本日から、日曜の9:00と10:00に、寺子屋オンラインの作文クラスが始まります。
当初は、新小学1年生、新小学2年生の親子作文の授業を中心に行います。
日曜の朝を設定したのは、保護者の方が参加しやすいようにするためです。
しかし、日曜日は、家族で朝早くから出かけることもあると思います。
そのような場合でも、オンラインクラスですから、授業の様子を録画してあとで見ることができます。
また、個別電話指導のふりかえは、いつでもできるようになっています。
問題は担当する先生の方です。
日曜日をコンスタントに担当できる先生は少ないと思いますので、担当講師は一つのクラスに二人の先生が担当するようにしました。
これで、講師の急な休講などにも対応できるようになります。
現在の言葉の森の休講代講システムは、急な休講連絡があった場合も、その連絡が直接全国の講師に届くので、ほとんどすぐに代講の先生が決まります。
寺子屋オンラインクラスも、そのような形になります。
少人数のクラスですから、生徒が休んだ場合の寺子屋オンラインクラスの間のふりかえ出席はまだ難しいのですが、今後クラス数が増えれば、ふりかえなも自由にできるようになります。
ふりかえで授業を受けると、新しい友だちや先生との出会いなどもあるので、できるだけ早く取り組みたいと思っています。
親子作文クラスのよい点は、作文を書く前の準備の段階で親子の対話と交流があることです。
小学生は、ドリルを解くような勉強をするよりも、この親子の対話と交流で最も学力を伸ばすからです。
また、参加する子供どうしの間で、自然な発表や交流があるのもこのクラスの面白い点です。
勉強らしくない楽しい勉強というのが、寺子屋オンラインの親子作文の特徴になると思います。
体験学習を申し込まれる方は、下記のページからどうぞ。
https://www.mori7.com/ftaikenn.php
※本日参加される方は、言葉の森のホームページの
●寺オン会場というZoom会場からお入りください。
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オンライン教育によって、どこでも誰でも自分の習いたいことを学習できるようになりました。
しかし、これはかなり前からすでに実現しています。
最近の特徴は、Zoomなどのウェブ会議システムによって、リアルな教室と同じぐらい身近な感覚でオンラインの教室が運営できるようになったことです。
しかも、自宅から参加できるので、言葉の森の寺子屋オンラインの場合、夕方の時間になるとラーメンを食べながら参加したり(おいおい)、お菓子をつまみながら参加したりという子もいます。
通学の教室でも、中高生などは遅く来ると、「先生、ちょっとパンを食べてから始めていいですか」というようなことがありましたから、同じような感じです。(ただし、作文は空腹の方がよく書けるので、食べるのは原則として書いたあとです。)
オンライン少人数教育の中のオンラインというのは、すでにいろいろなところで行われ、これからさらに普及していくと思いますが、少人数というのは、まだこれからの分野です。
少人数教育というのは、言葉は平凡ですが、実はこれが大きな可能性を秘めているのです。
これまでの少人数というのは、個別だとコストがかかるので少人数にするとか、大人数が集まらないので少人数にするとかいう、どちらかと言えばやむをえない理由による少人数がほとんどでした。
言葉の森の寺子屋オンラインの少人数は、もっと積極的な少人数です。
5、6人の少人数がコンスタントに維持できると、そこで全員参加型のコミュニケーションができます。
3、4人だとやや少なくて寂しい感じがし、7、8人だとやや混み合って忙しいいい感じになります。
5、6人であれば、全員が発表でき、互いに感想を述べ合うこともできるようになります。
今はまだ学年が混在していたり、多いところや少ないところがあったりしますが、今後クラス数を増やして、同学年の生徒で5、6人の少人数クラスを作れるようになれば、その集まりはかなり楽しいものになると思います。
子供たちが、学校や塾に行って、何がいちばん楽しいかというと、友達と一緒に帰る時間があることです。
オンラインのクラスは、一緒に帰るわけには行きません。(すでに家にいるので。あたりまえですが。)そのかわり、授業の中でお互いに話をしたり聞いたりすることができるのです。
だから、先生の仕事は教えることではありません。
授業の動画というのは、事前に見られるようになっていますから、それをもとに家庭で準備してくることが、子供たちの勉強の半分ぐらい重要になります。
自分で学ぶことと、人の学んだことを聞くことが勉強の中心になるのです。
小中学生のころの勉強は、教科書と自分にあった参考書と問題集でひとりでやるのが最も能率がいいと思います。これは、高校で大学でももちろん同じですが。
もしわかりにくいところがあった場合、そこだけ身近にいるお父さんやお母さんに聞きます。
大人であれば、参考書の該当する箇所を詳しく読むか、解法をじっくり見るかすれば、ほとんどのことは子供に教えられます。
大人が考えても教えられないというのは、その参考書や問題集の説明に問題があるか、又はその問題はできなくてもいい問題だと考えるのです。
入試問題は、できるべきところができていればいいのであって、全部できなくてはいけないというものではありません。
