世界がいい方向へ舵を切ったと思えるような日。
あとは、ひとりひとりが自分の夢を持って生きることだ。
社会が高度経済成長に向かっていたときは、誰にもそれぞれの夢があった。
しかし、社会の経済成長がゆるやかに止まる今こそ、個々人が真に自分の夢を持つ時代だ。
それは、お金や物で測られる夢ではなく、
自分自身が変化し成長するという夢になるだろう。
しかし、それは向上そのものを目的としたものではなく、
新しい何かを創造することを通して自らも変化するという夢になる。
自分らしい何かを作り出すこと、それを互いに発表しあうこと、
そういうことが社会全体の大きな関心になり、
ちょうど学校の文化祭のようなさまざまな試みが行われる日常。
そういう未来が待っている。
新しい社会のイメージは、文化祭のような日常です。
今はまだ毎日の仕事に追われてそれどころではありませんが。(^^ゞ
消費する喜びを中心とした生活から、創造する喜びを中心とした生活へ、日本の社会をこれから大きく変わっていくでしょう。
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
(中根)
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小学校2、3年生の生徒の保護者から、「塾に行くようになったので勉強が忙しくなった」という相談を受けることが増えてきました。
それだけ、学習塾が受験勉強の前倒しをするようになったからです。しかし、それは少子化に対応するための塾の都合によるものです。
小学校低中学年の塾通いは、多くの弊害を生み出します。まず、塾は点数の差のつきやすい算数に力を入れることで勉強の成果を上げようとします。また、国語についても点数の差のつきやすい漢字の学習を中心にしがちです。そして、算数にしても国語にしても点数で競争させることによって意欲を引き出そうとします。すると、点数に表れにくい読書や対話や創造性を育てる遊びの時間がどうしても削られてくるのです。
その結果、早くから塾通いをした子ほど、表面的な点数はよくなったように見えても肝心の考える力が育っていないために、学年が上がるにつれて伸びなくなってくるのです。
また、低中学年から点数の競争をすると、成績に対する優越感や劣等感を持ちやすくなります。勉強の本来の面白さは、新しいことを学ぶということにありますが、競争を意識すると、勉強の面白さが勝ち負けの面白さになってきます。ところが、勝ち負けが意欲につながるのはせいぜい中学生までですから、肝心の高校生以降はかえって勉強に対する意欲がなくなるのです。
小中学生の勉強は、家庭での学習が基本です。受験直前の時期には、志望校の過去問に合わせた難問を集中して取り組む必要がありますが、そういう難問を先取りして勉強する必要はありません。学年に応じた基礎の学習ができていれば、受験対応の力はすぐにつけられるのです。
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経済の基盤にあるものは教育です。
今の子供たちが、未来の日本の社会を作ります。
だから、日本が最も力を入れるのは、子供たちの教育です。
しかし、それは校舎や教材や人員にお金をかけることではありません。
新しい教育の開発に力を入れることです。
2009年のPISA(OECD65か国の教育到達度調査)の日本の得点は、数学9位、読解8位、科学5位でした。
学習に対する親和性の高い日本語を有していながら、それが十分に生かされていないのが現在の状況です。
志のある人が自由に教育を始める機会が増えれば、日本の教育は変わっていくと思います。
今日も快晴。いい天気が続きます。
明日は日曜。いい一日をお過ごしください。
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楽しいことを考えよう。楽しいことが起きてくる。
世界のカラーは自分が作っている。
今日も青空が広がる日本列島。
深まりゆく秋の実りに感謝して、静かに冬の支度を始めよう。
経済は破綻に向かって静かに進んでいるようです。
いつかどこかで引き金が引かれるでしょう。
これまでの時代では、その前後に戦争が起こされましたが、今は裏の仕組みがわかってきたので、もう戦争は起こせません。
バブルを真水に変える地球開発という案は魅力的ですが、それは長い目で見ればバブルの先延ばしでしかありません。
最もありそうなシナリオは、日本がかつて経験したような、バブル崩壊後の長期間の世界規模の失われた年月です。
そして、その世界的な収縮の時代から、いちばん最初に立ち直る国が日本でしょう。
それが創造文化産業の時代の始まりです。
これまでの社会では、人も、金も、物も余っていました。
だから失業が生まれ、金融工学が生まれ、使い捨てが生まれました。
そして、それらをまとめて解消する手段として、戦争が起こされていました。
これらの過剰を真に解決する道は、江戸時代のような循環型社会の構築です。
地球はもう狭すぎて、未開のフロンティアを探せるような星ではないのです。
余っている人と金と物の中で、これからの社会を建設するキーとなるものは人です。
人間の創造性を、循環型社会の中で開花させることが真の未来の展望になります。
当面は、人間の「私もそうなりたい」という欲求を実現するために、その人に何かを教えられることが創造の中心になるでしょう。
そのあと、子供時代の教育から立て直す形で、真の創造の時代が始まるのです。
今日もさわやかな青空。
地球が古い殻を脱ぎ捨てて、新しく生まれ変わろうとしているかのようです。
私たちも、古い習慣から抜け出て、これから自分たちの手で新しい未来の道を作っていきましょう。
それでは、今日も新しい気持ちでいい一日をお過ごしください。
(中根)
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「塾の模試でひどい点数を取ってきて」という相談の電話がありました。
中学受験をする小6の子が、塾で作文の模試を受けてきたのです。
こういう話は、実はよくあります。
大学入試の小論文模試でも、生徒が「予備校の模試ですごく点数が低かった」と言ってくることがあります。
中身を見れば、全然問題ないことがほとんどです。
みんな、点数にとらわれすぎなのです。
確かに、もう少しこうすればよかったのにというようなことはありますが、そんなにオーバーに減点するようなことではありません。
塾や予備校の作文小論文の模試など、まずあてになりません。(関係者の方、ごめんね)
採点する人の主観が大きすぎるからです。
点のつけ方が極端なのです。
それに、そういう点数をつけて、ではどうしたらいいかというような指導ももちろんありません。
点数をつけるマシーンのようなものです。(しかも性能のあまりよくない(笑))
受験勉強は勝つための勉強ですから、親子で真剣に勝つことに徹しなければなりません。
しかし、いくつもの勝負をくぐりぬけてきた大人は、そんな受験ぐらいで人生が決まるわけではないという大きな視野を持っていることが大事です。
特に、子供が低い点数を取ってきたときが大事。
にっこり笑って、「大丈夫」というのが親のプロです。
お父さんも、お母さんも、ゆっくりあったまっていきましょう。(そりゃ、親のフロ)
昔の子供は、学校から帰ったらすぐに遊びに行っていましたが、みんな立派な大人になりました。
そんなに焦ることはないのです。
昨日までの雲が東の海上に去り、今日は久しぶりの快晴。
今日もゆとりの一日をお過ごしください。
(中根)
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