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https://youtu.be/H-UvZRZALQE
私の子供が中3のときの夏休み、高校入試の数学を見てやろうと思い、
近所の進学校だった私立高校の入試問題を解いてみたら、ほぼ0点(笑)。
私は、高校時代、進学校で理系選抜クラスに入れられ、数学もいつも上位だったから驚いた。
こんなに、難しいんだ……^^;。
そこで、夏休みに、子供の数学の勉強を見てやりながら、
問題集の解説を見てもよくわからないという問題だけ、1日に何度か一緒に考えた。
すると、夏休みの終わりには、私自身が、難関校の数学の問題をほとんどすべて解けるようになっていた。(゚○゚)!
子供も、3冊の問題集を繰り返して、全部解けるようになった。それで、数学の勉強法に開眼した。
もし、当時、私が暇だったら、子供に数学を教えてやろうとしたかもしれない。
そうしたら、子供の勉強も、あまり進まなかったに違いない。
学習塾の講義形式の授業なども同じ。人に教わる勉強は、きわめて能率が悪い。
自分で問題を解き、わからないところは解説を見て、それをできるようになるまで繰り返す。
同じやり方を、その後、言葉の森の中3の生徒のお母さんにも教えたら、
やはり同じように、成績が上がり、学区のトップ高に合格した。
そのお母さん曰く。「最初は塾に行かせようと思ったが、家で私がやってよかった」
子供に問題集をやらせ、わからない問題だけ、一緒に解法を見て考える。
答えのある問題だから、普通の人が解法を見て考えればわかるようになっている。
あとは、本人が、その問題をできるようになるまで、繰り返す。
1冊を5回繰り返すころには、すべてできるようになっている。
問題は、できなかった問題だけ繰り返す勉強は苦しいので、普通はやりたがらないことだ。
和田秀樹さんは、灘高生だったころ、数学が苦手だったが、
あるとき、解法を全部そのまま覚えることにしたら、
めきめき数学の成績が伸び、東大医学部に合格し、
今も元気に活躍している。
本多静六氏は、苦学して(現在の)東大に入ったが、1年目の数学で赤点を取り、
支援してくれた人や両親におわびをしようと、井戸に身を投げたが、偶然助かり、
一転、考えを切り替え、やりなれていた暗唱法で数学の例題をすべて暗唱すると、すぐに数学が得意になり、
やがて、先生から数学の天才とまで言われるようになり、卒業時には恩賜の銀時計をいただくまでになった。
(恩賜の銀時計は、首席の卒業生に贈られる。)
このような例は、ほかにも多い。
例えば、「数学は暗記科目である」を書いた渡部由輝氏など。
渡部さんの「小学校からの東大入試戦略」は、おすすめの本の1冊だ。
タイトルは、何だが、中身は密度濃く、誠実に書かれている。
ひるがえって、私の高校時代の勉強法を考えてみると、
わからない問題があると、夜の街を1時間以上も歩いて考えることがよくあった。
受験数学は、森毅さんの言う学問の数学と違って、答えのある世界だから、
考えるのではなく、すぐに解法を見て理解するのが正しい勉強法だった。
だから、数学の勉強法は簡単だ。
1冊の問題集を、できない問題が1問もなくなるまで繰り返し解く。解けない問題は、すぐに解法を見て理解する。
簡単に解ける作業的な問題は、やらない。もちろん、作業的な宿題もやらない。
1冊の問題集が完璧にできるようになると、なぜか新しい問題でも、自然に解き方がわかるようになる。
この数学の勉強法の基礎にあるのは、
第一に、文章力というか、思考力で、解法を理解するためにはこれがいちばん大事。
第二に、記憶力。子供時代に暗唱力を鍛えておくとよい。
第三に、反復学習法で、同じ1冊の問題集を繰り返し徹底して解くこと。
第四に、かけた時間。しかし、できなかった問題だけを繰り返し解く方法なら、時間はかなり短くて済む。
いずれも、普通の人なら誰でもできる。
そこで、今、力を入れているのが、基礎学力コースの暗唱と、今後、広げる予定の算数数学クラスだ。
