学校の勉強は、小学1年生から始まりますが、入学する時点で既に大きな学力差があります。それは、勉強の差ではなく、家庭における日本語環境の差です。
ですから、小学1年生で既にある差は、学校での勉強をいくらがんばっても、ますます広がっていく傾向にあります。例えば、家で毎日本を読み親子で楽しく対話をしている環境の子と、家ではテレビとゲームばかりで親子の対話がほとんどない環境の子とでは当然大きな差がつきます。この差は、学校や塾の勉強をいくらしても埋められないものです。
そこで幼児期から、プリント学習ではない形で学力の土台を作るために、親子で作文を書くという幼児コースを始めました。
子供は、親のしていることを真似したがります。親が楽しく作文を書いたり読書をしたりしていれば、子供もそれを見て、必ず自分もそういうことができるようになりたいと思います。
そして、親の書いた作文を見れば、そこに使われている漢字の読み方を自然に覚え(そのためには、ルビをふって漢字を書いておく必要がありますが)、原稿用紙の使い方も自然に覚えます。
学力というのは、算数の問題が解けたり、漢字が書けたり、英語が読めたりすることではありません。そういう能力は、勉強力で、その勉強をすれば誰でもできるようになります。
学力とは、日本語で考える力です。それは、勉強として身に付けるものではなく、生活の中で文化として身につけていくものです。その文化を身につけるのに最適な時期が幼児期です。
これが幼児作文コースの取り組みの意義です。将来は、親子による暗唱などの企画も取り入れていきたいと思っています。
保護者の方から、次のような相談がありました。
「作文は、おかげさまですっかり上手になったので、今度は別の習い事をして、それが一段落したらまた作文に戻りたいと思います」
あれもこれも、バランスよくやるというのはよいことですが、そのバランスの前提として、幹となるものがなければなりません。
音楽も、スポーツも、国語も、算数も、英語も、全部人並み以上にできればそれに越したことはありませんが、平凡なことわざにもあるように、「二兎を追う者は一兎をも得ず」です。では、どの一兎(いっと)を中心にするかというときに、基準になるのは保護者の哲学です。
人間は何のために生きているのかといえば、人に好かれていい子になって褒められて幸せな生活を送るためではありません。自分なりに世の中に新しいものを創造し、それによって社会に貢献し、そのために自分自身を向上させ、それらが結果的に自分の幸福に結びつくというのが目指すべき人生だと思います。
どの分野でも、何かを創造するときに、幹となるものは学問です。学問というのは、受験のための勉強という狭いものではありません。そして、学問のもとになるものは日本語です。
だから、子供の教育で最も大事にすることは、家庭における言葉の文化を豊かに育てていくことです。子供の教育では、日本語(国語)の力を育てることが幹です。そのために、家庭での音読や対話のきっかけを作る言葉の森の勉強は優先して続けていくのがいいのです。