NHKより、8月15日にラジオ放送予定の「10代いのちの対話」に、10代のみなさんの声を聞きたいとのお話がありました。
言葉の森の生徒のみなさんでも、生徒以外のみなさんでも結構です。
10代のみなさんの声を「みんなの広場」にお寄せください。
https://www.mori7.net/nohara/mina/
(締め切りは8月10日。字数は100-150字ぐらいでいいと思います。他の人の声に対するコメントなども歓迎します。コメントの字数は短くてもかまいません)
なお、場合によっては、番組の中でお電話による質問などもあるかもしれません(ほとんどないと思いますが)。
したがって、生徒のみなさんは、差し支えなければ生徒コードを入れておいてください。
====▽引用ここから====
8月15日、終戦の日の夜、10代の皆さんと語り合う『10代いのちの対話』を放送します。「"いのち"の大切さ」を中心に「平和と戦争」「生きることの意味」「人間関係の悩み」などのテーマについて、お寄せ頂いたメールやFAXをご紹介し、10代のリスナーと電話をつないで、語り合います。10代の皆さんの「本当の考え」や「悩み」をぜひ、聞かせてください。
おたより募集中
番組では、10代の皆さんからのお便りをお待ちしています。
◆「どんなときに"いのち"を意識しますか?」
◆「どうすれば戦争がなくなると思いますか?」
◆「生きるのが嫌だと思うのは、どんな時ですか?」
◆「人間関係に悩むのはどんな時ですか?」
その他、「大人に注文したいことは?」「最近、感動したことは?」
====△引用ここまで====
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算数・数学は、答えが一義的にはっきりしています。もちろん、最先端の数学の勉強は、答えがまだないというところに面白さがあるのだと思いますが、普通の数学の勉強のレベルでは、答えがすっきり出るというところが勉強の面白さになっています。
国語力に関しても、数学と同じように答えの一義性を求めたものが、○×式や選択式のテストです。しかし、そういうテストで測られる国語力は、本当の国語力とはややずれています。
数学の勉強は、できなかった問題ができれば力がついたことになりますが、国語の勉強は、できなかった問題の答えが理解できてもできるようにはなりません。
記述式の問題や作文・小論文の問題では、更にその傾向は顕著で、模範解答を読んで内容がすっかり理解できたとしても、模範解答と同じものが書けるようにはなりません。
数学は、教科書にすべてが載っているので、教科書を完璧にマスターすれば、その学年の課題は習得できたことになりますが、国語は、たとえ教科書を完璧にマスターできたとしても、その学年相応の国語力がついたとはいえません。
そこで、言葉の森では、作文・小論文にも、客観的な評価ができるように、項目指導という方法を開発しました。しかし、項目指導という方法だけでは、評価がおおまかすぎるという弱点がありました。
例えば、小学校中学年で、「書き出しの工夫」「会話」「たとえ」「心の中で思ったこと」などの項目であれば、だれでもすぐにできるようになります。しかし、中学生に、「複数の理由」「伝記実例」「名言の引用」「反対意見の理解」などの項目を指示すると、今度は逆に、ヒントなしには書けない子がかなり出てくるのです。
その後、項目指導よりももっと細かい客観評価ができるように、自動採点ソフト「森リン」を開発しました。しかし、森リンは、客観性はあるものの、今日がんばったから明日点数が上がるという性格のものではありません。点数の上下を繰り返しながら、1年近くかけて少しずつ点数の平均値が上がってくるという評価です。
そこで、国語力の評価は、数学の評価とは根本的に違うのではないかと思うようになりました。
数学の面白さは、「世界は手順を踏めば解ける」ということがわかる面白さです。そこに、一種の美的な感覚もあります。しかし、国語、特に作文には、そういう面白さはあまりありません。
作文が好きな子は、何を喜びとして作文を書いているかと考えると、その動機は、いい点を取ることでも褒められることでもなく、書くことが楽しいから書いているのだということに気がつきました。
作文を書いて表現をすることが楽しいという感覚を持てるようになれば、それは国語の点数がよいという自信よりも、ずっと長く続く子供たちの財産になります。
今後、その発表の面白さを実感できるような評価方法を工夫していきたいと思っています。
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私の母は、優しい人でした。母に怒られたり叱られたりしたという記憶がありません。
