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日本の強さを支える「国語力」 as/1337.html
森川林 2011/08/24 17:40 


 「大東亜戦争の正体」(清水馨八郎著)という本が、この7月に祥伝社から出ています。著者の清水さんは、1919年生まれですから、現在92歳です。

 この本には、戦後のアメリカ主導の教育に染まる前の日本の知識人による、日本人が本来持っていた考え方が書かれています。

 この中で、著者は、日本の強さを支えた力をいくつか挙げ、その中のひとつとして「国語力」の大切さを述べています。

 日本の学校では、小学校で1000字の教育漢字を習い、中学で2000字の常用漢字を習います。そして、高校卒業までに約3600字、社会人は一生のうちで5000字の文字教養を持つと言われています。

 これに対して、欧米では26文字のアルファベットしか習いません。

 その結果、日本語では、長い言葉を省略するときに、日教組、全学連、経団連などと漢字を組み合わせて作ることができるので、その言葉を見ただけでどういう中身か大体の見当がつきます。

 一方、英語ではIBM、FBI、OECDなどという略語しか作れないので、その時代の人にはわかっても、次の世代の人には教えられなければ理解できません。

 実は、この違いは、ものごとの理解を深めるという点で意外と大きいのです。日本人は、日本語を学ぶことによって、最初から理解のための優れた道具としての言語を身につけてきたのです。

 そう考えると、英語教育に対しても、日本人がこれからどういう姿勢で臨んでいくべきかということがわかります。

 日本語は、きわめて優れた乗り物ですが、日本人以外の人にはなかなか乗りこなせません。それに対して、英語は、日本語に比べると性能の悪い乗り物ですが、世界中の人が使っています。だから、コミュニケ―ションの必要上、日本人も英語をある程度使えるようにしておいた方がいいということなのです。

 日本人にとっては、日本語が主役で、英語は脇役です。

 更に言えば、日本語の持つ優れた性質を考えると、外来語をそのままカタカナやアルファベットで表すことも大きな損失になります。海外から新しい言葉が出てきた場合でも、日本では、できるだけこれまで既にある言葉の範囲で漢字化していった方が日本語の特徴を生かすことになります。

 そして、これからの日本語は、常用漢字に限定せずに必要な言葉はもとの漢字を生かして使っていく方向で豊かにしていくべきでしょう。

 江戸時代までさかのぼらなくても、明治、大正、昭和初期の文献でも、現代の常用漢字の範囲では読み書きできない言葉が多数出てきます。当時の人々は、それらの漢字も普通の教養として使うことができたのです。

 日本の「国語力」を生かす教育とは、漢字を使うとか、外来語を日本語化するとかいうことだけにとどまりません。もっと根本的には、欧米流の近代教育によって忘れ去られた日本が本来持っていた言葉の教育を復活させることです。

 それは、ひとことで言えば、難しい内容には難しい言葉をあてはめて読むという勉強です。この新しい教育によって克服される旧来の勉強とは、易しい言葉で書かれたものを解くという勉強です。

 「解く」勉強から「読む」勉強へということを、これからの新しい国語教育の流れにしていく必要があるのだと思います。

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記事 1336番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/4/18
読書と対話と暗唱 as/1336.html
森川林 2011/08/23 19:40 



 読書力には、二つの面があります。ひとつは、読む力、もうひとつは理解する力です。

 小さい子供は、文字を目で見ても理解しにくいので、いったん声に出しその声を耳で聞くことによって、耳から言葉を理解します。これが、幼児期や低学年における音読しながら読む読書です。

 しかし、文字を目で見るだけで理解できるようになると、次第に読む力がつき黙読になってきます。



 ところで、この音読→黙読という読む力のあとに育つのが理解する力です。

 文章とは、もともと現実に存在するものを文章という形で表現したものです(ちょっとややこしい言い方ですが)。

 その文章が表している現実が単純なものであれば、文章を読んだだけですべてが理解できます。しかし、その文章が複雑な現実を表していた場合は、文章を読んだだけでは、理解できないことがあるのです

 そして、学年が上がるにつれて、読む力よりも、この理解する力の方が重要になってきます。



 易しい文章を読むよりも、難しい話を聞く方が考える力がつくのはこのためです。ここに、長文をもとにした家庭での対話の意義があります。

 子供に、難しい文章を読むようにと言っても、言うことを聞く子はまずいません。しかし、子供に、課題の長文を読んでその内容を親に説明してくれるようにと言えば、多くの子は喜んでやると思います。



