全国の学力テストで常に上位を占めるのは、家庭学習がうまく行っている地域です。家庭学習がうまく行く背景のひとつに、子供たちが祖父母と同居しているために、学校から帰るとすぐに家庭学習をしてから遊びに行くという習慣ができていることが挙げられます。おじいさんやおばあさんが直接勉強を教えるわけではありません。子供が勉強をする様子を近くで見守っていることが重要なのです。そして、もし子供が、できない問題で困っていたら、おじいさんやおばあさんは、早めにその対策を考えることができます。自分が教えるのではなく、誰かに聞くというようなその場に応じたアドバイスをすることができるのです。
しかし、祖父母と同居できる家庭は限られています。ここで、考えられるのが、江戸時代の寺子屋のような勉強法です。
寺子屋のような勉強法とは、どういうものかというと、その要点は3つあります。
第一は、自学自習スタイルの勉強法と、そういう勉強法を可能にする自学自習用の教材です。だから、今の教科書は、あまりいい教材とは言えません。それは先生が教えることを前提に作られているからです。
第二は、その教材で本人が納得できるだけの時間じっくりと勉強できる環境です。だから、学校や塾のような時間で区切られたところではなく、場合によっては朝から晩まで勉強してもいいという環境が必要になります。
第三は、子供がひとりで勉強するのではなく、同年代の子供たちが複数で一緒に勉強し、それを見守る役の大人がいることです。
こういう寺子屋式の勉強が求められているのは、日本だけではありません。実は、世界の教育の行き詰まりも、日本と同じ状況で進んでいます。教育の分野では先進国である日本でさえ、学力格差や低学力化を生み出しているのですから、世界の他の国々の教育は、もっと困難な状況にあります。だから、日本が新しい教育を提案していく必要があるのです。
この寺子屋式勉強システムを現代に生かす条件が、今インターネットの新しい展開の中で生まれています。
アマゾンも、グーグルも、次の戦略のひとつとして教育の分野を視野に入れています。インターネットを利用した教育は、今後アメリカを中心に新しい展開を見せると思います。
しかし、教育で大事なことは、インターネットの活用そのものではなく、その前に、教育の何をどう活用するかというビジョンです。そのビジョンが、江戸時代の寺子屋教育の中にあるのです。
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給料のためではなく、世の中をよくするために働いているのだと思えば、仕事は楽しい。
自分のためではなく、社会を良くするために勉強しているのだと思えば、勉強も楽しい。
戦後、日本人は、国家や社会のためではなく、自分のために生きるのがいいことだと教えられてきましたが、やはりいちばんしっくり来るのは、みんなのため。
そのみんなの中には、現代に生きる人だけでなく、未来にこれから生まれてくる人たちも含まれます。
社会のためと考える人が増えれば、社会は本当によくなり、その進歩は回り回って個人の生活に還ってきます。
これから、そんな日本の国になるような気がします。
(写真は、昨日の西の空の夕焼け。)
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これからの世の中で大事なことは、自分の好きなことをすることです。
しかし、自分が何を好きかわからない人も多いと思います。
それは、好きなことの条件に、人から評価されることが結びついているからです。
好きなことは、他人から見て無意味に見えることでいいのです。
その無意味な楽しさを味わう練習が、子供時代の自由な遊びです。
これまでの世の中で人から評価されることが重要だったのは、評価されてお金を稼がなければ生活ができなかったからです。
しかし、自然の中で暮らすウサギやリスやスズメたちは、お金がなくても毎日当然のように生きています。
たぶん未来の人間の社会も、お金がなくても楽しく生きていけるほど豊かな社会になるでしょう。
そのときに必要なのは、楽しく生きる中身です。
子供のころ、無意味なことに熱中する時間が、その楽しさを育てている時間なのです。
大人になった今、昔役に立つと思ってやっていたことがあまり役に立たず、役に立てることなど考えずにやっていたことが大きく役に立っていると気がつくことがよくあります。
役に立つかどうか以前に、楽しいかどうかを基準にした生き方が、自然にかなった生き方なのかもしれません。
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速読とは、速く読むことです。しかし、精読とはゆっくり読むことではなく、繰り返し読むことです。
そのためには、読むときに文章に傍線を引いておくことです。
傍線を引く箇所は大事なところというのではなく、自分なりによくわかったところ、面白いと思ったところです。
そして、その傍線を引いた箇所を何度か斜め読みしていると、文章の全体がつかめてきます。
これが、「読書百遍意自ずから通ず」です。
しかし、子供たちは、傍線を引くということをなかなかしません。
学校や塾でやった国語の問題を見せてもらうと、ほとんどの子が問題用紙がきれいなままです。
教科書には落書きをせずきれいに使うことと言われているからかもしれません。
しかし、教科書でも、参考書でも、問題文でも、どんどん書き込みをして、自分の読んだあとを残しておく方がいいのです。
読書の場合も、面白いと思ったところに傍線を引いておけば、あとで読み返すときに、その傍線の箇所だけ読むと全体を思い出せます。
これまでは紙の本が中心だったので、傍線を引くと、他の人が読むときに邪魔になるということがありました。
しかし、これからは、本もデジタル化していくので、ラインマーカーを引いたり書き込みをしたりして、自分なりの読み方をすることがもっと容易になってくると思います。
▽関連記事
「国語の成績を上げるために――読解問題の解き方、記述の仕方」
https://www.mori7.com/index.php?e=1795
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ある教育サイトに、お母さんからの質問として、「飛ばし読みをしている様子で、肝心の質問の答えを読み取り損ねている」という相談がありました。
それに対する回答として、「文章の読み方には、『速読』と『精読』の2つがあり、問いに関連した問題文の部分を読むときはゆっくり『精読』で」ということが書かれていました。
それも、確かにいいと思います。
しかし、根本的には読む力をつけて、速読でも文章を読み取れるようにすることが大事です。
3色ボールペンで色分けをして傍線を引くということをしている人もいるそうです。
そんなことをしていると、「今日は緑がなかったから、傍線を引くことができなかった」となりかねません。
勉強でも何でも、できるだけ制約がないようにやっていくのがいいのです。
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