「小学生のための読解・作文力がしっかり身につく本」が発売されます。
この本は文字どおり、読むだけで成績が上がる実践的な内容になっています。
例えば、以前こんなことがありました。
言葉の森で作文の勉強をしていた中学3年生の数学のよくできる生徒がいました。
あるとき、その生徒のお母さんから電話がありました。「国語の成績がなかなか上がらない」というのです。
作文は毎週よく両親にも取材して、充実した内容のものを書いていましたから、勉強はしっかりやっているはずです。
それではということで、実際の国語の試験問題と解答を持ってきてもらうようにしました。
そのお母さんと生徒の前で、問題文を読み、その問題をどう解くかということを1時間ぐらい問題ごとに説明しました。
それまでも、一般論としてそういう解き方を話しているはずなのですが、実際にそのとおりにやっている子は少ないのです。
解き方を説明すると、お母さんもその生徒も驚いていました。
その後、その子の国語の成績はどんどん上がり、入試は神奈川県のトップ校のひとつと言われるところに合格しました。
その生徒が、入試のあと、しばらくして何かの話をしているとき、「国語だけは得意なんです」と言うのを聞いて思わず笑ってしまいました。
このように、国語は解き方さえわかれば、成績は必ず上がる教科なのです。
しかも、解き方を考えながら問題文を読むと深く読む力がつくので、成績だけでなく読む力もついてきます。
ところが、こういう解き方を一人ひとりに説明するような時間はなかなか取れません。
一斉指導で説明することもできますが、その場合ほとんどの生徒は他人事のように聞くだけです。
だから、家庭でお父さんやお母さんが、子供に国語の問題の解き方を教えるときに使えるようにと考えてこの本を書きました。
この本は、問題集のような体裁になっていますが、問題を解くための本ではありません。
読解の問題については、問題文を読み、問題の選択肢を読んだあと、解説を読んでください。
この解説が、問題の解き方を詳しく説明しています。
解説を読むと、読解の問題をどのように解くのかがわかります。
不思議なことに、こういう解き方を学校や塾で教えられている子はかなり少ないです。
だから、小学生だけでなく、中学生、高校生も含めて、ほとんどの子がこの解き方を教えられたあとすぐに次の週から成績が上がるのです。
読解問題の解き方のコツをひとことで言うと、緻密に読むということです。
四つの選択肢があれば、その一つひとつについて、次の図のようにどの部分が問題文の本文と必ずしも一致していないかということを明らかにしながら読むのです。
▽筑波大附属中2017年の問題(「小学生のための読解・作文力がしっかり身につく本」より)
子供が国語のテストを持って帰ってきたとき、親がまず見るべきなのは、点数ではありません。
点数だけ見ると、「今回はよくできた」とか、「今回はよくできなかった」とかいうだけの話になってしまいます。
テストが返却されたときにまず見るのは、選択問題を解いた跡です。
選択肢の一つひとつについて、その選択肢を選ばなかった根拠が、傍線や×や△や?の記号でメモしてあれば、その子の成績は必ず上がります。
しかし、たぶんほとんどの子は、何も書いていないきれいな問題用紙を持ってきます。書いてあるとしても、せいぜい合っていると思った選択肢に○がついているくらいです。
合っているものを選ぶのではなく、合っていないものがなぜ合っていないのかという根拠としての△や×や?のメモをしてあることが大事なのです。
ただし、こういう厳密な読み方をするのは、入試問題などの難しい問題を解くときだけですから、小学校低中学年のうちはこのような読み方をしないでも解けるものがほとんどです。
だから、多くの子は、そのやさしい解き方の延長で、高学年や中高生になってからもやさしい解き方をしてしまうのです。
したがって、この本は、まずお父さんやお母さんに読んでほしい本ということになります。
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言葉の森は、国語の教室ではありません。
国語の勉強のようなものは、やれば誰でもできるようになるのです。
わざわざ人に教えてもらうようなものではありません。
ひとりでできないのは、作文です。
それは、答えのない勉強で、やればどこまでも実力が上がる勉強だからです。
しかし、この本を書いたのは、ひとりで国語の勉強ができない人がほとんどだったからです。
この本には、読解、記述、作文の方法が書いてあります。
いずれも、類書にはない内容ですから、子供さんがお父さんやお母さんと一緒に読んでいただくといいと思います。
勉強は大きく分けて、答えのある勉強と答えのない勉強とに分かれます。
答えのある勉強は点数がつくので、誰でも関心を持ちます。
しかし、長い人生で考えると、答えのある勉強で身につけた力の寿命は短いのです。
大事なのは、答えのない勉強の方です。
その勉強の典型が、作文と読書です。
作文も読書も答えがないから、誰でもできます。
