昨年度は、受験作文コースの生徒の特別講評を1人1編までということでやっていました。これは、普段担当の先生が講評しているのとは別の視点で講評するもので、かなり効果があったと思います。
今年度は、オンエアでやった方が質問などもその場で答えられるのでいいと思い、毎週土曜日の10:30からオンエアで企画することにしましたが、今のところ、特別講評を依頼した方は1人しかいません。
せっかくの機会があるのに、もったいないと思いますので、受験作文コースの生徒の保護者の方はできるだけご参加ください。
受験作文コース以外の方は有料ですが、受験作文コースの方は無料で参加できます。
事前に作文をアップロードしておいてくだされば、その作文について特別の講評を行います。
また、作文講評以外に、受験作文への取り組み方などの話もしますので、参考になることが多いと思います。
参加のお申し込みは、言葉の森のホームページの「受験作文父母ゼミ」というところからお願いします。
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受験作文というのは、実力をつけるための作文ではなく、合格するための作文です。
ですから、時間内に、字数いっぱいまで、上手に書くという条件があります。
上手に書くというのは、ある程度テクニックでカバーできることなので、そのやり方を知っているかどうかでかなり差があります。
今週の言葉の森新聞は、そのコツを載せる予定です。
作文の試験というものは、そのときのテーマによって出来不出来が左右されるので、先が読めない不安があります。
しかし、言葉の森のやり方でやると、その不安がほとんどなくなります。それは、自分の実力の最もいいものを出せるという見通しがつくからです。
言葉の森の生徒は、普段あまり得意でない子も、試験のときは字数いっぱいまでしっかり書いたと言ってくる子が多いです。
今日は特別講評ありがとうございました。親の心構えや、作文の工夫、今までまったく気づかなかった点も教えていただきました。作文の丁寧な添削もありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。
Kくんは考える力があるということがよくわかります。
いい表現をたくさん作っておくといいと思います。
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12月に、すばる舎より、「小学校最初の3年間で本当にさせたい勉強」という本が出ます。
これは、小学1年生から3年生までの、読書、勉強、遊びについて書いた本ですが、子育てに関する教育観のようなものから書いているので、幼児にも、その上の学年の小中学生にも役立つ内容になっています。
この本の話の中心は、読書の大切さです。
次は、勉強は家庭で平凡にやるものだという話です。
そして、最後は、子供の成長には何よりも遊びが必要だという話になっています。
出版社の意図は、主に読書の大切さということで書いてほしいということでしたから、これまで考えていた読書についての話と、実際の図書の選定をもとに書きました。
本のテーマと、自分が普段考えていることがぴったりだったので、内容は気合いを入れて書きました。
そのため、やや難しい内容になってしまったところがあります。
ユニークなのは、遊びのところだと思います。
今ふりかえると、自分の子供二人の子育てでもいろいろなことをしましたが、あとになって残っているのは、遊びの思い出が第一で、次が読書の思い出で、勉強の思い出というのはほとんどありません。
勉強的なことは、二人とも言葉の森を小1から高3まで受講したことだけです。小論文の試験があったわけではないので、高3のころはさすがに大変だったようですが(笑)。
今回の本には、作文の話も少しだけ出てきます。
それから、SNSの活用法などの話も書いています。
子供たちをめぐる教育環境はこれから大きく変化してくるので、読書や対話によって新しい情報を早めに取り入れていくことが大切になると思います。
現在、アマゾンで本の予約を受付中です。
http://amzn.asia/7Se4iXm
11月中に予約していただいた方には、小冊子とyoutubeのダウンロードプレゼントを行っています。
予約された方は、ぜひホームページからご連絡ください。