だから、ほとんどの勉強は、自学自習と両親の協力でカバーできます。
ただし、受験には無理にがんばることも必要なので、子供がまだ勉強に自覚がない時期は(自覚ができるのは中3以降で、方法を自分で工夫できるようになるのは高校生になってからだと思いますが)、塾などの一斉指導に参加して無理やり勉強する環境に入るのはいいと思います。
うちの子2人は、そういう環境に入りませんでしたが、今は受験の時期に塾に行かない子というのは、かなり少ないのではないかと思います。
さて、このオンラインの少人数クラスの教育は、作文や暗唱や読書紹介や理科実験などばかりでなく、いろいろなところに応用できます。
いちばんの利点は、みんなの前で発表し、みんなの発表を聞き、みんなで感想を述べ合うという密度の濃いコミュニケーションができるので、自然に意欲的になれることです。
今、外国人の子供たちの日本語教育をどうするかということが大きな問題になっています。
従来の教育の形態では、これはかなり難しい取り組みになります。それは、個別指導のようなやり方ではコストがかかりすぎて現実的でないし、一斉市場でやろうとすると教える先生の力量が必要になり、これも結局はコストがかかりすぎて広範に行うことができないからです。
そして、外国人の子供たちの家庭は、そういうコストを負担できないところも多いと思います。
しかし、もしこれをオンラインの少人数クラスで行うとすれば、何をどうやるかという方向さえ決めておけば、勉強の中身については子供たちのコミュニケーションの中で自然に意欲的に取り組めるようになります。
みんなが参加できるというのは、一種の遊びのような感覚で勉強に取り組めるということだからです。
言葉の森の組織としては、まだこの外国人の日本語教育まではやりませんが、寺オン講師として仕事をする人の中には、そういうことに関心があり、自分で先に取り組む人も出てくると思います。
この、誰でも、教える仕事を自分の工夫で始められるということも、オンライン少人数クラスのもうひとつの魅力です。
ただし、オンラインの少人数クラスの教育は、実際に運営するのは、かなり難しいところがあります。
言葉の森の個別電話指導の作文教育というのも、軌道に乗せるまではかなり時間がかかりましたが、オンラインの少人数の創造力を伸ばす教育というのも、それと同じように難しいところがあります。
しかし、誰もまだやっていないことで、今後大きな可能性のあることですから、これから全力で取り組んでいきたいと思います。
寺子屋オンラインの資料をご希望の方は、下記のページからお申し込みください。
https://www.mori7.net/teraon/teraform.php
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オンライン少人数教育の可能性と言っても、まだピンと来ない人が多いと思います。
しかし、アメリカでは、ブレンディッド教育というオンとオフをブレンドした教育が大きな成果を上げ始めているようです。
なぜオンラインだけでなく、オフラインが必要かというと、学校への行き帰りや授業の合間に友達と語り合うことができるからです。
大人は、学校に行く目的は勉強で、休み時間はそのおまけのように思っていますが、子供たちにとっては学校の目的は休み時間で、勉強はそのおまけのようなものなのです。
私も小学生のころは、そのおまけが退屈で、教科書に落書きばかりしていました。人物の写真にひげを書いたり(笑)。
ふりかえると、コンビニが普及するのはあっという間でした。
それ以上に、アマゾンが普及するのはあっという間もないくらいでした。
これから、銀行がなくなるとか、士業がなくなるとか、タクシーがなくなるとかさまざまなことが言われていますが、今まだ誰も気が付かないところで、急になくなるものが出てくると思います。
だから、人間は気持ちだけは若くないといけないのです。(結論はそこかい。)
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東京都立富士高校 Y.A.さん
(担当講師より)
小論とグループ討論と個人面接の推薦入試を受けて、見事合格です。
先日、電話指導のときに試験の様子を聞くと、落着いて詳細に語ってくれました。言葉の森でやってきた課題そのものだったので、自信を持って書き切れたそうです。
試験の内容
【作文問題】乱れた日本語使用についての文章を読んで、要約する。あなたは、本当の日本語についてどう思うか述べなさい。
【集団討論】
数学が得意と数学が楽しいという人の分布グラフを見ながら、得意と楽しいとどちらがいいか話し合う。
中学生になって、部活があっても試験があっても入試が迫っても、欠かさず課題に取り組んだ成果だと思います。
おめでとうございます。
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神戸大学附属中学校 Y.B.さん
(担当講師より)
志願者が1000名をこえる大変な人気校ですが、言葉の森でたくさんの作文を書いたことを思い出し、落ち着いて作文に取り組めたそうです。なにごとにも一生懸命な姿勢が合格に結びついたのですね。
本当におめでとうございます。充実した中学校生活を送って下さいね!