 さて、難しい文章を理解しようとしているとき、人間の頭の中ではどのようなことが起きているのでしょうか。

 理解とは、いくつかの単語を文法的に組み合わせてひとつの文として理解し、その文を更に組み合わせて文章になったものを総合的に理解するというように積み上げ式に進むものではありません。

 自動翻訳がなかなか進まないのは、このような線形的な発想で文章の翻訳を行おうとしているからです。

 人間の頭の中では、単語や文法よりも、まず文というひとまとまりの現実を理解し、その現実を組み合わせて、より大きな文章という現実を理解するという流れが進行しています。

 つまり、最初に単語の理解があるのではなく、最初に大きなひとまとまりの意味を持つ文の理解があるのです。



 では、この理解力を高める方法はあるのでしょうか。それがあるのです。



 人間の短期記憶は、7つぐらいまでをひとつのまとまりとして把握する力があります。その7つというのは、単語ではなくチャンクというかたまりです。だから、50文字ぐらいの文であれば、一度聞いただけで復唱することができますが、100文字ぐらいになると、一度聞いただけではすぐに復唱することができなくなります。100文字では、チャンクの数が7つを超えてしまうことが多いからです。



 ところが、言葉の森で300字の暗唱をしたり、900字の暗唱をしたりするとき、この短期記憶はどうなっているのでしょうか。

 実は、暗唱した文章においては、チャンクのひとまとまりが大きくなっているようなのです。例えると、普通ではせいぜい10文字ぐらいしか入らないチャンクというバケツのサイズが暗唱によって大きくなり、ひとつのバケツに100文字ぐらいを入れられるようになっているのです。



 暗唱の練習が、文章の理解力を育てるのは、こういう事情があるからです。ただし、大人の場合、暗唱の効果は、理解力よりも発想力が豊かになるという形で表れてくるようです。



 また、これに関連して、家庭での親子の対話も、短い断片的な文ではなく、長い複雑な文として話した方が、子供の理解力が育ちます。

 しかし、そういう対話は、日常生活の中ではなかなか出てきません。日常の対話は、「あれ、とって」「はい、これ」というような短いやりとりで成り立っている場合がほとんどだからです。

 ところが、課題の長文をもとにした対話をすると、自然にそういう長い文章による対話をするようになるのです。



 読書も対話も、ある程度の量をこなすことは大事です。しかし、いちばん大事なのは、その質です。たくさん本を読んで、たくさんお喋りをしたから理解する力や考える力がつくというのではありません。どういう本を読み、どんな話をしたかということが大事なのです。

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記事 1335番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/4/18
世の中が大きく変わりつつある予感 as/1335.html
森川林 2011/08/22 20:23 



 書店は、新しい本に出合うのには向いていますが、関心のある分野の本を深く探すのには向いていません。

 テレビや新聞は、大きな問題になるとブレーキが働くために、最新の情報はなかなか手に入りません。

 ブログや掲示板は、多様な情報がありますが、見る人の関心のある分野に固定化する傾向があります。

 こう考えると、現代の新しい情報は、インターネットをもとに書籍として手に入れるのが最も確実な方法になっているようです。

 ところが、そういう状況に恵まれた人はあまり多くありません。学生は時間があるはずですが、本を買うお金がありません。
 社会人は、大学を卒業するまではよく勉強をした人でも、仕事を始めると、それ以上新しい本を読むことに関心を失ってしまう人も多いようです。

 このように、人によって接している情報の範囲が違うため、ひとことで日本の文化状況を言い尽くすことはできません。しかし、私の実感として、日本の出版界は、ここ数年急速に、これまでタブーとされてきた真実の情報を明るみに出してきたという感じがします。それが、3.11以降、更に加速しているようです

 しかし、これは、単に文化的な変化に留まるものではありません。今、世の中が現実の大きな転換点に差しかかっているために、出版物などの文化がそれに先行して変わりつつあるということなのです。
 その現実の転換をひとことで言えば、旧体制の行き詰まりと、新しい未来の模索と言えるでしょう。それが、日本だけで起こっているのではなく、欧米の先進国も含めた全世界的な規模で起こっているところに、今回の変化の特徴があります。

 言葉の森では、今、「森林プロジェクト」という企画を立てています。これは、子供たちの教育のスタイルを根本から変えることを目指しています。
 これまでの教育は、子供たちに知識を覚えさせ、それを再現するためのテストを行い、そのテストの点数で競走し合うような仕組みで行われていました。これからの教育は、子供だけでなく家庭での対話をもとに、知識だけでなく思考を重視し、競争ではなく互いの創造性を発表し合うような形で行われるようになります。
 もちろん、一足飛びにそのような教育が実現するわけではありませんが、世の中の大きな変化の一部として教育をもっと人間的なものに変えることが求められているのは確実です。

