まず作文を書く以前の、文字を書く練習を始める時期についてです。
文字は小学校に上がってから書けるようになればいい、という考えがあります。
しかし、子供は周囲の家族や親や兄弟のしていることを真似したがります。
兄や姉がノートに字を書いているのを見ると、必ず自分も同じようなことをしてみたくなります。
子供が文字に興味を持って書き始めた時期が、文字の練習を始める時期です。
なぜかと言うと、自己流に文字を書く時期が長いと、整った字の書き方を身につけにくくなるからです。
勉強の開始時期は、機械的に決めるのではなく、本人が興味を持った時期ということを基準にしておくといいのです。
さて、小学1年生のころは、経験すること、話をすること、読むことが勉強の中心で、書くことはそのあとの勉強です。
ところが、学校によっては、1年生の早い時期から作文を書く指導を始めるところがあります。
そのときに、既に読む力が十分にある子は、作文の勉強についていけます。
しかし、読む力がまだ不十分だと、作文は直されるだけの勉強になり、苦手意識を持ってしまうことがあるのです。
だから、1年生のころから正しい書き方をできるようにしておく必要があります。
しかし、それは苦しい思いをさせてやるものではありません。
1年生の作文の勉強の基本を一言で言えば、楽しく勉強しながら正しい書き方を身につけるということです。
また、1年生で、作文を上手に書くことを目標にする必要はありません。
学校の作文の宿題などでは、上手に書くことを求められる面がありますが、小学一年生の子供に上手さを要求すると勉強に無理が出てきます。
それは楽しく書くことと相反することが多いのです。
特に1年生のころは、作文のコンクールに入選するというところまでを目標にしないことです。
コンクールの入選を目標にすると、どうしても親が口を出したくなります。
子供が自主的にできる範囲を超えて親が作文のアドバイスをすると、確かに上手にはなりますが、子供が自分で書く喜びを失わせる結果になります。
親が子供の教育に関わることは大事ですが、その関わりはあくまでも子供の自立心や自主性を尊重する方向でやっていく必要があります。
そのためには多少不十分なところがあっても、本人が自分の力でやれる範囲に留めておき、それ以上の要求はしないという姿勢が必要になります。
こういう関わり方を続けていけば、子供が高学年になってからも親子で協力して勉強を続けていくことができます。
さて、作文を書く勉強の第一は、書くことを準備することです。
時々、よく書ける子の中に、本をよく読んでいるので、実際の自分の経験を作文に書くのではなく、頭の中に浮かんだ物語を作文として書く子がいます。
小学1年生のころは、読んだものがそのまま頭に入っているので、読んだ本と同じような文章がすらすらと出てきます。
そういう作文も、もちろん書いていいのです。
しかし、実際の自分の経験を通して見たり聞いたり行動したりしたことを書くことで、書き方の工夫ができるようになります。
ですから、作文に書くことは、自分の経験を中心にしますが、たまたまその週にあったことに任せるのではなく、家庭で意識的にそれぞれの季節の行事や遊びなどを取り入れていくといいのです。
言葉の森では、実行課題集というものを作り、それを参考にして家庭でいろいろな取り組みができるようにしています。
自然の観察に出かけたり、家で料理を作ったり、工作や実験をしたりというような経験を作文の題材として使っていくのです。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
小学1年生のころの子は、何も教えていないときは、みんな作文が好きです。
しかし、教え始めると、好きになる子と嫌いになる子が出てきます。
そして、熱心に教えると、それに比例して嫌いになる子が増えてきます。
作文のような答えのない勉強は、教え方の工夫が必要なのです。
体験学習に来た子に、「作文を書くのは、好き? 普通? 苦手?」などと聞いて、「好き」と言う子は、これまであまり作文指導を受けてこなかった子です。
ですから、表記もできていないことが多いのですが、その代わり教えられていないから、作文が好きなのです。
逆に、「苦手」と言う子は、正しい書き方がきちんとできます。
しかし、作文が嫌いで苦手と思っているのです。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。国語力読解力(155) 家庭学習(92) 作文教育(134)
要約や記述以外のもっと長い作文、感想文、小論文などの練習については、家庭で勉強をするのは難しいと思います。
