作文の力は、他の教科の勉強とは違って先取りをすることがなかなかできません。
小学校3、4年生の生徒に、小学校6年生で勉強する一般化の主題を説明してもできるようになる子はいません。
それは、例えば、「○○は人間にとって……である」というような考え方です。
「友達とは、人間にとってAではなく、Bである」
「食事とは、人間にとってAではなく、Bである」
「遊びとは、人間にとってAではなく、Bである」
というような考え方は、大人であればいくつか思いつきます。
しかし、小学校中学年の生徒では、そういう発想自体がわきません。
精神年齢が上がらないと出てこない文章を書く力もあるのです。
ですから、それぞれの学年に合った作文の勉強の目標があります。
小学校1、2年生は、正しく書く、楽しく書く、書く習慣を身につける、というのが目標になります。
小学校3、4年生は、表現を豊かに書く、題材を選んで書く、字数を長く書く力をつける、などが目標になります。
小学校5、6年生は、構成を考えて書く、主題を深めて書く、抽象的なテーマについても書けるようにする、などが目標になります。
それぞれの段階の練習を経ることによって、作文力は高校3年生まで継続的に進歩していきます。
小学生のときに上手に書けたからといって、中学生になったら作文はやらなくてよいというのではありません。
中学生で上手になった子が、高校生になれば更に上手に書けるようになります。
そういう息の長い勉強しているうちに、文章を書くこと自体が好きになっていくのです。
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勉強であれば、どんなに苦手な子であっても、やれば何とかなるという展望がわきます。それは、正解のある勉強だからです。
しかし、作文については、親も先生も途方に暮れてしまうような子がいます。それは、正解のない勉強だからよけいそうなのです。
けれども、そういう子であっても、音読と読書と対話と褒める指導で、必ず上手になっていきます。ただし、あまりに長い時間がかかるので、途中であきらめてしまうお母さんが多いのです。
また、作文が上手になるのにも、かなり時間がかかります。
勉強面ではかなりよくできる生徒であっても、小中学生の間は、普通にちゃんとした作文を書くぐらいまでしかいかないことがよくあります。
それが、高校生まで続けていると、次第にその子らしい内容の深い作文を書いていけるようになるのです。
そして、その長い勉強の間には、誰も、やる気の出なかった時期や、さぼってばかりいた時期もあったのです。
勉強が苦手な場合は、学校の勉強をちゃんとやっていなかったからですが、国語や作文が苦手な場合は、家庭の日本語の環境で何か問題があった場合が多いのです。
だから、国語や作文の克服するには、家庭の全面的な協力が必要です。
それが例えば毎日の音読ですが、わずか毎日2、3分の音読であっても、これまでやっていなかったことを習慣として続けるようにするというのは、はたからは想像もできないほど難しいことなのです。
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理科や社会については、知識的な勉強ですから、受験勉強についてはある程度短期間で間に合わせることができます。
英語についても、苦手にならないことが必要です。
英語だけが突出して優れているという必要はありませんが、英語の勉強は時間がかかるので、計画的に進めていく必要があります。
海外の大学を受験する際も、英語の学力が問われます。
しかし、それが第一の評価の対象になるのではありません。
最も重視されるのは、高校時代の実績や論文などです。
この海外での大学評価と同じような評価が、これからの日本の入試改革でも取り入れられていきます。
したがって、算数数学を苦手にしない、作文力に自信をつけるの二つの大きな目標のほかに、高校時代に実績を上げるということが、第三の大きな目標になります。
高校時代の実績の代表的なものが、外部のコンクールへの入選です。
どういうコンクールで何の賞を得たかということは、客観的な実績なので、入試では大きく評価されます。
これからの中学高校での勉強は、学校の定期テストを真面目にやるというだけでなく、自分の個性を生かして学校以外の外部の客観的な評価を得られるような実績を作っていくことになります。
これはある意味で定期テストの勉強や、入試の勉強よりも、対策を立てるのが難しいものです。
まず、自分の個性を伸ばさなければなりません。
小中学生のころから、自分の好きな分野を自覚し、意識的に育てていく必要があります。
そして、更に、外部の評価に耐えられるようなレベルの高い実績を上げていく必要があります。
これからの中学高校生活は、学校で言われたことを素直にこなすという勉強だけでは不十分で、自分の個性を発揮して実績を上げるというかなり主体的なものになってくるのです。
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これまでは、言われたことをそのとおりにやる子が評価されてきました。
しかし、それでは創造性は育ちません。
湯川秀樹は、数学が好きでしたが、数学の先生に決められた解法で解いていないから答えが合ってもいても×とされたことから、数学をやめて物理の世界に入ったそうです。
