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創造の喜びを教育の中に as/2672.html
森川林 2016/09/16 05:21 


 勉強というと、何かいろいろなことを教えられて、それをしっかり覚えておき、聞かれたら正しく答えられるようになることが目標のように考えられがちですが、本来はそういうものではありません。

 既に答えのわかっていることを、その答え方を身につけるために学ぶことは、教育の準備であって、それが教育の目標なのではありません。

 目標は、それらのいろいろな知識の土台の上に、自分なりの創造、発明や発見や発表をすることで、それこそが人間がもともと持っている喜びに根ざした教育になります。
 勉強ができるようになることは、そういう喜びのための準備であって、本当の喜びはその先の創造にあるのです。

 2020年から小学生のプログラミング教育が必修になりますが、これも、子供たちが自分で創意工夫して自分で何かを作ることを早めの目標にする必要があります。

 プログラミングを覚えること自体が勉強のようになり、その知識を覚えたかどうかで○×をつけられるようになると、ここでもまたできない子をどうするかという不毛な問題が出てきます。

 子供たちの遊びで、その遊びができない子をできるようにするという問題はほとんどありません。できない子も参加できるように、遊びの方を柔軟に工夫できるからです。

 教育だけは、そういう柔軟性がなく、かたくなに正解というゴールの一本道に子供を追い込もうとしているように見えます。
 本当は、正解はたくさんあって、誰でもその正解に行けるように工夫していくことできるのです。
 遠い正解も、近い正解もあり、誰もが自分の興味と関心に応じて、自分なりの正解に行けるようにするのが教育の工夫するところなのです。

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森川林 20160916 1 
 中学生たちの夏休み明けのテストの結果を聞いて、中学の教育が何かおかしいような気がしました。
 もしかしたら、先生たちは、生徒に点数の差をつけることを目的にしてテストをしているのではないかと思ったのです。


nane 20160916 1 
 勉強ができる子とできない子に分かれるのは、評価そのものが目的になっているからです。
 本当は、誰もが自分の興味と関心と適性に応じて自分なりにできるようになり、それを生活や遊びや創造に生かしていくものなのです。
 教育は、点数の差をつけることを目的にするのではなく、誰もができるようになることを目的にすべきだと思います。


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これからの入試に必要になる作文力――内容以前の誤字、字数、スピードも大事 as/2671.html
森川林 2016/09/15 07:10 


 公立中高一貫校の入試は、作文試験が定番になっていますが、高校入試でも作文試験を課すところが増えています。

 作文試験というものは、採点する側の負担が大きいので、どこの学校でも行われるようになるわけではありません。通常の学力試験で間に合うところは、学力試験だけでこれからもやっていくと思います。
 しかし、学力試験以上の学力を求めるところでは、これからも作文や小論文の試験が増えてくると思います。

 作文の評価というものは意外と難しく、論旨が合っていてなおかつ独創であるものを優れた作文と評価するという理屈は成り立ちますが、それを人間が読んで判断するのはなかなか大変です。

 だから、採点する側の気持ちとしては、誤字があったり、字数が短かったりするものは、内容を読んで評価する以前に、誤字や字数だけで低い評価を下してしまいたくなるのです。

 ところが、この誤字や字数や書くスピートというものは、意外と作文の実力と相関が高いのです。
 特に、字数についてはそういうことが言えます。
 もちろん、簡潔で密度の濃い文章を書く人もいます。長いだけで密度の薄い文章を書く人もいます。だから、字数だけで評価することはもちろんできませんが、一般に文章力のある人は、必要に応じて長く書くことができるのです。

 この字数を長く書く力は、すぐにはつきません。また、短い時間で早く書き上げることも、すぐにはできるようにはなりません。
 長く早く書くという意識的な努力をして、少しずつついてくるものです。

 また、誤字をなくすということも、予想以上に時間がかかります。
 800字の作文で1箇所でも誤字がある場合、その生徒はいつ書いても800字で新しい1箇所の誤字があるという確率があります。
 その誤字は、小学校中高学年で習う漢字を勘違いして覚えているということが多いので、他人から指摘されなければ気がつきません。

 たまたま昨日、思考国算講座で生徒の書いた文章を紹介したときに、そのよくある誤字がありました。内容の優れた文章ですから、よけいに誤字が目立ってしまうのです。

 ひとつは、「かたずける」です。これは、昔は一時この書き方が正しいとされたことがあります。ですから年配の人の中には、こちらの方が正しいと思っている人も多いのですが、現代の表記では「かたづける」が正解になっています。

 同じように、「読解」の読み方を、「どっかい」ではなく「どくかい」と読むように学校で教えられた時期もありました。だから、いまでも「どくかい」と読む人がいます。間違いではありませんが、今は普通は「どっかい」です。

 もうひとつの誤字は、「展開」などの「展」の字の下に左のはらいを書いていることでした。これも勘違いして覚えていると、人から指摘されるまで気が付きません。

 同じようによくあるのは、「友達」などの「達」の中を「幸」と書いてしまうことです。これも、正しい字と外見が似ているので、他の人から指摘されなければ気が付きません。

 こういう誤字が完璧になくなるのは、私の経験で約1年間かかります。というのは、私自身も誤字が多かったからです。
 それをどうやって直したかというと、自分の書いた文章で使った漢字を、易しい漢字も含めて逐一辞書で調べ直したのです。

