ナンテンのつぼみ
学校で行われる国語の問題は、易しいものが多いです。
難しい面があるのは、国語の問題が先生の趣味で出されている場合があるからです。
受験の国語は、長文を読ませるものが多くなります。
学校の国語とは、レベルが違います。
その受験の国語を解くテクニックというものが紹介されていました。
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「国語ができない子ども」他の科目も伸び悩む根拠
英語・社会・数学…国語はすべての科目に通じる
https://toyokeizai.net/articles/-/757205?page=7
(読む必要はないです。)
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タイトルはいいのですが、中身は、単なる解き方のテクニックです。
例えば、こういう説明です。
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選択肢の中に「絶対」「例外なく」「必ず」なんて表現があったら、それは断定的な表現なので、×になることが多いです。
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このようなレベルで解ける国語の読解問題というのは、「ちょっと難しい」という程度の国語問題です。
こういうテクニックを覚えても、国語の力はつきません。
もうひとつ、こういう記事もありました。
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【超人気国語講師が教える】子どもの「国語力」をあげるために親がすべきことベスト・1
https://news.yahoo.co.jp/articles/05647ab61955a56a8132aa5dbeefd17973f18114
(これも、読む必要はないです。)
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この記事には、こういうことが書いてあります。
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ちなみに、「本を読まない子」でも中学受験の国語は突破できます。
お子さんが読書をしないということで心配される親御さんが多いのですが、中学受験の国語に関しては、「教材」をしっかり勉強すれば充分合格できます。
中学入試では「1万字を読む力は必要」とされていますが、これはおよそ新聞の1面に相当する文字数です。
さきほどお伝えした「言葉に触れる環境作り」でこのレベルにまで到達していれば、「中学受験の国語」を戦う土台はあると考えてOKです。
あとは講師がしっかりテクニックを教えれば結果はついてきます。
「1万字を読む力」は育むべきですが、「数万字の本を1冊読み切る力」はマストではありません。
お子さんが読書することはもちろんよいことですが、読書体験を重ねることが国語力アップの最短ルートではないという点は意識したほうがいいでしょう。
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この記事を書いている人は、国語力不足に悩んでいるお母さんやお父さんを安心させてあげたいという気持ちで書いていると思うので、いい人だとは思います。
しかし、私がいつも疑問に思うのは、子供が何のために勉強するのかという原点が、「成績を上げるため」や「受験に合格するため」になっていることです。
大事なのは、子供が人間として成長することです。
その途中の過程で、成績を上げることや合格することが目標になります。
もちろん、受験のときには、それは当然目標になっていいのです。
しかし、本当に大事な国語力とは、考える力をつけること、感じる心を育てること、表現する力をつけることです。
これらの国語力が、国語以外の、数学、英語、理科、社会の勉強にも生きてくるのです。
そのためのいちばんの近道は、読書と対話と作文です。
そういう近道が遠回りだと思って(変な言い方ですが)、解き方のテクニックを先に考えるのでは、道の行く先が違ってきます。
解き方のテクニックなどは、ほんの数時間で身につきます。
私が昔、高校3年生の子供たちに、大学入試共通テストの解き方を説明したときは、数時間の説明で、次の週からほとんどの子が、平均点から満点近くになりました。
中学3年生の国語が苦手という子に、国語の解き方も教えたときもそうでした。
その子は、そのうち国語がいちばん得意と言うようになりました。
しかし、本をあまり読んでいない子は、解き方のテクニックを教えても、ある程度の点数までしか成績が上がりません。
解き方のコツがわかっても、もともとの読む力がないと、ある段階までしか成績が伸びないのです。
では、読む力をつけるためには、どうしたらいいかというと、それは難しい説明文や意見文の本をばりばり読むことなのです。
「読書をしなくても国語の成績は上がる」というのは、少しは上がるかもしれない、ということです。