逆に、要約や記述の練習は、家庭でやっていく方がずっと能率よく数多く楽に勉強できます。
以下、作文、感想文、小論文などをまとめて、広義の「作文」という言葉で説明していきます。
ときどき、「作文と小論文は違う」などと言う人もいますが、全然違わないというのが言葉の森の立場です。
例えば、「私の友達」のような身近な説明文的な課題でも、出来事を中心に生活作文的に書くこともできますし、友情論のような形の論文として書くこともできます。
題材が中心になれば作文的になり、主題が中心になれば論文的になり、その中間の文章は随筆的なものになります。
そして、どのような文章であっても、構成、題材、表現、主題が優れているものが上手な文章です。
だから、作文と小論文の区別を考えるよりも、まずよい文章を書くことを心がけていけばいいのです。
さて、この作文の練習については、言葉の森の作文教室で勉強をしていくのが最もよいやり方になると思います。
言葉の森には、通信コースも通学コースもありますが、通信コースは電話指導なので、通学と同じような形で勉強できます。
今は、希望者には、オンラインで先生の顔を見て電話指導を受けることもできます。
オンラインの場合は、そのままほかの生徒の勉強している様子を見ながら勉強できます。
他の教室を否定するわけではありませんが(笑)、作文教室と銘打っている教室の多くは、あまり系統的な指導をしていません。
講義の多くは原稿用紙の使い方や表記の仕方の注意のようなもので占められ、あとは生徒の書いた作文を赤ペンでたっぷり添削するという方法です。
子供の作文は、いくら赤ペンで添削しても上手にはなりません。
作文を書き出す前の準備の段階で、どう書いたらいいかを指導し、その指導に沿って評価していく中で書く力が少しずつ上達していくのです。
そして、書く勉強だけでは作文力の上達には限界があるので、書くことと並行して長文音読のような読む勉強に力を入れていく必要があります。
作文の練習は、言葉の森で勉強をするのがいちばんいいとは書きましたが、勉強の内容をより充実させるためには、先生の指導に任せきりにしないことも大事です。
家庭では、次の二つの取り組みをしておくといいのです。
一つは、書く前の準備として、作文の課題に関して、親が似た話をしてあげることです。
この家庭での似た話の準備をしてくる生徒は、毎回の作文がとても充実したものになります。
また、親と話をすることで、語彙力や思考力が育ってきます。
準備というと親の負担が大きいと思う人もいるかもしれませんが、作文の課題について親子であれこれ話をするというのは、実は楽しいことなのです。
話のコツは、勉強的にやらずに、脱線してもいいので楽しい雑談のような雰囲気で話していくことです。
家庭での取り組みのもう一つは、返却された作文の誤字や表記ミスを家庭で書き直す練習をしておくことです。
それは、誤字や誤表記は、一度指摘されたぐらいではなかなか直らないからです。
受験作文の場合は、特にこの書き直しが重要になります。
先生から返却された作文を、親子で協力してよりよい表現や実例に書き直し、一つの模範解答の作文となるように仕上げておきます。
それを受験の前までに、何度も音読し、同じテーマで同じ文章が短時間で書き上げられるようにしておくといいのです。
以上のように、作文の練習の場合も、家庭での親の関わりが必要になります。
大事なことは、その関わりをできるだけ親の負担がなく続けられるように工夫していくことです。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
作文は、家庭で親子だけでやっていくのが難しい勉強です。
それは、指導の方法がないので、注意するだけの勉強になってしまうからです。
また、上達に時間がかかるので、教えることに自信が持てなくなってくるからです。
だから、家庭では書く前の準備の対話と、基礎力作りの読書に力を入れていくのがいいのです。
よく、「作文なんか、さっさと書いちゃいなさい」というお母さんがいますが、なかなかそういうふうにはいきません。
特に、高学年の作文はかなり苦しいのです。
字数も、小学4年生までは自然に伸びていきますが、5年生、6年生になると逆に字数が減ってきます。
更に、小学生のときに作文が上手に書けた子が、中学生になるとみんな下手になります。
それは課題が意見中心になり難しくなるからです。
この苦労をのりこえて高校生までがんばるといいのです。
お世話になっております。
物語を書くことを続けていても、国語力は伸びますか?
