●動画:
https://youtu.be/ju8wqQ7Nya4
読書力は、学力の基礎です。
読書時間が短い人は、勉強時間を長くしても成績がなかなか上がりません。
それに対して、読書時間が長い人は、勉強時間を少し長くすると成績がすぐに上がります。
これは、読書力によって、勉強を吸収する力が増しているからです。
しかし、読書なら何でもいいのではありません。
小学1年生のころは、漫画でも絵本でも読書力に結びつきます。
しかし、小学校中学年になると、いくら漫画や絵本をたくさん読んでも読書力はつきません。
小学校中学年のころは、物語文でも読書力はつきます。
しかし、高学年になると、説明文を読まなければ読書力は伸びません。
中学生や高校生になると、同じ説明文であっても、難しい説明文でなければ、読書力は伸びなくなります。
目安になる本は、岩波ジュニア新書、ちくまプリマーブックス、更に、岩波新書、中公新書、講談社現代新書などです。
更に、大学生になると、岩波文庫の青帯、白帯などの古典の本で、歴史の教科書に出てくるような難しい本を読むことによって読書力は伸びるのです。
この「難読が考える力を育てる」ということに、多くの人は気づいていません。
10冊の易しい本を読むよりも、1冊の難しい本をよむ方が考える力がつくのです。
ただし、小学生のころは、親が無理に難しい本を読ませようとすると、かえって全体の読書量が減ってしまいます。
子供の好きな面白くて楽に読める本で読書量を増やしながら、その一方で難しい本も並行して読んでいくといいのです。
そして、子供自身、読書力がついてくると、次第に説明文の難しい本の方が面白いと思うようになります。
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「何にも読まないよりも、漫画でも読んでいた方がよい」という考えがありますが、易しい本を読み続けると、逆に読解力は低下します。
「毎日やるのは難しいから、せめて週に2、3回でも問題集読書をやってくれればいい」という考えがありますが、それでは、読解力は現状を維持する程度です。10分でいいので、毎日読むのが原則です。
「読み聞かせをすると自分で読まなくなるから、なるべく自分で読ませるようにする」という考えがありますが、読み聞かせは自分で読むための読書力の基盤です。小学生になっても、読み聞かせは続ける方がいいのです。
「子供に名作を読ませる」という考えがありますが、子供の読む力が育っていなうちに名作を読ませると、読んだという形だけで、中身は何も残りません。有名な本ではなく、子供が楽しく読める本が第一です。
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https://youtu.be/jAixgriTBRE
先日から、授業の修了時に、子供たちに何かひとことを言ってもらうことにしました。
「このあと、何をするか」でもいいし、「今日、学校であったこと」でもいいし、「将来の夢」でもいいし、「自分の趣味」でもいいし、要するに何でもいいからひとことを言うということです。
すると、担当している子供たちは、全員何かひとこと、それなりに面白いことを言うようになりました。歌を歌ってくれる子もいました(笑)。時間は、全体で5分もかかりません。
子供たちは、自分が主体的に参加できる場が好きです。しかも、その中で他の生徒との交流も生まれればなお楽しくなります。
読書紹介の場合も、時間があるときは、紹介のあとの質問感想を言ってもらうと、それぞれいいことを言います。そして、参加している生徒どうしが知的な交流を通して親しくなります。ただし、これは学年が同じぐらいで、質問や感想を言いやすいクラスの場合です。
今の学校や塾では、生徒が自ら発言する機会はほとんどありません。
先生が一方的に喋り、生徒はたまに答えさせられるだけです。
未来の学校は、言葉の森のように少人数のクラスで、全員に発言する機会があるものになっていきます。
勉強の中心は家庭学習、授業は生徒が発表と交流をする場、講師は教えるのではなく生徒の進捗状況と理解度をチェックし、必要に応じて保護者との連絡をとる、というスタイルの学習がこれからの新しい教育の形になります。
小、中学生、高校生の子供たちの成長に影響があるのは、親や先生ももちろんそうですが、それ以上に同じ世代の子供たちです。
言葉の森では、今、「講師の部屋」という、講師それぞれの掲示板を作っています。
