作文クラスと国語読解クラスを受講している中学3年生の生徒です。
 中3になってから初めての定期テストで、国語がクラス2位、学力調査で学年3位だったそうです。
 中学2年生のときに国語読解クラスに入りましたが、そのころは読解検定で8問中1問も正解にならないことがありました。
 1年で、大きく変わったのです。
 国語読解クラスで、ほかの生徒の問題の解説を聞いていると、解き方がわかったと言っていました。
 その後、どんどん成績を伸ばし、今では満点を取ったり、ミスも1問か2問だったりと、実力が安定していると思っていました。
 今回の飛躍的な成績の伸びには、本人も驚いていたようです。
 読解検定の解説も上手になり、作文もかなり上達してきました。
 国語読解クラスに入るまでは、家でほとんど読書をしなかったそうですが、最近は毎回よい本を上手に紹介してくれます。
 思考力と表現力の伸びが著しいです。
 これまでの経験では、作文や国語の成績がよくなるときは、他の教科の成績のすべてよくなっていることが多いです。
 こういう例は、保護者のみなさんもいろいろ経験があるでしょうから、お名前は匿名でいいので、ぜひお子さんの例を紹介してください。
 コメント欄か、個別れんらく板で、又はお電話で、又は担当の先生にお願いします。
 
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https://youtu.be/YqoYGKnXjXY
 言葉の森の作文指導の特徴は、事前指導です。
 学校などで行われる作文の授業は、とりあえず生徒に作文を書かせて、そのあとで添削をするというのが通常のやり方です。
 書いたあとに添削をするので、生徒は、何のためにどう書いたらいいのかという目標がありません。
 とりあえず自由に書いて、そのあとに添削を受けるのです。
 これは、数回の授業であればできる方法ですが、毎回、このような事後添削だけの指導では、生徒には作文を書く意欲がなくなります。
 褒められる子は、いつも褒められますが、ほかの生徒は、自分がどう書いたら褒められるのかわかりません。
 それで、作文指導に熱心な先生に教わるほど、作文嫌いの子が増えるのです。
 では、どうしたらいいかというと、子供に、事前の指導をすることです。
 例えば、「会話を入れよう」とか、「たとえを使おう」とか、「書き出しを工夫しよう」とか、「書き出しと結びを対応させよう」とかいう指導です。
 目標があれば、子供たちはがんばります。
 そして、先生は、その目標ができたかどうかだけで生徒の作文を評価すればいいのです。
 大人の人は、事前の目標以外のところで、子供の作文を評価しがちです。
 「字をもっとていねいに書きなさい」とか、「漢字を使って書きなさい」とかいう評価がそうです。
 事前の指導として、そういうことを言うのはいいのですが、事前の指導なしで、事後の評価だけがあると、子供はがっかりします。
 だから、作文の指導は、事前指導が基本なのです。
 言葉の森は、更に、自動採点ソフト「森リン」による評価があります。
 これは、語彙の多様性を中心にした評価で、中学生や高校生は、この評価を基準にして自分の作文力を評価することができます。
▽学年別の森リン大賞
https://www.mori7.com/oka/moririn_seisyo.php
 小学生の森リン点は、主に語彙の多様性です。
 中学生、高校生の森リン点は、語彙の多様性に加えて思考語彙があることです。
 このように文章力のある子供たちは、みんな勉強もよくできます。
 将来、社会に出ても立派な仕事をしていくと思います。
 