作文、感想文、小論文などをまとめて、広義の「作文」としているとのことですが、物語も作文に入るのでしょうか?小1,2年のころから、物語ばかり書き、心配になってこちらで質問しました。「3年生になると題名作文や、感想文があるので自然と移行していきます。」と言われ、安心していたのですが、3年になった今、結局「題名」に関連した物語もしくは創作童話を付属した感想文を書いており、すべて物語に分類されるような気がします。このままでよいのでしょうか?
nami様
お返事遅れて失礼しました。
小さころから物語の本をよく読んでいる子は、生活作文も物語のようになってしまうことがあります。
しかし、物語的な作文は、どれも同じような表現と内容のものになってしまうことが多くなります。
この場合は、(1)物語の本だけでなく、説明文の本の面白さを経験できるようにする、(2)読書だけでなく実際の経験の時間を豊富にする、ということで少しずつ作文の内容を、物語から現実に変えていくようにするといいと思います。
しかし、子供がいまやっていることを別の方向に直そうとすると、子供は自分の作文が否定されたように感じますから、直すのではなく、新しい方向を広げていくということでやっていくといいです。
そして、子供が偶然そういう現実的な作文を書いたときに、それを大いに評価してあげるのです。
できないことを直すのではなく、できたときに褒めるということでやっていってください。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。国語力読解力(155) 作文教育(134) 家庭学習(92)
昨日の思考発表クラブで、嬉しい話がありました。
小学6年生の女の子で、以前、理科が苦手だからどういう勉強をしたらよいのかと聞かれたことがあったのです。
その子と、その子のお母さんは、理科の問題集をやるつもりで勉強の仕方を考えていたそうです。
私のアドバイスはそれとは違って、理科や社会は教科書を何度も読んでいれば自然にできるようになる、理科の中でも計算を含む算数的な問題については問題集の解法を何度も繰り返して覚えるとよいとアドバイスをしたのです。
そして1か月後の昨日、懇談会の中で、その子が先日の理科のテストで百点を取ったという話を聞きました。
もしこれが問題集を解くような形の勉強をしていたら、たぶん時間がかかり苦労が多い割に点数はもっと低かったと思うのです。
なぜかと言うと、問題集を解く勉強はできたかできなかったかという確認で終わることがほとんどだからです。
できたものは、もともとやらなくてもできたはずのものですし、できなかったものは何度も繰り返さなければできるようにはならないものだからです。
ところが、問題集を解くとそれで勉強が一段落したことになってしまうので、問題を解いても実力がつくのはほんのわずかなのです。
これは、私自身の体験でもそういうことがあったので、ある程度確信を持って言えるのです。
昔、私が中学2年生のとき、定期テストの歴史で一人だけ満点を取ったことがあります。
確か103点満点のテストでした。
なぜそんなことを覚えているかというと、滅多になかったことだからです(笑)。
テスト前の勉強は、いつも特にしていないのになぜよくできたかというと、お昼の弁当の時間に歴史の教科書を読書代わりに楽しく読んでいただけなのです。
野口悠紀雄さんの中学高校の英語の勉強も、そういうものだったようです。
英語の教科書が面白いので、何度も読んでいたら自然に英語ができるようになったということです。
英語の勉強というと、穴埋め式の英語の問題集をやろうとする人が多いのですが、そういう勉強は時間ばかりがかかる能率のあまりよくない勉強法です。
ただ読むだけというのがいいのです。
問題を解く勉強は、鉛筆や消しゴムを使うので、勉強しているような雰囲気になり、本人も周りで見ている人も安心します。
教科書を寝ころがって読むような勉強は勉強らしくないので、本人も周りで見ている人もそれがいい勉強法だとは思いません。(別に寝ころがらなくてもいいのですが)
しかし、その気楽に寝ころんで繰り返して読むだけの勉強が、最も効率のよい勉強法なのです。
