寺子屋オンエアは、家庭学習を中心とした勉強法です。ところが、家庭学習がせっかく軌道に乗っているのに、もっとよく勉強させようと思い、家庭学習の時間を削ってまで塾に行かせようとする家庭も多いのです。
それは、親の世代が塾に行って勉強していたからという面もあります。また、今の社会では塾に行って勉強する子が多いので、それが最もオーソドックスな勉強の仕方だと思ってしまう人が多いからだと思います。
確かに、家庭で勉強をしていると、子供たちの勉強のアラが見えます。遊んだりふざけたり、集中できなかったりという勉強の欠点が見えるのは、親が近くにいるからです。しかし、その欠点は塾に行っていても変わりません。ただ、親の目につかないので気にならないというだけです。
子供たちの学力がつくのは、教えてもらっているときではありません。教えられたことを自分で反芻するときに本当の力がつきます。
塾に行って成績が上がる子は、家庭での宿題をきちんとしている子です。塾に行くだけで、家庭で何もしなければ、成績は決して上がりません。また、宿題のあるときだけ宿題をするという子も、成績は上がりません。宿題のあるなしにかかわらず、毎日同じような勉強をする習慣のある子が成績も上がります。ということは、逆に言えば、家庭で勉強する習慣のある子は、わざわざ塾に行って勉強する必要はないのです。
塾に行って教わる勉強をしていると、同じことを身につけるのに、家庭で勉強するよりも何倍も時間がかかります。そのため、塾に通う時間が増えると、子供たちの生活時間は圧迫され、遊んだり、本を読んだり、自分の好きなことをしたりする貴重な時間が削られてしまいます。なぜそういう時間が貴重かというと、それらの時間が子供たちの将来の仕事力や創造力の源になっていくからです。
塾でも、学校でも、先生に教えてもらう勉強という点では変わりません。しかし、小中学校の勉強は、わざわざ誰かに教えてもらわなくても、教科書と簡単な参考書と問題集だけでわかるようになっています。だから、教わる勉強はできるだけ少なくして、自分で決めたことをする勉強を中心にしていく必要があるのです。つまり、それは家庭学習です。
ところが、家庭で自分だけで勉強をしていると、その勉強法が正しいのかどうか不安になってくることがあります。また、それ以上に、勉強するきっかけをつかみにくいので、親から言われなければやらないという勉強になりがちです。
そこで、言葉の森では、寺子屋オンエアという仕組みを作ったのです。
しかし、ここでひとつ問題になるのは、学年が上がってくると、誰かに教えてもらわないとわからないような勉強も出てくることです。それは、受験のための差をつけることを目的とした勉強です。一種のパズルのような勉強ですから、教えてもらえばわかる、自分で考えたのではいくら考えてもわからないという勉強が出てくるのです。
そういう一見難しい勉強ができると、学力がついたように思いがちですが、それはパズルの解き方を知っただけで、本当の学力がついたのではありません。だから、中学受験のための難しい問題を解けるようになった子と、中学受験をせずに教科書レベルの易しい問題しか解かなかった子が、やがて中学3年生になり高校入試レベルの問題に取り組むようになると、かつての小学6年生のころの勉強の差は全くなくなっているということが多いのです。
では、その難しい受験勉強はどのようにしたらよいかというと、それは、家庭で志望校の過去問を研究することです。入試の傾向は、共通点もありますが、学校による違いがかなりあるからです。
学習塾での勉強は、子供たちに、どの学校でも受かるような全天候的な得点力をつけることを目的としています。しかし、それは最も無駄の多い勉強法です。能率のよい勉強法は、その子の志望校に絞って過去問を研究し、その子の実力に応じてどういう時間配分でどの教材を勉強するかを決めることです。
このように自分で工夫する勉強は、高校入試、大学入試、更には社会に出てからの仕事というように、成長するほど重要になってきます。
小学生時代は、他人に教えてもらう勉強の方が能率よく見えることがありますが、そういう時期は人生の中ではほんのわずかです。これからの長い人生の大部分は、自分で考えて自分で工夫する勉強法を身につけた子がよりよく切り開いていけるのです。