 誤字がない作文を、必要に応じた長さで、指定された時間内に書き上げるというのは、それなりの努力が必要です。
 しかし、作文を書く練習というものは、ひとりではなかなかできません。
 その第一の理由は、作文を書く勉強というのは、ほかの勉強に比べて負担が大きいからです。
 第二の理由は、他人から評価されなければ自分で自分の作文は評価できないからです。

 作文の内容的な評価は、誤字や字数やスピードとは別のものです。しかし、相関が高いのも事実です。
 だから、作文の評価では、内容以前に誤字や字数で評価されてしまうこともあるのです。

 字が上手かどうかということも、読む人の第一印象には影響します。しかし、文章の内容と字の上手さは相関がないと多くの人が感じているので、よほど読みにくい字でなければマイナスになることはありません。
 それよりも、正しい表記で長く早く書くことが、内容以前の勉強で最も大事なことなのです。

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nane 20160915 1 
 誤字は、一般的な漢字の練習をしても直りません。
 自分の書く文章の中の漢字を、自分なりに勘違いして覚えているということが大半だからです。
 だから、ほとんどの誤字は本人が正しいと思って書いている誤字です。
 自分がそうだったから(笑)よくわかります。


nane 20160915 1 
 ある都立高校の過去の作文試験の問題です。
「生きるということは徐々に生まれることである。(サンテグジュペリ)」
「海のほかは何も見えないときに、陸地がないと考えるのは、けっして優れた探険家ではないない。(ベーコン)」
「自然は曲線を創り、人間は直線を創る(湯川秀樹)」
 これで50分600字で書くのです。
 面白いと言えば面白いですが、途方に暮れると言えば途方に暮れると思います。


touko 20160915 77 
誤字は、内容が良ければよいほど、目立つ…本当ですね。

namura 20160917 10 
やはり作文力は、読書と継続が大切ですね。

sizuku 20161008 51 
かなり現実的な話題です。
中学入試から大学入試・就職試験まで作文を課すところが増えています。
もちろん論理的で内容のあるものを時間内に書くことが求められているのですが、現実には同じくらい大切なのが誤字脱字のない文章であること。
誤字脱字があると内容を見てもらえないという現実があるのですね。

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9月2週の読み聞かせ――ミジンコウキクサ、サンマ、二枚貝の年輪 as/2669.html
森川林 2016/09/14 03:44 


 小学1年生から3年生が対象の読書実験クラブでは、主に説明文の本の読み聞かせをしています。
 説明文ですから、それを実際の生活にあてはめて実験したり観察したりすることができます。

 物語文の世界も、想像をふくらませる楽しみがありますが、説明文は実際に確かめてみるというまた別の楽しさがあります。
 しかも、実際にやってみることですから、お父さんやお母さんとの対話も生まれます。
 また、その実験や観察の結果を発表し合い、みんなで共有することもできます。

 こういう実際の物や人との関わりが、子供たちにとって本当に役立つ学力につながっていくと思います。
 勉強という意識なく、遊びのような感覚で、実は深い勉強ができているというのが読書実験クラブのめざしているものです。

 今後、この講座を広げて、読み聞かせをしてくれる人も多数募集したいと思っています。

https://youtu.be/iF5mMrKGLBs


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森川林 20160914 1 
 読み聞かせは、家庭でお父さんお母さんがよく行っていると思いますが、それをオンラインで共有して行うのが読書実験クラブです。
 読み聞かせの本は、物語文もありますが、どちらかといえば説明文が中心です。
 それは、説明文の本はそのあと実際にいろいろ確かめたり実験してみたりすることができるからです。


森川林 20160914 1 
 勉強は、ひとりでやっていてもあまり面白くありません。
 しかし、何十人もいるクラスでやっていると、今度は個人的なコミュニケーションがとれなくなります。
 6、7人のグループでひとつの話題を共有しながらやっていくところが、能率と交流のバランスのよいところだと思います。


kira 20160914 52 
 読み聞かせのあとに、探してみよう、観察しよう、食べてみようがあると、親子の対話がふくらみますね。

touko 20160915 77 
おもしろいですね。ミジンコ浮草知りませんでした。

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作文と国語の指導なら言葉の森――作文教室30年の実績 as/2668.html
森川林 2016/09/13 16:46 


 言葉の森が作文と国語の指導を始めたころ、そういうことを教えているところはどこにもありませんでした。
 こちらの知らないところでそういう教室があったのかもしれませんが、少なくとも、ネットで検索するかぎりでは、作文教室とか作文講座とかいう言葉自体が、言葉の森以外はどこにもありませんでした。

