 
 言葉の森は、幼児や小学生から作文を教えているので、子供向けの教室と思われていますが、実は最初は大人向けの教室でした。
 昔人気のあったマスコミ業界で入社試験に作文があったので、マスコミを受験する大学生に作文を教えていたというのが、言葉の森の最初のころの作文指導です。
 その後、縁があって、大学生だけでなく小学生から高校生までを教えるようになりました。
 当時は、まだ大学入試に小論文が採用される前で、中学入試にも、高校入試にも作文試験といういものはありませんでしたから、生徒は多くありませんでした。
 そのころに言葉の森に入ってきた人は、面白そうだから来てみたという人がほとんどだったと思います。
 だから逆に、優秀な子がとても多かったのです。(今も多いですが)
 その後、世の中では、次第に大学入試に小論文試験が行われるようになり、当時の高校生の生徒からの要望もあったので、言葉の森も大学入試小論文の指導を行うようになりました。
 入試小論文と言っても、大学や学部によって全く違う形で出されます。
 それらの問題すべてにわたって30年間以上も指導しているうちに、自然科学も、社会科学も、人文科学も、また芸術やスポーツの分野も含めて、ありとあらゆる分野の小論文の指導をすることになりました。
 ですから、今ではどんな課題を相談されても、即座にその課題に合わせた書き方のコツを教えることができます。
 しかも、言葉の森の指導は構成を意識して書く形の指導なので、生徒にはとても理解しやすいのです。
 この大学入試小論文の指導とほぼ同じ形で、近年増えてきた高校入試の小論文や、公立中校一貫校の受験作文の指導を行っています。
 ですから、言葉の森は、小学生から高校生まで、また時には社会人の方の相談にも応えて、ありとあらゆる形の作文指導ができます。
 ただし、受験のための作文小論文対策は、通常の作文指導の時間とぶつかるので、無制限に受け入れているわけではありません。
 どんな課題についても教えられるが、教える時間が取れないことが多いというのが正直なところです。
 ですから、言葉の森で既に勉強している生徒は、そのまま学年が上がったときに受験作文小論文に対応できますが、受験期になってから新たに始めるというのは難しい場合もあるのです。
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 今日はちょっと昔懐かしい話を書きました。
 最近、昔の生徒だった人がお母さんになり、子供を言葉の森に入れるようになったので、そんなことを思い出しながら。
 言葉の森を卒業し、大学生や社会人になった人からも、時々、「この文章見てください」という頼まれることがあります。
 昔は伝達の手段が限られていたので、赤ペンを入れるような形で結構時間がかかりましたが、今はZoomなどで口頭で説明できるので簡単です。
 今後の作文指導も、赤ペンから口頭による説明へと変わっていくようになると思います。
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 言葉の森の作文指導がわかりやすいのは、作文を書く前の指導があるからです。
 一般の作文指導というものは、ただ書かせて、書いたあとに赤ペンで添削するという形がほとんどですが、それでは作文は上達しません。
 そして、作文を書くことに慣れていない子は、事前指導がないと書き出すこともできません。
 では、どういう事前指導をするかというと、小学4年生までは、主に表現項目の指導です。
 小学5年生以上は主に構成の仕方の指導です。
 小学5年生から、ものごとを構造的に考える力がついてくるので、構成の仕方を説明すると、自分が書こうとする作文の全体像が理解できるようになるのです。
 しかし、表現項目も、構成の仕方は、ある意味での型に過ぎません。
 その型に入れる中身は、作文を書く本人の経験や知識の中から見つけてくることしかできません。
 そこで必要になるのが、経験と読書と対話です。
 小学生の場合は、主に経験と対話から、中高生の場合は、主に読書から中身を探してくることになります。
 文章は、表現力で書くのではなく、書くための材料と枠組みによって書くのです。
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 作文は、わかりやすい教え方をすれば、生徒も理解しやすくなります。
 理解できると、自然に書きたくなります。
 子供が作文を書きたがらない原因のひとつは、わかりにくい教え方をしていることにあります。
 しかし、そのわかりにくい教え方の方が、一見レベルが高いような気がするのです。
 作文の練習で型から入ると、苦手な子でもひととおりのことが書けます。
 しかし、型ができたから完成ということではありません。
 型ができたら、次はその型に入れる中身を充実させていきます。
 中身は、読書と体験と対話によって豊かになります。
 ここからが時間がかかるのです。
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順天高等学校 M.Tさん
(担当講師より)
週のほとんどがフィギュアスケートの練習で大変だった時も、作文は欠かさずに取り組み続けていました。受験対策を本格的に始めてからはしっかりとスイッチを切り替えて、自分の目標にまっすぐに向かってがんばっていました。
崇城大学 S.Kさん  
(担当講師より)