今まで、こういうのをあまりやらなかったのは、作文教育とオンライン教育の方法を考えるのに忙しかったからだ。
何しろ、すべてオリジナルにやっているから時間がかかる。
そこに、プログラミングが関わるからなおさらだ。
ところで、算数は、小4までは簡単で、小5から急に難しくなる。これは算数に限らず全教科共通だ。
そして、子供は、小3までは親の言うとおりに勉強するが、小4からは自分の力でやりたがるようになる。
だから、小4からは、友達と一緒に勉強する方が勉強が進む。
しかし、高校生になったら、ひとりで勉強するのがいちばん。
●動画:
https://youtu.be/snLI3_qQRI4
作文を書く力、文章を読む力のそもそもの土台は、幼児期の話す力、聞く力です。
それは、どうやって身につくかというと、身近なお母さんが子供と話をすることによってです。
昔は、今のように本も豊富にはなかったので、親は自分の知っている昔話の桃太郎などを何度も聞かせていました。それが、読み聞かせの代わりになっていたのです。
この方法は、今でも使えます。
子供に読み聞かせをするというのは、親にとって負担の大きいものです。
特に、子供は、同じ本を何度も読み聞かせしてもらおうとします。
親が読むのに飽きている本を、何度も聞きたがるのです。
そのときの対応法のひとつは、親がアドリブでオリジナな作り話を話してあげることです。
私がよくやったのは、「おもしろい話」です。「あるところに、真っ白な犬がいました。……その犬は、耳も白い、鼻も白い……」という話です。
何度、聞いていると、子供はそのオチがわかるので、途中でいろいろなつっこみを入れてきます。
すると、こちらも、話の展開を変えて、「しかし、尾だけは黒かったのです」などと話を急に変えるのです。
こういう読み聞かせなら、親も子も飽きません。
中学入試や高校入試で、面接や集団討論のあるところが増えてきました。
子供たちの中には、どんなことを聞いても、自分なりに考えて答える子がいます。
一方、すぐに、「わからない」と言ってすませてしまう子もいます。
この差は、かなり大きいと思います。
現在の入試は、結局知識の詰め込みで優劣が決まります。
考える問題であっても、考え方の方法をどれだけ詰め込んでいるかで差が出ます。
しかし、その考えの中身は、パズルのようなもので、それが何かの役に立つということはありません。
ただの頭の体操のような面白さなのです。
だから、いずれ今のような知識詰め込み型入試に対する見直しが起こります。
その見直しのあとにくるものは、面接による口頭試問と作文小論文になると思います。
その方が、本人の実力がはっきりわかるからです。
ただし、口頭試問はある程度時間をかける必要があります。
作文小論文は、1本だけの試験ではなく、複数のテーマで複数の作文の試験をする必要があります。
そうでないと、誤差が出てくるからです。
しかし、今の試験制度では、こうい時間をとることは難しいと思います。
そこで、使えるのが森リンという自動採点ソフトです。
数秒で採点するので、時間の負担ということはありません。
アメリカでは、すでにe-raterという自動採点ソフトが、高校生の作文評価にかなり広範に使われています。
しかし、こういうのを見ると、必ず批評する人が出てきて、この場合も、AIで高得点を取るが無意味な文章を綴る装置を開発した人がいたという話が出ていました。
ところが、これは、文章の自動採点というものを誤解しているのです。
森リンやe-raterが評価しているのは、作文ではなく、作文力です。
もし、無意味な文章を高得点で綴ることができる人がいたら、その人は、その作文の中身とは別に、かなり作文力があるということがわかります。
自動採点が評価しているのは、作文という作品ではなく、その作文を書いた人の作文力なのです。
いずれ、日本でも、こういう自動採点をベースにした評価が出てくると思います。
そのために大事なことは、受験のためのパズルのような知識を詰め込むことではなく、自分の個性を生かし、多様な読書をし、思考力を深めていくことなのです。