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子供の考える力を育てる親子の対話 as/2829.html
森川林 2017/02/17 02:43 


 親子の対話とは、親から子への知識の伝達ではありません。
 親が知っている知識を教えるだけなら、それは親子でなくても本でもインターネットでもテレビでもできます。

 特に子供が小さい場合は、知識は圧倒的に不足していますから、親の話はつい知識を教えることになりがちです。
 しかし、そういう状態で対話を続けているだけでは、子供が高学年になりある程度知識を持つようになると、対話をすることがなくなるのです。

 知識は、自然に増えていけばいいものです。それよりも大事なのは、考える力です。子供が小さければ、その子の知っている知識の範囲で考える話をしていくのです。

 そのためには、親自身がいつも、なぜだろう、どうしてだろう、もっといいやり方はないか、と考えていることが必要になります。
 そして、その親の考えたことを、子供相手に対等の立場で話していくのです。

 こういう話の仕方であれば、子供が大きくなるほど、対話の中身が充実してきます。

 だから、子供との対話は、子供に話すような内容ではなく、親しい友だちに話すような内容でできるだけ知的に話していくことです。

 そのために、もうひとつ大事なことは、親がいつも本を読んで新しい知識を身につけていくことです。

 言葉の森では、子供たちによく、「読書は毎日」と話しています。実は、これは大人も同じなのです。
 毎日本を読んでいれば、自然に子供との対話も中身のあるものになります。

 子供の考える力を育てるのは、単なる勉強ではなく、こういう親子の対話なのです。

====
 子供に勉強力をつける上で最も大事なものは、考える力です。考える力と言うと抽象的ですが、もっとわかりやすく言うと、考えることを苦にしない力です。更には、考えることを楽しむ力と言ってもよいでしょう。

 計算の練習や漢字の書き取りやいろいろな知識の習得は、時間をかけさえすれば誰でもできます。小学校低中学年のころの勉強は、このような、やりさえすれば誰でもできるようになる勉強です。

 しかし、小学校高学年になると、次第に考える問題が出てきます。国語では、環境や言語や文化や人生などという分野の文章が多くなります。算数では、計算のルールをあてはめるだけでは解けない問題、自分なりに図を書いてみないとわからない問題が出てきます。理科でも社会でも同様です。
 そのときに、考える力のある子は、そういう問題を面白いと思い、考える力のない子は、そういう問題を面倒と思います。ここで、面白いと思える子は、その後の勉強がどんどん進んでいきます。

 だから、小学校低学年のころは、考える力の土台を作ることが大事です。
 しかし、その考える力は、勉強をすることではつきません。低中学年の時期に、国語や算数の問題集をいくら解いても、考える力は育たないのです。

 考える力は、親子の対話の中で育ちます。
 親と子の間の話というと、多くの場合、親が一方的に注意をしたり、説教をしたり、説明をしたり、理解させたり、わからせたりするような形が多いと思います。親が中心で、子供はそれに従うものという形になりやすいと思います。
 しかし、これでは考える力は育ちません。

 親子の対話では、親と子が対等の人間としてお喋りを楽しむというような話し方が大事です。ちょうど、親が同年代の友達と話すような姿勢で、相手とのやりとりを楽しむような雰囲気で話を進めていくのです。

 そして、その対話の中で、親ができるだけ自分の子供のころの体験談を話してあげます。
 また、小さい子供が相手のときは、ダジャレやギャグや冗談や笑いを入れて、できるだけ面白い話をしていきます。そのためには、親が自分の言った冗談を楽しむような気持ちも必要です。

 しかし、そういう楽しい話でありながら、話の内容は、大人相手に話すような真面目な内容や難しい語彙も取り入れて、子供を一人前の話相手として扱っていくのです。
 子供を子供として扱うのではなく、一人前の話相手として扱い、親自身が子供との話を楽しみ、子供の言うことを大人の話を聞くように尊重して扱っていると、子供の思考力は育ちます。