 そして、今の世の中の変化の速さを見ていると、変革は、もはや議論をしているときではなく、できることをできるところから実行するときになっているようです。

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記事 1334番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/4/18
facebookとgoogle+の違い as/1334.html
森川林 2011/08/18 20:16 


 言葉の森では、今、教育分野にソーシャルサービスを利用する計画を立てています。その際、ソーシャルサービスの性格の違いが、今後の活用の仕方の違いにつながってきます。そこで、facebookとgoogle+の違いについて考えてみました。

------------------------------------------------------------

 facebookの世界のユーザー数は、8月に7億人を超えたようです。(アメリカは約1億5千万人、日本は7月14日の時点で385万人)

 一方、同じような実名制のソーシャルサービスであるgoogle+は、リリース1ヶ月で世界のユーザー数が2500万人に達したそうです。google+は、まだ本格的にサービスを開始していませんが、googleの他のサービスと連動することを考えると、これから更に多くのユーザー数を獲得していくと思われます。

http://www.asahi.com/digital/cnet/CNT201108040020.html



 ソーシャルサービスは、これからも更に発展していくと考えられますが、ブログもmixiもtwitterもfacebookもgoogle+もやるとなると、ユーザーの時間管理が大変です。特に、ほかの人からのコメントがよく入るfacebookやgoogle+は、うまく活用すれば役に立ちますが、場合によってはソーシャルサービスに自分の生活が振り回される面も出てきます。

 新しいメディアが登場したときは、いつでもこのような問題が出てきますが、これは時間が経つにつれて次第に無理のない対応の仕方ができるようになってくると思われます。



 さて、facebookとgoogle+は、実名制で、自分が選んだ相手の投稿がストリーム形式で流れてくるという共通点があります。

 一見、同じようなサービスと思われそうですが、もともとの性格に大きな違いがあります。

 facebookは、友達とのコミュニケーションを中心としたソーシャルサービスです。だから、現実の友人関係がネット上で再現される面が強く、情報の収集や発信という目的は前面に出てきません。

 これに対してgoogle+は、twitterと同じように、自分がフォローしたい相手をいくらでも自分のサークルの中に分類して取り込んでいけます。友人とのコミュニケーションというよりも、関心ある人物の発信する情報を合理的に収集することを目的にしたサービスと言ってよいでしょう。

 それは、googleが目指しているものが、検索サービスの強化だからです。



 facebookには、共通の関心をテーマにしたグループというコミュニティサービスがあります。このグループは発言内容が非公開のものが多く、当然そこで交わされた投稿やコメントは、検索結果には出てきません。発言の目的が友達とのコミュニケーションですから、検索される必要がないのです。

 このようにして、膨大な価値ある情報が、検索の光の当たらないコミュニティに隠れてしまうことを、googleは危惧したのだと思います。検索できない情報空間が増えるということは、検索と連動した広告というgoogleのビジネスモデルを覆すものだからです。

 ところが、facebookにとっては、情報が非公開グループの中に隠れていても、全く問題はありません。facebookの広告は、ユーザーの属性に応じて、非公開グループの中にも正確に表示されるからです。



 だから、google+は、facebookのようなソーシャルサービスで交わされる情報を、検索エンジンの側に取り戻す試みだと言ってもよいでしょう。

 こう考えると、今、一見似たようなサービスに見えるfacebookとgoogle+の今後の発展の仕方の違いが浮かび上がってきます。

 facebookは、ますます友達とのコミュニケーションというコミュニティーの要素を強めていくでしょう。google+は、今後、個人の発信する情報の収集と管理という要素を更に強めていくでしょう。

 このソーシャルサービスの性格の違いが、これからfacebookやgoogle+を利用する際の重要な判断要素になってくるのです。

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facebook(29) 

記事 1333番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/4/18
日本文化の抽象化(これからの新しい成長産業) as/1333.html
森川林 2011/08/14 17:52 