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悪い読書感想文指導の例は、次のようなものです。
先生「自由に書いてごらん。」
生徒「先生、できました。」
先生「どこどこ。うーん、これがだめで、あれがだめで、ここもだめで、あっちもだめだ。」
生徒「じゃあ、どうしたらいいんですか。」
先生「それは自分で考えるんだ。」
そして、中に、よく書けた子がいると、
先生「みんな、こういうふうに書くんだ。」
褒められたごく少数の子は、なぜ褒められたのかわかりません。注意された大多数の子は、どうしたら褒められるようになるのかわかりません。
しかし、たくさんの生徒を教えているから、中に必ず上手に書く子がいるので、こういう指導でも通用するのです。
よい読書感想文指導の例は、次のようなものです。。
先生「最初に、こう書いて、次にこう書いて、あれを入れて、これを入れるといいよ」
生徒「先生、できました。」
先生「どこどこ。なるほど、あれも入れたし、これも入れたね。よくできた。」
生徒「わあい。」
すべての子が、どう努力したらよいかわかるので、誰でも書けるのです。
しかし、なぜこういう指導が行われていないかというと、誰でも書ける方法は、苦手な子でも書けるので、レベルが低いと思われてしまうからです。
ところが、言葉の森の読書感想文指導は、この誰でも書ける書き方で、例年いろいろな賞をもらう子がいるのです。
読書感想文指導の目的は、上手な作品を書かせることではありません。
読書感想文を通して、子供の書く力を向上させていくことが第一の目的です。
今、学校や塾で行われている読書感想文指導の多くは、指導がなくて評価だけがある教え方になっています。
では、どうしたらよいかというと、家庭でお母さんが書き方を教えてあげればよいのです。
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国語の勉強というと、ほとんどの人は、国語の問題集を解くようなことを考えると思います。しかし、問題集をいくら解いても、その解説をいくら聞いても、国語力はつきません。
国語力とは、国語の問題を解く力ではなく、日本語の文章を読み取る力だからです。更に言えば、その読み取る力の土台の上に、日本語の文章を表現する力だからです。
国語力があれば、国語の問題を解く力は、短期間で身につきます。
例えば、高3の生徒が、夏休みの8月ごろ、試しに国語のセンター試験をやってみると、平均点と言われる6割ぐらいしか取れないことがあります。
しかし、その生徒に、1、2時間解き方を説明するだけで、次の週からは、満点近い成績を取れるようになることが多いのです。それぐらい、国語力と国語の成績との間にはギャップがあります。
だから、基準にするのは、国語の成績ではなく、国語力です。
その国語力は、どうやってつくのかというと、それは、繰り返し難しい文章を読むことによってです。
ところが、その単純なことがなかなかできません。なぜできないかというと、難しい本を読むということは、真っ暗なでこぼこ道をろうそくの火を頼りに進むようなものだからです。
これに対して問題集を解く勉強は、明るい舗装された道を、わかりやすいクイズを解きながら進むようなものです。
だから、ほとんどの人は、やりやすい問題集を解く勉強をしてしまうのです。
難しい文章を読むためには、読むという行為を外化させる必要があります。それが音読です。
黙読では、途中で挫折してしまう文章も、音読であれば読み続けることができます。そして、読み続けているうちに読む力がついてくるので、やがて黙読でも読めるようになってくるのです。
この音読は、小学校低学年から始められます。大事なことは、どんなに下手な読み方をしても、間違った読み方をしていても、すべて褒めてあげることです。
音読が続けられなくなるいちばんの原因は、読み方の注意だからです。注意を一切しなくても、読み続けていれば読み方は自然に上手になっていきます。
しかし、注意をすれば、すぐに親の前で読むことを嫌がるようになり、結局肝心の音読を続けることができなくなってしまうのです。
小学校高学年になるころから、問読(問題集読書)に取り組むことができるようになります。
国語力をつけるための最適の文章は、新聞のコラムよりも、むしろ実際の入試問題の文章です。
