10月の森リン大賞が決まりました。
11.4週の「山のたより」に、自分の学年の森リン大賞の清書作品が載っています。
全学年の分は、下記のページで見ることができます。
https://www.mori7.net/oka/moririn_seisyo.php
この清書作品は、テキストデータとして保存されているので、賞に入った作品の表示ばかりでなく、個人個人の清書の記録のような形で表示することもできます。
小学校低学年の生徒の清書をパソコンで入力していただいたお父さんお母さん方、どうもありがとうございました。
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作文に書かれている内容の価値を評価しようとすると、評価は主観的になります。
一つには、内容は出来事の偶然性に左右されるからです。もう一つは、価値は見る人の力量や主観によって左右されるからです。
そこで、言葉の森では、客観的な評価を中心にして指導しています。具体的には、項目指導で、字数や表現や実例や感想を指示して書くという形です。項目指導では作文を書く方向がわかるので、どんな子でもすぐに書き出せるという効果があります。また、本人の努力がそのまま評価されるというのも利点です。
しかし、項目がすべてできたからといって、自動的に価値ある作文が生まれるわけではありません。あらゆる人間的な活動がそうであるように、技術を超えた世界というものが必ずあります。その技術の先にある世界に到達する方法は、意識を向けることです。
よりよいものを書きたいという人間の意識が、内容の価値を作り出します。この意識を育てるものもやはり、よりよいものを評価しようとする人間の意識です。これが心の教育という言葉の意味です。
もちろん、技術の教育の裏づけがなければ、心の教育はひとりよがりのものになってしまうでしょう。しかし、技術の教育だけでは、よりレベルの高い教育には進みません。
これからの指導の重点は、よりよいもの、価値あるもの、面白いものを書こうとする意識を育てていくことです。それは、個性を評価する教育、発表する教育につながっていくと思います。
(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)
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よりよいものを書こうとする気持ちはどうしたら育つのでしょうか?
「作文を書いたら遊んでいいよ。」というと
遊びに行くのに気持ちが逸って、項目や字数をクリアすることだけに意識がいってしまうようです。そのようなやり方でも技術は身につくのでしょうけれど。
いい文章に出会って、その美しさを感じて、何回も暗唱するような経験がよりよいものを志向する気持ちを育てるのかなと親の経験からは思います。そう考えると子供の気持ちが乗らないときは無理強いしないで、文章以外の自然のものや、プラモデルや、絵などでも、美しさを感じる体験をすればそれでいいかなと思ったり、悩むところです。
一つは褒め言葉で、もう一つは継続です。
嫌がっていても無理にでも続けさせて、その一方で褒めるということを繰り返していると、やがて続けることが苦にならなくなってきます。
これは、作文も読書も同じです。
褒めるという方法だけでは不十分で、物事の始まりは必ず無理にでもがんばって続けさせるということが必要になります。
本当は、お父さんとお母さんが役割分担をして、一人ががんばって続けさせる役割、もう一人がひたすら褒める役割と分けられるとやりやすいと思います。
しかし、ほとんどの家庭は、どちらか一方(主に母親)が子供の教育を担当しているでしょうから、厳しくやらせつつ褒めるという両方の仕事をしていく必要があります。
褒めるだけでは、よいものを書こうとする気持ちは生まれません。ある程度無理矢理にでも継続させるということがあって、それで初めて褒めることが生きてくると思います。
なるほど。スポーツなどにも通じますね。やってみます。
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暗唱の自習は、確実に成果があります。覚える力がつくだけでなく、読解力、作文力がつきます。しかも、音読の自習に比べて、暗唱の自習は達成感があります。
今回の暗唱用紙を使った900字の暗唱は誰でも簡単にできる方法です。ポイントは、覚えようとするのではなく、指定の回数だけ早口で音読することです。
しかし、このやりやすい形でも、なかなか自習の時間がとれない人もいると思います。勉強を進めるうえで、いちばんよくないのは、できそうもないことを指導して、結局できないという結果を残すことです。
そこで、暗唱の自習は、オプション方式にすることにしました。暗唱オプションを選択した生徒には、11.4週から12.4週の暗唱の説明とチェックをします。また、1月からの暗唱の自習も指導します。