これは、まだほとんど活用していませんが、将来は、先生と生徒の連絡の場だけでなく、生徒どうしの交流の場にしていく予定です。
すると、そこで、卒業した生徒も時どき立ち寄り、先生に現状報告をしたり、後輩にアドバイスをしたりするようになります。
ちょうど、通学教室に、卒業生がたまに遊びに来るような感じです。
夏のサマーキャンプも、将来は、卒業した生徒も含めた同窓会のようなものにしていく予定です。
子供たちは、同世代の子供たちとの交流の中で成長します。
そのためには、その交流の場としてのオンラインクラスで、全員の発言の機会があることと、勉強の中身が創造的であることが重要です。
創造的な勉強という要素が特に強いのは、作文クラスと創造発表クラスですが、そのほかの国語読解、算数数学、英語などのクラスも、工夫によっては、創造と発表の学習になります。
例えば、国語読解クラスでひとつの問題文の内容についてディカッションをするとか、算数数学クラスでオリジナルに作った問題を発表するとか、英語クラスで英語のスピーチをするとかいうようなことです。
そういう創造的な勉強を行うためには、その土台としての学力も十分についていなければなりません。
学力は勉強の最終目的ではなく、より創造的な学力を作るための土台です。
それは、子供たちの勉強のゴールが、大学入試に合格することではなく、その先の実社会で自分らしい仕事をすることだからです。
こういう子供たち一人ひとりの個性を生かし創造性を育てる教育を行っていきたいと思います。
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子供たちの多くは、学校や塾の勉強に退屈しています。
それは、生徒が主体的に参加する勉強になっていないからです。
先生の話を聞いて、テストを受けるだけの勉強なら、家庭学習で十分間に合います。
ただ、家庭学習だけでは不安だから、みんな、とりあえず学校や塾に行っているのです。
本当は、教育の仕組みを根本的に変える必要があるのです。
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https://youtu.be/UYf1mnEd2k4
プログラミング学習の特徴は、創意工夫の余地があることです。
しかし、創意工夫だけが前面に出ると、自分の技術を高める過程よりも、創意工夫の結果に目が行くようになります。
すると、授業は、学習の時間ではなく、趣味の時間のようになります。
やりたいことのイメージがはっきりしているのはいいことですが、その途中の過程がとりあえずコピペで間に合わせるということになると、作品ができても応用力が育ちません。
プログラミングの学習は、退屈なようであっても、最初はテキストどおりに進んでいくのがいいのです。
ところで、プログラミング学習が、将来どう生きてくるかということですが、プログラミングを習ってそれが仕事として成り立つということはまずありません。また、そういうことは目指さない方がいいと思います。
しかし、自分が仕事をするときに、それが新しいオリジナルな仕事であればあるほど、プログラミングの知識を生かして工夫ができるということは出てくると思います。
私(森川林)も、言葉の森の仕事を立ち上げるときに、プログラミングの知識はかなり役立ちました。
しかし、プログラミングが役に立つということよりも、もっと大事なのは、プログラミングに取り組むことによって、新しいことに好奇心を持つ精神が育つということです。
この好奇心は普遍的なもので、ある分野で知的好奇心を持つ人は、他の分野でも同じような知的好奇心を持つこようになります。
世の中には、古いままの方が好きな人もいて、そういう人と新しもの好きの人が組み合わさって、社会はうまく運営されていると思いますが、どちらが大事かというと、やはり新しいものをすぐ吸収しようとする精神を持つ人の方です。
プログラミングの知識の体系はそれなりに大きなものなので、全体像を知るには、ある程度の時間がかかります。すると、社会人になってから、必要に応じてプログラミングの学習をするということはまずできません。
ある程度の時間のある、小、中学生、又は、高校生のときに、プログラミングの全体像を知るところまで進んでおく必要があるのです。
今のプログラミング教育は、導入部分がビジュアルプログラミングで、それを卒業してコードプログラミングに進むという流れになっていますが、一方でノーコードプログラミングという分野も生まれています。