人と違っていることは、それ自体が目的ではありませんが、自分らしく生きようとすれば、自然に人と違った道を歩くことになるのでしょう。
そういう個性を伸ばせるのが、家庭だと思います。
これまでの教育の主流は、答えのある教育でした。
しかし、社会に出れば、答えなどはありません。
だから、義務教育ではもちろん答えのある勉強をしていく必要がありますが、それと同時に答えのない勉強の魅力を子供のころから知っておく必要があるのです。
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2020年からの大学入試改革では、どういう点が評価されるのでしょうか。
大きな流れは、記述力や思考力や論文力が問われること、英語の4技能が評価されること、そのために外部評価も参考にされること、1点差を争うような受験勉強ではなく、高校時代のまともな勉強が評価されること、などです。
日本のこれまでの大学入試は、主に数学の難問が解ければ合格可能性が高まるという事情がありました。
また他の教科も、きわめて特殊な受験勉強的な知識を詰め込む必要があるという性格のものでした。
しかし、このガラパゴス化した入試では、これからの世界に通用する人材は育てられないということがわかってきました。
そこで、受験勉強的な知識はほどほどでよいから、もっと個性的な学問への関心を持ち、自ら進んで考える力を持つ生徒を評価しようということになったのです。
しかし思考力や記述力といっても、評価の方法はまだはっきり定まってはいません。
国語の問題で、短い記述の問題があると言われていますが、実際にスタートすれば採点に手間がかかるわりに効果があまりないということがわかってくるのではないかと思います。
では、今の中学生や高校生は、これからどういう点を心がけて勉強していたらいいのでしょうか。
第一は、バランスの取れた学力をつけるということです。
その一つは、苦手な教科を作らないことです。
特に数学に苦手意識を持つと、これからは文系でも数学が評価の対象となるので受験勉強の負担が大きくなります。
もう一つは、作文力がいろいろな面で問われるようになるので、文章を書くことにある程度を得意意識を持っておくことが必要になります。
算数数学を苦手にしない、作文力に自信をつける、これが大きな勉強の目標になります。
しかし、この二つの目標のほかに、もう一つ大きな目標があります。(つづく)
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今の入試は、かなりガラパゴス化しています。
受験勉強的な学力はある程度は必要ですが、成績がいいだけでは使い物にならなということが社会のいろいろなところでわかってきたのです。
そこで、今後行われる入試改革は、基本的には現在のアメリカの大学などで行われている入試に似たものになっていくと思われます。
それは、評価に手間と時間をかける、高校時代の実績を評価する、論文や面接を重視するという方向です。
これからは、金太郎飴的な学力ではなく、個性的な関心に基づいた学力が求められるようになります。
例えば、今までは、「高校生になってまで昆虫採集なんかに熱中していないで、学校の勉強をちゃんとやりなさい」などという言葉の方に説得力がありましたが、これからはそれが逆になってきます。
そして、その昆虫採集のレベルを学問的にも上げていく工夫が必要になってきます。
すると、勉強は、学校的・学習塾的なものから、個人的・家庭的なものがむしろ重要になってくるのです。
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兄弟で上の子が読書や作文が得意な場合、下の子は年齢的に上手に読んだり書いたりできないせいもあり、上のことを比較して苦手意識を持ってしまう場合があります。
親は兄弟を比較するつもりがなくても、上の子を褒めるときに、「読書が得意だね」とか、「作文がよくできるね」とかいう言葉で褒めると、それを聞いていた下の子が、自分は別の路線で褒められるようになろうというふうに思ってしまうのです。
いったん苦手意識を持つと、親がどんなに励ましたり褒めたりしても、心の中では納得できないので苦手意識が続きます。
そこでどうしたらいいかというと、下の苦手な子だけを見て、毎日の長文の音読と読書をただ続けていくだけなのです。
毎日の音読で同じ文章を繰り返し読むようにしていると、その文章のリズム感がその子の作文の中に出てくるようになります。
しかし、そうなるまでには、半年ほどの時間がかかります。
すぐの成果を求めるのではなく、ただ毎日の同じ文章の音読を褒め続けるということでやっていくとよいのです。
(この長期間の音読の継続にはいい方法がありますが、それはまたいつか書きたいと思います。)
読書も同様です。
毎日のページ数を決めて、ただ読んだことを褒めるというふうにしていきます。
音読と読書という一見作文に直接の関係のないようなことが積み重なって、それがやがて作文力として現れるます。
しかし、それには長い時間がかかります。
作文を上手にさせるために音読と読書を始めたということを、親がすっかり忘れてしまったころ、いつか気が付いてみると作文がしっかり書けるようになっていたという形の進歩なのです。