 言葉の森の作文・感想文の勉強をしていると、毎週の長文の音読がこういう対話のきっかけとして活用できるようになります。

「考える力と親子の対話――そのきっかけとしての長文の音読」
https://www.mori7.com/index.php?e=2324
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森川林 20170216 1 
 子供は、日々向上しています。
 親子の対話を楽しむためには、子供の成長に見合った面白い話を親も常に考えていくことです。


nane 20170216 1 
 話の中身がないと、人は他人を批評するようになります。
 大人どうしの場合は、それでもいいのですが(よくないか)、子供相手に話すときは、単なる批評ではなく、子供が楽しめるような建設的な話をしていく必要があります。
 だから、子供相手の対話の方が、大人との対話よりもずっと工夫が必要なのです。


mae 20170216 9 
高学年になって力を発揮するために必要なのは「考える力」の土台作り。機械的に詰め込む勉強ではなく、親子で会話を楽しむことで力が自然についてくるのですね。

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長く続けられる習い事で「GRIT(やりぬく力)」を育てる as/2825.html
森川林 2017/02/15 05:41 


 「やり抜く力 GRIT(グリット)」という本に、成果をもたらすものは、才能ではなく、「やりぬく力」だと書かれています。
 これは、実証的な調査研究なので、説得力があります。

 日本には、「石の上にも三年」という言葉があります。
 結果が見えないようなものについても、やり続けていると、そこから自ずから開けてくるものがあるということです。
 こういう人生観は、その人の生活すべてにわたっていると思います。

 これまで見てきた子供たちについても、やりぬく力のある子は、そのときは特に優れているように見えなくても、長い年月の間に必ず力をつけ、最初から才能があるように見えた子を追い越していきます。

 このように考えると、子供に何か習い事をさせるときも、長く続けられるものを選ぶことがいいのだと思います。
 小1から始めて高3まで続けられるようなものがあれば、それを中心にして子育てをしていくのです。
 ただし、それは子供が好きなものであることが前提になります。

====
 言葉の森の生徒には、小学校低学年から始めて高3まで続ける子がよくいます。
 もちろん一本調子に続けられたわけではなく、そのときどきに小さなスランプがあったのだろうと思います。しかし、文章を書く生活が、習慣のようになり、書くことが苦にならないばかりか書くことが好きになって、大学生になり社会人になっていったのです。

 その子たちが小学生のころ言葉の森の作文を始めたときは、大学入試のことなどは考えていなかったと思います。しかし、勉強をしているうちにいつの間にか中学生になり、高校生になり、大学入試でたまたたま小論文があったという人も多かったのです。

 長く続ける生徒の中には、小学生から高校生までずっと同じひとりの先生に教わっていたという人もいます。毎週1回作文を書き、その作文をもとに先生と話をしていると、半ば家族のような感じで互いの考えていることがよくわかるようになってきます。

 こういう人間どうしのつながりを更に進めるために、今、大学生や社会人になった言葉の森の生徒を対象に「学問コース」を始めようと思っています。
 これは、大学生のころに読んでほしい本をもとに、ネット上で話し合いをするような形のコースです。

 言葉の森を卒業した人に、そのうち連絡が行くと思いますから、楽しみに待っていてください。

「小1から始めて高3まで作文の勉強を続ける子」
https://www.mori7.com/index.php?e=2323
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森川林 20170215 1 
 大事なのは、才能よりも継続です。
 一つのことをやり遂げることのできる人は、それが積み重なっていつか大きな成果を上げるようになるのだと思います。


森川林 20170215 1 
 私の母は、いつも、「がんばらなくていいよ」「大変だったら休みなさい」「のんびりやりなさい」ということばかり言っていたので、私は「やりぬく力」とは正反対の生き方をしてきました。
 皆勤賞のようなものは一度も取ったことがないし、そういう発想自体と無縁でした。
 しかし、考えてみると、仕事を始めてからもう数十年、一度も休んだことがないなあと思いました。インフルエンザのときも授業をしていたし(笑)。


namura 20170216 10 
納得です。続けるからこそじわじわと実力がついてきますよね。あれもこれもではなく、じっくり続けられる習い事を選んでいきたいです。

touko 20170228 77 
まさに継続は力なり。
私も一時の集中力は強かったけれど、継続力は有りませんでした。その時は気づかないのですが、やめた後に、当時、自分よりずっと下手だった子が長く続けることですごく上手になっているのを目の当たりにし、継続は本当に力になるのを実感しましたが、時すでに遅し。若い人たちに、私のような思いをしないでほしいなぁと切に願います。