将来、コードを書いてプログラムを作るというのは、ごく一部の専門的な人だけの仕事になり、ほとんどの人は、ビジュアルにいろいろなパーツを組み合わせて目的を達成するという方向に進むと思います。
先日、プログラミングの仕事を専門にしている人が、「コードを書いたら負けだ」というようなことを言っていました。自分でコードを書くのではなく、クラウドサービスなどで使えるものをうまく組み合わせる方が能率のよい仕事をするためには大事だというのです。
この考えでいくと、今やっているプログラミング学習は、そのうち、「おじいさんが昔の歌を知っている」という程度の過去の遺物になる可能性が高いと思います。しかし、そのときに、新しいものに取り組もうとした知的好奇心の姿勢は、新しい時代になっても、形を変えて生きてきます。
だから、小、中学生のうちに、プログラミング学習をある段階まで進めておくことが大事なのです。そして、ひとつの分野に満足せず、次々と新しい分野に取り組んでいくのです。
小、中学生、高校生は、教科の勉強も忙しいはずですが、教科の勉強だけにとらわれず、幅広く新しい時代の知識に取り組むようにしてください。
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プログラミング学習のような新しい学習は、「面白そうだからやってみたい」という人と、「知らないから、やりたくない」という人の二通りに分かれます。
「面白そうだからやってみたい」という人は、どの分野についても、同じ好奇心で取り組もうとします。だから、成長するのも早いのです。
小、中学生は、何でも新しいものに取り組んでみようという姿勢で臨むことです。
それが、知的好奇心のあrふ人生を生きるということなのです
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https://youtu.be/A2vf12MYF6k
日本経済新聞に、次のような記事が乗っていました。
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「作文が書けない 中学生、添削指導なく」
「学校の課題で国語の作文を書いたので見てください」。中3のA子が自信なさそうな顔でやって来た。読んでみると支離滅裂で言いたいことが分からない。
後日返却された作文を見たが、評価だけで添削はされていなかった。同じ学校の生徒で「作文の書き方が分からない」と言う者はほかにもおり、彼らの返却された作文も誤字脱字の指摘がある程度だった。
20年ほど塾講師をしているが、国語力の低下は深刻だと感じる。ここ数年...
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このように書いた塾講師の方も、作文指導については、学校の先生と似たりよったりだと思います。
その理由は、よい添削指導があれば、子供たちの作文力は上達するという前提があるからです。
実は、その前提が間違っているのです。
作文力のない子に、いくらていねいな添削指導をしても上達することはありません。
それよりも、その添削が嫌になって、指導を受けることをやめるようになります。
添削で子供たちの作文を上達させることはできません。
これが、多くの先生や保護者が共通して陥っている間違いです。
作文力がないのは、文章の正しい書き方がわからないからではなく、読む力が不足しているからなのです。
文章を読み取る力は、言い換えれば思考力です。
文章を読み取る力がない子は、思考力がないから、思考力を必要とする文章が書けないのです。
だから、そういう子でも、思考力を必要としない文章や、思考力を必要としないお喋りは普通にできます。
では、どうしたらいいかというと、その方法はただひとつ、難しい文章を読む力をつけることです。
その方法が問題集読書です。国語の問題集の問題文だけを毎日音読するのです。
問題集読書で大事なのは、毎日欠かさずということです。
国語力は筋力のようなもので、週に2、3回読むだけでは、維持するのがやっとです。読む力をつけることはできません。週に1、2回では、かえって読む力が低下するぐらいです。
毎日読み続けることによって、読む力はついてきます。その読む力の上に、読解問題を解くコツがあります。
問題の解き方を知るだけで国語力が伸びるということはありません。基盤になるのは、あくまでも読む力をつけておくことなのです。