小1の時から続けて頑張ってきました。四月からの新生活が素晴らしいものになりますように。
京華高校 S.Kさん
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東京都立西高校(推薦)  M.Hさん
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福岡県立輝翔館中等教育学校(中高一貫校) R.Eさん
(担当講師より)
 9月半ばに言葉の森に入ってから、いちばん不安だったという作文に毎週欠かさずに取り組んできました。言葉の森以外の塾には行かず、お父さんお母さんと3人で最後までがんばったそうです。合格という結果はもちろんですが、家族が一つになって取り組めたことが何よりも尊い宝物になったと喜んでいらっしゃいました。 
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 時間をかけているわりに成績が今ひとつという子の場合、勉強時間が長すぎることが多いようです。
 それは、どうして長くなるかというと、勉強の量が多いからです。
 そして、なぜ多いかというと、ぃろいろなものをやるという勉強の種類が多いからです。
 勉強の種類が多くなると、1つの教材についてせいぜい1回しかやらないようになります。
 本当は、1つの教材は4回から5回繰り返すぐらいで初めて身につくのです。
 それは、読書も同じです。
 1度しか読んでいない本は、結局自分の中ですでにわかっているものしか読んでいません。
 2度、3度繰り返し読む中で、初めて自分の中に新しいものの見方や考え方が定着してくるのです。
 しかし、同じものを繰り返す勉強というのは、子供にとっては飽きるものです。
 それを飽きずにやるコツは、目標があり、一緒にやる仲間がいることです。
 暗唱検定に合格する人が年々増えていますが、その理由の一つは、検定試験という目標があることです。
 もう一つは、友達がやっているという話を聞くことです。
 今度、言葉の森では、作文のクラスと、自主学習のクラスを、少人数の交流ができるオンラインクラスとして行える曜日と時間を設けました。
 この中で、子供たちが勉強の交流を楽しめればいいと思っています。
▼参考記事
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「勉強で大事なのは学ぶ「物」ではなく学ぶ「事」――退屈な勉強を続けるには」
https://www.mori7.com/as/2533.html
 寺子屋オンラインの勉強のよいところは、「物」ではなく「事」を中心に勉強していけることです。
 「物」中心の勉強とは、教材中心の勉強です。教材が優れていることはもちろん大切ですが、どんなによい教材であっても、その教材を繰り返し使って自分のものにすることがなければ、価値は半減します。
 しかし、多くの家庭で、子供たちは、学校の宿題、塾の宿題、通信教材、市販の教材など、ひとつの教科で複数の教材を使って勉強しているのです。
 学校の勉強が時間的には最も長いのですから、中心になるのは学校の教材です。しかし、学校の教材は受験に対応するような難しい問題は載っていないことが多く、しかも学校で先生が教えることを前提に作られているために解説の部分が弱いのが難点です。
 だから、学校の教材プラス家庭で選ぶ市販の教材というのが勉強の教材としては最もよい組み合わせになります。
 しかし、同じ教材で勉強をするときの問題は、同じものを繰り返しやるという勉強の鉄則を守った学習は、実は退屈だということです。
 そのため、子供が飽きないように、目新しいものを次々とやるような勉強スタイルに戻ってしまうことも多いのです。
 退屈な勉強を続けるコツは、まず同じ時間に同じことを勉強するという勉強の習慣を作ることです。次に、タイマーなどを使った自分なりの記録で自分自身と競争できるような目標を作ることです。そして、もうひとつは、ほかの人と一緒に勉強することです。
 寺子屋オンラインでは、まだ生徒どうしの交流はありませんが、それでも同じ時間に同じような勉強している人の姿が見えるということは、自分の勉強の励みになっています。
 今後は、オンエア特別講座で、勉強以外の交流もできるようにする予定です。すると、勉強する「こと」自体がもっと楽しくなってくるはずです。
(2018年3月より、オンライン作文、自主学習クラスとも、思考発表クラブと同じように子供たちの交流ができる少人数クラスがスタートします。ただし曜日と時間はまだ限られています。)
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 成績のいい子の教科書や参考書を見ると、あちこちに書き込みがあったり、背表紙がはずれかけていたりして使い古された感じがします。
 それだけ、何度も使っているのです。
 1冊を繰り返し使っていると、ある話がどのページのどの位置に書いてあったかという地図のようなものが頭の中にできてきます。
 そのときに。その教材が自分の中に定着したことになるのです。
 とは言っても、小学生にはまだそこまでは無理です。
 だから、小学生のうちは、勉強は同じことを繰り返しやるものだという感覚だけをつけておくといいのです。
 昔、生徒から、こんな話を聞いたことがあります。
「うちのおじいちゃん、英語の辞書を覚えながら食べちゃったんだって」