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うまく行っていないときほど、その中でのよいところを褒める as/2824.html
森川林 2017/02/13 04:51 


 勉強でも作文でも、うまく行っていないときは、本人でもわかります。うまく行ったときに比べて手応えがないのです。または、明らかにうまく行かなかったという感覚があります。

 そのときに、周囲にいる人、特に身近なお母さんなどに、そのうまく行っていないところを指摘されると、わかってはいても、やはりがっかりするのです。

 それは表面に出る注意だけではありません。お母さんが、渋い顔をして心の中で思っているだけでも、子供にはそういう感じが伝わります。
 何も言われなくても、子供は自信をなくしていくのです。

 だから、うまく行かなかったときや、失敗したときほど、お母さんはそのうまく行かなかった中でのよかったところを褒めてあげることです。
 そして、子供が明るい気持ちになったところで、毎日の読書と音読とそのほかの自習を気長に続けていくのです。

 そういう日常を何度も繰り返しているうちに、ある日ふと気がつくと、いつの間にか、こんなにできるようになっていた、と思うときが来るのです。

 こういうお母さんの気長な忍耐力を支えるものは、お母さん自身の心の安定です。
 そのお母さんの心の安定には、お父さんの協力と感謝が必要です。

 しかし、たとえそういう協力的なお父さんがいなくても(笑)、お母さんは自分の力で自分の心を安定させ、子供にはいつも明るく褒めて接することです。

 その方法は、そう決心することです。
 「自分は、この子のいいところだけを見ていつも褒めていくようにしよう」と決心すれば、それが次第に自分の天性のようになっていくのです。

====
 まず、作文というものは、なかなか上達しないものです。それは、作文力というものが、国語力の集大成だからです。
 同じ国語でも、漢字の勉強などは、やればすぐに成果が出ます。読解の勉強も、やや時間がかかりますが、それでも比較的早く成果が出ます。
 ところが、作文の勉強というものは、いくらがんばっても、そのがんばりに比例して上達するという実感がないものなのです。

 しかし、そこで、お母さんが、「なかなか上手にならない」と思っていると、その感覚は、子供にも必ず伝わります。
 作文というものは、精神的なエネルギーをかなり使う勉強ですから、書き終えたときは誰でもほっとします。そのほっとしたときに、お母さんが冷ややかな目で、「なかなか上手にならないわねえ」と子供を見ていると、子供は急速にやる気を失うのです。

 注意することと褒めることの区別は、注意してすぐ直るものだけを注意し、すぐに直りそうもないものは注意せずに褒めるということです。
 しかし、ただ褒めているだけでは上達に時間がかかります。褒める一方で、実力のつく自習を毎日させることが大事なのです。
 その自習が、音読と読書です。そして、できれば、その音読をもとにして家族で対話をする時間を作っていくことです。

 言葉は、目から入るだけでなく、耳からも入ります。難しい文章を読むのが苦手な子でも、お母さんやお父さんと難しい話をすることは苦になりません。
 難しい長文を音読するだけでなく、その音読をもとに家族で話をすると長文の理解が深まります。そして、聞いたり話したりする形で使った言葉は、そのまま作文を書くときにも使えるようになります。こういう積み重ねで、作文は上達していきます。

 この気長な自習を子供に続けさせるエネルギーは、褒めることによって出てきます。
 「作文が下手だから、毎日の音読をしなさい」と言われて喜んでする子はいません。作文も褒め、音読も褒め、褒めながら毎日の自習の音読と読書を続けさせていると、気がついたらいつの間にか前よりもずっと上手に書けるようになっていたということになるのです。

