本を読むということは、物静かな行為のように思われています。
しかし、行動する本の読み方というものもあります。
それは、主に自然科学・社会科学系の本で、本に書かれていることをもとに戸外に出て本の中身を確かめたり実験したりするような読み方です。
男の子の場合は特に、こういう行動する読書に魅力を感じるようです。
虫の好きな子が、虫の取り方や飼い方の本を読むというようなものが行動する読書です。
行動する読書という本の読み方のよいところは、実際の行動に引っ張られて難しい文章も自然に読みこなす力がつくことです。
その代わり、読む本はその子の関心に基づいたものである必要があります。
ゲームの攻略本のようなものも、行動する読書に当てはまります。
ただし、攻略本は室内でやることが多いので、できれば自然の中でいろいろなもの作ったり、捕まえたり、調べたり、育てたりするようなことを、読書と結びつけていけるとよいと思います。
そのためには、子供の関心をよく知っている親が、その子の興味や関心に応じて行動に結びつくような本を進めていくことです。
しかし、一般に母親は、男の子の関心というものがよくわかりません。
ときどき、「うちの子(男子)は、物語の本を全然読まないんです」という相談をお母さんから受けることがあります。
そのときに、無理に物語の本を読ませようとするよりも、その子の関心に応じた説明文の本を探してあげるといいのです。
そういう読書のジャンルを広げるのに役立つのが、思考発表クラブなどの子供たちどうしの読書交流の場です。
言葉の森が、子供たちの読書に力を入れているのは、作文力の基盤が読書力だからです。
読書力は、また子供たちの感受性や思考力の土台にもなっています。
読書の好みは、人によってさまざまです。
屈折した心情描写の文学書が好きな子もいれば、ドタバタ喜劇のような物語が好きな子もいます。
空想をふくらませるファンタジーが好きな子もいれば、事実に基づいた知識を増やすデータの本が好きな子もいます。
そういういろいろな読書のひとつとして、行動する読書というものもあります。
子供の関心を生かした読書というものを考えると、その子にいちばん身近なお父さんやお母さんの役割は重要だと思います。
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ひとくちに読書といっても、いろいろなジャンルがあります。
文学好きの先生がすすめる本が、理科好きの子に合うかというと、そういうことはあまりありません。
子供の関心を知っている親が、その関心の方向で読書の幅を広げていくといいのです。
幼児期や小学校低学年のころは、多くの子が共通して楽しめる絵本があります。
だから、多くの子は読書好きです。
難しいのは、子供が小学校中高学年になったころです。
この時期に、子供の関心に応じた多様なジャンルの本を読む機会を作っておくと、その読書は中高生になっても続きます。
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言葉の森に問い合わせがあったお母さんのコメントの中に、「親子で作文を教えているとバトルになるので」というひとことがありました。
これは、どこの家庭でも似たような状況があると思います。
親子で作文の勉強をすると、子供が小学校低学年のうちは何とかうまくいくように見えます。
しかし、それはただ子供が素直だから、という理由によるものです。
学年が上がったあとも、親が子供の作文を見ると、子供が自立するにつれて教えることが難しくなります。
これが、普通の算数や理科や社会の勉強であれば、まだ親子の争いは少なくなります。
それは、答えのある勉強の場合、答えという共通の目標で親子の考えがまとまるからです。
答えだけでなく、解法も共通の目標になれば、更に勉強はうまく進みます。
だから、算数や理科の勉強を教える場合、解法の詳しい参考書でその参考書の解法に沿って教えることが親子の家庭学習をうまく進めるコツです。
しかし、作文の場合は答えがないので、親は自分の思った良い文章という尺度で子供の作文を評価しようとします。
すると、子供があるところをすごくよく書けたと思っているのにも関わらず、親は違うところの良くないところを指摘するような場面が出てくるのです。
つまり、作文指導がうまくいかなくなる一番の原因は、何を目標として作文を書くのかという事前の共通の了解事項がないまま、書かれた作文という結果だけを見て評価が行われるからです。
これは、家庭だけでなく学校でもほぼ同じで、事前の指導なしに事後の評価だけがあるというのが、ほとんどの作文教育の実態です。
言葉の森の作文指導が、先生と生徒の間でバトルにならないのは、事前の項目指導という共通の了解事項があるからです。
これを家庭での勉強に当てはめれば、家庭で作文を教えることもずっと楽になります。
なお、言葉の森の作文の事前指導の項目は、小学1年生から高校3年生まで系統的に作られているので、小学校の間だけでなく、中学生になっても高校生になっても続けることができるのです。