また、答えがないから、特にやらなくても何も言われません。
しかし、答えがないから、どこまでも高度なところまで進めるのです。
言葉の森は、今のところ高3までの課題で卒業ということにしていますが、本当はその先の課題もあるのです(笑)。
今の仕事が落ち着いたら、大学生や社会人の人を対象にしたいつまでも続けられる学問クラブというのを開きたいと思っています。
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都立大泉高校 T.M.さん
(担当講師より)
これまで生徒会活動も手を抜くこともなく頑張ってこられて、本番の作文も制限時間の半分で書き上げてしまって、驚いた監督官の先生が本当に書き上げたのか確かめにTくんの席まで読みに来られたそうです(笑)。
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今日の小学生新聞に、ほかの作文通信教育の広告が載っていました。
そこに書いてあるキャッチフレーズが、「楽しく学べる」「わかりやすいテキスト」「ほめて伸ばす添削指導」などでした。
言葉の森が普段言っているのと同じようなことですが(笑)。
しかし、それを見てふと思いました。
「楽しく学べる」「わかりやすいテキスト」「ほめて伸ばす指導」という言葉には何も問題はありません。
しかし、大事なのはその中身です。
●「楽しく学べる」
本来楽しくないものを楽しく学べるようにする仕組みを考えると、マンガを使ったり、プレゼントを用意したり、ゲームをしたりという方向になりがちです。
そうではなく、大事なのは、作文を書くこと自体を楽しくすることです。
その楽しさは、親子の交流、先生との交流、友達どうしの交流の中にあります。
本来、何かを創造し、それをみんなに見てもらうというのは楽しいはずです。
その創造の過程で、親子の協力があれば、その楽しさはもっと広がります。
そういう仕組みを作るのが、言葉の森の寺子屋オンラインの少人数クラスの作文です。
●「わかりやすいテキスト」
わかりやすいテキストということも、それ自体には何も問題はありません。
しかし、わかりやすいところまでしか教えていないからわかりやすいとしたら、その勉強に先はありません。
大事なことは、わかりにくいところまで教える道筋があることです。
小学3、4年生までの勉強は、作文に限らず、誰が教えても楽しくわかりやすく教えられます。
それは、勉強の中身自体がわかりやすいからです。
しかし、小学5年生以降の考える作文になると、テキストだけでわかりやすく教えるのはほぼ不可能です。
考える作文の力をつけるためには、毎日の自習、親の協力、先生の励まし、友達かの刺激など、いろいろな要素が必要になります。
人間どうしの触れ合いがあって初めて、少しずつ考える力がついていくのです。
●「ほめて伸ばす指導」
ほめられれば子供は喜びます。
ほめることは、誰にとっても最初は励みになります。
しかし、大事なことは何をほめるかということです。
どんなことを書いてもほめられるとなれば、子供はだんだん緊張感を失います。
ほめる前に、何をどう書いたらいいのかという指導があって、初めてほめることが生きてきます。
ところで、何をどう書いたらいいかという指導には、何段階も微妙な差があります。
会話を入れて書くということひとつにしても、ただ会話を入れるだけでなく、人柄のわかる会話を入れるとか、動作や表情を思い出して会話を入れるとか、さらに上のレベルの指導があります。
そして、高学年になると、今度は、会話を入れないで書くという指導になっていきます。
その指導を、ほめるだけで進めていくのはかなり困難です。
大人数のクラスで、数人の子だけがほめられるのでは、褒められない子は次第にやる気をなくします。
1対1の個別指導で、これまでと違う上の段階を教えるには、ほめるよりも直すとか注意するとかいう面が出てきます。
しかし、寺子屋オンラインの少人数クラスの場合は、みんなの作文のそれぞれのいいところを褒めることが、周りで聞いている子たちの勉強になります。
少人数のクラスで、全員がほめられるからこそ、ほかの人のほめられたところが参考になるのです。
寺子屋オンラインの作文クラスは、まだ始めたばかりのクラスですから、これまでの個別電話指導のシステムとの連係にかなり時間がかかりました。
しかし、教えることのできる講師も増えてきたので、これから本格的に募集していきたいと思っています。
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作文は、勉強の中で最も苦しい勉強です。
だから、感想文の宿題などがいつまでも後回しになる子が多いのです。
しかし同時に、苦しいけれど楽しいという気持ちで書ける子もいます。
何もないところに、自分の力ですべてを創造していくのですから、うまく書けたときは楽しくて仕方ないのです。
そういう楽しく書く力を、みんなにつけていきたいと思います。