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amazonには、まだ本の写真は載っていませんが、どんな装丁になるのか楽しみです。
楽しみです。
間もなくですね。
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人間は、もともと生まれつきよい方向に進みたくなるという性質を持っています。
だから、子育てに失敗したと思うようなことがあっても心配は要りません。
本人がいつか自分で目覚めて、自分の力でよい方向に軌道修正していくようになります。
そう考えれば、子供の成長は安心して見ていることができます。
どんな子供で、その姿の向こう側に、立派に成長した社会人の姿を見ることができるのです。
しかし、だからといって、不要な回り道をする必要はありません。
子供が苦労しなくてもいいように、ある程度の土台を作ってあげるのは親の役割です。
保護者の方から、ときどき「親の言うことを聞かないんです」という相談を受けることがあります。
小学生は、言うことを聞くのが普通です。そうでないのは、小学校の最初の時期に、そういう習慣がついてしまったからです。
小学校の最初の時期は、小学校時代全体を通しての土台が作られる時期です。
この時期に、読書の習慣、家庭学習の習慣、親子の対話の習慣、主体的な遊びと勉強の習慣がつくと、あとは黙っていても、子供は年齢に応じた理想的な成長をしていきます。
何事も、最初のうちに始めれば、それが当然のように抵抗なく進んでいくのです。
しかし、この時期に、ゲームのし過ぎ、読書はしたりしなかったり、学校の宿題があるときだけの勉強、親子の対話よりもテレビ優先、などの生活を始めてしまうと、あとで軌道修正するのは非常に困難になります。
その困難さは、ほとんど不可能と言ってもいぐらいです。
しかし、だからといって、もう手おくれだというのではありません。
それは、最初に書いたように、人間には自分自身で良い方向に復元する力があるからです。
しかし、もちろん、それまでの遠回りは、本当はしなくてもよかったものかもしれません。
だから、小学校の初めの時期に、読書、勉強、遊びのよい習慣をつけておくことはとても大事なことなのです。
ところで、逆に、この時期に親の言うことを聞かせすぎると、また別の問題が出てきます。
それは、主体性の育たない子になる可能性があるということです。
親から見ると、無駄なことをしているように見えても、子供が自分から進んでやる習慣をつけておかないと、学年が上がってからも親がかりの生活から抜け出せなくなります。
もし子供が素直でよい子で、よく親の言うことを聞き、何かあるとすぐに親に相談するという場合は要注意です。
子供はある程度、親の言うことを聞かずに、自分の考えでやって失敗するぐらいでないと、将来自主性のある人間にならないからです。
そして、こういう子供に応じて判断ができ、子供に応じてやり方を変えるという対応ができるのは、やはり親しかいません。
どんな立派な教育者よりも、親がいちばんよく子供の成長の鍵を握っているのです。
言葉の森のオンエア講座の取り組みは、この親子の対話を家庭の文化としていくことを目指したものです。
親と子が、作文の勉強を中心にして、毎週対話をする習慣が作れれば、そういう家庭で育った子は、自分が親になったときも同じように家庭での対話の文化を作っていきます。
そういう家庭生活が、子供の学力と人間力のいちばん確かな土台になるのです。
子供たちは、社会全体の宝です。
よりよい社会を作ることは、よりよい子供たちの教育をすることから始まります。
それは、教育の専門家の仕事ではなく、この社会に暮らす大人全員の仕事です。
その教育の基本は、子供たちがよりよく成長していくことを妨げないようにすることなのです。
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小学校の最初の時期の子育ての基本を書いた、言葉の森代表中根克明(森川林)の本が12月発売されます。
「小学校最初の3年間で本当にさせたい『勉強』」(すばる舎)です。
読書、勉強、遊びなど、小学生の保護者の方以外にも参考になる独自の教育論が載っています。
この本を11月中にamazonで予約された方に、言葉の森の小冊子PDF、会員限定のyoutube動画のダウンロードをプレゼントします。
予約される方は、予約連絡フォームから、メールアドレスをご連絡ください。→