小学生のとき、学校をちょっとさぼりたいときがあり、「今日は頭が痛い気がする」と言うと、すぐに熱を測ってくれて、ほとんど平熱なのに、「うーん、ちょっと熱があるから風邪気味かもしれないね。じゃあ、学校休もうか」「うん」ということも何度かありました。
海辺の街で、言葉づかいの悪い友達が多かったので、たまに家の中で、「ばか」とか「てめえ」などと言うと、悲しそうな顔をして、「そういう言葉はつかうんじゃないよ」と優しく言いました。学校の成績がいいと普通に喜んでくれましたが、成績が悪いとか何が悪いとかいうことで注意されたことがありませんでした。
かくれんぼをして地べたに寝ころんで服を泥だらけにして帰っても、何も言わずに洗濯をしてくれました。山で遊びまわり、服にアメリカセンダングサの種をいっぱいつけて帰ってきても、静かにその取りにくい種を取ってくれました。
小学校のころ、夏休みの最後の日の夜になって、工作の宿題を作っていないことに気づき、そのことを母に言うと、「じゃあ、お母さんが作っといてあげる。いいから、寝なさい」と言ってくれました。さすがに夜中に気になってそっと隣りの部屋をのぞくと、母がボール紙と糸巻きでおもちゃのエレベータを作っていました。
そういう子供時代をすごしたので、母親というのは優しいものだと思っていました。
ところが、言葉の森で、子供たちに作文を書かせるとき、子供と話していて、「お母さん、優しいでしょ」と聞くと、10人中10人が、「ううん。怖い」と言います(笑)。
なぜ母親が怖くなったかというと、日本の社会に、学歴主義の広がりという変化があったからだと思います。
私が子供のころ、学歴というものはそれほど重視されていませんでした。みんな、生活に追われてそれどころではなかったのだと思います。
しかし、その後、学歴で社会の入口が決まる傾向が出てくると、古い体質の組織では、入口に応じて出口も決まるような傾向になり、学歴で人生設計が大きく左右されるようになりました。
だから、そういう社会で子供のことを考えれば、親が学歴に力を入れるのは当然です。現代の母親は、子供のためを思って怖い母親になっているのです。
しかし、子供時代に叱られながら厳しく育つと、頭脳があまり成長しません。
大学入試は、小中のころの成績よりも高校時代の成績と関連が高く、高校時代の成績は本人の意欲と結びついています。その意欲のもとになるのは、幸福な子供時代の蓄積です。
また、人生に対する基本的な幸福感や、社会に対する根本的な信頼感や愛情も、ひとえに母親の優しさによっていると思います。
母親がたまに怖いのはやむをえない面もありますが、できれば怖い役は父親に任せて、母親はできるだけ優しい存在であってほしいと思います。そして、その方が、長い目で見て子供のことを考えてあげたことになるのです。
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若い世代ほど非寛容に感じる。
選択肢の制限と堕落した快楽が人心を荒廃させている。
若いお母さんは、自分も塾世代なので、勉強を競争のようにとらえてしまう人が多いのだと思います。
殴る脅す以外の怒り方しか知らない男も増えている気がする
母親が周りを頼れないと追い詰められて誉めるも叱るも1人でこなしているような印象を受ける
男女共に子育てのノウハウや必要な教育が増えすぎているのでは
匿名さん、そのとおりですね。
勉強よりも、子育ての仕方を学ぶ必要があると思います。
言いことおっしゃいますねぇ。
よくぞ言ってくださいました。
全く同感です。
素敵なお母さんが増える世の中になってほしいです。
花の家さん、ありがとうございます。
私の親も怖くて、友達も親とか家族関係で困っています。
そして、その友達が病んでしまいました、。「やっぱり、私は生まれてこなかったら良かった」とか、「もっと才能があれば愛してくれた、、」とか愛して欲しかったが為に自分を追い込んでしまっていました、、
そんな人が少しでも減ればなと思っています。
わんをさん、こんにちは。
親も、初めて親をやっているので、試行錯誤なのです。だから、大きい気持ちで、そういう親も許して認めてあげるといいと思います。
やがて、親も成長していくと思います。
通りすがりに失礼します。
私自身、鬼母です。優しい母になりたいです。
「子育ての仕方を学ぶ必要がある」とのコメントは、その通りだと思います。ただ、これは学校で学ぶものでもなく、皆ぶっつけ本番でいきなり親になるので、子育てはとても難しいです。
「女性が輝く社会」というフレーズのもと、母親は、家事育児だけでなく、仕事もして「キラキラ」しなさい、という社会の圧力もあり、ニコニコ笑顔でゆったり子育てをするのはとても難しい社会なのではないかと思います。
成績が悪ければ母親のせい、素行が悪ければ母親のせい…。しっかり育てないと、と思うと、厳しく叱ってしまうことも多いです。
どのような心構えで子育てをしたらよいか、教えていただけないでしょうか?(そういう講座があれば需要があるのでは?)
