みなさん、おめでとう。
これからもがんばって勉強を続けていってください。
2015/3/6更新
愛知淑徳中
栄東中
岡山大学付属中
岡山中
学芸大附属世田谷中
学習院中
駒込学園中特待
広島市立広島中
広島女学院中
広島新庄中
甲陵中
山梨大学附属中
市川中
渋谷幕張中
仁川学院中
聖心女子学院初等科
千葉大学付属中
洗足学園中
大阪学芸中
大阪教育大学附属天王寺中
滝中
長崎県立長崎東中
追手門学院大学中
都立桜修館中
都立小石川中
都立武蔵高校附属中
土佐塾中
東邦中
同志社女子中
兵庫県立大学附属中
宝仙学園理数インター
豊島岡女子中
履正社中豊中学園
立教池袋中
立命館守山中
都立国際高国際バカロレアコース
東京電機大学高
明治学院大学付属高
大分大学医学部
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現在、寺子屋オンエアでは、のべ95人の生徒が毎日約1時間の勉強をしています。
生徒の学年は幅広く、下の子は小1から上の子は中2までで、それぞれの生徒が自分の課題で勉強しています。
最も多い学年は小4です。小4になると、親子だけの家庭学習が続けにくくなるという事情があるのだと思います。
寺子屋オンエアに参加する子供たちが住んでいる地域はまちまちです。北は北海道から南は九州までの生徒がいますが、ネットでつながっている勉強なので、場所の制約は全くありません。
将来は、海外の生徒も、時差の問題さえなければ自由に参加できます。むしろ、海外の生徒のニーズの方が高いかもしれません。
ネットだけで完結できる勉強ですが、能率だけ考えた勉強よりも、人間どうしの触れ合いを大切にした勉強を目指していきたいと思っています。
寺子屋オンエアに参加している子供たちが、たまに一緒に遠足に行くとか、合宿をするとかいう企画があれば、勉強以外のことも学べると思います。
子供たちが勉強をする形態は、解説の詳しい参考書や問題集を使って自分の力で進める自学自習形式ですが、この自学自習をどの子も熱心に取り組んでいます。
そして、算数の勉強の先取りも、この自学自習形式でほとんどの子が問題なく進めています。
小中学生の勉強は、受験勉強に取り組む1年間以外は、すべて基本的な勉強と言っていいものですから、独学であっても十分にできるのです。
寺子屋オンエアで能率のいい勉強をすると、子供たちの家庭での生活も余裕のあるものになります。
その余裕のある時間を生かして、個性を伸ばす教育も、寺子屋オンエアで行えるようにしたいと思っています。
これからの時代は、その子らしい個性を生かして社会でどういう価値ある仕事をするかということが、勉強の大きな目標になってきます。
これまでの時代のように、とりあえずいい学校に合格して、いい会社に入ればそれでいいという漠然とした目標では、やっていけなくなるのです。
寺子屋オンエアは、今後、基礎的な勉強に加えて、個性を生かしたさまざまな勉強のコースも作っていく予定です。
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言葉の森の作文指導の特徴は、長文を読んでその感想文を書くことを中心としていることです。ただし、感想文中心になるのは小5以降で、それまでは身近な題名の課題が中心です。
なぜ感想文を書くことを中心にするかというと、学年が上がるほど読む力をつけることが必要になってくるからです。
文章を読む力は、語彙力として表れます。受験の国語問題に出てくる文章は、その学年の子にとってはなじみのない言葉が多く使われています。
語彙力のある生徒は、何とか内容を読み取りますが、語彙力のない生徒は、読解問題も当てずっぽうで解くようになります。
国語の成績を上げるには、問題文を理詰めで読み取る必要があるのですが、語彙力がないと読み取る段階まで達しないことも多いのです。
長文を読んで感想文を書く勉強をしていると、その長文を深く読み取ろうとするようになります。
事前に長文の音読を何度もしていると、難しい内容の文章でも全体の内容がおおまかにわかります。更に、その長文音読をもとに、親子で似た話などをしていれば、文章を読み取る力は更についてきます。
このように、感想文を書くために長文を読むという練習をするので、難しい長文を読む力がついてくるのです。
長文を読む力は、一度つけばそれで終わりではありません。
小学校高学年のときの難しい文章と、中学3年生になってからの難しい文章では、質が違います。また、中学3年生のときの難しい文章と、高校3年生になってからの難しい文章でも質が違います。
言葉の森の作文の勉強は、小学生から高校生まで、それぞれの学年に応じた難しい文章を読み、感想文を書く練習を中心としているのです。
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ピット
最近、日本ではあらゆる所で「国際化」の必要が唱えられている。世界で国際化を目指している国は日本だけである。しかし、欧米でさえも、開かれた民族とは言い切れない。むしろ日本人の方が、自分を閉ざされた国だと認識しているため、心理的に開かれている。日本が「国際化」をめざすのは、やむを得ず強いられているのであって、日本の特殊性を普遍化してくれる絶対善だからではない。私は、他人を基準とせず、自分の道を行くような生き方をしたい。
