これから、寺子屋オンエアで、小4以下は暗唱の勉強、小5以上は問題集読書の勉強をしていきたいと思っています。
なぜかというと、暗唱と問題集読書は家庭で続けにくい面があるからです。
ドリルを解くような形の残る勉強は、実力はつきませんが、形が残るので続けやすい面があります。
それに対して、音読、暗唱、読書、問題集読書などは、続ければ必ず力がつくのですが、形が残らないので張り合いがないせいか、なかなか家庭で続けることができないのです。
言葉の森の暗唱の方法は、手順のとおり毎日10分ほど時間をかければ、だれでも900字の文章を丸ごとすらすら暗唱できるようになります。
しかし、家庭の場合、親が自分自身子供のころに暗唱をしたという経験がないので、暗唱の勉強をつい覚える勉強と勘違いしてしまうのです。
覚えたかどうかは、暗唱をしていたことの結果であって、暗唱の目的ではありません。
親が覚えたかどうかを基準にして見ていると、子供の方も、繰り返して暗唱するよりも、覚えたかどうかを基準として勉強するようになります。
その結果、先生の前では、すらすらではなくつっかえながら暗唱するような場合も出てきます。すると、先生が助け舟を出してやっと暗唱できるというようなこともあるのです。
このように、覚えたかどうかを基準とすると、暗唱の勉強は、やがて毎日ではなく週に数回となり、ますます覚えようとする癖がついてきます。
同じようなことは、問題集読書についても言えます。
問題集読書は、読む力をつけるための最も手軽で効果のある勉強法ですが、ただぼうっと読んでいるだけの子もいます。そういう子は、読んだところに傍線を引かず、きれいに読んでいます。
文章に傍線を引かずにきれいに読む読み方では、繰り返し読むようなところまではなかなか行きません。
問題集読書も、もし音読でやれば繰り返し読めるようになりますが、それでは今のほとんどの子には負担が大きすぎます。
やはり、印象に残ったとこに傍線を引いて読むというのが、深く読むためには(つまり繰り返し読むためには)最もよい方法なのです。
問題集読書については、読んだあとに感想を四行詩で書き読みを深めるという形をとることができます。
しかし、すると、今度は、形の残る書くことだけに力を入れ、読む方がおろそかになる子が出てきます。
読んだ勉強の結果として書く勉強があるのですが、とりあえず形の残る書く勉強だけして、読む勉強は後回しにするという勉強になってしまう子も多いのです。
ところが、家庭では、暗唱にしても、問題集読書にしても、保護者自身にそういう勉強をした経験がないので、子供に的確なアドバイスができません。
そこで、寺子屋オンエアの取り組みの中で、小4以下は暗唱、小5以上は問題集読書の自習ができるようにしたいと考えています。
やり方は、こんなふうです。
まず、生徒が自分の勉強できそうな時間帯にアクセスします。
そして、先生に、暗唱するページや、問題集読書をするページを報告します。
寺子屋オンエアをつなげたまま、自分なりに暗唱や問題集読書を行い、できた時点で先生にチエックしてもらいます。
毎日10分か15分の自習ですが、このようなやり方でやれば、続けやすくなると思っています。
教えない教育といった場合、それが、教えない教育ができる優れた先生でなければできない教育であるならば、それは、本当の教えない教育とは言えません。(ややこしいが)
教えないという言葉にとらわれて、わからない問題に遭遇したときも、すぐに解法を見ずに自分で考えさせるということをすすめる人もいます。
それも、確かにひとつの方法です。
しかし、小中学生の勉強は、考える勉強よりも、基礎的な学力を身につける勉強が大部分を占めています。
だから、わからない問題に出合ったときは、すぐに自分で解法を見て解き方を理解した方がいいのです。
これを、先生に教えてもらうのではなく、自分でやることが、本当の教えない教育であり、教えない勉強です。
自分なりに考えることは、必ずしも勉強でする必要はありません。遊びや仕事や趣味の生活の中で、考える場面はたくさんあります。
すぐに解法を見るという勉強は、考えない勉強ではありません。答えを読んで理解するという能率のよい勉強をした上で、本当に考えるべきことに時間を割くのがいいのです。
そして、考える時間は、問題集を解くかたちで作るよりも、親子の話し合いの中で作っていくのが最も理想的なのだと思います。