●「子ども」か「子供」か
9月号の「致知」という月刊誌の記事の中に、「子ども」か「子供」かという話が載っていました。これはたまに話題になることなので一言。
「子ども」と書く人が多いのは、「供」には「お供」のように人を見下す意味があるからだそうです。その説自体も不確かなものですが、私はたとえその語源がどういうものであろうと、言葉の使い方を論じる際に、その中身ではなくニュアンスを前面に出すのは、思考を中断し、話を混乱させる原因になると思います。ニュアンスは各人の好みに任せるもので、共通の基準にするものではありません。ですから、普通の書き方は「子供」でいいと思います。
●競争に勝つことを目的にする時代は終わりつつある
これまでの時代は競争の時代でした。競争には勝者と敗者がいます。敗者が遅れた者、劣った者、弱い者であり、勝者がその敗者を倒し敗者を支配することで世の中が急速に進歩してきました。
これはあたりまえのことように思われるかもしれませんが、日本で一万数千年続いた縄文時代は、たぶん競争も勝者も敗者もない時代でした。江戸時代の庶民の生活も、同じように競争も勝者も敗者もきわめて希薄な生活だったでしょう。少なくとも競争に勝つことが人間の価値観の中心である社会ではなかったのです。
では、競争ではなく、何が社会の中心になっていたかというと、それは助け合いです。強い者と弱い者がいた場合、強い者が弱い者を助ける社会だったのです。
競争社会の喜びは勝利です。助け合い社会の喜びは共感です。相互の助け合いと相互の共感が、社会の絆となっていたのです。
●競争という価値観がこれからなぜ後退していくか
競争が善だという価値観は、主に近代の欧米から世界に広がりました。その競争文化のひとつがスポーツで、そのひとつの象徴がオリンピックです。
2020年に日本で開かれるオリンピックは、お祭りとしては多くの人に歓迎されていますが、いずれ今のように人と人とが競い合うことに激しく熱中する人は少なくなってくるでしょう。それは、野球でも、サッカーでも、ゴルフでも、すべて同じです。競争に勝つとか負けるとかいうことを、今のように大きな問題とは考えない人が増えてくるのです。
では、なぜ競争という価値観が、これからは社会では後退していくのでしょうか。それは、単に人間の意識が変化するからではありません。その社会の特に経済の仕組みの根幹が、競争よりも助け合いの方に傾くからです。つまり、競争によって豊かになる時代は過去のものとなり、これからは助け合いによって豊かになる時代に移行していくからです。
矛と盾が競い合い互いにより強い矛と盾になるという時代から、矛と盾が共存しさまざまな矛と盾のセットが生まれる時代へと変化していくのです。
小6から中1になると、説明文から意見文へと作文のジャンルが変わってきます(言葉の森で「作文」と呼んでいるのは、小論文も含めた幅広い文章作成とその文章のことです。人によっては「作文」と「小論文」をわざわざ分けて考える人がいますが、文章を書くという点ではどちらも同じです)。なぜ中1になると作文が下手になるかというと、意見文のジャンルの語彙がまだ十分に備わっていないからです。
私立の有名中学に合格し、その後、東大や早稲田大や慶応大に進んだ人たちも、中1のころの作文は驚くほど平凡でした。
しかし、その子たちのいいところは、定期試験のとき以外はほとんど毎週出席し、自分で長文を読んで自分なりに考えて書いていたことです。だから、高3のころはそれぞれ自力で立派な文章を書き、森リン点もほぼコンスタントに高得点を取っていました。
家庭で子供の作文を見ていると、「長年やってきて、まだこんな文章しか書けない」とがっかりすることが必ずあります。しかし、そこでそのことを子供に言っても何の解決にもなりません。作文力は、体力と同じで、知識や理屈ではなく時間をかけることによってしか身につかないのです。
では、何に時間をかけるかというと、それが音読です。課題フォルダの長文の音読を続けていれば、それによって次第に意見文の語彙力がついてきます。更に余力のある人は、問題集読書でやはり難しい文章に慣れておくといいのです。
書く力は読む力に支えられています。ときどき、書くことがないとか、長く書けないとかいう子がいますが、その原因は読書をしていないことです。本を読んでいれば、自然に書くことが浮かんできます。本を読んでいないから書くことが出てこないのです。
読書は食事と同じで、毎日読み続けていくことが大事です。3日分まとめて食べて、あとは食べないという食事のとり方をする人がいないように、読書も、昔たくさん読んだから今は読まなくてよいというわけにはいかないのです。
読書は、易しい本をたくさん読むよりも、難しい本を少しでも読む方が力がつきます。しかし、難しい本を読むことだけに絞ると、全体の読書量が減り結局難しい本も読めなくなります。易しい本の多読を一方でしながら、問題集読書のような難しい文章の復読を平行して進めていくのがいいのです。