言葉の森の通学教室では、現在、希望する生徒を対象に、付箋読書や問題集読書のあと、読書ノートに四行詩を書く練習をしています。これは、将来、通信教室でもやっていく予定です。
力のある生徒は、四行詩で抜き書きをするときも、なるほどと思うところを抜き書きしてきます。また、感想を書くときも、内容をよく把握した感想を書いてきます。
次の例は、中学1年生の生徒が書いた四行詩です。
ディズニーアニメーションの本質は、
夢と魔法と感動だ。
その中でも魔法は多い。
そこは大きな見せ場である。
私もかつて一個の子供、
親との対話は望まない。
必要なのは対話でなく、
子供の前にどんな人間として現れるか。
中学1年生の生徒が、「ディズニーアニメーションの本質は、夢と魔法と感動だ」とか、「必要なのは対話でなく、子供の前にどんな人間として現れるか」などと、自分の考えで書くようなことは普通ありません。しかし、問題集の文章に引かれる形であれば、こういう文も自然に書けるのです。自分で考えて書くのでもなく、単なる書き写しでもなく、自分なりによいと思ったところを発見して書くというのが、読書ノートに書く四行詩のポイントです。
四行詩は、抜き書きでもよいので、だれでも書けるという易しいところがあります。しかし、実力に応じていくらでも深く書けるというところもあります。また、作品として完成させるという創造性もある点で、楽しい勉強だとも言えます。そして、よい文を発見することで、そういう文を味わう力や表現する力が身につきます。
今後、毎日の付箋読書や問題集読書のあとに、四行詩を書く習慣がつけば、子供たちの日記を書く習慣にもつながっていくと思います。
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言葉の森の勉強の目標は、子供たちの個性、知性、感性を育てることです。
個性とは、創造性と言い換えてもいいでしょう。
知性とは、思考力と言い換えることもできます。それは、知識を自分の考えに構成することのできる力です。
感性とは、感受性と言い換えることもできます。しかし、感受性とは何でしょうか。
感受性は一般に、美しいものに対して感動する力と考えられています。例えば、忠犬ハチ公が主人の帰りを待っている姿を見ると、多くの人は心の中にじんと来るものを感じます。しかし、それは、白い犬の姿が美しいからではありません。その待っている姿が美しいからです。つまり、信じることや耐えることという抽象的なものに対する感動が、感受性です。感受性とは、美に対する感受性というよりも、物事の中に美を見出すことのできる感受性だと言えます。
明治37年(1904年)の尋常小学校2年生の修身書(修身の教科書)に、次のような文章があります。
だい十九 ひろいもの
まさおが、ひろったかねを、おとしたこどもにかえしています。
ひろいものを、じぶんのものにしてはなりません。
だい二十 いきもの
まさおのいもうとが、ねこをいじめているのを、まさおがみつけてとめています。
いきものをいじめてはなりません。
日本では、物を落としても、拾った人が届けてくれるという文化があります。また、生き物をかわいがるという文化があります。
しかし、それは決して日本人のDNAにある先天的なものではありません。この修身の教科書に見られるように、先人たちのたゆみない努力の中で形成されてきたものです。
感受性もまた、そういう教育の中で育まれていくものだと思います。
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言葉の森の作文の勉強は、対話ができることが特徴です。小学校低中学年の場合は、長文を読んでいるときに、その話題に合わせて親が話をしてあげることができます。
しかし、長文の音読では、その場に父親や母親がいなければ聞いてあげることができません。暗唱であれば、父親が会社から遅く帰ってきたときでも、そこで子供の暗唱を聞いてあげることができます。平日に聞けない場合は、日曜日にまとめて聞いてあげることもできるでしょう。また、田舎に遊びに行ったとき、おじいちゃんやおばあちゃんの前で暗唱を聞いてもらうこともできます。
そこから話が始まります。例えば、小学校3年生の暗唱長文に、「モグラの話」があります。それを聞いたあと、「あ、お父さんも子供のとき、モグラをつかまえたことがあるなあ」。すると、母親も、「あ、お母さんも、モグラを見たことがある」。それを聞いていたおじいちゃんが、「おじいちゃんなんか、モグラを飼っていたぞ」(ということはないでしょうが)と話が進んでいきます。
小学校3年生以上では、題名課題の作文が出てきます。この題名課題の表現項目の中に、「聞いた話、似た話」があります。小学校5年生になると、更に難しい感想文課題が中心になり、やはり「似た例」が出てきます。この「似た話」の部分で、父や母や祖父母が、自分の経験を話して聞かせてあげることができるのです。
すると、それらの話の中で、必ず親の自慢話が出てきます。最初は失敗談のような話でも、だんだん自慢の話になってきます。実は、そこが大事なのです(笑)。普通、赤の他人の前では、自慢話はできません。ところが、子供は喜んで父親や母親の自慢話を聞いてくれます。時には、「またか」と思いながら聞くこともあるでしょう。しかし、子供は、そこから自分の生き方の理想像を見つけていくのです。
だれでも、よりよく生きたいという規範意識を持っています。この規範意識を育てるのが、両親の尊敬できる歴史です。それは、日本人の祖先の尊敬できる歴史を学ぶということにもつながっているのです。
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現在、予測されているものは、中国のバブル崩壊、米国のドル破綻、日本の財政破綻です。いずれにしても、国内に流通するお金が急速に収縮することが予測されます。すると、食費や住居費のような必要最低限のものにしかお金が回らなくなります。