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 小学1、2年生の子供たちは、親のしていることを模倣しようとします。
 この時期は、何事もそのままに吸収する時期です。
 暗唱も、小学1、2年生の子供であれば、すぐにできるようになります。
 小学3年生以上になると、暗唱は「覚えるもの」という意識ができてくるので、かえって暗唱はしにくくなります。
 この小学1、2年生の何でも模倣できる時期に、親が見本を見せることが大事です。
 その見本のいちばん大事なものは、読書です。
 親が本を読んでいる姿を身近に見る子供たちは、自分も、ああいうふうに本を読む人になりたいと思うのです。
 ところが、多くの親は、仕事でくたびれて帰ってくると、スマホを見たり、パソコンでYouTubeを見たりしています。
 すると、子供は、自分もそういう人になりたいと思うのです。
 大事なことは、習い事をさせたり、宿題のプリントをさせたりすることではなく、家庭の知的な文化を作ることです。
 家庭の知的な文化のひとつは、食事のときは、テレビやパソコンやスマホは消すということです。
 食事の時間は、家族の対話の時間にするのです。
 もうひとつは、読書の時間を作ることです。
 例えば、夕飯のあとは、10分間の読書時間とするのです。
 そのときは、お父さんも、お母さんも、10分間本を読みます。
 本をまだ読めない幼児には、親が読み聞かせをする時間にします。
 こういうことができるのは、子供が小学1、2年生の間です。
 この時期に、家庭の文化を作るのです。
 ただし、お父さんとお母さんで方針が異なる場合もあります。
 大人は、自分の習慣を変えられないので、テレビを見ながら食事をする習慣があった人は、それを今更変えることができません。
 そこは、ある程度の妥協が必要になります。
 お父さんとお母さんが仲よく暮らすことも、家庭の文化だからです。
 読書に関する記事がありました。
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子供を本好きにする3つの柱とは 東大発1万人が読書にハマったメソッド【書評】
https://news.yahoo.co.jp/articles/13f586c3f7e345799467e1cc67e4cc183dcd2d05
2022年に行われた内閣府の調査では、小学生のインターネットの利用時間は1日あたり平均213.7分で、2014年に行われた同調査の83.3分と比べて3倍近く伸びているという。
 つまり、本より手軽に楽しめる存在が身近にあることで読書をしなくなるのは現代では自然な流れであり、だからこそ子どもが本の魅力に気づける環境づくり、楽しく読んで読書を習慣化できるようサポートする必要があるという。
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 インターネットを見ることが悪いのではありません。
 読書をする時間を作ることが大事だということです。
 
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 国語、算数数学、英語なら、答えがあるので、自分で評価することができます。
 しかし、作文は、自分で自分の文章を評価することができません。
 これまで、体験学習に来た子供たちに、作文が得意かどうかを聞いてみると、共通する傾向がありました。
 「作文が嫌い」というのは普通に書ける子です。
 「作文は普通」というのは、よく書ける子です。
 「作文は好き」というのは、あまり書けない子でした。
 作文力は、自己評価はできないのです。
 答えのある勉強であれば、解答を見て自己評価ができます。
 答えのない勉強は、他人に見てもらわなければ自分の実力がわかりません。
 東洋経済オンラインに、わかりやすい記事がありました。
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高3までに得たい「文章力」磨くための重要なコツ
「総合型選抜」「公募推薦」で難関大学目指すなら
https://toyokeizai.net/articles/-/662595
「なーんだ、そんなことは学校で習ったし、うちの子も学校で習っているはずだから大丈夫。日本語は書けるわけだし、問題ないでしょ」
とおっしゃる親御さんもいます。それでも、まずは一度、だまされたと思ってお子さんに文章を書かせて、それを見てみてください。十中八九、その期待は裏切られることになると思います。
この中でも特に注意が必要なのは、「『です・ます調』と『だ・である調』の混在と、「話し言葉や若者言葉」です。
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 「ですます体」と「である体」の混在の作文を書く子は時々います。
 小学5年生以上は、「である体」で書くのが基本です。
 小4までの課題は、「私の好きな食べ物」のような身近な課題が多いので、「ですます体」でいいのです。
 小5からは、「読書の大切さ」のような説明と意見が中心になる課題が多いので、自然に「である体」で書くようになります。
 「ですます体」は、話しかける文章で、「である体」は、内省する文章です。
 「ですます体」は、手紙や志望理由書などのように、相手に語りかける文章のときに使います。
 論説文を「ですます体」で書く人はあまりいません。
 「ですます体」と「である体」を意識的に混在させて書く人もいます。
 野坂昭如さんは、そういう文章を書いていたと思います。
 しかし、作文試験で、「ですます体」と「である体」を混ぜて書くと、それだけでボツになります。
 それは、読み返すときに、文末の違いがあったらおかしいと思うのが普通だからです。
 つまり、作文力以前に、読む力がないとみなされるからです。
 作文力に、正解はありません。
 だから、他人に見てもらうことが必要です。
 昔、慶應義塾大学に、志望理由書を書いて1回落ちた子が、2回目の挑戦のために志望理由書の添削を頼んできたことがありました。
 一読して、自分のことしか書いていないことがわかりました。
 相手にアピールするための文章ではなく、自分のために書いた文章になっているのです。
 それで、内容を添削して直してあげたら、今度は無事に合格しました。
 文章というのは、他人に見てもらわないとわからないのです。
 