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事前に教える目標がないのに、事後の評価だけが行われるというのは、本当は不思議なことなのですが、作文指導ではそういうことがよく行われています。
だから、作文嫌いになってしまう子が多いのです。
ということは、その反対に、事前指導をしっかりして、事前の指導に基づいて評価が行われれば、誰もが作文が好きになるということなのです。
事前指導をもとに事後評価をすれば、子供はみんなその評価に納得します。
しかし、先生がせっかく事前指導をもとに子供を褒めているのに、その事前指導と関係のないところで、いろいろ注意を始めるお母さんがときどきいるのです(笑)。
もし、直したいところがあれば、それは事後に言うのではなく、次の指導の事前に言うというのが事前指導の方法です。
直して嫌いにさせれば、作文は上達しません。
褒めて長く続けさえすれば、どの子も必ず上達するのです。
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森林プロジェクトの作文講師資格講座は、9月から料金を改定いたします。
もし作文資格講師講座の受講を希望していて、まだ受講を申し込まれてない方は、9月20日までのお申込みであれば旧料金扱いとなります。
ご希望がある場合はお早めにお手続きをおとりくださるようお願いいたします。
なお、これまでのホームページの記事の重要なものは下記のとおりです。
お読みいただいてご不明の点がありましたら、言葉の森までご質問ください。
●これまでの重要記事
▼「森林プロジェクトの作文講師資格講座、9月から料金改定 」
https://www.mori7.com/as/2989.html
▼「森林プロジェクト9.9説明会のご案内」
https://www.mori7.com/as/3028.html
▼「未来の教育作り――言葉の森の今後の方針」
https://www.mori7.com/as/3032.html
●料金改定の内容
▼旧料金
一般の方の作文講師資格DVD講座 64,800円(分割払いの場合は 5,400円×12回)
言葉の森の生徒及び元生徒の保護者の場合は 54,000円(分割払いの場合は 4,500円×12回)
▼新料金
一般の方の作文講師資格DVD講座 129,600円(分割払いの場合は 5,800円×24回)
言葉の森の生徒及び元生徒の保護者の場合は 118,800円(分割払いの場合は 5,300円×24回)
以上、よろしくお願い申し上げます。
なお、お申込みのページは既に新料金で表示されていますが、9月20日までにお申込みいただいた場合は、旧料金の扱いとなります。
https://www.mori7.com/fkouza.php
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近いうちに、森林プロジェクトの交流会と研修会を行う予定です。
詳細は、Facebookグループ又は、ホームページでお知らせします。
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国語の勉強で、すぐに成績を上げる方法はあります。
それは、読解問題で、解き方のコツを理解するという方法です。
こういう理屈ではっきりわかるような勉強法は、現代人には好評で、多くの人がこの確実に成績が上がるやり方を評価してくれます。
しかし、理屈で理解できる技術をもとにした勉強法は、実は根の浅いもので、本当の国語力は技術的な方法で身につくものではありません。
例えば、読解問題の解き方のコツで成績を上げた子も、読む文章が難しくなると、そこで成績の上昇が止まってきます。
技術でカバーできる範囲は、限られているのです。
では、国語力を本当に上げるにはどうしたらよいかというと、それはかけた時間なのです。
もっと正確に言えば、勉強した時間というよりも、勉強した日数に比例して国語力はいつのまにかついてくるというものなのです。
小学校高学年の生徒で、作文力は普通で、特に上手でも特に下手でもないという子がいました。
真面目な子で、毎日の音読の自習をきちんと続けていました。
しかし、毎日やっていても、その成果はもちろんすぐには作文に出てきません。
ところが、毎日の音読の自習と、毎週の作文のよくできたところを褒める指導を続けていて、半年ほど経ったある日、気がついてみると作文が前よりもずっとリズミカルでめりはりのあるものになっていたのです。
作文力の上達は、こういうものです。
優れた先生が、優れた添削をして、すぐに上手になるというものではありません。
少なくとも、すぐに上手になる部分は、根の浅いものなのです。
もう一つの例は、小学校低学年の生徒です。
思考発表クラブで、毎週、それぞれの生徒に読んでいる本の紹介をしてもらっていますが、低学年の子は、本のあらすじをぼそぼそと言うような紹介がほとんどです。