一時、公約という言葉がマニフェストになったことがありますが、ほとんどの人は、マニフェストもすぐに公約と同じ言葉になると思っていたはずです。それは、言葉よりも人を見るからです。
同じように中身のなくなりがちな言葉に、「楽しい」とか「わかりやすい」とか「ほめる」とか、もうひとつ「考える力」とかいうのがあります。(言葉の森がよく書いている(笑))
大事なのは、公約と同じように、言葉ではなくその中身にいかに近づくかということです。
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本日から、日曜の9:00と10:00に、寺子屋オンラインの作文クラスが始まります。
当初は、新小学1年生、新小学2年生の親子作文の授業を中心に行います。
日曜の朝を設定したのは、保護者の方が参加しやすいようにするためです。
しかし、日曜日は、家族で朝早くから出かけることもあると思います。
そのような場合でも、オンラインクラスですから、授業の様子を録画してあとで見ることができます。
また、個別電話指導のふりかえは、いつでもできるようになっています。
問題は担当する先生の方です。
日曜日をコンスタントに担当できる先生は少ないと思いますので、担当講師は一つのクラスに二人の先生が担当するようにしました。
これで、講師の急な休講などにも対応できるようになります。
現在の言葉の森の休講代講システムは、急な休講連絡があった場合も、その連絡が直接全国の講師に届くので、ほとんどすぐに代講の先生が決まります。
寺子屋オンラインクラスも、そのような形になります。
少人数のクラスですから、生徒が休んだ場合の寺子屋オンラインクラスの間のふりかえ出席はまだ難しいのですが、今後クラス数が増えれば、ふりかえなも自由にできるようになります。
ふりかえで授業を受けると、新しい友だちや先生との出会いなどもあるので、できるだけ早く取り組みたいと思っています。
親子作文クラスのよい点は、作文を書く前の準備の段階で親子の対話と交流があることです。
小学生は、ドリルを解くような勉強をするよりも、この親子の対話と交流で最も学力を伸ばすからです。
また、参加する子供どうしの間で、自然な発表や交流があるのもこのクラスの面白い点です。
勉強らしくない楽しい勉強というのが、寺子屋オンラインの親子作文の特徴になると思います。
体験学習を申し込まれる方は、下記のページからどうぞ。
https://www.mori7.com/ftaikenn.php
※本日参加される方は、言葉の森のホームページの
●寺オン会場というZoom会場からお入りください。
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オンライン教育によって、どこでも誰でも自分の習いたいことを学習できるようになりました。
しかし、これはかなり前からすでに実現しています。
最近の特徴は、Zoomなどのウェブ会議システムによって、リアルな教室と同じぐらい身近な感覚でオンラインの教室が運営できるようになったことです。
しかも、自宅から参加できるので、言葉の森の寺子屋オンラインの場合、夕方の時間になるとラーメンを食べながら参加したり(おいおい)、お菓子をつまみながら参加したりという子もいます。
通学の教室でも、中高生などは遅く来ると、「先生、ちょっとパンを食べてから始めていいですか」というようなことがありましたから、同じような感じです。(ただし、作文は空腹の方がよく書けるので、食べるのは原則として書いたあとです。)
オンライン少人数教育の中のオンラインというのは、すでにいろいろなところで行われ、これからさらに普及していくと思いますが、少人数というのは、まだこれからの分野です。
少人数教育というのは、言葉は平凡ですが、実はこれが大きな可能性を秘めているのです。
これまでの少人数というのは、個別だとコストがかかるので少人数にするとか、大人数が集まらないので少人数にするとかいう、どちらかと言えばやむをえない理由による少人数がほとんどでした。
言葉の森の寺子屋オンラインの少人数は、もっと積極的な少人数です。
5、6人の少人数がコンスタントに維持できると、そこで全員参加型のコミュニケーションができます。
3、4人だとやや少なくて寂しい感じがし、7、8人だとやや混み合って忙しいいい感じになります。
5、6人であれば、全員が発表でき、互いに感想を述べ合うこともできるようになります。
今はまだ学年が混在していたり、多いところや少ないところがあったりしますが、今後クラス数を増やして、同学年の生徒で5、6人の少人数クラスを作れるようになれば、その集まりはかなり楽しいものになると思います。
子供たちが、学校や塾に行って、何がいちばん楽しいかというと、友達と一緒に帰る時間があることです。
オンラインのクラスは、一緒に帰るわけには行きません。(すでに家にいるので。あたりまえですが。)そのかわり、授業の中でお互いに話をしたり聞いたりすることができるのです。
だから、先生の仕事は教えることではありません。