優しい母になるために大事なことは、決心です。
それ以外の方法はありません。
どんなにくたびれていても、イライラすることがあっても、時間がなくても、「明るくやろう。子供に優しく接しよう。楽しい人生を生きよう」と決心すればいいのです。
この言葉がわかる人は、苦労したことのある人だと思います。「そんなこと言われても……」と思う人は、まだ苦労していない人だと思います(笑)。
すべては決心だと思ってがんばってください。
森川林様、お返事をありがとうございます。
なるほど、その通りかもしれませんね。私は「優しい母になりたい」と本心では思っていないのかもしれません。いろいろな考え方があると思うので、私もよく考えてみます。
優しい、怖いはあくまで主観である。優しい、怖いには定義はない。統計的に優しい母親が減って、怖い母親が増えたというデータがあるわけでもない。傾向というのは実に曖昧なもので、量的なデータがなければ主観を述べることは出来ても、事実を述べることは出来ない。
怖い父親が減って、子どもに優しい父親が増えているのだろうか?怖い父親が減って、子どもに感心がなく、自分の好きなことばかりに注意をむける勝手な父親が増えているのではなかろうか?
そもそも怖い父親というのは、子どものために優しくなる決心がなく苦労したことがないから怖いのではなかろうか?
性認識についてこれだけ叫ばれるようになってきた現代社会で、どうして”母親”だけが優しくあれねばならないのだろうか?
人は皆、優しいに越したことはない。人が優しくなるために、苦労を重ねて決心する必要があるのであればそれで良い。優しくなる努力には無駄なものはないと思われる。
我が家は
鬼の様な母と、仏の様に優しく聡い父がいます。
父は単身赴任中なので家には普段、母と私のみです。
やはり我が家の母も口を開けば勉強。勉強。勉強。
そこから喧嘩に発展し、
終いにはいつも父が仲裁をしてくれます。
私からすると、
まさに今の母は
私の天敵と言いますか、家に帰りたくなくなる原因です。
いつから「優しいおかあさん」はいなくなってしまったのでしょうか...。
子供と同じように、親も未熟な親からだんだん成長していくのです。
だから、親を恨むのではなく、それを反面教師として、自分は子供に優しく接しようと思っていくことです。
大事なことは、自分が成長することです。
私の母も優しい母です、でも、どんどん厳しくなっていくんでしょうね(笑)
親は最初は愛情から厳しくなるのですが、そのうちに厳しくなることそのものが習慣になってしまうのです。
うちはお母さんが怖いけど僕の将来の為だと思って素直に聞いています。
怖いお母さんと言うか易しすぎるお母さんも何だかな…という感じです。
お母さんこわい勉強いやだえいごもうききたくない
英語なんて、もうやらなくていい時代になります。
大事なのは、母語で考える力です。母語の日本語の力までしか英語力は伸びません。
日本語がしっかりできていれば、それで十分です。
英語に熱心な大人は、英語に劣等感を持っている人か、たまたま英語が得意になった人だけです。
ネコさん、大丈夫ですか。私も二人の女の子の母ですが、NHKラジオの小学生英語を一緒に聞いています。面白くてみんなで笑ってしまいます。お母さんと一緒に何かできるといいですね。海に行って石拾いとか、森の中を散歩したり。でも、なかなか機会がないですよね。夜、おうちの周りを一緒に歩くのはどうですか。懐中電灯を持って行くと楽しいですよ。
養老孟司さんが人間の世界の他に、自然界との接点を持っておくと、そこに逃げることができる、と書いていました。葉っぱひとつ触るだけでも、エスケープできます。ネコさんの心が守られますように。
ネコさん、大丈夫ですか。私も二人の女の子の母ですが、NHKラジオの小学生英語を一緒に聞いています。面白くてみんなで笑ってしまいます。お母さんと一緒に何かできるといいですね。海に行って石拾いとか、森の中を散歩したり。でも、なかなか機会がないですよね。夜、おうちの周りを一緒に歩くのはどうですか。懐中電灯を持って行くと楽しいですよ。
養老孟司さんが人間の世界の他に、自然界との接点を持っておくと、そこに逃げることができる、と書いていました。葉っぱひとつ触るだけでも、エスケープできます。ネコさんの心が守られますように。
私のお母さんは、自分がイライラしているとすぐものに当たったり、八つ当たりしてきます。あたしかお父さんがなんかするからなんですけどねwでも、怒鳴りすぎな気がするんですよね…私字が汚いんですけど、それでさえ「クソが」とか、「お前が全部悪いんだからな」とかいってくるんですよ…お母さんだって字が汚いのに全然直さないし、あたしに助けて貰ったのも結構あったのになんにも感謝してくれない…大体こういうお母さんは色んなことに熱心な人とか、すぐ夢中になる人なんですよ…でもあたしのお母さんなんも熱心じゃないし、嫌いなものからすぐ逃げる人なんですよ…あたし親に刃向かったことがなくて、何も出来ないんですよ…基本言いなりで、お母さんが言ったこと全てやんなきゃなんですよ…だるとか言うと切れるんですよ絶対…もうどうしたらいいか…