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男の人に多いと思いますが、食事は食べられればよい、衣服は着ていればよい、と簡単に済ませてしまう人がいます。
それに対して、おいしい食事にこだわり、気に入った衣服にこだわるという人がいると思います。
物を生産することに関心があり、いつも何か新しいものを作ろうとしている人もいます。
一方、物を消費することに関心があり、いつもよりよいものを見つけたいと思っている人もいます。
そのどちらも、社会の中では必要です。
「紺屋の白袴」の紺屋は、きれいな紺に染めることに関心があり、自分がそれを身につけることには関心がありません。
その紺を見極め、楽しむ人が他方にいるからこそ、紺屋の生産の努力が報われます。
消費者が消費を楽しむから、生産者が生産を楽しむことができるのです。
生産者に消費をすすめたり、消費者に生産をすすめたりするのは、限られた人生では虻蜂取らずになるだけです。
世の中には、新しいことにすぐ乗ってくる人がいます。
その一方、古いものをずっと守ろうとする人がいます。
両方いるから、歴史が継続的に発展します。
だから、子供の教育も両方の面から考える必要があります。
作る楽しさを味わうことも、作られたものを生かす楽しさを味わうこともどちらも大切です。
今までの日本の社会では、作られたものを生かすことに重点が置かれていました。
大学生のレポートでも、どれだけオリジナルなことを書いているかよりも、どれだけ古い文献を引用しているかが評価されるところがありました。
だから、古いものが次々と蓄積されるだけで、新しいものが生まれる余地が少なかったのです。
もちろん、作る人ばかりでは世の中は成り立ちません。
新しいものであればあるほど、新しいものとそれまでのものとの兵站をつなぐ人が必要になります。
大人の社会では、それはそれぞれの得手不得手に応じて分業することができます。
しかし、子供時代には、分業ではなく、両方をバランスよく育てる必要があります。
新しいものを作ることを評価するとともに、作ったあとの片付けを評価することも大事です。
逆に、決められたことをきちんとやるだけでなく、決められていないことを自由にやることも大事なのです。
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小学3年生の感想文の課題にアインシュタインの話が出てきます。
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アインシュタイン博士は、この町でだれからも愛されうやまわれました。ただひとつ、あまりにも身なりをかまわないことだけは、人々のじょうだんの種になりました。古いセーターに、サンダルばき。くつしたをはかず、さんぱつも大きらい。
こんな博士に、「すこし服装に気をつかわれたらどうですか。」と、だれかが忠告すると、「肉を買って、包み紙のほうがりっぱだったら、わびしくないかね。」と、やりかえされてしまいました。
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こういう人もいていいのです。
しかし、こういう人ばかりだったら、世の中の美しさは半減するでしょう。
花は虫を呼び寄せるためだけに咲いているのではなく、自分が美しく咲きたいから咲いている面もあるからです。
しかし同時に、美しい牙を伸ばしすぎて、獲物をつかまえにくくなったサーベルタイガーは滅んでしまったのです。(事実は違うかもしれませんが)
ジグソーパズルが好きだったという人の話を聞いて驚きました。
私は、ジグソーパズルには全く興味がなかったからです。
人の作ったものでばらばらになったものを元に戻して何が面白いのだろうと、みんな思っていると思っていたからです。
子供が小さかったころジグソーパズルを持ってきたときは、「こんなのやるより、裏に自分たちで絵をかこうぜ」と言って、オリジナルなジグソーパズルを作って遊んでいました。
世の中にはたぶん、そういうジグソーパズルに全く興味のない人と、ジグソーパズルのようなことが好きな人の二種類の人がいるのだと思います。
前者はあまり仕事ができない人、後者はきちんと仕事ができる人です(笑)。
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