勉強は第三でもいいぐらいです(笑)。
先日、発表学習コースのミニ保護者懇談会で、小学3年生の子の保護者の方から、次のような質問がありました。
「本当に、読書だけでいいんですか」
その子は、それまでは、家庭学習である程度難しい算数の考える問題などをする時間があったそうですが、今の家庭学習はほとんど読書だけの毎日だそうです。
もちろん、それでいいのです。
私の考えは、小学校低中学年で考える問題などやっても意味がないというものです。
なぜかというと、それは本当の意味で考える問題ではなく、パズルを解くような考える問題か、あるいは設定がややこしいだけの難問だからです。
勉強をする毎日の習慣をつけておくことは大切ですが、それは習慣を作ることが主な目的です。
毎日決まった時間に机に向かうことができていれば、短時間でもそれで十分なのです。
もちろん、今の学年で、少し難しい問題をテストで出された場合、長い時間勉強をしている子はその問題がすぐに解けるのでテストの成績がよくなります。
勉強時間が短く、読書だけをしている子は、解くのに時間がかかるので、大体点数は悪くなります。
しかし、ここで目先のテストの点数に目を奪われてはいけないのです。
その子の本当の学力がどのへんにあるかということは、小学校のテストの成績ではわかりません。
その子の学力は、親子の対話の中でおのずからわかります。
親が話したことをそれなりに理解し、自分の考えたことをそれなりに言える子であれば、学力は全く問題ありません。
そして、その学力を育てる根本が読書なのです。
ということを書いているとき、ちょうど「月刊致知」8月号が届いたので、何気なくページをめくっていたら、偶然次のような記事がありました。
今年4月に、川島隆太東北大教授が座長を務める仙台市のプロジェクトで、「読書習慣と学力」の関係を示したデータが出されたそうです。これは、小学5年生から中学3年生までを対象にした3年間分のデータをもとにしたものです。
このデータによると、読書時間が長いほど成績がよく、1日に1時間から2時間読書をする子は、読書をしない子に比べてかなり高い成績を残していることがわかりました。
そして、1日の勉強時間が30分から2時間未満であっても、1日に10分以上の読書をすれば、読書をせずに1日2時間以上勉強している子供より偏差値が高くなっていることもわかったのです。
「読み聞かせが明日の教育をひらく」(泡渕栄人)より
もちろん、読書は年齢に応じて発展させていく必要があります。
それは、先日、「
答えのない勉強としての読書――子供の読書生活をどう発展させるか(その1)」でも書きましたが、毎読、多読、難読という発展段階です。
最初は、何しろ毎日、1日も欠かさずに本を読む習慣をつけることです。これが毎読です。
次は、何しろ好きな本をたくさん読むことです。これが多読です。
中には大人から見てくだらないと思われるような本であっても、本人が熱中しているのであればそれを認めてあげることです。
ただし、ここで言う読書の定義は、字のスペースが絵のスペースよりも大きいものとしますから、マンガ、学習マンガ、絵本、図鑑、雑誌などは含みません。それらは読書ではなく娯楽として読んでいけばいいいのです。
この多読の時期に、その子の読書力よりも難しい本を読ませようとすると、かえって読書の絶対量が減ってしまいます。
多読の段階のあとは、難しい本を読むことです。これが難読です。
小中学生の場合は、説明文や意見文の本で、高校生以上の場合は古今の名著と呼ばれる古典です。
時には、易しい本を10冊読むより難しい本を1冊読む方が時間がかかることがあります。
しかし、易しい本を10冊読むよりも、難しい本を1冊読む方が本当の学力につながります。
そして、難しい本を1冊読み切ることは、易しい本をどれだけたくさん読んでも代替することのできない質的な変化をその人にもたらすことがあるのです。
話は代わりますが、今、寺オン作文コースや、発表学習コースでは、45分の授業のあとに、子供どうしの読書紹介の時間を設けています。
まだ始めたばかりですが、子供たちは、先生がいない中、お互いに上手に司会をして読書紹介を進めているようです。
こういう本の紹介という企画は、家庭でも、近所の友達数人とグループを作ってやっていくことができます。
家庭で孤独に問題集を解くような勉強をするよりも、友達と読んでいる本を紹介し合うような勉強の方が、その子の本当の実力につながっていくのです。
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読書は、なぜ勉強よりも学力がつくのでしょうか。
それは、学力とは思考力であり、思考力とは日本語力であり、日本語力を育てるものは読書だからです。
今行われている勉強のほとんどは、テスト形式の勉強です。
テスト形式の勉強で問われるものは、知識です。