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欠点直し優先ということに関連して、学習障害ということを取り上げます。
学習障害という言葉は、一種の流行語のような感じがするほどよく使われています。子供の実際の姿を見れば、さまざまな長所が見られるはずですが、学習障害という言葉は、その子供の学習能力のごく一部の不得手な面だけを取り上げて、「ここに欠点がある」というレッテルを貼っているだけという場合がかなりあると思います。
これまでも、何人かの保護者の方から、「うちの子は学習障害で……」という相談を受けたことがあります。しかし、どの子も全く問題なく、むしろその学年の平均よりもよく書けるようになる子が多かったのです。
中には、「学校の先生に、普通の学級ではついていけないから特殊学級に行くようにと勧められたが……」という相談もありました。しかし、その子は、体験学習のあと、すぐにその学年の子が書く作文をよりもずっと充実した作文を毎週楽しく書くようになりました。
結局、どの子も、先生や親から、「欠点がある」ということだけを見られていたために、本人も自分自身を欠点の面からしか見られないようになっていただけなのです。一体、だれがその「学習障害」とか「特殊学級」とかいうことを決めていたのか、と言いたいところです。
このように、「学習障害」という言葉の多くは、子供を見るときに、まず欠点から見るという発想によって生まれたものです。
今ある長所を見ていけば、どんな子も大きな可能性に満ちています。たとえ今、どんなにやる気がないように見えたり、学力が思わしくなかったり、いたずらばかりしているように見えたりしても、少し想像力を働かせてみれば、その子が将来立派な社会人になって活躍する姿が目に浮かぶはずです。
だから、今ある欠点だけを見て、その欠点を直すことだけ考えるのは、単に大人の想像力の不足なのです。
現代は、人間の想念力が強くなっている時代です。親や先生が、その子を「だめな子だ」とか「○○障害がある」とか見れば、子供はそういう方向に育ちます。悪いところを見れば、子供は素直なので、その悪い方向に成長します。しかし、親や先生がその子のよいところを見れば、子供は素直にそのよい方向に向かって成長していくのです。
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体験学習のお母さんから、「もっと厳しく注意してほしい」という要望をときどき受けます。しかし、それは、無条件にお断りしています(笑)。
厳しく注意すればよくなるという発想に、実はもっと大きな問題があるのです。
注意したり直したりして作文がうまくなるのであれば、すぐにみんな作文が上手になっています。しかし、作文指導に熱心な先生に教わると、注意したり直したりする指導が増える結果、作文が嫌いになる子が多くなるのです。
作文を書くときに、「間違った書き方をして叱られたい」と思いながら書く子はいません。みなそれぞれ一生懸命に書いています。
提出するときも、「さあ、今日は何を注意されるかなあ」と期待しながら出す子はいません。やはり、いいところを見て褒められたいと思いながら作文を出すのです。
だから、基本は褒めることです。注意したり叱ったりするのは、意識的にさぼっているときだけです。
では、欠点はどうしたら直るのでしょうか。
第一は、読む力をつけることです。読む力が十分につけば、欠点は一言の注意で直ります。
第二に、そのために、長続きすることを優先し、楽しく勉強することです。
したがって、家庭でお母さんがすることは、間違いを注意することではなく、いつもよいところを見て褒めて、そのかわり、毎日の読む勉強としての暗唱や読書は妥協せずに続けることです。
この逆の人、つまり、毎日の暗唱や読書の自習はせずに、作文の欠点だけを直すというやり方をする人が多いのです。
子供が小学校低学年のときは、だれでも親の言うことを素直に聞きます。その時期に、親が勉強をやらせすぎると、大きくなって子供は親の言うことを聞かなくなります。
子供が素直に言うことを聞く年齢であればあるほど、勉強に関しては甘く、しつけに関してだけ厳しくという姿勢が大事です。(ただし、その場合のしつけも、最小限のものです。例えば、あいさつをする、返事は「はい」と言う、くつをそろえる、イスをしまう、食事中はテレビを見ない、何でも正直に言う、などそれぞれの家庭でルールとして決めたことだけです)
このやり方で子育てをすれば、親はいつもにこにこしていられるし、子供はいつも楽しく生活ができるのです。
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