物体の摩擦には、動き出してからの摩擦(動摩擦)よりも、止まっているところから動き始めるときの摩擦(静止摩擦)の方が大きいという法則があります。
人間の行動も似ています。何かを始めてからの抵抗よりも、始める前の最初の抵抗の方が大きいのです。
これを勉強のきっかけに生かすことができます。止まっているところから動き始めるときに大事なことは、小さな動きでもよいとして何しろ動くということです。
例えば、読書の習慣をつけるのに、朝の10分間読書という方法があります。どんな本でもいいから何しろ10分間読む、という小さな動きが、子供たちに本を読む習慣をつけたのです。
この方法は、家庭でも使えます。どんな本でもいいから10ページ読むという目標であれば、だれでもすぐにできます。この毎日10ページの読書を続けていると、読むことが苦にならなくなります。そして、やがて面白い本にめぐりあうと、それが10分で終わらなくなりいつの間にかじっくり本を読む力がついてくるのです。
多くの親は、最初から難しい本をたくさん読ませようとして、静止摩擦係数を大きくしています。最初は、どんな本でもいいから毎日10ページ読むだけ、という小さな目標にしておくことです。
もちろん、その目標を決めたら、親もそれを守ることが大切です。「どんな本でもいいから毎日10ページ」と言っておきながら、子供の読んだ本を見て、「もう少しちゃんとした本を読んだら」とか、短時間で10ページ読み終わると、「もっとたくさん読んだら」などと言っては、約束を守ったことにはなりません。また、毎日と言っておきながら、読まない日があっても見過ごすという例外を作るのもよくありません。どうしても読めそうもない日があったら、5ページでも1ページでもいいから読むというのが、毎日ということの意味です。
読書というものは、毎日読んでいれば、必ずその面白さに目覚めるものですから、例外の日を1日も作らないということが大事です。
作文の場合のスタートも、小さな動きでいいから実際に動く(書き出す)ということが大切です。子供がなかなか作文の勉強を始められないときは、最初から長い字数の作文を書くことを求めるのでなく、「とりあえず100字まで書けばいいということにしよう」などと、短い目標の字数を決めるのです。
それでも書き出せない場合は、お父さんやお母さんが、「じゃあ、言ったとおりに書いてごらん」と言って、子供が書く内容を口で言ってあげて、そのまま書かせるのです。それでは、子供が自分で書いたことにならないと思うかもしれませんが、親に言われたとおりに数行書いた子は、ほとんどそのまま、その続きを自分で書いていきます。最初の静止摩擦のところだけ動かすのを手伝えば、そのあとは自分で書いていけるのです。
暗唱の自習のスタートも、小さな動きで実際に動く(音読する)ところから始めれば誰でもできるようになります。
暗唱は、その文章を覚えようとするから負担になるのです。文章を覚えようとすると、その目標ははるか遠くにあるように見えます。
しかし、30回音読するというような目標にすると、目標自体がぐっと身近になります。言葉の森では、30回紙を折る形で数えているので、回数が更に実感できます。そして、15回から20回音読を繰り返したところで、いつの間にか自分がほとんど暗唱できていることに気づきます。
最初の小さな動きさえ開始すれば、そのあと続けるのは簡単にできるのです。
ときどき作文の提出がたまってしまう子がいます。何か用事があったために、先週の作文を書いていないうちに、今週の作文の課題の日になってしまったという場合です。
こういうとき、ほとんどの子は、がんばって両方やろうとします。すると、静止摩擦係数がぐっと大きくなるのです。
これまでの例で言うと、1日に続けてふたつの作文を書ける子はほとんどいません。たいていは、ひとつ書き終えた時点でくたびれてしまうからです。
そうすると、いつか時間のあるときに、ふたつ書こうと思うようになり、更に負担が増していきます。
だから、授業のある日に書けなかった作文は、もう書かないと決めて、そのかわり、最新の課題にしっかり取り組むというようにするといいのです。
動き出すコツは、小さな動きでいいからまず実際に動いてみるということです。
人間は、やる気になったときに大きく成長します。だから、勉強でも仕事でも、やる気、又は意欲というのがいちばん大事です。
そこで、今回は、意欲を育てるためにどうしたらよいかということを考えてみます。
子供が勉強というものに自覚を持ち、勉強自体の面白さに目覚めるのは一般に高校生以降です。
それまでの義務教育の小中学校の勉強は、基礎的な学力をつける準備のための勉強ですから、勉強自体に知的な喜びを感じる面はあまりありません。だから、小中学生は勉強に熱中しないのが普通です。
小中学生が熱中するのは遊びです。しかし、この遊びを通して実は意欲を育てているのです。大人になってから仕事に熱中できる人は、その熱中力を、子供時代の遊びによって身につけています。遊びの内容そのものは、虫捕りだったり鬼ごっこだったりと単純なものですが、そこで何かに熱中したという経験が大事なのです。
では、勉強は熱中できないからしなくてもいいかというと、もちろんそういうことはありません。準備のための学習は退屈で当然ですが、その退屈さに耐える力をつけることが重要なのです。
子供が大きくなり、将来、興味のあることを熱中してやるようになっても、その物事の中に退屈な作業は必ずあります。子供のころに育てておく必要があるのは、熱中する力であるとともに、退屈さに耐えて継続する力です。
ところが、現代の社会では、子供たちに勉強を退屈させないようにいろいろな工夫がされすぎています。例えば、賞罰で刺激を与えたり、競争をさせたり、目先の変化で面白さを演出したりと、勉強に興味を持たせるさまざまな工夫がなされているので、子供はかえって退屈さに耐える力がつけられないのです。
熱中する力も、退屈さに耐える力も、家庭でつけるのが基本です。
熱中する力をつけるためには、子供の興味や関心のあることをよく観察し、子供が何かに熱中したときにそれを妨げないように見守ってあげることです。そのためには、子供の生活時間にある程度の余裕があることが大切です。
退屈さに耐える力をつけるためには、毎日同じことを続ける習慣を子供のころからつけておくことです。子供が自分の意志で毎日同じことを続けることによって、子供の自律心が育ちます。その自律心を育てるのに役立つのが、毎日決まった時間に行う読書、音読、暗唱などの自習と、毎日の決まったお手伝いです。
雨の日も、風の日も、くたびれている日も、遊びたい日も、とりあえず決まったことを先に済ませるということを子供のころから習慣づけておくと、それが子供の自律心の土台となるのです。