(笑))
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