 そして、表紙だけで中身のない英語の辞書を見せてくれたそうです。
 気合いの入りすぎたおじいちゃんですが、本当に身につけたいものは、食べてしまうぐらい繰り返すといいのです。
 シュリーマンの勉強も、本多静六の勉強も、塙保己一の勉強も、繰り返すという点で共通していました。
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 世の中には、いろいろな習い事があります。
 勉強的な習い事は、やっている子とやっていない子の差が大きく出ます。
 しかし、そのほとんどは、誰でもやればすぐにできるようになるものです
 生活の中で行う読書や対話は、差があまり出ません。
 しかし、子供の本当の学力を考えたとき、この生活の中で行う読書や対話が実は最も大きな差になっているのです。
▽参考記事
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「もとになる勉強、枝葉の勉強――作文と結びつけて読む力をつける」
https://www.mori7.com/as/2789.html
 教育に関する情報が豊富にあると、かえってその中で、何が重要で何が重要でないかを見失ってしまうことがあります。 
 親も子供も熱心にやっているように見えても、その方向が脇道にそれている場合も多いのです。 
 勉強の中心は、家庭で毎日取り組むと決めたことを繰り返す勉強です。生活の中で毎日当然のように行う平凡な勉強の積み重ねが、もとになる勉強のです。 
 これに対して、学校や塾から宿題で出されるような勉強は、枝葉の勉強です。宿題のプリントをもらってきて、それをやるような勉強は、繰り返して身につけるというようなことがしにくいので、結局一回きりの勉強にになってしまうことが多いからです。 
 子供が小さいときは、そういうばらばらのプリントをこなすような勉強も、親がファイルをして整理してやらせることができます。
 しかし、子供がひとりでそういうプリント類の管理をすることは難しいので、学年が上がると、与えられた勉強を次々とこなすだけの勉強になりがちです。 
 宿題というと、やることが義務のように思うので、その勉強を第一に考えてしまう人が多いのですが、自分のペースでやると決めた勉強がもとになる勉強で、人から与えられた勉強は枝葉の勉強だという区別をしておくことが大切です。 
 勉強の内容として大事なものは、第一に読む力をつけることです。小学生時代は特に、速く、楽に、和多く読む力をつけておくことが勉強の中心になります。 
 第二に大事なものは、計算する力です。これも、速く、楽に、正確に計算する力をつけておくことです。
 それは、計算が苦手だと、その延長で算数や数学が苦手だと思ってしまうことがあるからです。
 ただし、計算力はあくまでも第二です。
 計算は電卓に代わってやってもらうことができますが、読書は機械に代わってやってもらうことはできません。
 計算力に比べると、読書力の差は表面には出ませんが、実はこの読書力の差がいちばん大きいのです。
 読む力を更に発展させるものとして、音読、暗唱、親子の対話などの勉強もあります。これらは単独で取り組むよりも、作文の勉強の中で取り組むようにすると定着します。 
 習い事の中には、子供の個性にあったさまざまなものがあります。英語、プログラミング、スポーツ、音楽など、今は多様な学習の機会がありますが、それらは、読む力、計算する力の勉強に比べると、あくまでも枝葉の勉強と考えておくことが大切です。 
 子供の好きな分野で個性を伸ばすことは大事ですが、その個性も、もとになる土台の勉強ができて初めて生きてくるのです。 
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 読書力の差は、点数の差としてはほとんど表れません。
 だから、後回しにしてしまう人も多いのですが、本当は最も優先して取り組むものです。
 その方法は、簡単です。
 毎日、自分の好きな本でいいから、10ページ以上読むと決めて、それを習慣にしていけばいいのです。
 大事なことは、「毎日」ということと、「自分の好きな本」ということです。
 読書力の差は理解力の差ですから、学力の中心となるものです。
 しかし、読書力というものが点数として表されることはありません。
 読書力の差は、語彙力の差となって現れます。
 だから、作文には、その子の読書力が出てくるのです。
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 先日、賢い子は理科が好きだという話を書いたら、何人かの方から賛同をいただきました。
 人間にはもともと、知的好奇心があるので、自然界の不思議な現象の背景にある理屈などを知ると嬉しくります。
 それは、子供も同じです。
 今は、勉強というと、そういう知的好奇心の必要がない、忍耐力だけが必要なことをやらされている子が多いので、子供が本来勉強好きだということを信じられない人もいると思います。
 しかし、本当はどの子も勉強は好きなのです。
 だから、大人の役割は、そういう子供の知識欲に応えられるような環境を用意することです。
 その最も手軽な方法が、科学の本を読む機会を作ることです。
 これは、子供だけでなく、大人にとっても面白いので、親子でその科学の話題をもとに話がはずむこともあります。
