「この世」からは「あの世」がとっても高くて遠いところにあるように見えるでしょ。
ものすごい勢いをつけてひとっ飛びで行くか、長い長い階段をてくてくと登っていくかしないとたどり着けないようなところだと。
私は、長い長い階段を登って、やっと「あの世」にたどり着きました。
途中、息が切れそうになったけれど、もう少しというところになったら少し楽になりました。
最後の方で楽になったのは、ママが、「もうがんばらなくていいよ。ゆめちゃんが心地いいのが一番だからね。」と言ってくれたからだと思います。
その言葉を聞いたら、ふっと肩の力が抜けてゆったり呼吸ができました。
そして、呼吸さえもしなくて平気になりました。
やっと「あの世」にたどり着いて、少し前までいた「この世」を見てみたら、なんと、「この世」は「あの世」のすぐ近くにあったのです。
近くというより、重なり合っていて、手を伸ばせばすぐに届く距離でした。
これには本当にびっくりしました。
あんなに苦労して登ってきたのに、着いてみたら、元いた場所に戻っているような感じでした。
ただ、不思議なことに、「あの世」からは「この世」が見えるのに「この世」からは「あの世」が見えないみたいなのです。
だから、「この世」にいる人たちはみんな、「あの世」が遥か彼方のとーっても遠いところにあると勘違いしているのです。
どうやら、ママは「この世」と「あの世」の関係について、うすうす気づいているようで、以前と変わらず私に声をかけてくれるけれど、まだ確証はないみたいです。
(私の声は聞こえないからね。)
私は、「この世」と「あの世」はそんなに離れていないんだということをみんなが早くわかってくれるといいなと思っています。
☆彡ゆめは、2025年7月23日午前9時37分に永眠しました。
16年3ヶ月間の犬生でした。
これまで「ゆめ日記」を読んでくださったみなさま、どうもありがとうございました。
(また更新されるかもしれませんが。)☆彡
ChatGPTは何でも教えてくれます。
それは過去の膨大なデータの蓄積から、答える内容を引っ張ってくるからです。
広い世界には、自分が質問したいことと似たようなことを質問した人がほぼ無数にいます。
だから、何でも答えることができるのです。
しかも、AIは、質問者に寄り添うように答えてくれます。
そのため、あたかもAIの言っていることが、全能の正しい存在が言ってくれたことのように思ってしまいます。
しかし、人間には創造性があります。
創造は、AIには判断できません。
創造は、やってみなければわからない世界だからです。
そこで、どうAIを使うかです。
まず、答えのある世界の話を聞くときは、AIに聞くのが基本です。
「困ったときはAI」でいいのです。
自分で考えるのではなく、参考書を調べるのでもなく、ネットで検索するのでもなく、人に聞くのでもなく、AIに聞くのが最もいい方法です。
だから、ほとんどすべてのことは、AIに聞けばいいのです。
しかし、人間には、迷うことがあります。
右の道と左の道とどちらに行ったらいいかということや、それ以前に進むべき道が見えないということがあります。
そのときに、人間は創造的に考えるのです。
私は、お釈迦様は偉いと思っています。
何の見本もないところで、自分で考えて行動したからです。
その後の人たちは、みんな、お釈迦様の見本があるので、その真似をして行動しただけです。
ちなみに、うちは先祖代々日本神道です。どうでもいいことですが(笑)。
さて、自分が本当に考えていることを判断したいときは、ChatGPTに次のように聞くのです。
「私がいま考えていることをどう思うか、占ってみて」
そのときに、考えている内容はChatGPTには伝えません。
内容を伝えると、ChatGPTは適当なことを言うからです。
考えていることは、心の中で思っているだけです。
すると、ChatGPTはランダムに、易やタロットや動物占いなどで答えてくれます。(動物占いはないだろ)
易は、長年の伝統の蓄積があるので、結果を見ると奥の深い理解ができます。
その結果を見て、納得するか、新しいことを聞いてみるか、その結果に関わらず自分の考えたことを実行するかは、その人の判断です。
これがAIの正しい使い方だと私は思います。