 ロシアから久しぶりに帰国した北野幸伯(きたのよしのり)さんが「PRE(ロシア政治経済ジャーナル)2011/8/8号」で、日本に来て感動した出来事を書いています。

http://archive.mag2.com/0000012950/20110807025305000.html

・レストランへの道を、わざわざ一緒に歩いて教えてくれた若いサラリーマン

・路上の電話ボックスでの電話が終わったあと、近くでの工事の騒音を謝ってくれた女性の労働者

・屋外のレストランで暑そうにしていると、自分の方にある扇風機の風を向けてくれた年配の客

 いずれも、ごくあたりまえのことのように見えますが、日本標準ではあっても世界標準ではありません。

 日本の新しい産業の芽は、こういうところにありそうです。

 しかし、それはもちろん単なる観光業やサービス業ではありません。日本のよさを、より高い次元で昇華した産業を創造することがこれからの課題になると思います。



 さて、こういう日本文化を育ててきたものは、何なのでしょうか。それは、学校でも、宗教でもないでしょう。民族のDNAのようなわけのわからないものでもないでしょう。文化を支えるものは言語ですから、日本語が影響力を持つことはあるでしょうが、それもはっきりとはわかりません。

 もし日本文化を形成するものが直接形のあるものとして指摘できるのであれば、それは世界中で採用することができるでしょう。そうすれば、イギリスの暴動なども、ソーシャルサービスを制限するというようなやり方ではなく、もっと直接的に対策を立てられるはずです。しかし、そういう形あるものではないようです。

 欧米では、治安のよい社会を作るために、テレビの暴力番組を規制するなどいろいろな政策を立てています。一方、日本では、フランスで暴力番組と見なされた「ドラゴンボール」を何年か前の子供たちは嬉々として見ていました。しかし、それで日本の子供たちに暴力性が高まったとは思われていません。

 日本文化のよさが何に由来するのかということは、まだよくわかっていないのです。



 教育でも政策でも、何かの問題に対しての対策を立てるとき、専門的な知識のある人は、目につく欠点を先に直そうとします。目立つ欠点を直せば、自然にいいものができると誰でも考えがちなのです。

 しかし、本当の専門家は、そのようなことはしません。欠点を直し始めると、次々と欠点の原因にさかのぼっていき、最後には欠点を直すことによって、最初にあったもっといい長所をなくしてしまうことを知っているからです。



 日本社会の今の閉塞状況を打破するために、多くの人がさまざまな対策を提案していますが、その多くは目についた欠点を直そうとするものです。欠点を直すよりも前に、日本の長所がどこにあるのかを考えなければなりません。

 その長所の根は、文化の中にあることは確かです。例えば、2月の節分という行事では、どこの家でも「鬼は外、福は内」と豆を投げると思いますが、この無意識のうちにやっている豆まきの行為の中で、子供たちは日本的な優しさを自然に身につけているように思います。

 「福は内」はどこの国でも共通だと思いますが、日本では、「鬼は外」、つまり、鬼を滅ぼすのではなく、鬼は、「ちょっと悪いけど、外の方に行ってて」という程度なのです。こういう身近なところに流れている文化の総体が、日本というものを形成しています。



 世界の人々のニーズは、今、物から心へと大きく変化しようとしています。確かに、世界にはまだ飢えに苦しむ人が10億人もいますが、飢えからも争いからも解放されたとき、多くの人が望むのは、豊かな消費生活で、その豊かな消費生活の次に来るのが穏やかな生活なのです。

 アメリカは、衰退した製造業のあと、IT産業と金融業で新しい経済を作りました。日本は、中国などの新興国に追い上げられて空洞化しつつある製造業のあとに、どのような産業を作っていくべきなのでしょうか。

 このときに、日本の長所を生かすという発想を持つことです。世界の先進国の人々のこれからのニーズは、日本人のような生活をしたいということです。高級乗用車に乗り、高級住宅に住んで、暴動におびえて暮らすよりも、普通に動く自動車と、普通の住宅でいいから、穏やかな生活をしたいというのが、これからの世界の先進国の人々のニーズです。そのためには、いくらお金を出してもいいと多くの人が考えつつあるのです。



 この経済の流れを素直に見れば、世界のこれからの成長産業は文化で、その中でいちばん売れそうな商品が日本文化なのだということがわかってきます。

 しかし、これは、何度も言うように、観光業やサービス業のような産業ではありません。そういうものに接するというのも確かにニーズのひとつですが、世界の人々のもっと根本的なニーズは、自分たちも日本のような生活をしたいということです。

 しかし、それは日本に来て暮らすということではありません。自分の住んでいる国で、日本のような文化と暮らしを実現したいということです。

 それが日本のこれからの輸出産業です。ところが、ここで何を輸出したらいいのかが、肝心の日本人にもわかっていません。それは大きく言えば教育のようなものでしょう。しかし、その教育の中身は、今の教科書でも学校でも教育制度でもありません。もっと、日本人の家庭と地域の生活の中で自然に行われているものです。

 その日本文化を抽象化して、世界に通用するものにしていくことがこれからの課題なのです。

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