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ヒルガオ
 作文には、算数力が必要とする記事がありました。
 これは、そのとおりです。
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作文は「理系だと苦手」「文系が得意」という大誤解
算数が得意な子は大概「作文もうまい」納得理由
https://toyokeizai.net/articles/-/766692
2つの条件p, qについて、命題「pならばq」が成り立つ時、pはqの十分条件、qはpの必要条件である。
具体例として、「冷奴」で考えてみましょう。目の前になにかの料理があります。もし、この料理が冷奴であれば、その料理は豆腐料理ですよね。
つまり、「冷奴?ならば?豆腐料理」が成り立ちます。
……
逆に、目の前の料理が冷奴かどうかを判別したいとします。このとき、その料理が冷奴なのか麻婆豆腐なのか味噌汁なのかはわかりませんが、少なくとも豆腐料理であることが必要です。このことから、「豆腐料理」であることは、「冷奴」であることの必要条件だとわかります。
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 必要条件とか十分条件とかいう漢語で説明するからわかりにくいだけです(笑)
 A→B。「十分条件=それは必ずそう言える」「必要条件=それは必ずしもそうは言えない」と和語で考えればいいのです。
 しかし、こういう論理的な考え方ができない生徒が多いのです。
 小学生のときまで、事実中心の楽しい作文を書いていた子が、中学生の意見文の課題になると、急に書けなくなることがあります。
 「複数の理由を書く」という項目なのに、理由ではなく単なる実例を書いてしまう子が意外と多いのです。
 それは、実例を理由というレベルまでに高めるための考える力がないからです。
 例えば、「テストはよいか悪いか」というテーマの作文のときに、「私は・テストが嫌いです。この前……」と、実例を書いてしまうというようなことです。
 同じようなテーマで、「宿題はよいか悪いか」「人助けはよいか悪いか」「ポイ捨てはよいか悪いか」「クジラを食べるのはよいか悪いか」などがあります。
 そのときに、「私は、クジラを食べたことがありません」というような実例を書いてしまう子も多いのです。
 どんな意見には、正解はありません。
 どういう意見も、成り立ちます。
 しかし、その意見の裏付けになる理由が必要で、また、その理由の裏付けとなる実例が必要です。
 「意見←理由←実例」という関係です。
 理由を述べる際に、「好き」とか「嫌い」とかいう言葉は、論理になりません。
 ところで、話は変わりますが、女の子が愚痴をこぼしたとき、それ聞いている女の子は、その話に共感して対応します。
 だから、話がはずみます。
 ところが、女の子の愚痴を聞いた男の子は、原因や対策を考えるのです。
 それで、話がつまらなくなります(笑)。
 一般に、女の子がお喋りなのは、実例中心に話をしているからです。
 男の子も、実例中心の話をしますが、本当は実例の話には飽き飽きしていることが多いのです。
 ところで、また、話は変わりますが、ディベートという授業があります。
 私は、日本人には、ディベートは必要ないと思います。
 他人を論理で批判しても、なにも得るところはありません。
 それよりも、他人の意見に共感して、その共感と自分の考えをすり合わせるのが日本文化です。
 論理は必要です。
 しかし、その根底に、異なる意見に対する共感が必要なのです。
 