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例えば、子供が小学1年生のころに、食事のときはテレビは消そうねとか、朝ごはんの前に音読しようねとか、返事をするときは「はい」と言おうね、などと決めておけば、どの子も自然にそうするようになり、それが当然のようになります。
しかし、そういう習慣がない子に、小学5年生ぐらいになってから、同じことを言ってもまず素直に言うことは聞きません。
最初にやれば1の力でできることが、あとからやろうとすると、10も20もかかります。
だから、小学生の最初の時期は大切な時期なのですが、同時に、この時期は何もしなくても、あっと言う間に過ぎていく時期でもあるのです。
子供を見ていると、その子が大きくなって成長した様子が見えます。
どんな子でも、みんな立派な社会人になって世の中に貢献するようになるのです。
大人の役割は、そういう子供の成長を妨げないことです。
そして、その中心になる場が、家庭と地域なのです。
子供たちがのびのび自主性を持ち、人生豊かに生きていけるよう、見守っていきたいですね。
言いすぎてもよくなければ、言わなさすぎてもよくない……、そこのところのバランスが難しいといつも思っています。
でも、「子供は自分で軌道修正する力がある」のであれば、心配しすぎることなく、どんと構えていればいいのですね(なかなかできないのだけれど(笑))。
子供は日本を支える宝であることを親がしっかり自覚して子育てをしていく必要がありますね。
小学校の初めの時期に、読書、勉強、遊びのよい習慣さえつけておけば、後は多少軌道からはずれることがあっても大丈夫そうですね。実際、みんな、紆余曲折はあっても立派な大人になっていますから(笑)。
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日本人は、世界の中でも珍しいほど正直な人が多いと思います。
それは、財布などの落とし物が届けられることが多いということに表れています。
しかし、世界の標準はたぶんそうではありません。
見つからなければ平気で嘘をつくという人は、かなり多いと思います。世界の犯罪の発生件数の統計などを見ると、そういう国ごとの差がよくわかります。
また、ビジネスでも普段の生活でも、賄賂が日常的に行われている国も多いようです。
日本の場合は、江戸時代の昔から、役人が清廉潔白でした。
江戸時代、日本に来たシュリーマンがそのことを詳しく書いています。
さて、こういう倫理感というものは、教育でどうにかなるものなのでしょうか。
もし、これがテストの問題で、
「人のものを盗るのはよいことですか、悪いことですか。正しい方に○をつけなさい。(1)よい、(2)悪い」
などという問題があったとしたら、どの国の人でも正解率は百パーセント近くになると思います。
なぜ、悪いことをする人でもよい方に〇をつけることができるというと、倫理感は、知識の問題としては測定できないからです。
これが、道徳教育を困難にさせている原因です。
道徳というものを従来の教育の延長で行おうとすれば、このような知識の問題として出すしかありません。
そして、すべての人が百点を取れたとしても、その社会が道徳的な社会になるわけではないのです。
すると、そのあとに出てくるものは、罰則を厳しくするという方法です。
これは、外見上は確かに効果があります。
しかし、人間の性格の根本が変わらないかぎり、罰則がないところでは平気で悪いことをするということは残ります。
そして、強力な罰則は、社会全体の共通ルールになるよりも、リーダーシップを持つ個人の恣意的な運用で実施されることが多いので、その個人がいなくなれば、また元に戻る確率が高いのです。
では、江戸時代までの日本の社会は、この道徳や倫理のような文化の教育をどのように行っていたのでしょうか。
教育は、理解してほしいことを知識として教えるのが基本です。
だから、江戸時代のころも、「嘘をつくのは悪いことで、正直なことがよいこと」という知識を教えたのです。
しかし、それを定着させる方法がありました。それは反復によって自然にそれが自分の血肉になるようにさせるという方法です。それが、素読と暗唱だったのです。
倫理観の基礎が素読によって形成されている社会では、読み物やことわざや日常会話の中でも、その倫理観に根ざした言葉が何度も繰り返されます。