他の教科の勉強、例えば算数数学などは、学力の差がかなりあるように見えても、夏休みなどの短期間の集中学習の結果驚くほど成績が上がるということがあります。
それは、教科の勉強は答えもあり解き方もある勉強なので、それを身に付けようと思えば短期間で自分のものにすることができるからです。
ところが、作文はその子のそれまでのトータルな読書量や経験量や語彙力などが総合化されたものです。
だから、何かの練習をしたらすぐに上手になるということはないのです。
作文は、まだ低学年のうちから息の長い勉強として進めていく必要があるのです。
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勉強が苦手だった子が、急に得意になるということはありますが、作文が苦手だった子が急に得意になるということはまずありません。
ただし、作文が嫌いだった子が、急に作文が好きになるということはあります。
この好きになった時期に、毎日の音読と読書の仕組みを家庭学習の中で作っておくとよいのです。
作文がしっかり書ける子は、考え方もしっかりしています。
特に高学年になるほど、作文力は単なる表現力ではなく、思考力という面を持ってきます。
だから、思考力を育てるということは、決して抽象的な勉強ではなく、作文力を育てることと同じだと考えておくとよいのです。
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小学校3年生の懇談会で、次のような質問がありました。
「理科と社会の勉強をさせるために、『これでわかる』シリーズの参考書をしばらく読んいでたが、テストをやってみたら全然できなかった。やはり、問題を解く勉強をしたらいいのだろうか」
というものでした。
理科や社会は、基本的には教科書を繰り返し読むことで自然に力が付きます。わざわざ問題を解くような形の勉強をする必要はありません。
社会の場合は、特にそうです。教科書を読書代わりに繰り返して読んでいれば、勉強自体が面白いですし、それで自然に社会のテストもできるようになります。
理科の場合は、計算の問題や図形的な理解の問題があるので、解き方を覚えるような問題を解く勉強はある程度必要です。しかし、基本はあくまでも教科書または参考書を読むということです。
では、なぜ教科書や参考書を読んでいるのにテストができなかったかというと、それは読む回数が少なかったからなのです。
この話と似ていますが、以前も、別の方から、「漢字集で漢字の暗唱はできるようになったが、テストをしてみると読めない漢字があった」という相談がありました。
親や先生は、すぐにテストをして結果を評価したがりますが、勉強の基本は何度も繰り返し読むことで、その徹底した繰り返しのあとに、単なる仕上げの確認としてテストをするのです。
繰り返しの回数が少ない状態でテストをすれば、できないものがあって当然です。
そこで、テストができるように、テストの問題を解くような形の勉強すると成績は確かに上がります。
しかし、そこでは本当の力はつきません。少なくとも、伸びしろのある学力はつきません。テストに出そうな問題を解く力がつくだけなのです。
勉強の基本は読むことであって、問題を解くことではありません。
ところが、今の子供たちの学習環境は、学校でも塾でも常にテストという形で評価されるので、まるでテストができることが勉強の中身のように思われてしまうのです。
テストを勉強の目的とするのは、受験勉強のときだけでいいのです。
そして、このテストをしてできなかったということを親が重要なこととして考えると、子供は自然にその教科に対する苦手意識を持ってきます。
時々、謙遜の意味で、「うちの子は○○が苦手なんです」と言うお母さんがいますが、そういう言葉を聞くと、子供はその勉強が更に苦手になっていきます。
ですから、親はその子が何かの分野で苦手だと思ったとしても、決してそれは口には出さずに、少しでもよくできている点を褒めて励ますようにしていくのです。
そのためには、すぐにテストで結果を評価するのではなく、読む勉強を基本にして、できていることを褒め続けていくことです。
問題を解く勉強ではなく、読む勉強を中心にすることによって、子供は楽しく実力をつけていきます。
本や教科書や参考書を読んでいるうちに、自然にできるようになるのが、本当の学力です。
テストに出そうな問題を練習して、そして、できるようにするのは錯覚の学力です。
錯覚の学力は、短期的には成果が出るように見えますが、長期的には役に立ちません。
受験前に本人が本気になれば、そういう学力は誰でもすぐにつくからです。
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小3や小4までは、親は子供の勉強を簡単に教えられます。
やっていることは基礎のことばかりだからです。
しかし、だからこそ、ここで親が教えるのではなく、子供が自分で解答を見て答え合わせをし、自分なりに納得する形の勉強をさせていく必要があります。
親が登場するのは、生徒本人が、自分の力だけではわからない問題に遭遇したときだけです。
子供の自立心を育てることが、あとになるほど生きてくるのです。
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