しかし、子供の教育は待ってくれません。そこで、家庭教育の充実が求められるようになります。しかし、多くの家庭では、子供の教育の経験が少ないので、その方法がわかりません。算数数学の計算練習をしたり、漢字の書き取りをしたり、市販の問題集を解いたりするような勉強ももちろんよいのですが、家庭学習で本当に大事なことは、国語力を中心に、理解力、思考力、表現力を育てていくことです。
ここで、言葉の森は、家庭での自主教室というものを考えています。言葉の森の通信教室が受講できなくなった人が、家庭で自分の子供を対象に自主的な作文教室を開くのを言葉の森が援助するという仕組みです。家庭なので、自分の子供と、同学年の近所の子供2、3人を教えるような形です。勉強の内容は、作文を中心にした、暗唱、読書、他教科の学習などです。
言葉の森では、この家庭の自主教室の生徒向けに教材を作り、自主教室の先生向けに指導マニュアルを作り、そこに言葉の森が講師が指導法を定期的にアドバイスするという形で学習を援助をしていきます。ここに奨学生制度を組み合わせれば、どのような経済危機にも対応して、子供の教育を進めることができます。
経済危機をわかりやすくたとえると、次のようなことになります。
日本の社会という大きな木がありました。養分を吸い上げる最も太いと思われていた枝が、実は腐っていました。ある日、その枝がポキンと折れてしまいます。その木は、残った細い枝で何とか生きていかなければなりません。ここで、必要最小限のことだけをして生き延びようとすれば、木全体の回復は遅くなります。大事なのは、細い枝をフル回転させて、木を活性化することです。すると、やがて細い枝が太い枝に変わっていきます。
経済の危機だからこそ、これまでの古い物質的な価値観を捨てて、教育や文化や科学という、より人間的に価値あるものにお金を回して育てていく必要があるのです。
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大人が子供に何かを指示すると、すぐに、「なんで」「どうして」と言う子供がいます。そこで、大人はつい、「どうしてかというと……」とまともに返事をしてしまうことがあります。すると、ますます子供は、「なんで」「どうして」と聞いてきます。そうして、やがて指示したことがうやむやになるということがあります。
家庭で、暗唱や読書の自習が難しいというのは、親と子の間にこのようなやりとりがあるからというのもひとつの原因になっていると思います。結局、親と子が同じレベルになっているということです。これは学校でも同様で、先生と生徒が同じレベルになっていることがよくあります。
野生動物の世界では、例えば、親ウサギが鼻を鳴らすと、子ウサギは石のように動かなくなる、と言います(「シートン動物記」より)。親が長年の経験で、子供のためを思って指示することは、子供にとって絶対なのです。
このことは、ペットの犬などについてもあてはまります。言うことを聞かない犬がいますが、これは人間が犬と同じレベルで接しているということです。
見方を変えれば、これは日本人の平等感覚とも言えます。こういう感覚はよいことですが、しかし、本質的な平等感と、しつけにおける上下関係は両立させなければなりません。
そこで、父親の出番です。子供が「なんで」「どうして」と母親に言ったら、父は即座に、「お母さんが、おまえたちのためを思って言っていることに、『なんで』とか『どうして』とか聞くんじゃない」とバシッと言っておしまいです。そのかわり、子供には、別の場面でたっぷり対話をしてあげればいいのです。
もうひとつ大事なことは、「注意は1回だけ」ということです。よく、「○○をしなさい」とか「○○をやめなさい」と子供に言っても、子供が生返事だけで、そのまま同じことを続けているということがあります。すると、ほとんどの親は、同じ注意を二度も三度もしてしまいます。しかし、このことによって、子供は、「何度も言われてからやればいい」という習慣を学習してしまうのです。その結果、そういう家庭では、何度も言われて初めてやるという生活スタイルができてしまいます。
一度でわからなければ、二度目にはゲンコツ(笑)ということができるのは、やはり父親です。しかし、そこで、母親が、「かわいそう」などと言ってはいけません。家庭では、父親の強さというものが大事です。それを支えるのが、母親の賢さです。我が家では子供のころ、ちょっと高い物を買ってもらったときは、母親に、「お父さんに、『ありがとうございました』と言いなさい」と言われました。こういうのが、母親のできるしつけだと思います。
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先日、NHKの「ためしてガッテン」で、’速読読解’についてやっていました。
それには、字を一つの固まりで読むと1ページを2~3秒で読めるようになるという方法でした。その方法の方が普通に読んでいる人よりも内容の理解度も高いという実験結果でした。
「ためしてガッテン」では、音読をする癖がついていると、
1字1字読んでしまうので、遅いし内容がイメージとして脳に残らないので、口に出して読むのはあまりよい習慣ではないということも言っていました。
4年間毎日、自習と、読解マラソンの音読をしていますが、少し悩んでしまいました。
それは、心配ありません。
長文音読は、リズムをとらえて読むためのもので、暗唱などは音読をしなければ身につきません。
普段の読書は黙読にしているはずですから、それが使い分けられていればいいのです。
「フォトリーディング」という本を読むと、速読のコツがわかります。暗唱+速読で、両方がんばっていってください。
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