それが社会全体の倫理観を更に強固なものにしていったのです。
よいものと悪いものを見分ける能力は、よいものを繰り返し見ることによって育ちます。
教育の基本は、よい言葉、よい行動、よい知識の反復で、その中でも最も身近な方法が素読と暗唱だったのです。
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子供に、「勉強しなさい」「本を読みなさい」「字をていねいに書きなさい」などと繰り返すお母さんは多いと思います。
繰り返し聞く言葉は、その子の人生観を形成します。
だから、もっといい言葉を繰り返していくといいのです。
私の母は、「天知る地知る人が知る」という言葉をよく言っていました。
だから、自然にその言葉が自分のものの見方を形成したような気がします。
これがもし、「嘘も方便」とか「人を見たら泥棒と思え」とか「水に落ちた犬を打て」とかいう言葉ばかりだったら、やはりそういうものの見方をするようになったと思います。そういう国もありそう(笑)
道徳教育という言葉には、やや滑稽な響きがあります。
それは、よいことや正しいことを教えることができるのか、また、教えることで果たして身につくのか、という疑問があるからです。
しかし、だからといって、道徳力が自然に育つという保証はありません。
逆に、自然に任せれば、人間は善悪よりも損得にしたがって行動ようになります。
では、日本人の道徳観はどのようにして育ってきたのでしょうか。
よいものを繰り返しインプットすることで、意識が自然とよいものに向いて、明るく前向きな生き方ができるような気がします。
倫理観は学校で学ぶことでなく家庭で育てるものなのですね。
スペインでのできごとですが・・・8歳の子どもが、他の子のかばんから物を盗みました。盗まれた子が気づいて、返すよう言っても「だって欲しいんだもん」と泣いて返すのを嫌がる。そばにいた親も「返しなさい~買ってあげるから~」といかにも「なんでこんなことうちの子に言うのよ、大したもんじゃないのに」と言わんばかり。
日本だったら、親は泣いて謝り、子は真っ青になって震える・・・というところではないでしょうか。
日本の文化・教育に基づく倫理観は、本当に他に類を見ない素晴らしいものだと思います。
古くから読み継がれている絵本や本にも、こうした文化が背景になっている作品がたくさんありますね。日本人として、こういうものを子供にしっかりと伝えていきたいと、心から思います。
財布の例、本当ですね。
スペインでは、マフラーや手袋、時計なんかもちろん、5分後に気づいて引き返して探しても、ほとんど見つかりません。
仮に落とした財布が見つかるというような幸運があったとしても、現金は当然のように無くなっています(笑)
暗唱がなぜよいのか。暗唱をすることの良さが、実にわかりやすく書かれていて勉強になりました。
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「じゃあ、次の週の感想文の説明をするよ。ちょっとyoutubeを見てみよう」
と言って流したのが、「鯛の釣り」。船で釣りに行った人が、大きな鯛を釣り上げる場面の動画です。
小5の11.3週の感想文課題の長文で、鯛の話があったので、本当に鯛の色が赤いかどうか見たのです。
次のyoutubeは、「ドライアイスとシャボン玉を使った実験」。
実際にいろいろなことを試してみると、本を読んで得た知識だけではわからないことがわかる、という話の例でした。
こういう事前の準備をするのは、感想文の中身を充実させるためです。
小5の感想文の課題のもとになる長文は、中学入試レベルの説明文の文章ですから、簡単に感想文は書けません。事前の準備をしておく必要があります。
このあと、子供たちは、長文と先生の話をもとに、構想図(構成図)を書きます。時間は10分程度です。
構想図に書く内容は、長文を読んだり先生の話を聞いたりしたあと、心に残ったことです。
作文を書くための構成メモのようなものではなく、ただ頭に浮かんだことを散らし書き風に書いていくのです。
この構想図は、そのあとのお父さんやお母さんとの対話のときに役立ちます。
お父さんは、帰りが遅いことが多いと思うので、子供が感想文の似た例を取材したいと思ってもすぐには聞くことができません。夜になったり、あるいは土日の休みの日になったりすることがあります。