 だから、言葉の森の作文と国語の指導は、すべてオリジナルで始めたのです。
 その作文と国語の指導法を言葉の森のをホームページなどに公開していたので、その後、それを見て、作文や国語の指導を始めたところも多かったようです。
 実際に、名前を出せば誰でも知っているような大手の学習塾や大手の通信教育の人が、言葉の森の作文指導をわざわざ聞きにきたぐらいです。

 それまでの学習塾は、一応全教科教えるが、成績を上げることができるのは、算数数学とか、理科、社会、英語などの教科で、国語は名前こそあるがそこで成績を上げることは期待されていないという状況でした。
 これは私が思ったことではなく、学習塾を経営している何人もの人が言っていたことです。

 今でも、国語の授業は、それを聞いたからといって国語の力がつくわけではないと多くの人が思っているようです。
 その端的な例は、高校の国語の授業です。
 大学入試に向けての国語の力をつけるために、高校の国語の授業を真面目に聞くという高校生はたぶんいないと思います。
 国語の授業は、入試に対応するものではなく、もっと別の勉強なのです。だから、意味があるとも言えるのですが。

 国語の指導がそのような感じですから、作文の指導法などはどこにもありませんでした。
 日本には、生活綴り方運動などに見られるように、先人たちの優れた作文教育の伝統がありました、それは国語の勉強というよりも、作文を書くことを通して人間の生き方を深めるというような文学的な運動でした。

 だから、生活綴方運動の中で優れた作文を書く子供たちは生まれましたが、作文が上手に書けない子供たちをどう指導するかということはあまり考えられず、また、生活作文から意見文に移行する流れなども十分に研究されていませんでした。

 それを言葉の森が一歩ずつ、小論文を書くことに結びつく低学年からの作文指導という形で開発し、その作文指導に対応する読解力をつける指導という仕組みを作っていったのです。

 ですから、今は、作文が苦手な子でも、得意な子でも、どういう子が来ても対応することができます。
 また、受検の作文の課題についても、小学校の編入試験から、中学、高校、大学入試までどんな課題を聞かれても対応できます。

 また、国語の勉強についても、ほかのところでは国語力をつける方法などを教えるところはないと思いますが、言葉の森では家庭でどういう取り組みをするかということまで教えられます。
 ただし、国語力のない子の場合は、それまでの家庭の国語的生活に問題があったことが多いので、家庭学習を続けるには保護者の忍耐力も必要になります。

 このように、作文と国語の指導については、言葉の森はたぶんいちばん豊富な実績を持っています。
 ですから、作文や国語の勉強をする教室を探している方は、ほかの教室の体験学習と並行してもかまいませんので、まず言葉の森の体験学習を受けてみることをおすすめします。

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雨ニモマケズ――日本にある豊かな古典の文化資産 as/2667.html
森川林 2016/09/13 06:46 


 今日は、朝から静かな雨です。
 つい先日までの夏の延長のような暑さとはうってかわって、急に秋が深まったようです。

 ――そういえば、セミの声も聞かなくなったなあ。
 そんなことを思いながら雨雲の空を見上げていると、ふと昨日暗唱検定を受けた小学2年生の子の言葉が浮かんできました。

「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル……」

 ――なるほど。そういう人ばかりになったら、社会はもっと穏やかで住みよいものになるだろうなあ。
 ――そして、そこにお祭り好きな人が加われば、穏やかでしかも楽しい社会になるだろうなあ。
 そんなことをふと思ったのです。

 ――雨ニモマケズ 風ニモマケズ……。
 日本語は、昔から言霊と言われるように、ただ意味を表すだけでなく、人の心を動かします。
 それは、日本語の側ではなく、日本語を受け取る日本人の側に言葉によって心を動かされる要素があるからのようです。(「日本語人の脳」より)

 小学校低学年のころから、こういう日本の文化を反映した詩や文章を音読し暗唱している子は、自然にそういう日本の感性が身についていくと思います。
 そして、日本語は感性を豊かに表すだけでなく、論理の言葉も十分に表を力を持っています。
 だから、世界中の書物が日本語に翻訳されているのです。

 暗唱という教育方法は、昭和の初期まではかなり広く行われていたようです。
 明治維新を担った若者の多くは下層武士階級でしたが、その人たちの教養のもとになっていたものも古典の暗唱文化でした。

 この日本語の暗唱文化をもう一度復活させたいと思い、暗唱検定の仕組みを作りました。
 そして、日本の古典にいろいろ触れてみると、日本には本当に豊かな文化資産があるのだということに改めて気付きました。
 漢詩、論語、古事記、万葉集、古今集、百人一首、枕草子、源氏物語、平家物語、方丈記、歎異抄、花伝書、徒然草、奥の細道、五輪書、葉隠、和俗童子訓、言志四録……。

 いつか、誰もが自分の好きな古典の一節を暗唱するような、そういう雰囲気の教室を作っていきたいと思っています。

――――
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

――――
「雨ニモマケズ」
宮澤賢治

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よう 20161108 9 
小1の時にお祖父ちゃんのお墓の前で暗唱した「雨ニモマケズ」。その時は
意味も分からず暗唱していたその詩が、今になって「あ、こういうことだったんだ」とわかる瞬間があります。これも暗唱の面白さだと思います。

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