算数数学の問題も、難問になればなるほど解き方の知識が必要になります。
勉強とは、知識をつけるものであり、読書とは、学力をつけるものなのです。
読書好きな子であれば、誰でも、夢中で読んでいて、近く呼ばれても気が付かなかったというような経験を持っています。
また、親に早く寝るように言われても、どうしても続きが読みたくなり、隠れて読み続けたというような経験を持っています。
こういう経験があることが、多読の目安です。
親や先生に言われて、しぶしぶ薬でも飲むかのように読んでいるときは、まだ多読に段階に達していないのです。
しかし、これをすぐに多読にさせようとするのではなく、まず毎読(毎日読書)を気長に続けていくことです。
普段、読書が好きだっただけなので、何故、読書が第一か、というテーマは大変参考になりました。毎読、多読、難読というパターンも示唆を受けました。とにかく本を読むのが好き、ワクワクする、集中する、どうすればこれが出来るか、難しいです。74歳になったいまでも電車で座って本を読みだすと乗り越しをしてしまいます。子どもの時からの習慣としか、言いようがありません。
都筑のふくちゃんさん、コメントありがとうございます。
電車で本を読んで乗り過ごすなんてうらやましいですね。
子供たちもそういう読書生活ができるといいのだと思います。
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発表学習コースは、日常生活で子供が疑問に思ったり関心を持ったりしたことをもとに学問的な研究や実験を行い、それを創造的に発展させて作品として発表するということを目標としています。
しかし、もちろん小学校低中学年の子供が、そこまでできるとは限りません。
小学校低中学年の子が子供だけの力でやろうとしたら、身近な疑問や関心や経験をそのまま取り上げて発表するところまでがせいぜいです。
しかし、家庭で準備することのできる発表学習は、お父さんやお母さんが協力することができます。
子供の関心を学問的な研究と結びつけ、その研究を創造的に発表するというやり方に、決まった道筋はありません。
その発表までに至る過程で、いろいろな試行錯誤や小さな失敗や小さな成功があり、その積み重ねの結果が発表する作品となるのです。
この試行錯誤の過程で子供が学ぶものは、お父さんやお母さんの物事に対する取り組み方の姿勢です。
学校や塾で教わることは、答えのある結果が中心です。
その結果に至る途中の過程で、教える先生が試行錯誤をしたり失敗したり脱線したりするようなことでは授業は成り立たないからです。
ところが、家庭の学習では、失敗も成功も脱線もあらゆることが可能です。
そして、そのときのお父さんやお母さんの取り組み方が、子供の学問や人生に対する姿勢を育てていくのです。
創造力は、教えられて身につくものでありません。
創造に取り組む身近な人の後ろ姿を見て、子供が自然に創造することの魅力を感じ取っていくものです。
特に、小学生のころは、子供が自分の生き方の模範となるような身近な人を求める時期です。
その時期に、お父さんやお母さんが物事に取り組む姿勢を見せることが、子供の成長で大切なものになってくるのです。
言葉の森の発表学習コースは、そういう家庭での親子の対話や協力というものを大切にしています。
これは、お父さんやお母さんにとっても、新しい形の子供との関わり方になります。
発表学習コースは、子供の思考力と創造力を育てるための、家庭における親子の関わりの機会にもなっているのです。
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湯川秀樹が、当初志していた数学の道から、物理の道へ転向したのは、数学の先生に、答えが合っているが解き方が教えられたものでないからという理由で×にされたということがあったからだそうです。
学校の先生としては、そういう指導はやむを得ない面もあります。
学校の仕組みは、1年生が終わったら2年生に進み、2年生が終わったら3年生に進むという形になっているからです。
しかし、家庭は違います。
子供が興味を持つものであれば、小学生でも高校生並みのことができます。
また、その逆もできます。
家庭は、学校の宿題をやるところではなく、独自に子育てをしていくところなのです。
教育は、学校と家庭が協力してやっていくものですが、それは学校が主で家庭が従という関係なのではありません。
学校と家庭はそれぞれ独自の役割があります。
知識と技能の教育が学校の役割だとすれば、家庭の役割は創造と文化の教育です。
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以前、「材料七分に腕三分」ということで書きましたが、作文の勉強で最も大事なのは事前の準備です。