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サンショウ
 国語の勉強で、読む力はあるのに成績が悪いという生徒がたまにいます。
 そういう生徒に共通しているのは、読書量もあるし、文章を読むのも好きだということです。
 だから、逆に、選択問題を選ぶときに、自分の読み方で選択してしまのです。
 国語の問題は、算数数学や英語の問題と同じように、一種のパズルだと考えることです。
 本当の学力は、そういうパズルを解く力ではありません。
 しかし、受験の国語、算数数学、英語は、そのパズルを解くコツが問われることがあるのです。
 ただし、読む力のある生徒の国語力はすぐに伸びます。
 私が教えていた中学生や高校生も、1時間か2時間、解き方の説明をしただけで、次の週から国語の成績が急上昇しました。
 それぐらい、解き方のコツは簡単なのです。
 ただし、その説明は、その生徒の解いた問題についての説明なので、一人ひとりにしかできません。
 一般的な説明では、わかった気がするだけで、実際にはわからないのです。
▽参考図書
「
小学生のための読解・作文力がしっかり身につく本」
 「小学生のための」と書いてありますが、これは高校生まで使えます。また、子供が読むものではなく、保護者が読むための本です。
 さて、国語読解の話を探していたら、東洋経済オンラインにいい記事があったので、よく読んでみたら、自分の記事でした(笑)。
====
国語の「読解が甘い子」が激変する具体的な方法
https://toyokeizai.net/articles/-/338023
「正解以外の選択肢がそれぞれどんな理由で不正解なのか」を論理的に理解することが大切です。
読解問題は、合っていそうなものを選ぶのではなく、間違っていないものを選ぶことが大事です。「こういうことを言っている」というのではなく、「こういうことは言っていない」というものを消していって、残ったものが正解です。
そのためには、すべての選択肢を読み取るための「読むスピード」が必要です。
====
 しかし、本当に大事なのは、こういう解き方のコツを身につけることではなく、しっかりした本を読む力をつけることです。
 言葉の森の読書記録のページを見ると、中学生や高校生でも、かなり難しい本を読んでいる子がいます。
▽中1の読書記録
https://www.mori7.com/teraon/ds.php?gakunenn=%E4%B8%AD1
 目の前の成績を上げることよりも、こういうしっかりした本を読むことが大事なのです。
 