暗唱オプションを選択しない生徒には、次の週の課題を事前に準備しておくということだけに指導内容をとどめます。そのかわり、事前の準備は徹底してもらいます。
このオプションは、学期の途中で変更することもできます。また、オプションの有無による料金の差などはもちろんありません。
通学コースの生徒は、教室で10分程度のカバーが徹底できるので、受験生以外は全員必修とします。
11.4週に「暗唱の手引」の説明をする予定ですが、あらかじめ暗唱の自習ができないとわかっている場合は、その旨を先生にご連絡ください。
なお、オプション方式は、今後読書指導を日記指導等にも広げていく予定です。
(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)
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音声入力をしていて気がつくことがあります。構成図の段階では一応書く内容があるように見えることでも、心の中で、はっきりと納得できていないことは、やはり書くのに時間がかかります。考える力がないと、作文を書くことはできません。書くという力だけが独立してあるのではなく、考える力を表現するものとして書く力があるという仕組みになっているのです。
それでは、考える力とは、何なのでしょうか。
第一は、考える方法です。これは文章を書いたり図を書いたりすることによって、自分の考えを外化していくことです。構成図で考えるというのも、この考える方法の一つです。
第二は、考える内容です。内容とは知識のことですが、単に知っているとか理解できているという知識ではなく、自分の手足のように自由に使える知識です。
第三は、創造力です。作文小論文の入試では、受験する生徒の学年には難しすぎるような課題がよく出されます。しかし、実力のある子は、わからないながらも何とか書き上げてきます。
手持ちの知識が不足していても、その限られた材料と自分の想像力だけを頼りにまとめ上げる力というのは、子供のころの創造的な遊びによって築かれる能力です。
例えば、ただの木の切れ端を集めて自動車を作ったりお城作ったりして遊んだ子供は、お仕着せの組み立て玩具で遊んだ子よりも、創造性が発達するでしょう。スポーツでも、ルールのはっきりした競技よりも、○○ごっこのような自由度の高い遊びの方が創造性は発達します。可塑性のある遊びをどれだけしたかということが、その子の創造性の度合いを決めます。
作文というのは、考える楽しさを創造的に味わうような勉強です。それは、与えられた答えを見つける勉強とは違って、創造力を発達させるような勉強になる可能性を持っています。
しかし、どの作文もそうかといえばそうではありません。ただ朝起きて夜寝るまでの作文を書いても、創造力はあまり必要とはされません。
未知のものを埋める努力を要するような作文で、その努力が楽しくできるような作文が、創造力を育てる作文になるのです。
(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)
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言葉の森の通学教室では、しばらく前から付箋読書で本を読んで四行詩の感想書く練習をしていました。そして、せっかく書いた感想が蓄積されるように、読書ノートを各自に用意してもらうことにしました。
そのノートを読書ノートだけで終わらせるのではなく、今後、読書日記に発展させて行こうと考えています。やり方は、毎日、読んだ本の感想を四行詩で書いていくという形です。本の感想以外に日記のようなものでもよいとします。目的は、毎日文章を書いて書きなれることと、毎日ものを考えて考えなれることです
また、図書の貸出とは別に、入試問題集を40ページほどの小冊子にして問題集読書の貸出も始めようと考えています。問題集の問題文は、実力のある子には、かなり面白く読めるエッセイ集のようなものになるからです。
暗唱の自習だけだと、わずか10分で終わってしまうので、かえって勉強が中途半端になる面があります。暗唱のほかに、読書や日記と組み合わせて、20分から30分の時間が確保できれば、かえってやりやすい勉強になるのではないかと思っています。
しかし同時に、現代の子供たちは、このような形でいろいろな宿題を重ねているのだろうということも考えました。学校からは、各教科ごとに宿題が出され、塾からもまたいろいろな先生から宿題が出されます。これらの宿題をまともにやっていたのでは、時間が足りなくなるということもあります。
そこで、家庭の努力として大事なことは、大量の様々な宿題に抗して読書と対話の時間をしっかり確保することです。
言葉の森の暗唱と家庭での読書と対話が家庭学習の中心になっていれば、それだけで学力は十分に確保できると思います。
(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)
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