授業の動画というのは、事前に見られるようになっていますから、それをもとに家庭で準備してくることが、子供たちの勉強の半分ぐらい重要になります。
自分で学ぶことと、人の学んだことを聞くことが勉強の中心になるのです。
小中学生のころの勉強は、教科書と自分にあった参考書と問題集でひとりでやるのが最も能率がいいと思います。これは、高校で大学でももちろん同じですが。
もしわかりにくいところがあった場合、そこだけ身近にいるお父さんやお母さんに聞きます。
大人であれば、参考書の該当する箇所を詳しく読むか、解法をじっくり見るかすれば、ほとんどのことは子供に教えられます。
大人が考えても教えられないというのは、その参考書や問題集の説明に問題があるか、又はその問題はできなくてもいい問題だと考えるのです。
入試問題は、できるべきところができていればいいのであって、全部できなくてはいけないというものではありません。
だから、ほとんどの勉強は、自学自習と両親の協力でカバーできます。
ただし、受験には無理にがんばることも必要なので、子供がまだ勉強に自覚がない時期は(自覚ができるのは中3以降で、方法を自分で工夫できるようになるのは高校生になってからだと思いますが)、塾などの一斉指導に参加して無理やり勉強する環境に入るのはいいと思います。
うちの子2人は、そういう環境に入りませんでしたが、今は受験の時期に塾に行かない子というのは、かなり少ないのではないかと思います。
さて、このオンラインの少人数クラスの教育は、作文や暗唱や読書紹介や理科実験などばかりでなく、いろいろなところに応用できます。
いちばんの利点は、みんなの前で発表し、みんなの発表を聞き、みんなで感想を述べ合うという密度の濃いコミュニケーションができるので、自然に意欲的になれることです。
今、外国人の子供たちの日本語教育をどうするかということが大きな問題になっています。
従来の教育の形態では、これはかなり難しい取り組みになります。それは、個別指導のようなやり方ではコストがかかりすぎて現実的でないし、一斉市場でやろうとすると教える先生の力量が必要になり、これも結局はコストがかかりすぎて広範に行うことができないからです。
そして、外国人の子供たちの家庭は、そういうコストを負担できないところも多いと思います。
しかし、もしこれをオンラインの少人数クラスで行うとすれば、何をどうやるかという方向さえ決めておけば、勉強の中身については子供たちのコミュニケーションの中で自然に意欲的に取り組めるようになります。
みんなが参加できるというのは、一種の遊びのような感覚で勉強に取り組めるということだからです。
言葉の森の組織としては、まだこの外国人の日本語教育まではやりませんが、寺オン講師として仕事をする人の中には、そういうことに関心があり、自分で先に取り組む人も出てくると思います。
この、誰でも、教える仕事を自分の工夫で始められるということも、オンライン少人数クラスのもうひとつの魅力です。
ただし、オンラインの少人数クラスの教育は、実際に運営するのは、かなり難しいところがあります。
言葉の森の個別電話指導の作文教育というのも、軌道に乗せるまではかなり時間がかかりましたが、オンラインの少人数の創造力を伸ばす教育というのも、それと同じように難しいところがあります。
しかし、誰もまだやっていないことで、今後大きな可能性のあることですから、これから全力で取り組んでいきたいと思います。
寺子屋オンラインの資料をご希望の方は、下記のページからお申し込みください。
https://www.mori7.net/teraon/teraform.php
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オンライン少人数教育の可能性と言っても、まだピンと来ない人が多いと思います。
しかし、アメリカでは、ブレンディッド教育というオンとオフをブレンドした教育が大きな成果を上げ始めているようです。
なぜオンラインだけでなく、オフラインが必要かというと、学校への行き帰りや授業の合間に友達と語り合うことができるからです。
大人は、学校に行く目的は勉強で、休み時間はそのおまけのように思っていますが、子供たちにとっては学校の目的は休み時間で、勉強はそのおまけのようなものなのです。
私も小学生のころは、そのおまけが退屈で、教科書に落書きばかりしていました。人物の写真にひげを書いたり(笑)。
ふりかえると、コンビニが普及するのはあっという間でした。
それ以上に、アマゾンが普及するのはあっという間もないくらいでした。
これから、銀行がなくなるとか、士業がなくなるとか、タクシーがなくなるとかさまざまなことが言われていますが、今まだ誰も気が付かないところで、急になくなるものが出てくると思います。
だから、人間は気持ちだけは若くないといけないのです。(結論はそこかい。)
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