その子も、毎週そういう紹介をしていました。
しかし、その生徒は、毎日の自習として読書と音読を続けていたのです。
もちろん、毎日音読をしていても、目に見えるような成果は出てきません。
ところが、やはり半年ほどたったある日、気がついてみると、いつのまにかとても的確に本の内容を紹介できるようになっていたのです。
現代の勉強法は、「こういう方法でやれば、こういう結果が出る」という理屈で理解するようなものがほとんどです。
社会全体が、そういう理屈で納得するような勉強観を持っているのです。
しかし、江戸時代の寺子屋の勉強法は、そうではありませんでした。
毎日の素読のような、平凡な繰り返しの勉強が中心だったのです。
その名残りが、今の九九の暗唱のような勉強法です。
欧米では、九九の暗唱ではなく、掛け算の一覧表を目で見て覚えて、テストで評価するという方法が主流です。
どちらが、本当の掛け算の実力になっているかと言えば、日本の単純な繰り返しの勉強法の方だというのは異論がないと思います。
この日数をかけて上達する方法というのは、やっている生徒の方も見ている親や先生の方も張り合いがありません。
何日もやっているのに成果があるのかないのかわからないという日が、何週間も、何か月も、時には何年も続きます。
そこで、ほとんどの人は、そういう単純な繰り返しの自習をいつの間にかやめてしまいます。
ところが国語力というものは、この毎日のわずか数分の積み重ねでいつのまにかついてくるというものなのです。
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勉強観には、その時代の文化が反映されています。
現代人の多くは、分析主義的な考え方を無意識のうちにしていて、勉強についても、できないことがあると、できるようになる方法を教えてもらえば、できるようになると思ってしまいます。
しかし、本当は、日数をかけることでしかできないことがあり、国語力・作文力については特にそのかけた日数というものが大事になってくるのです。
国語力は、ある程度難しい文章を繰り返し読むことでついてきます。
だから、問題集読書の音読を毎日続けるのがいちばんいいのです。
しかし、子供はこういうあてのない勉強を嫌がり、問題集を解いて○や×をつけるような勉強を好みます。
だから、世の中には、そういう教材が溢れています。
しかし、国語の成績のいい子は、そういう国語の問題を解くような勉強はまずしていません。
そこで、言葉の森では、問題集読書を家庭でも続けられるようにするために、オンラインの自習指導を始めたのです。
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作文力の基礎は、読書力です。
読書をしっかりしている子には、作文を書く力があります。
しかし、それは潜在的に書く力があるということで、作文は、実際に書いてみなければ字数やスピードの感覚がつかめません。
この作文を書く際の最も重要なことが事前の準備です。
書く過程と同じぐらい準備という過程が大切なのです。
準備とは、与えられた課題で何を書くか考え、両親など身近な人に取材して話をふくらませてくることです。
感想文の場合は、もとになる長文を読んで理解しておくというのも準備に入ります。
準備とは、作文を書くための材料集めといってもよいでしょう。
材料がそろっていれば、作文は半分書けたのと同じです。
作文を書く準備としての構造図を書く練習は、現在思考発表クラブで行っています。
最近思ったのは、ここで書く子供たちの構想図がもとても充実しているということです。
これは構想図をお互いに発表し合うので、自然によい内容のものを書こうと思うようになるからだと思います。
しかも、その見てくれる人が同じぐらいの学年の子で、いずれも好意的な目で見てくれるというところがいいのです。
作文も、人に見てもらうことよって上達しますが、構想図も人に見てもらうことによって上達すると思いました。
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作文は、ほかの勉強と違って○や×がつくものではありません。
だから、意欲的に書くかどうかということが上達の重要な条件になります。
書く練習を続けていれば、誰でも上達はするのですが、意欲がそれを加速する度合いがきわめて大きいのです。
その意欲を持てるかどうかは、その子の書いた作文を好意的に見てくれる人がいるかどうかということに左右されます。
最近思ったのは、作文を書く前の準備の段階でも、人に見てもらうことができるということでした。
子供たちの読書紹介や構想図の発表会などを見ていて思うのは、どの子も優しいなあということです。
必ずと言っていいほど、ほかの子の発表のいいところを評価するような発言をしているのです。
みんな、素直に育っているのだと思います。
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