「作文がなかなか上達しないときこそ褒める」
https://www.mori7.com/index.php?e=2319
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namura 20170213 10 
うまくいかない時こそ、親として追い打ちをかけるのではなく、自信を持たせてあげたいですね。

森川林 20170213 1 
 よく、「褒めるところがない」とか、「褒めるのが難しい」とか言う人がいます。
 最初は真似事でもいいのです。
 何度も真似事をしていくうちに、いつか子供が本当に褒められるような子に育っていくのです。


nane 20170213 1 
 ときどき、「褒めるだけではだめ」という人がいます。
 しかし、小言だけをいつも言い続けている人の言うことを子供は聞きません。
 いつも褒めているからこそ、たまの静かな注意のひとことが子供の心にすっと入っていくのです。


jun 20170213 2 
作文の勉強は焦らないことが大事ですね。だからこそ、受験間際などではなく、早いうちに始める方が余裕を持って取り組めそうです(笑)。

jun 20170213 2 
うまくいっていないことを指摘されてもただ嫌な気持ちになるだけなのは、大人も子供も同じですね。

sizukku 20170214 51 
一番身近な親なのだから、よいところを一番たくさん知っているはずですね。
親が「子供のよいところだけを見てそだてよう」と決心すること、それは見つけたら褒める、でなくどんな状況でも褒めると決心することですね。

mae 20170216 9 
※これも覚書として
娘が小3の頃、なんだか色々なことがうまくいかないときに、負のスパイラルに陥ってしまったことがありました。そのときに、友達から「あなたはいい子だよ、間違ってないよ」と言い続けていくことが大事と言われたことがあります。それから一年。一年前が嘘のように落ち着いて生き生きしている我が子がいます。うまくいかないときほど、褒める。本当に効果があります。

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個人の利益のための教育から、社会の利益のための教育へ as/2823.html
森川林 2017/02/12 04:35 


 教育は、個人のためだけにあるのではありません。

 個人の立身出世の手段としての教育という考え方は、福沢諭吉の時代なら意味がありました。
 しかし、今はそうではありません。

 よりよい世の中を作るために個人が成長するという、社会と個人の利益の両立が、これからの教育の目標です。

 例えば、カンニングをしてでもいい点を取るというのは、社会全体の利益に反する個人の利益です。

 それに対して、誰も見ていないところで、そっと人助けをするというのは、個人の利益にはならない社会の利益のための行動です。
 この個人の利益にならない社会の利益のために行う行為を育てるのが、文化の教育です。

 文化の教育は、点数には現れません。
 だからこそ、この教育が最も大切なものです。

 そして、こういう文化の教育を育てる場所は、まず第一に家庭なのです。

====

 教育とは、受験に合格するためにあるのではなく、人間として成長するためにあるものです。

 だから、成績さえよければ、ほかのことをどうでもいいというのではなく、ほかのことをまずきちんと育てていく必要があります。
 それが、身の回りの整頓だったり、弱い人への思いやりだったり、いざというときの勇気だったりするのです。

 日本の社会のよさは、そういう教育が文化の中で自然に培われてきたことにあります。
 これを更に意識的なものにしていく必要があると思います。

「受験の教育から、文化の教育へ」
https://www.mori7.com/index.php?e=2083

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森川林 20170212 1 
 教育の目的が、社会をよりよくするために個人の成長を図ることというのと同じように、企業の目的も、社会をよりよくするために利益を上げることです。
 利益を上げる仕組みのないボランティアがあれば、それはボランティア個人の損失ではなく、社会全体の損失です。
 もちろん、今の社会の仕組みの中ではすぐには利益の上がらない行動もあります。例えば、街をきれいにするためにゴミを拾うことなど。
 しかし、そういうことであっても、常に利益化する仕組みを考えることが本当のボランティアです。
 勉強のできない子に大学生などが無償で勉強を教えてあげるというボランティアがあります。そのこと自体は尊いことですが、本当は勉強のできない子を作らない仕組みを作り、それをコストのかからない方法で回すことが大事なのです。


nane 20170212 1 
 教育の目的は、単に子供たちを育てることではなく、明日の日本を支える子供たちを育てることです。
 「選択問題のテストで時間が足りなくなったら、どこでもいいから○をつけてこい」と言うのは教育ではありません。
 「時間が足りなくなったら、潔くそこであきらめろ」というのが本当の教育です。
 ちなみに、「潔い」という言葉でぴったり英語に該当する言葉はないようです。日下公人さんが著者でそう書いていました。渡部昇一さんは、「manlyがそれに近いが」と答えたそうです。日本文化は語彙の点からも奥が深いのです。