そのための方法として第一に、自分の意見を持って、簡単に他人に流されないことだ。日本人は謙虚だ。しかし、それが裏目に出ることがある。空気を読んでしまうのだ。周りの空気を読んで自分の意見を持っていない、または、持っているが言い出せない人がたくさんいると思う。私は、絶対に他人に流される方だと思う。友達から何か頼まれると、ことわれないし、嫌なことでも、嫌だと言い出せないのだ。同じように考えている人は多いだろう。特に、女子。トイレに行くにも、どこに行くにも友達と一緒。友達が言ったことにすぐに同調してしまう。そんなことが多々ある。さすがに、私はトイレにまでついては行かないが、このように友達といつも一緒だと、自分の意見を言うことはないだろう。なぜなら、友達と同じ意見を言えばよいのだから。クラスの話し合いでも、ほとんど意見は出ない。意見を出したら、でしゃばっていると思われるのが怖いからだろうか。私はそんな日本は住みにくいのではないかと思う。しかし、そんな傾向から抜け出せない自分がいる。それがもどかしいのだ。
第二の方法としては、歴史に残る人の生き方から学ぶことだ。伝記を読んでみると、歴史に残る人はんみな自分をしっかりもち、それを一生貫いている。かの有名なガリレオ・ガリレイは、地動説を唱えたために、法王の怒りにふれてしまい、もう二度と地動説を唱えないようにとサインをさせられた。しかし、ガリレオは自分の信念を曲げず、地動説を信じ続けた。そして、空想上の人物に、地動説を語らせた「天文対和」という本を出したのだ。しかし、それはやはり再び法王の怒りを買い、地動説は間違っているというように強いられてしまった。しかし、ガリレオはその法廷で、ギリシャ語で「それでも地球は動く」と繰り返していたそうだ。このように、どんな障害にぶつかっても、自分の信念を一生涯、貫いた人が歴史に名を残すようなすばらしい功績をあげているのだ。
確かに、周囲と自分を比較することも大切だ、自分では見つけきれなかった、自分の意見の欠点が見えてくることがある。しかし、「自分が考えるとおりに生きなければならない。そうでないと、ついには自分が生きたとおりに考えるようになってしまう」という言葉があるように自分の意見を持って行動しなければならない。私は、自分の意見をしっかり持ち、それをきちんと発言し、行動に移せる人間になりたい。
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言葉に愛を
ぎんぎつね
日本では、欧米人の名前をカタカナでそのまま読むが、中国や朝鮮人の名前は漢字で書き、日本の読み方で読む。これは何も日本に限ったことではない。中国でも、日本と同じように欧米人の名前はそのまま読み(漢字の当て字になるが)、日本人や朝鮮人の名前は自国の読み方をするのだ。たしかに、自国の読み方だろうが相手の国の読み方だろうが、本質的には変わらないのかもしれない。しかし、人は大切な人には「私」の属する国、文化を認めてほしいと願うものだ。それは相手に対する尊重が伴うものだからだ。私は、言葉に感情を込められるような生き方をしていきたい。
そのための方法としては第一に、相手の名前など、言葉に対して愛情を持って接することだ。生まれた子供に名前をつけることはその両親にとって一大イベントである。世の中にはいろいろな名前があるが、命名される名前はその年によって一定の傾向があるらしい。近年、人気な名前は音の響きが重視される傾向にあるそうだ。名前の意味だけでなく、読み方まで気を配ることに、私達がどれだけ「音」を気にしているのかがわかる。つまり、それは逆に言うと、私達が相手の言葉を大切にした時、初めて私達は相手とより良い関係を築くことができるということだろう。
また、第二の方法としては、国同士の間でも、相手の言葉や文化を尊重しあうことだ。かつて、アジアからヨーロッパ東部に至るまでの広大な領土を有したモンゴル帝国はチンギス・ハンを起源として、実に20世紀まで中央ユーラシアの各地で君臨し続けたそうだ。途方もなく巨大な帝国を長く存続させられたのは一体なぜなのだろうか。それは、フビライ・ハーンの、支配した各地域の文化や言語を尊重した政策のおかげらしい。モンゴル帝国の一部に取り込まれても、その生活はほとんど変わらなかったことが人びとの抵抗を少なくし、それが帝国の維持につながったのだろう。
たしかに、合理的に物事を進めるためには、言葉を記号のように扱うほうが便利な場合もある。もし、みんながみんな自分の名前の読み方にこだわっていたら、自分も相手も疲れて、関係も悪化してしまうだろう。しかし、「家とは、外から見るためのものではなく、中で住むためのものである」というように、名前などの言葉もまた、外から見るための符号ではなく、その中で生きている人間と密接に結びついているのである。それを否定するということは、その人を否定することにもつながり、決してプラスにはならないはずだ。私は、言葉というものを感じ取ることができる感性をもって、生きていきたいと思う。
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