勉強は何のためにするのかといえば、新しい何かを創造する力を育てるためです。その土台として、いろいろな知識や技能を身につける必要があります。決して、知識や技能を身につけること自体が目的なのではありません。
解く勉強法は、解くこと自体を目的としている面があります。だから、時間がかかるわりに実力がつかないのです。
解き方を身につけることは勉強の手段なのですから、問題と答えを一緒にどんどん読んでいけばいいのです。それなら、解説の詳しい問題集があれば誰でも簡単にできます。
考えることが楽しいというのは、答えのない勉強のときにすることであって、答えのある勉強は、答えを見て理解できればそれでいいのです。
====今日のfacebookの記事より。
昨日、小6の生徒が、作文の勉強のあと、
「帰るまで時間があるから、学校の宿題やっていいですか」
「はい、どうぞ」
でも、見ると、算数の図形の問題で頭を悩ませています。
「答えを見ればいいじゃない」
と言うと、
「答えはないんです」
あ、そう(笑)。
図形の問題は、クイズのような面があり、ちょっとしたヒントがあればすぐわかる反面、わからないときはいくら時間をかけてもわかりません。
趣味でクイズを解くのならいいのですが、宿題で答えのついていない図形の問題を解くというのは、時間の無駄以外の何ものでもありません。
こういう勉強のさせ方が、勉強(算数)嫌いの子を作っているのだろうなあと思いました。
先日も書いたように、いい勉強法とは問題と答えを読む勉強法です。よくない勉強法とは問題を解く勉強法です。
学校でそういう勉強をしているのなら、学校とは別に家庭で読む勉強をする必要があると思いました。
その問題も、ヒントがひとことあればすぐわかる問題でした。
しかし、私も、しばらく、いくら考えてもわかりませんでした(笑)。
ちなみに、その問題はこんなの。
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港南台教室で3月4週に、作文の発表会を行いました。
そのときの動画を、自分の分だけ見られるようにしています。(月曜日から順にアップロードしていくので、まだ入っていない人もいます。)
前回の発表会は9月に行いましたが、この半年のうちに、みんな発表の仕方がとても上手になりました。
以下は、そのときの挨拶。
今度は、作文を読むだけの発表会ではなく、バックに生徒が自分で選んだ音楽や画像を流してもらい、もっと芸術的な発表会にしていきたいと思っています。
http://youtu.be/UgoHFFBo5Ao
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====今日のfacebook記事より。
本当は、すべてある。
時間も、お金も、知識も、才能も。
ないと思って手に入れようとするからないのであって、あると思えばある。
ただ、よそに預けているだけ。
毎朝、エサを待つスズメやハトや子犬を見ていると、たぶんそういう人生観で生きている。
ないものの数を数えるよりも、あるものを大事にしよう。
そうすれば、毎日が天国。
今日もさわやかな朝。
薄曇りですが、過ごしやすい一日になりそうです。
今日もいい一日をお過ごしください。
====ここまで。
作文というものは、文章の中身だけでなくさまざまな要素が組み合わさっています。
構成、題材、表現、主題のほかに、漢字を使うとか、字をていねいに書くとか、時間をかけすぎないとか、いろいろな要素があります。
だから、子供たちの作文を見ると、必ずどこか注意したくなることが出てきます。
そこで、つい注意してしまうから、多くの子が作文嫌いになるのです。
作文というものは、いろいろな能力の結果です。
結果の上であれこれ直そうとするのではなく、もとになる能力を育てていくことが大事です。
その中心になるものが、読書と対話と、書き慣れることです。
書き慣れるためには、子供たちの書いたもののまずいいところを認めてあげることです。
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====今日のfacebook記事より。
雨の中のスズメたちを見ていると、こんな小さな体で、たぶん何百万年か何千万年か生き続けてきたのだから、スズメたちの中に大自然の英知のようなものがあるのだと思います。
そして、人間にももともとそういうものがあるのでしょう。
だから、未来の勉強とは、自分にないものを身につけるよりも、既に持っている英知を生かすということになるのではないかと思います。
現在の社会では、教育とは知識を身につけること、経済とはお金を手に入れることのように思われています。(というか、実際そうですが)
しかし、知識もお金も、本当はそんなに苦労して手に入れるものではなかったのだということがわかる時代がやがて来ると思います。
と、浮き世離れしたことを言ったところで(笑)、今日も雨。
せっかく咲いた桜の花も、ちょっと寒そうです。
しかし、雨のあとには晴れが来る、とあたりまえのことを思い出して、今日も元気にいい一日をお過ごしください。
(中根)
話はまた戻って。
今の子供たちの勉強を見ていると、知識を増やすことに力点が置かれているように思います。
本当は、既に持っている知識を生かして、考えたり工夫したりすることが勉強の中心になれば、勉強はもっと楽しくなるのです。
先日、言葉の森で子供たちの作文発表会をしたときに、その感を強くしました。
ペーパーテストだと、知識の差によって点数の差がつくので、点数だけが価値あるもののように思われてきます。
しかし、作文発表会で感じるのは、それぞれの子供たちの味のある個性です。
低学年の子は低学年なりの言葉で、高学年の子は高学年なりの言葉で、それぞれ自分らしい作文を発表します。
子供たちに差をつけないと不安に思うのは、むしろ教える大人たちなのではないかとふと思ったのです。
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====今日のfacebook記事より====
自然界は、強い者が弱い者を助け合って成り立っているから、こんなにも豊かになったのでしょう。
時に、帰化植物が地表を覆い尽くすようなことがあったとしても、長い目で見れば、そこからまた新たな多様性が生まれてきます。
そして、それぞれがその居場所でうまく棲み分けをして、調和の世界を形作っていくのです。
人間の世界もまた、本当はそういうものなのだと思います。
今日から4月。
さわやかな風と明るい空で新しい月が始まりました。
今日も、いい一日をお過ごしください。
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