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クリ
 勉強の目的は、どこかに合格するとか、成績を上げるとかではなく、将来日本を支える子供たちを育てることです。
 そのために、思考力、創造力、共感力を育てる教育を行っていくことです。
 もちろん、言葉の森で勉強している子供たちは成績が上がり、いろいろなところに合格しています。
「
合格情報」
 しかし、それよりももっと先にあるものが大事なのです。
 それは、自分の個性を生かして社会に貢献することです。
 言葉の森は、最初は作文教室としてスタートしました。
 日本で初めて作文指導を始めた教室です。
 他のいろいろな作文通信講座などは、すべて言葉の森のものまねです(笑)。
 ただ、私は、作文を教えている中で、勉強面でのアドバイスが必要な子がいることもわかりました。
 例えば、国語の勉強は、難しい文章を繰り返し読み、読解問題の解き方を身につければすぐにできるようになるのですが、そういうことをせずに、国語の問題集だけを解いているような子が多かったのです。
 算数数学も同じです。
 1冊の問題集を完璧に仕上げればいいのに、いろいろなプリントを次々とやるような勉強の仕方をしている子が多かったのです。
 また、私は、作文と同じように重要な勉強として、個性的創造的な自由な勉強をする必要があると思っていました。
 今は、高校で探究学習などが行われるようになりましたが、それをもっと個人ベースで行う必要があると思っていたのです。
 2020年にコロナ禍があったことをきっかけに、作文以外の講座を大幅に増やしました。
 それが、今の国語読解、算数数学、英語、基礎学力、総合学力、創造発表、プログラミングなどのクラスです。
 そして、それらの講座の教え方の特徴として、先生が一方的に講義をするような形式ではなく、子供たちが自分で考え、発表し、質問や感想を述べ合うスタイルの教室にすることにしました。
 それが、今のオンラインクラスです。
 オンラインクラスの人数は4人から5人です。
 こういう少人数で、全員に発表の時間が取れることを生かして、毎週、読書紹介もすることにしました。
 この結果、毎日本を読む習慣が新たにできた子も多くなりました。
 読書記録のページを見ると、同じ学年なのに、かなりレベルの高い本を読んでいる子もいます。
https://www.mori7.com/teraon/ds.php (現在16,000件)
(学年のところをクリックすると、その学年の生徒の読んでいる本が表示されます。)
 この読書力が、学力の土台です。
 小学生は、本当は、勉強などは学校でやっていればいいだけで、あとは家庭で読書と対話に力を入れていくのがいいのです。
 読書力のある子は、受験などでいざ勉強を始めるようになるとすぐに成績が上がります。
 学力とは、結局日本語で思考する力だからです。
 現在の学校教育は、いろいろな面で行き詰まっています。
 第一は、集団一斉教育になっていることです。
 できる子も、できない子も、同じペースで退屈な勉強を聞かなければなりません。
 第二は、生徒を点数で評価し、競争で煽ることが教育の方法になっていることです。
 先生の仕事が、生徒に点数をつけて評価をするようなことになっているのです。
 第三は、答えのある知識を詰め込む勉強になっていることです。
 答えのある勉強は、基本だけができていればいいのですが、生徒に点数の差をつけるために、社会に出てからも必要のない知識を詰め込む勉強になっています。
 しかも、教える先生自身がそういうことを自覚していません。
 これからは、生成AIの時代です。
 先生のような職業は、もう必要なくなります。
 だから、授業のような勉強法も必要なくなります。
 では、教育において、何が必要になるかというと、基本的な学習は一応するとしても、それ以上に大事なのは、自分の個性を生かし、みんなの前で発表し、他の生徒とのコミュニケーションを楽しむという生きた勉強です。
 そのために必要なプラットフォームは、今の学校にはありません。
 オンラインで少人数の生徒が交流しながら勉強することが必要なのです。
 そして、勉強の内容は、知識の詰め込みの評価のような勉強ではなく、個性的、創造的なものである必要があります。
 そういう教育が、言葉の森の作文であり、創造発表であり、プログラミングであるのです。
 ただし、国語、算数数学、英語も、勉強の仕方を身につけておく必要があります。
 それぞれの講座とともに、それらをまとめてやる講座として、言葉の森では、基礎学力、総合学力、全科学力の講座も作っています。
 今の子供たちは、無意味な競争の環境に置かれています。
 それは、勉強だけでなく、音楽やスポーツや芸術の世界でも同じです。
 音楽やスポーツや芸術は、ただ楽しめばいいものを、順位をつけたり、賞を出したり、勝敗を競わせたりするものになっています。
 私は、個人的には、将来、オリンピックのようなものは、いずれなくなると思います。
 楽しむためのオリンピックならいいのですが、金メダルを競わせるようなオリンピックは、人類にはもう必要ありません。
 参加者全員に金メダルをあげればいいと思います。
 金メダルは高いから、月桂冠をあげるだけでもいいです。(お酒ではないです。)
 未来の日本の社会を担う子供たちには、知識の競争の教育ではなく個性と創造の教育が必要になります。
 これからの言葉の森の展望は、オンライン少人数クラスのプラットフォームを生かして、創造的な少人数のコミュニケーションのある教育を作っていくことです。
 
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小学123年生は、
作文と基礎学力の勉強無料体験学習受付中
 
 作文力発表力がこれからの学力
知識の詰め込みの学力の時代は、もう終わりました。大学入試の総合差選抜型入試が50%を超えたように、個性と思考力と作文力と発表力が問われる時代になっています。
 小学生のうちに暗唱力をつける
基礎学力クラスでは、暗唱の授業があります。暗唱力をつけると、すべての勉強がうまく行くようになります。言葉の森の暗唱は、記憶力だけでなく、読解力、表現力もつける学習です。
 読書紹介で読書力をつける
言葉の森のクラスでは、毎週全員の読書紹介があります。読書紹介によって本を読む習慣がつくとともに、みんなの前で発表する力がつきます。読書力と発表力が、これからの学力になるのです。
無料体験学習受付 電話 045-353-9061
 
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