 また、その話のついでに、では実際に確かめてみようとなって、親子で実験が始まる場合もあります。
 言葉の森の作文指導は、作文と言っても、文学的な面だけでなく科学的な面も重視しているので、そういう科学の話題とは相性が合います。
 言葉の森が、自動採点ソフトの「森リン」を開発した動機も、子供が自分の書いた作文を自分で客観的に評価できるようにするためでした。
 科学に関心のある子は、学年が上がるにつれて作文が上手になる傾向があります。
 それは、作文の性格が、小学生時代の生活作文から、説明文、意見文、論説文へと次第に変化していくからです。
▽参考になる過去の記事
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「賢い子を育てる、お母さんの科学的関心」
https://www.mori7.com/as/2794.html
 子供が、最初に接するのは、両親、特にお母さん、そしてお父さんです。 
 子供は両親を通して、社会に接していきます。だから、親の関心が子供の関心に結びつくのです。 
 親が科学的なものの見方に関心を持っていれば、子供もそのような関心を通して世の中を見るようになります。 
 これが、賢い子を育てる出発点です。 
 本を読んだり、勉強をしたりする以前に、子供が親の関心に自分の関心を重ね合わせることが大事なのです。 
 しかし、もとから科学好きな親ならまだしも、多くのお母さんは科学的なことにはあまり関心がないと思います。 
 そこで、使えるのが、子供向けの科学の本です。 
 子供と一緒に科学の本を読んでいると、「へえ、そうなんだ」と、世の中や自然の現象についての新しい理解に感心することがあります。 
 特に、自然界は、科学的な考え方の宝庫です。 
 自然の中にあるものは、どれもそれなりに必要な科学的裏付けを持って成り立っているからです。 
 これに対して、人間社会の現象は、にぎやかな話題が多い割に、科学的な裏付けを通して理解するということはあまりありません。 
 また、一般に勉強と言われるものも、科学的なものの見方にはあまり結びつかないものがかなりあるのです。 
 特に、成績にすぐに結びつくような勉強は、知識と手続きの理解でなりたっているので、それはそれでとても必要なことなのですが、子供を賢い子にするということにはあまり結びつきません。 
 むしろ、勉強の時間が多すぎると、勉強以外の読書や遊びや対話の時間が減る場合もあり、その方が子供の成長にとってマイナスになることもあるのです。 
 最近出た科学の本として面白いと思ったものは、「理科好きな子に育つふしぎのお話365」(誠文堂新光社)です。 
 390ページもあり、結構重たいので、読み聞かせに使うとしたらお母さんはかなり大変です。 
 しかし、ルビがふってあるので、ある程度お母さんが読み聞かせをして、子供が興味を持てば、続きを自分で読むようになると思います。 
 科学の本の選び方として大事なことは、ただ知識が書いてあるだけでなく、因果関係のような構造が書いてあることです。
 科学の本とは少し違いますが、時事問題などでも、事実の経過が重要なのではなく、その背後にある因果関係の解説が大切です。しかし、世の中にある時事問題に関する本でそういう観点で書かれているものはあまり多くありまぜん。 
 知識が大事なのではなく、その知識の背後にある科学的な関係を知ることで、知的な好奇心が刺激されることが大事なのです。 
 以上のような科学的関心について考えたのは、ドクター・中松さんの「私は死んでる暇がない」を読んだのがきっかけです。 
 これも、とてもいい本ですから、子供向けではありませんが、ぜひ多くの方におすすめしたいと思います。 
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 賢い子は理科が好きです。
 では、どうして賢いのに、学年が上がるにつれて理科や数学が嫌いになる子がいるかというと、それは教え方の問題なのです。
 今の理科と数学は、試験で差をつけるためというのが主な理由ですが、間違えやすいところやわかりにくいところを中心に勉強が組み立てられています。
 教科書がわかりやすく書かれている場合でも、教える先生が一工夫してわかりにくい問題に発展させるようなことがあります。
 そして、いったんわかりにくくなった理科や数学が、どうしたらわかるようになるかという道筋を教えてくれる先生がほとんどいないからです。
 話は変わりますが、言葉の森の作文指導は、どんなに作文が苦手な子でも、すぐに書くことが好きになります。
 それは、どうしたらいい作文が書けるかという道筋がわかるようにしているからです。
 先生の役割は、評価することではなく、子供が自分でできるようにしてあげることなのです。
 作文の勉強で、最もわかりにくい指導が、「もっとわかりやすく書きなさい」という言葉です。
 また、「もっと自分らしく」とか、「もっと感情を豊かに」とか、「もっと、盛り上がりがあるように」などという指導もよくあります。
 子供は返事のしようがないので、「はい」などと言いますが、それで何をどうしたらいいのか結局わかりません。
 だから、先生はできるだけ客観的、科学的に、子供が確実に理解できる言葉で話す必要があります。
 国語や作文の先生ほど、理科的に物事を考える素養が必要なのです。
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