形にとらわれるのではなく、内容を中心に考え、読む勉強を家庭学習の中心にしていくとよいと思います。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
読む勉強法の反対が、解く勉強法です。
昔、自主学習クラスで、数学が苦手だという中学生の子の勉強の仕方を見ていたら、問題集をただ何問も解いているだけだったのです。
だから、数学の勉強にかなり時間がかかります。
しかし、成績は一向に上がらなかったのです。
こういう子は、勉強の仕方を変えればすぐに成績が上がるのです。
子供たちの勉強の能率が悪いいちばんの原因は、人に教わる勉強に慣れているからではないかと思います。
最初は試行錯誤でも、勉強は家庭で自分のペースでやるのがいいのです。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。家庭学習(92)
次は、記述力の練習方法です。
問題集などから、一つの問題文を選び、その感想を書く練習をします。
1文の平均は約50字と考え、指定した字数でまとめるようにします。
この感想の書き方で大事なところは、ある考えともう一つの考えを対比して書くことです。
しかし、それが難しいようであれば、ただ字数を指定して書くだけでもかまいません。
字数は、50字にまとめるとか100字にまとめるとかを自分で決めて、その字数の感覚をつかめるように練習します。
この場合、決めた子数ぴったりにまとめるということを心がけると、細部の表現を工夫する力がついていきます。
記述のコツは、対比して書くことです。
対比して書くとは、「Aだと思う」とだけ書くのではなく、「BではなくAだと思う」とか、「確かにBという考えもあるが、Aだと思う」というように、自分が書こうと思うことと対比する考えや事実がわかるようにするということです。
記述の問題の多くは、この対比が重要なポイントとなるところで出されています。
対比の仕方には、ほかに、「Bではなく、Aになった」とか、「Bでありつつ、Aであった」とかいうものもあります。
この対比を自覚して書いていくと、輪郭のはっきりした記述になってきます。
この記述の練習も、毎日やるためには、親が簡単に評価する仕組みを作っておく必要があります。
そのためには、元の問題文と照合して内容が合っているかどうかまで見る必要はなく、ただ書かれた記述の文章を見て、それが意味の通ったものであるかどうかだけを見ておけばよいのです。
というのは、もし内容とずれている記述であっても、それは注意して直るものではないからです。
読む力と書く力がつけば、自然に内容に合った記述になってきます。
国語の勉強は、繰り返しているうちに、次第に中身が伴ってくるという特徴があります。
だから、何度も練習するという基礎力をつけておくことが大事なのです。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
算数・数学の勉強は、ただ繰り返しているだけではできるようになりません。
理屈を理解するのが勉強の基本です。
国語の勉強とは、これとは反対です。
理屈を理解するより以前に、何しろ繰り返すことが大事なのです。
繰り返しているうちに、自然に読む力、書く力がついてきます。
理屈による理解は、そのあとの最後の仕上げになるのです。
「読書百遍意自ずから通ず」という言葉があるように、国語の勉強は繰り返しているうちに、自然にできるようになる面があります。
これは、国語だけでなく、英語など語学の勉強にも共通するものだと思います。
理屈により理解は、まず繰り返して慣れたあとにしていくものです。
理屈による説明を先にすると、かえって難しくなるのです。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。国語力読解力(155) 記述力(0)
国語力には、読む力のほかに書く力もあります。
例えば、要約の問題、記述の問題、作文や小論文の問題などです。
