早稲田大学政経学部の総合選抜入試に合格した高3のYさんが、合格体験記を書いてくれました。
私は、言葉の森で11年間勉強を続けてきました。私が言葉の森を始めたのは、小学1年生のときです。母に連れられて来た教室で、初めて書いた作文を先生に見せたとき、その日見た夢の話を書いた支離滅裂な文章にも関わらず、「面白いね」と褒めてくださいました。これが、私が11年間作文を書き続ける原動力になりました。
言葉の森の良さは、まず何よりも、とにかく褒めてくれることだと思います。
小学校高学年になると、自由な題名ではなく、長文の感想文を書く課題に変わりました。毎日音読する長文を理解し、考え、文章にすることは決して簡単なことではありません。最初は字数もなかなか書けずにはがゆい思いもしましたが、言葉の森の先生方の指導のおかげで次第に書けるようになりました。
長文音読や暗唱は、私の場合、毎日できたわけではありません。むしろサボってしまうことが多く、先生からの電話がかかってくる前に慌てて読むなどということもよくありました。それでも言葉の森の教材に載っていた長文はとても強く印象に残っており、様々な文章に触れることで、自分自身の興味関心の幅を広げ、考える力を養うことができたと思います。
私が受けた早稲田大学政治経済学部の総合選抜入試では、一次試験で英語、国語それぞれ2時間の論述試験がありました。1題の長文を読み、それに関する問いに英語、または日本語で答える論述形式の試験です。
私は私立文系の一般入試の勉強を主にしていたので、総合選抜入試には十分な対策を立てて臨んだわけではありませんでしたが、言葉の森で鍛えた文章力が私を助けてくれました。
試験会場には、これまで言葉の森で書いた自分の作文のコピーを持っていき、休み時間に眺めていました。自分が毎週、考えをめぐらし背伸びをして書いた文章は、どんな素晴らしい参考書よりも私に自信を与えてくれました。
言葉の森で学んだ勉強は、入試だけに役立ったわけではありません。学校での読書感想文の課題や、授業で書かされる小論文、また国語の試験においても、自分の頭で考え、文章を書けるということは、何よりも自分の強みになりました。
(※この生徒は読書感想文コンクールなどにもよく入選していました。言葉の森)
文章力は、英単語を覚えるように暗記でどうにかなるわけではありませんし、小手先のテクニックですぐ身につくものでもありません。私は、週に一度、自分の頭で考え文章を書くということの積み重ねによって、文章力を鍛え、自分自身を成長させることができたと思います。
言葉の森のいちばんの良さは、楽しく勉強できるところです。言葉の森で書いた作文はどんなアルバムよりも、私自身の成長の記録となり、言葉の森で身につけた力は、これからの私の人生においても、大きな支えになっていくと思います。
(※同学部には、このほかに言葉の森のもう一人の元生徒も合格しています。)
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フキノトウ
12月の小学生の暗唱長文は、これまでとは違ってコンクール入選作文にしました。
言葉の森のこれまでの長文は、説明文で難しい言葉のあるものが中心でした。それは、そういう説明文を読むことを通して、語彙力や思考力をつけることを目指していたからです。
しかし、900字の暗唱という難しい勉強に挑戦するときに大事なのは、子供の意欲です。
言葉の森に来ている子のほとんどは、作文が上手になりたいと思って来ています。このときに、「いや、小学生のうちに上手に書くことが大事なのではなく、高校生や大学生になったときに立派な論説文を書くための力をつけることが目的なんだよ」と言っても、子供たちにはあまり説得力はありません。
そこで、最初は、子供たちが意欲を持ちやすいコンクール入選作文を中心にしたのです。
子供たちが今回の長文暗唱を通して、「はあ、こういうのが総理大臣賞なんだ。なんだか自分でも書けそうだなあ」(笑)と思えるようになればいいと思います。
ところで、コンクールに入選するような作文のいちばんの重点は、題材の面白さです。小学生の場合は特に、題材が第一で、表現力や思考力は二の次です。
この題材の面白さの中には、その出来事の個性に基づくものがあります。例えば、「モグラをつかまえた」「牛の子が生まれた」「新聞配達の仕事を手伝った」などです。こういう体験は、普通の子供はまずしません。