小学校低学年のころは、まだ表現力だけで書けますが、課題が難しくなってくると、保護者への取材など事前の準備の有無が出来栄えを大きく左右します。
寺オン作文コースの利点は、その事前の準備そのものを発表し合う時間を設けていることです。
書いたあとの添削ではなく、書く前の準備が作文力上達のいちばんの近道です。
これは、特に、受験作文のような難しい課題に取り組む生徒にとっては必須です。
幼中から育てていたカブトムシが、突然みんな成虫になりだしました。
えさは、とりあえずバナナ。
昼間は土の中で寝て、夜だけ起きて食べています。
という写真は、記事の中身には全く関係ありませんが(笑)。
記事の内容は、作文の勉強で大事なのは事前の準備という話です。
事前の準備のための保護者とのやりとりの中で、子供たちは学力だけでなく、物の考え方や人としての生き方なども身につけているのです。
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アインシュタインは、軍隊のような学校の勉強が大嫌いでした。
しかし、家に帰ってから、ヤコブおじさんによって数学の面白さを教えてもらったのです。
また、アインシュタインは、厳しい音楽の先生が大嫌いでした。
しかし、家に帰ってバイオリンで遊んでいるうちに、音楽の楽しさに目覚めたのです。(「アインシュタイン」岡田好恵著より)
つまらないことを我慢してやるのが勉強だと思っている大人に教えられれば、その子はつまらないことを最低限のエネルギーでやろうとします。
1時間の枠で勉強しなければならないとしたら、その1時間の間、ひたすら自分ができる問題だけをやり続けたりするのです。
それは、人に見せるための勉強です。
時間をかけても、身につくものはほとんど何もありません。
勉強は、本来学ぶことが面白いと思っている大人によって教えられるべきです。
その大人は、お母さんでも先生でもいいのです。
今の勉強は、面白さをテストや賞品や競争によって演出しようとしています。
そういう外側からの人為的な面白さではなく、勉強そのものが持つ創造的な面白さを味わうようにさせることが大事なのです。
その勉強を、寺オン作文コースや発表学習コースによって広げていきたいと思っています。
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子供たちのやっている勉強が面白いものでないのは、点数のためにやっている勉強だからです。
勉強は、向上のために行うものです。
その向上の先にあるのが創造です。
創造的に勉強すれば、それは限りなく遊びに近い勉強になるのです。
子供たちが、小中学校時代につまらない勉強を詰め込まれている結果が、高校生になって、受験に関係する勉強しかやらない勉強姿勢になっています。
それは一見能率的に見えますが、人生という尺度から見れば全く非能率的なことなのです。
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ある、先生どうしの会合の中で、次のような質問がありました。
「生徒に、算数や数学の分からないところを質問されて、すぐには答えられ答えられない場合、どうしたらよいか」
このようなことを聞かれて、私はとっさに、
「先生は教えるのが仕事ではないので、子供に自分で考えさせるといい。もし、それでもどうしてもわからない場合は、お母さんに聞くようにするといい」
と言いました。
すると、ほとんどの先生は、「そんなあ」という感じで笑っていたようです。
しかし、これは、実はきわめて重要な教育の原則なのです。
それは、教えないことによって子供が真に成長するからです。
もし子供にわからないことを聞かれて、すぐその場で教えれば、そのときは理解が早まりその直後の成績はよくなるでしょう。
しかし、そこで教えられたことは確かにすぐに身につくように見えますが、その定着の仕方は浅いので、すぐに忘れてしまうことが多いのです。
そしてその代わり、教えてもらうことを繰り返して身につくのは、人に教わって学ぶという勉強姿勢の方なのです。
教わって学ぶことに慣れた子は、教えを乞う勉強を続けていきます。
すると、大学入試までは、教えを乞う勉強法で何とかやっていけますが、やがて途中から教えてくれる人はいなくなります。
すると、そこで成長が止まってしまうのです。
もし教えられなければ、自分で考えて理解しようとするはずです。
中学3年生までの義務教育の勉強は、どんなに難しく見える問題であっても、解法を見れば誰でも理解できるようになっています。
解法がない問題を考えるのは時間の無駄ですが、解法がありさえすれば誰でもわかるようになっているのです。
確かに、自分で理解しようとする勉強は能率が悪いので、成績はなかなか上がりません。
しかし、ここで身についているものは、単に成績ではなく、自ら学ぶという姿勢なのです。
自ら学ぶ姿勢を持った子供は、教える人がいなくなっても自分で学んでいきます。