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記事 2822番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/4/26
書く勉強より、読む勉強を中心に as/2822.html
森川林 2017/02/11 05:04 


 「書く」という作業を伴う勉強は、形として残るので、本人も勉強をしたという実感があり、周囲で見ている人も勉強をしているという印象を持ちます。

 しかし、「書く」勉強は、「読む」勉強に比べて5倍以上時間がかかります。
 それなら、「書く」勉強を1回する代わりに、「読む」勉強を5回した方がいいのです。

 勉強の定着は、繰り返しの回数に比例します。
 1回書いただけの勉強はあとに残りませんが、5回読んだ勉強はあとに残ります。

 小学校低学年のころは時間がたっぷりあるので、書く勉強を中心にしがちですが、本当は、勉強の習慣がつくこの時期から、読む勉強を中心にして、書く勉強は必要に応じてやるようにしていくといいのです。

 この場合の「書く」勉強とは、問題集を解いて答えを書くような勉強です。
 「読む」勉強とは、いわゆる読書や、教科書や参考書を読むこと、問題集の問題文を読むこと、問題集の問題と答えを読むこと、などです。

 例えば、国語の問題集などは、問題を解くよりも、問題文の文章を読書がわりに読む方がずっと力がつくのです。
 ただ、この勉強は家庭でひとりでやっていると張り合いがないので、言葉の森は、寺子屋オンエアなどでこの問題集読書をやっているのです。

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「毎日の短文穴埋めドリルのような勉強で作文力がつくか」
https://www.mori7.com/index.php?e=2079

 小学校低学年の生徒のお母さんから質問がありました。
「これまで、『毎日少しずつでも書いた方がいい』ということで、簡単な文の穴埋めドリルのようなことをしていましたが、そういうものは、やはりした方がいいのでしょうか」

 そういうことは、全く必要ありません(笑)。

 毎日文章を書くという勉強は、形が残るので、子供も親も先生も、何かしっかりやっているような印象を受けます。しかし、それはただそういう印象がするだけです。
 文章の穴埋めドリルのようなことをいくらしても、まとまった文章を書く力はつきません。

 そのかわり、そういう毎日の穴埋めドリルのような勉強には、大きなマイナスがあるのです。
 それは、時間がかかることと、面倒なことです。

 一般に、書く勉強は、読む勉強の5倍は時間がかかります。
 だから、文章を1回書き写すような時間があれば、同じ文章を5回音読できます。又は、5倍の量の読書ができます。
 どちらの方が力がつき、どちらの方が楽かというと、もちろん1回書くよりも、5回や5倍読む方です。

 ところが、読む勉強は形が残らないので、初心者の先生ほど、つい形の残る書く勉強をさせたくなるのです。

 作文の勉強は、まず毎日読むことです。
 それは、ひとつには、自分の好きな本の読書です。もうひとつには、ちょっと難しい文章の音読です。
 この、多読と精読によって読む力をつけると、自然に書く力の土台ができます。

 そして、週に1回のペースで作文を書き、読んだ力を文章に定着させていくのです。
====

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森川林 20170211 1 
 勉強で大事なのは外見ではなく中身ですが、無理にやらせたり長時間やらせたりすると、子供は外見で勉強するようになります。
 そして、小学校低学年でその外見の勉強の癖がつくと、中学生になってもそういう勉強を自然に続けてしまうのです。
 そうさせない一つのコツは、勉強を時間を基準にしてやらせないことです。


namura 20170212 10 
毎日の読書は、国語力アップの大きな力になりますね。

mae 20170216 9 
「読書」は確かに形には残りませんが、心に残る勉強になりますよね。

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