しかし、その一方で、共感に基づく面白さというものもあります。例えば、「初めてバスに乗った」「思わずカンニングしそうになった」「電車の中でおじいさんに席をゆずろうとしたがうまくできなかった」などです。こういう経験は、だれでも多かれ少なかれ似たことをしているので共感を感じるのです。
個性、感動、挑戦のような面白さはなかなか出合うことがありませんが、共感の面白さは意識していると日常生活の中にも意外と出合うことがあるものです。
今回の暗唱の長文を通して、小学生のみなさんがこの題材の面白さというものに意識を向けていかれるといいと思っています。
(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)
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小3の保護者の方から、母親が多忙でなかなか子供の作文の勉強を見てあげられないというお話をうかがいました。
この点については、こちらも大いに反省するところがありました。
具体的には、
1、暗唱の自習は、最初のうち保護者が手をかけないとできない
2、パソコンによる清書も、保護者が手をかけないとできない
3、新聞やコンクールへの投稿も、保護者が手をかけないとできない
という問題があったのではないかと思います。
そこで、今後、小1~小3は、できるだけ保護者の手をわずらわせない仕組みにし、やりにくいところなどがあれば改善する、というようにしていきたいと思います。
具体的には、
・自習の暗唱は、今度の新しい暗唱法でやりやすくなったと思いますが、基本的に自習はオプションとして、やりにくい場合はやらなくてよいとします。毎週の作文をしっかり書いていればそれだけでも十分です。
・新聞やコンクールへの投稿がしにくい場合は、講師に送ってもよいとします。その場合、講師はその清書を1週の作文と一緒に返却します。そのあとに投稿しても結構です。
・清書のパソコン入力は、小4になってローマ字を習い自分で打てるようになるまでは、保護者がやらなくてもよいとします。これは、これまでもそうでしたが、もっとはっきりと任意の作業とします。
・したがって、パソコン入力による森リン大賞のプリントは、自分でパソコン入力ができる小4以上の生徒を中心にします。また、上位入選者の掲載というよりも、自分の書いたものを中心にプリントする仕組みにしたいと思います。
・小3以下の生徒は、原則として自分でパソコン入力ができないことを前提に考えていきます。パソコンで入力した清書については、生徒本人のものだけをプリントするか、又は、プリントせずにウェブで見られるような形にしたいと思っています。
以上、まだ検討中の段階ですが、ご意見ご提案などがございましたらお知らせください。
電話 0120-22-3987(平日9:00-20:00)
なお、今回の暗唱の自習については、多くの方からやりやすくなったとの声をいただきました。暗唱の自習はオプションですので、今すぐには取り組めなくても、できるようになったときから始めるような形で取り組んでいってください。
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小3の保護者の方から、感想文の添削についてご質問をいただきました。
その内容は、「中心を決めることと、似た話と、結びの感想が一貫していないのに、いいところを褒めるだけの指導でいいのか」というものでした。
こういう疑問は、多くの方が持っていると思いますが、実は「それでいいのです」というのが答えです。
その理由は二つあります。
第一は、小3、小4では、感想文の本格的な指導はまだ無理だからです。
感想文の指導が意味を持つのは、小5からです。このころになると、全体の構成や主題を考える力がついてくるので、先生が説明したことを自分なりに理解して書いていくことができます。しかし、小4までは、先生の説明を消化するだけの年齢になっていないので、先生に言われたとおりに書くぐらいまでしかできません。
では、なぜ小3や小4で感想文の指導をするかというと、それは小5になって感想文を書くために、その形に慣れておくという準備をするために書いているのです。
第二は、よりよい文章を書くために先生が直す指導に力を入れると、その直す指導が子供の理解力を超えている場合、苦手意識を育てることにしかならないからです。
よく作文指導に熱心な先生のクラスの生徒の多くが作文に苦手意識を持っているということがあります。それは、先生が熱心に直す指導をし、その一方で上手な子の作文だけを褒める指導をするので、大部分の子が作文を苦手に思うようになってしまうのです。