だから、途中から勉強が加速し、それまで能率よく教わってきた生徒をやがて追い抜いてしまいます。
シュタイナー教育の例に見られるように、小学校の低学年のうちはまるで無駄な遠回りをして遊んでいるように見える教育が、途中から自力で学ぶ姿勢によって加速していくのと同じです。
この自ら学ぶ姿勢は、学校を卒業し社会に出てからも続きます。
モンテッソーリ教育を受けた子供たちが、社会に出てから創造的な仕事をすると言われるのは、やはり自ら学ぶ姿勢を身につけて成長したからでしょう。
ただし、もちろん、義務教育の勉強の中にも、子供がいくら考えても分からない問題というのはたまにあります。
その理由は、解法の説明が、その子にとっては不十分だという場合があるからです。
そのときはどうしたらよいかというと、それはお母さんが一緒に考えて教えてあげるのです。
お母さんが教えることも、確かに専門の先生が教えることよりも能率は悪いように見えますが、ここで身につくものは、親が一緒に考えるという家庭の教育文化なのです。
そして、もしそれでも分からない場合があれば、そのときは能率のために専門の先生に聞くというふうにすればよいのです。
中学3年生までは、子供の勉強のわからないところは、家庭で親が一緒bに考えるのがよいと思います。
大事なのは、勉強の内容でありません。
内容が大事になるのは、学問の先端を行く創造的な勉強をする場合だけです。
学校教育のレベルでの勉強は、内容はすでにすっかりできあがっています。その具体的な形が、解答付きの問題集です。
だから、内容を身につけることよりも、その身につけるときの方法や姿勢を身につけることの方がずっと大切なのです。
元キャノン社長の賀来龍三郎さんは、高校時代の恩師から、数学は公式から自分で考えて解けと教えられました。
その勉強法は、大学入試では時間切れという結果に終わり役に立ちませんでした。
しかし、社会に出てからはその姿勢が本当に役立ったと気がついたというのです。
子供の本当の成長を考えるのであれば、今成績を上げることよりも、将来にわたって続く勉強の姿勢を身につけることを第一に考えていくべきなのです
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農業で大事なのは、土だと思われていました。
土を耕し、肥料をやり、病害虫を防ぐという一連の作業が農業に不可欠だと思われていました。
しかし今、そうでない農業が次々に生まれています。
教育も、同じような大きな誤解の上に成り立っているように思えます。
それは、教育で大事なのはいい先生に教わることだという考えです。
確かに、いい先生又はいい大人に出会うことは大切です。
しかし、それは教わることではありません。
そして、本当にいい先生は、簡単に教えたりはしない先生なのです。
日本の伝統文化には、「教わるのではなく盗め」という教え方があります。
教わって身につければ、早く身につくが成長は教えてもらえるところまでで止まってしまうからです。
盗んで身につけたことは、初めは時間がかかっても、いつまでも成長し続けるからです。
子供の教育を考える場合、大事なことは、とりあえず大学合格がゴールだと思わないことです。
また、いい就職がゴールだと思わないことです。
これからの世の中は、これまでの世の中とは違います。
ゴールは、ごく簡単に言えば、その子が自分の個性を生かしてその分野で第一人者となることです。
算数数学に関しては、入試に出てくる問題は一種のクイズと同じなので、解法を教えてもらえればすぐにわかりますが、解法を知らない状態で解こうとすると、その場では非常に時間がかかるという性質があります。
だから、算数や数学の問題は、解法がない状態では、算数数学を日常的に教えている人でなければすぐには答えることはできないと考えておくとよいのです。
しかし、解法があれば、普通の大人が少し考えればすぐに教えることができます。
「憤せざれば啓せず」という言葉があります。
自ら発奮して学ぼうという気持ちのないうちは、教えても素通りしていくだけです。
しかし、そういう子ほど、すぐに聞きたがります。
だから、先生の仕事は、教えることではなくその子にやるぞという気持ちを起こさせることです。
しかし、相手は人間なので、賞や罰でやる気を起こさせることはできません。
それは、人間を動物のレベルに落としてやる気を起こさせることなので、長い目で見ればその子はかえって成長しなくなるからです。
私の子供(小5)はそもそも考えません。算数でも「答えを教えてくれ」と言ってきます。答えを教えないとそこから一歩も進みません。
かほさん、こんにちは。
それは、子供の問題ではありません。
もっと大きな勉強のさせ方の問題なのです。
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