力のある生徒は、この入試問題集の文章を喜んで読みます。力のない生徒は、読むとすぐに眠くなります。だから、ここでも音読が必要になるのです。(つづく)
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記述力をつけるためには、まず難しい文章を読み取る力をつけることです。そのためには、問題集の問題文を読書がわりに読む方法が有効です。それも、一度で終わるのではなく、同じ問題集を5回繰り返し読んでいくようにします。
読む力は書く力の土台ですが、書く力には独自の要素もあります。それがスピードと字数と構成力です。勉強の仕方は、問題集の問題文を読み、自分なりの感想を50字なら50字と字数を決めて書きます。
そのときに大事なことは、書きながら考えたり、途中で消したり読み返したり直したりせずに、最初にしばらく考えたあと字数ぴったりまで一息で書くようにすることです。
作文の字数とスピードは、慣れという面があるので、それぞれ自分なりの癖のようなものがあります。努力して速く書こうとすれば、だんだん速く書けるようになります。長さも、努力によって長く書けるようになります。
書き方のコツは、第一に、文中の言葉をできるだけ使うことです。自分なりに考えたことを書くのは大事ですが、そのままでは幼稚な書き方になることが多いので、それを文中の少し難しい言葉を使って書くようにするのです。
第二に、要求された字数いっぱいまで書くことです。「50字から100字の間でまとめる」というのであれば、書く力のある子は自然に100字いっぱいまで書こうとします。だから、採点する側も、多く書いている子の方に好意的な見方をするのです。
第三に、難しい問題のときも空欄にはしないことです。何を書いていいかわからないときは、設問の文章を一部引用しながら書くぐらいでもいいのです。ただし、これはあくまでも試験のための方便で、これで実力がつくわけではありません。
第四に、物事を対比するような形で書くことです。ただ、「Aである。」と書くのではなく、「Bではなく、Aである。」又は、「確かにBもあるが、しかしAである。」という書き方をすることです。実際にそういう形で書かない場合でも、考え方としては、物事を対比して輪郭をはっきりさせておくことが大事です。
第五に、物事の二面性に着目して書くことです。これも、ただ「Aである。」と書くのではなく、「Bであるとともに、Aである。」「Bである一方、Aでもある。」「Bであると同時に、Aである。」という書き方をするということです。(つづく)
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小さい子に、「赤は止まれ、青は進め、黄色は注意」と教えても、断片的な知識を条件反射的に覚えさせているにすぎなません。ほとんど、「お手」「おかわり」と同じレベルです。
子供には、「赤から青に変わるときは何。」というように、文で教えることが大事です。本当に必要なのは、正解となる知識ではなく、その途中の過程で文を読み取る力だからです。文で話しかけることによって、単なる知識ではなく、理解の力が身につきます。
更に工夫をするには、そこに思考を加えることです。「青から赤にはすぐ変わるけど、どうして赤から青にはすぐ変わらずに途中で黄色が入るのかなあ」などと考える話をするのです。
ここで大事なことは正解ではなく、その途中の過程で考えようとする姿勢を身につけることです。だから、間違ったことを言ってもいいのです。自分なりに考えようとしたことが大事だからです。
子供の頭のよさのほとんどは、問題集のプリントなどによってではなく、この親子の対話によって作られています。
これは、学年が上がっても同じです。
小学3年生以上の作文は、題名課題が中心で、そこに時どき感想文課題が加わります。この作文感想文の課題をきっかけにして、子供が親に似た例を取材する機会が出てきます。
そのときに、親は決して、「そんな似た話なんてない」などと言ってはいけません。たとえ、似た話がすぐには見つからない場合でも、何とか拡大解釈をして似た話を考えようとする姿勢が、子供の考える姿勢を育てるのです。
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