では、単に褒めるだけの指導でいいのかと言えば、そうではありません。褒めるだけの指導は、直す指導よりもずっとよいのですが、褒め続けているだけでは進歩がありません。
褒める指導にセットしておくものは三つあります。
第一は、自習で力をつけていくことです。暗唱や読書によって読む力がつき語彙力がつけば、先生の説明を自分なりに生かすことができるようになります。褒めることと自習をすることは勉強の両輪のようなものです。
第二は、できた作品を褒める一方で、次回の作文や感想文の準備をすることです。特に、感想文は事前の似た話の準備が重要です。長文を読んで、自分で似た話を考えるとともに、家族に取材して似た話を集めます。すると、感想文の内容が見違えるほど充実してくるのです。
言葉の森の指導の特徴は、事後添削ではなく事前指導です。書いた作品について赤ペンを細かく入れても、作文力は上達しません。書き出すまでに準備をして、先生が事前に電話で重要なポイントを言う、という書く前の指導がいちばん重要なのです。
第三は、中高生になるまでの発展を見越したシステムで勉強することです。小学生の作文を小学生の時代だけ上手になればいいと考えると、どうしても生活作文をくわしく描写的に書くことに終始しがちです。小学校低中学年で上手な作文を書くことが目的なのではなく、書く力そのものを伸ばして、中学生や高校生になったときに立派な説明文や意見文を書けるようにすることが勉強の目的です。
小3の生徒の中には、題名課題は難しいから嫌だとか、感想文は難しいから嫌だという生徒がよくいます。しかし、そういう子供たちでも、作文が勉強の一つなのだという話をすると、難しいけどがんばるという姿勢で取り組んでくれるようになります。そして、事前の準備に力を入れて、お父さんやお母さんに似た例などを取材してくると、すばらしい作文が書けるようになるのです。
褒める指導を中心にしつつ、毎日の自習で読む力をつけ、先の展望を考えて勉強を進めていく。これが作文、感想文の勉強で大事なポイントです。
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作文小論文の自動採点ソフト森リン(もりりん)を開発しているときのことです。
高校生の上手な子の作文をいくつもずらっと並べて見ていました。それぞれの作文にいろいろな計算方法で抽出した語彙の数値が載っています。それらを並べて見ているときに、ふと語彙の多様性と上手さがきれいな正比例関係になっているのに気づきました。
語彙の多様性といっても機械でやっと抽出できるぐらいの数値ですから、人間が目で見ても到底わかりません。しかし、語彙の多様性が高い作文を読んでいると、感覚として「この作文はうまいなあ」と思ってしまうのです。
もちろん、語彙の多様性のほかにも、上手さと相関の高い数値がいろいろありました。考える語彙の多さ、難しい語彙の多さ、文の長さのバランスなど、ある範囲で上手さと相関する数値がいろいろ見つかりました。「ある範囲で」というのは、どの数値も、ただ高ければよいというのではなく、ある程度以上高い数値が出るとかえって読みにくくなる面があるからです。
この結果を、言葉の森の講師数十人にも見てもらいました。その結果、森リンの出す点数と人間の感じる上手さがかなり高い相関になっていることがわかったのです。
語彙の多様性とは、ひとことで言えば、同じことをいろいろな言葉で表すことです。文章力のある人は、文章を書いていて同じ言葉が続きそうになると、それをほかの言葉で言い表すということをよくします。同じ言葉が単調に続くことに、美的にしっくりしないものを感じるからです。
しかし、語彙力(読むための語彙力ではなく、書くための語彙力)の乏しい人は、しっくりしなくてもほかの言葉が思いつかないので、そのまま書いてしまいます。よく、小さい子は、作文の結びを「とても、楽しかったです」と書いて終わりにします。それがよくないというのではありません。語彙力の少ない年齢では、ほかの言葉が出てこないだけなのです。
したがって、森リンの点数を上げるためには、作文を直すのではなく、語彙力を育てるための読書に力を入れていく必要があります。ただし、読むための語彙力は、そのまま書くための語彙力ではありません。読む語彙力を書く語彙力にするためには、何度も繰り返し読むことが必要です。暗唱は、書くための語彙力を増やす勉強にもなっています。
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