では、毎日問題集読書で難しい文章を読み続けて、どのくらいで読む力がついてくるかというと、それは大体6か月です。
解き方のコツは、1日で上昇することがあります。しかし、読む力は、それよりもはるかに長い時間がかかるのです。
なぜ、そのように時間がかかるかというと、子供たちがそれまでの人生で費やしてきた読書量には驚くほど大きな差があるからです。
ある子は、暇さえあれば本を読んでいます。2、3日で1冊読み終えることが普通のようにあります。
しかし、ほかのある子は、本をほとんど読みません。1か月に1冊読むかどうかというところです。
しかし、この読書量が全く異なる二人が、学校の成績ではそれほど大きな差がないことが多いのです。なぜなら、学校の成績のほとんどは知識によるものなので、ある程度勉強をすれば誰でもできるようになるからです。
作文力や読書力は、知識の勉強ではなく、スポーツや音楽の練習と同じようにしてつくものです。
練習の量を積み重ねることだけが上達する道で、要領のいい近道のようなものはないのです。
以上、ちょっと厳しい言い方になるかもしれませんが、国語力、作文力をつける方法は単純です。難しい文章を毎日読み続けることだけです。
言葉の森が国語読解クラスを始めたのは、この問題集読書を少しでも続けやすくするためです。
だから、国語読解クラスで国語力を上げるためには、この毎日の問題集読書が第一の条件になるのです。
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作文については、大きな誤解があります。
それは、作文は直せば上達すると考える人が多いことです。
作文は、直して上手になるものではありません。
最初から上手に書くから上手なのです。
では、最初から上手に書くためにはどうしたらよいかというと、それは読む力をつけることなのです。
読解にも誤解があります。
解き方の解説を読めば読解力がつくと考える人が多いことです。
解き方のコツで成績が上がるのは、読む力がある人だけです。
だから、まず読む力をつけることが大事です。
その方法は、問題集読書を毎日続けることなのです。
読書は大好きで大好きでたくさん読みました。
でも、作文はとても苦手です。書いてるうちに何が書きたいのか分からなくなってしまいます。何に要点を置けばいいか、悪い文章、良い文章の比較をしながら教えるのが良いのではないかと思います。
ゆきちさん、コメントありがとう。
作文が苦手だと思う理由は、自分の書いた作文に低い評価をされたことがあるからです。
そういう子供たちはたくさんいます。
いいところを褒めて伸ばせば、みんな得意になります。
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https://youtu.be/HHJqHvbrDKY
子供が小学1年生になると、「もう自分で本を読みなさい」と、読書の自立を求めてしまうお母さんが多いと思います。
すると、子供は、絵本のような本とか、絵だけであらすじがわかり、文章を読む必要のない本を読むようになります。
小学校低学年の学力の基本は、日本語を読みこなす力、読書力です。計算ができるとか、漢字が書けるとか、英語ができるとかいったことは、学力とはほとんど全く関係がありません。
日本語の文章を読む力が、低学年の子の学力のほぼすべてなのです。
だから、小学1、2年生の子の読書の中心は、引き続きお母さんの読み聞かせです。
子供たちが好きな本は、易しい本ではありません。面白い本です。
易しい絵本をつまらなそうに自分で読むよりも、お母さんが読み聞かせをしてくれる知的な本の方がずっと読書の楽しさを感じるようになります。
上の写真は、子供たちに人気のある「わけあって絶滅しました」を、あるひとりの子が紹介している画面です。
小学1年生の子にも、こういう本をお母さんが読み聞かせをしてあげればいいのです。
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学力の本質は、日本語を読む力です。
漢字とか計算とか英語とかいうのは、すべて表面的な知識です。
あとからいくらでも間に合います。
しかし、子供が1年生のころは、子供自身も親もそういうことがよくわからず、表面的な知識の先取りの方に目を奪われてしまいがちです。
子供時代の勉強で最も大事なのは、本を読む楽しさを身につけることなのです。
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