こういう安易な記事に惑わされずに、本道の勉強をしていくことが大事です。
本道の勉強とは、難しい文章をしっかり読むことです。
もうひとつ、面白い記事がありました。
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子どもの読解力は家族との会話の中で養われる
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2024/06/post-104669_3.php
(特に読まなくてもいいです。)
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対話と国語力には、幼児期や小学校低中学年の時期には、特に高い相関関係があります。
小学校低学年の子供たちの作文課題は、自由な題名です。
小学校中学年の子供たちの作文課題は、身近な事実文です。
この時期に、その作文の準備として、親子でたっぷり話をするのです。
その話とは、親の体験談をおもしろおかしく話してあげることです。
だから、お母さんやお父さんの小学校時代の失敗談などを話してあげるといいのです。
この親子の対話の中で、子供たちの語彙力と思考力が育っていきます。
それが、その後、中学生や高校生になってからの子供の読書力につながっていくのです。
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「国語力をつけるために、特に読書をする必要はない」という耳あたりのいいことを言う人がいます。
その国語力とは、結局、国語の成績を上げたり、受験に受かったりするためだけの国語力です。
そんな国語力は、社会に出てから、何の役にも立ちません。
本当の国語力は、難しい本をしっかり読むことでつくのです。
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ヤマアジサイ
対面式の教室とオンラインの教室の違いということを聞かれることがあります。
しかし、その対比は、もう古いのです。
2020年のコロナ禍のとき、即席で作られたオンラインの教室は、古い時代のオンライン教育でした。
それは、授業をただ動画で流すようなオンラインだったからです。
また、双方向性をうたっているところでも、先生がみんなの顔を見えるとか、生徒が先生に質問をすることもできるという程度の限られた双方向性でした。
これが、レベルの低いオンライン教育です。
しかし、言葉の森のオンラインクラスは、違います。
まず4人から5人以内の少人数で授業をしています。
また、そのクラスは、固定したメンバーと固定した先生です。
更に、生徒全員に発言する機会があります。
先生が生徒に一方的に教える授業ではなく、生徒が発表する授業を目指しているのです。
そのため、小学校低学年から同じクラスで勉強していると、友達のような関係ができます。
通学式の塾でも、子供たちの楽しみは、行き帰りの道で友達とお喋りをすることです。
オンラインの教室でも、楽しさの中身は、自分が発表し、その発表を通して友達の質問や感想を聞く機会があることなのです。
★そこで、言葉の森のオンラインクラスは、今後、授業の中だけでなく、授業の前後にも生徒どうしが自由にお喋りを楽しめるようにしたいと思います。
お喋りは自由ですから、気の合った生徒どうしで話をしたいときに話をするということです。
ただし、時間制限として、授業の前の15分以内、授業のあとの15分以内とします。
それは、時間制限をしないと、惰性で話をしてしまうことがあるからです。
授業の前は、メインルームに入り、先生の授業が始まるまでは自由にお喋りをしていいです。
授業のあとは、ブレークアウトルームがいくつかできていますから、その中の使われていないブレークアウトルームに移動しお喋りをしていいです。
ただし、繰り返しますが、いずれも時間は15分以内です。
この時間制限がないと、互いに相手に遠慮して、だらだら話してしまうことがあるからです。
お喋りを始める前に、「じゃあ、私は、今日は○分までいるからね」というようなことを予め言っておいてもいいと思います。
大人の中には、子供たちをブロイラーのように教育することが能率的な教育だと思っている人がいます。
真面目な大人の人は特にそうです。
しかし、子供は生き物です。当たり前ですが。
時々は息抜きをしながら、しかし、集中するときには集中するというムラのある生き方をするのが人間の自然な生き方です。
以前、子供がパソコンで勉強しているときに、YouTubeを見ていたというので、子供を叱って、もうパソコンは使わせないというお母さんがいましたが、そういう脱線は、どの子もやっています。
むしろ、そういう子の方が人間らしい生き方をしています。
言葉の森の昔の通学教室でも(今は、通学教室はすべてオンラインに切り替えたので通学教室はありませんが)、中学生や高校生の生徒は、自分の席に着くと、パソコンに入っているゲームをひとしきり楽しんでから、と言っても数分ですが、それから勉強に取り組んでいました。
人間は、ニワトリではないのです。