読む力の基本が、難しい文章を読みなれることだったのと同じように、書く力の基本は、書き慣れることです。
その書き慣れるという基礎力の上に、書き方のテクニックがあります。
大事なことは、テクニックよりも時間のかかる基礎力を早めにつけておくことです。
書く基礎力をつけるためには、週に1回や2回、国語の教室に通って勉強をするのでは間に合いません。
短時間でよいので、家庭で毎日書く練習をすることが大切です。
では、書く練習はどのようにするのでしょうか。
まず、要約の練習です。
要約の練習で大事なことは、素早くまとめる力をつけることです。
時間のかかる練習方法では、子供が飽きてしまいます。
簡単にできるやり方で、毎日続けていくのです。
まず、要約のもとになる文章を読みながら、自分なりによくわかったところ、大事そうだと思うところに、線を引いていきます。
この場合、中心になるのは、よくわかったというところです。
よくわかったところが、大事なところだと思えなくてもかまいません。
自分なりに、なるほどと思ったところに線を引いていくのです。
一通り読み終えたら、自分が線を引いたところだけを選んで飛ばし読みをします。
その飛ばし読みを何度か続けると、文章の全体の流れが頭に入ります。
そこで改めて大事なところを選ぶようにします。
1文の平均の長さを50字と考えると、150字の要約であれば3文です。
最初は3文にまとめるぐらいを目標に、大事だと思うところを3か所選びます。
そして、その3か所の文をつなげれば要約の出来上がりです。
これを言葉の森では、三文抜き書きという呼び方で練習しています。
最初は、文章の中心とずれたところで三文抜き書きになってもかまいません。
要約らしい形ができていれば、練習を続けるうちに、あとから内容が伴ってくるようになります。
この、形を先にする練習であれば、どの子も要約の練習ができるようになります。
この練習を毎日するのです。
元にする文章は、国語問題集の問題文から選びます。
ところで、要約のあと、その文章を見てあげる人がいなければ、子供にとってはやはり張り合いがありません。
そこで、お父さんやお母さんが、その要約の文章をチェックします。
このときに大事なことは、その要約が元の文章の内容と合っているかどうかということではありません。
そこまで考えると、要約のチェック自体が負担になるので、親の都合で要約の練習が毎日はできないということになりかねません。
要約の練習は、要約に慣れることが目的ですから、チェックはもっと簡単でいいのです。
要約した文章が分かりやすく書かれているかどうかがチェックの基準です。
この練習を繰り返していると、誰でも楽に要約ができるようになります。
そして、要約の仕方に慣れてきたら、次は、字数を指定して150字なら150字ぴったりに1文字の過不足もなくまとめる練習をします。
それができたら、時間制限をして、その時間内にまとめる練習をします。
こういう目標があると、要約の練習は楽しくなってくるからです。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
書く力の練習には、テクニックを覚えるより前に、書き慣れるという基礎力をつけておくことが大事です。
基礎力をつける練習には、家庭での毎日の自習が必要です。
そして、家庭での自習でいちばん大切なのが、できるだけ簡単なやり方で続けることなのです。
簡単なやり方で、短時間で、毎日欠かさず、そしていつも褒める、というのが勉強の基本です。
勉強を教えることに慣れていない人ほど、難しい複雑なやり方で完璧に理屈どおりに勉強を教えようとします。
そういう勉強のさせ方は、2、3回はうまく行きますが、やがて子供が負担になり、叱る回数が増えてきて、そのうちに続かなくなります。
できるだけ手を抜いて、楽にできる方法で、毎日続けていくのがいいのです。
昔、ケセラセラという言葉がありましたが、ちょうどそんな感じでやっていくといいのです。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。国語力読解力(155) 記述力(0) 要約の仕方(0)