今、YouTubeやゲームに熱中している子供もたくさんいると思いますが、それは、その子が、YouTubeやゲームに対する免疫を獲得する時期だからです。
やがて、YouTubeやゲームの遊びはほどほどにやっていればいいのだという感覚が生まれます。
それが免疫です。
そういう免疫の感覚が生まれるまでの期間は、熱中しすぎるということは誰でもあります。
では、免疫を早めに獲得するにはどうしたらいいかというと、それは読書です。
伝記や歴史の本を読むと、自分の生き方をより大きい視野で見ることができるようになります。
すると、目の前の興味に夢中になっていることが、軽いことのように思えてくるのです。
子供の教育法は、「△△をしない」ということではなく、「○○をする」ということで進めるといいのです。
「漫画を読まない」ということではなく、「いい本を読む」ということです。
「ゲームをしない」ということではなく、「自分でプログラミングをする」ということです。
子供が普通に成長していれば、親は、その子の自然な成長力を信頼していればいいのです。
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未来の教育は、対話型の少人数オンラインクラスの教育になります。
しかし、まだ、オンライン教育を、授業動画を見せるだけの教育と思っている人が多いです。
大事なのは、オフラインかオンラインかではなく、生徒どうし、及び、生徒と先生の対話があることです。
人間は、人間との関わりの中で成長します。
AIテクノロジーでも成長はできますが、その成長は機械的な成長です。
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モジズリのつぼみ
少し前に、ディベートをいう勉強法がはやったことがあります。
しかし、これは普及しませんでした。
当然です。
日本には、論争するという文化がないのです。
必要に応じて論争することはできますが、その論争で勝っても負けても、面白くも何ともありません。
あとに、虚しさが残るだけです。
それは、論争が何かを生み出すわけではないからです。
同じような言葉に、クリティカル・シンキングがあります。
欧米には、弁証法的な思考法があり、それは、ある意見に対する反対意見があると、それらを止揚して新しい意見が生まれるという考え方です。
言葉の森の中学生の作文の課題も、複数の意見→総合化の主題ですから、こういう弁証法的な考え方の練習です。
これは、頭の体操としてはいいのですが、日本人は普通、批判を通して総合化するという考え方をしません。
では、どうするかというと、まず共感するのです。
相手の意見に、とりあえず共感したあと、自分だったら更にどうするか考えるというのが、日本的な思考法です。
このときに必要なのは、創造的に考えるということです。
批判を通して創造的に考えるのではなく、共感を通して創造的に考えるということです。
言葉の森のオンラインクラスの授業の中では、読書紹介や、発表会や、一人一言の発言という時間があります。
不思議なのは、それらの質問感想の時間のときに、相手の言っていることを批判するような意見を言う子がひとりもいないことです。
文字どおり、ひとりもいません。
別に、先生や親がそうしろと言ったわけでもないのに、どの子も、相手のいいところを認めるような発言をします。
これが日本文化です。
では、そこからどういう創造が生まれるかというと、自分とは異なる他の意見に共感した子は、自分がその意見を受け入れたあと、自分の中で新しい創造を始めるということです。
批判を通しての創造ではなく、共感を通して自分の中で創造するです。
だから、学校教育でのやり方としては、相手の意見を聞いたあとに、批判するところを探すのではなく、まず共感するところを探すことです。
その共感の上に立って、自分だったら更にどうするかと考えるのが創造的な考え方です。
言葉の森の意見文には、反対理解、複数の実例、複数の理由、複数の方法、複数の原因、複数の対策などのいくつかの項目があります。
ある人の意見に対して、共感しつつ、別の反対理解、別の実例、別の理由、別の方法、別の原因、別の対策などを考えることはいくらでもできます。
それは、単に相手の意見を批判することよりもずっと頭を使う創造的な考え方になるのです。
さて、全然関係ない歌ですが、みんな、いい顔をしてい歌っているなあと思ったので紹介します。
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西洋には、批判を通して新しい考えが生まれるという弁証的な発想があります。
日本には、そういう文化はありません。
日本では、共感を通して新しい考えが生まれます。
なぜ西洋で弁証法が広がったかというと、語彙が貧困だったからです。
貧困な語彙のもとでは、新しい発想は、論争でしか生まれません。
だから、日本は、今更ディベートとかクリティカル・シンキングとかいうことをやる必要はありません。
これまでの共感の対話で十分なのです。
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