すると、構想図のようなメモがないと、話が始めにくいのです。
メモのようなものがないと、漠然とした質問をすることになるので、聞かれた方も答えようがありません。
また、子供の方もただ親に依存するような聞き方になってしまいます。
「こんなことある?」
「そんなことないなあ」
「あ、そう」
などという対話では、事前の準備にはなりません。
子供の構想図の説明をもとに、お父さんとお母さんと、ほかにも家族がいればその人たちも巻き込んで、みんなで思い思いに似た例を話していきます。
こういう親子の対話があると、感想文の準備ができるだけでなく、子供の語彙力が育ちます。
語彙力が育つということは、実例も、表現も、感想も豊かになっていくということです。
また、作文の材料がみんなの協力によってで作られるので、作文を書く意欲も自然にわいてきます。
言葉の森の作文指導の特徴は、事前指導です。作文を書いたあとの赤ペン添削は、事後の評価というよりも、むしろ次の作文の指導のための先生のメモのようなものです。
子供が作文力をつけるのは、事前の準備によってです。
そして、その事前の準備をする場所は家庭です。
子供たちの本当の学力は、家庭での知的な対話の中で育っていきます。
そういう事前指導を充実させるために、これから、オンエア講座「作文と勉強」でいろいろ工夫をしていきたいと思っています。
(参考までに)
真鯛の釣り
https://www.youtube.com/watch?v=chDCCajTLxI
ドライアイスとシャボン玉の実験
https://www.youtube.com/watch?v=GwBWiBboPzM
片栗粉スライムの実験
https://www.youtube.com/watch?v=zVU1aGzSAo4
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作文の勉強は、事前の準備が80パーセント、事後の評価が20パーセントぐらいです。
書くことを家で準備してくる子は、毎回充実した作文を書き、実力もぐんぐんついていきます。
書くことを準備していない子も、書くことによって少しずつ上達はしますが、やはり進歩に時間がかかります。
この事前の準備をしやすくするために、今、言葉の森では授業形式の作文指導をする実験をしています。
それが、オンエア講座「作文と勉強」です。
生徒のお母さんから、「作文がきっかけで、いろいろな話ができるようになり、お父さんが一番喜んでいる」と言われたことがあります。^^
作文は、書くという行為だけでなく、事前の準備に意義があります。
一つのテーマについて家族で話をする機会は、普通ならあまりないと思いますが、毎週作文を書くことによって、そういう習慣が生まれるのはいいことですね。
お世話になっております。事前指導について、このごろは本人が必要ないと言い始めて困っています。課題集のヒントが充実しているので、それで事足りている、事前指導も親の話も不要だとのこと。電話指導をお休みしたとき、振り替え指導を受けずに、一人で作文を書いているときがあります。あるいは、作文をほとんど書いてしまってから電話指導を受けているときもあります。
担当の先生と予定通りお電話ができるときは、やはりずっと見てくださっている先生なので、ためになるお話ができるそうです。が、振り替え指導になると、どうしても課題集ヒント以上の話には発展しにくいため、不要だというのが本人の言い分です。
自力で取り組めることを評価する、また、仕上げた作文のレベルが課題集ヒントをつなげたものに過ぎなくてもそれはそれで一つの過程である、とは思うのですが、親としては、授業料がもったいない…苦笑。
学校生活が多忙で不規則なため、空き時間にさっさと済ませたいという気持ちはわかるのですが、そういう子どもに対して電話指導を効果的なものにする秘策はありますでしょうか。
(昔、非常に優秀な生徒さんの担当をしていて、私の指導は不要なんじゃないか、どうやったらその生徒さんの力になれるのかと悩んだのを思い出しました。我が子は優秀ではありませんが・・・)
お返事遅れてすみませんでした。
これは、子供の勉強の問題というよりも、子供の勉強に対するお母さんの見方の問題だと思います。
私の推測ですが、子供は、お母さんの目を意識しているので、お母さんの望むとおりにやるのが嫌なのです(笑)。勘のいい子は、そういうことがよくあります。
それは、お母さんが、子供に、「もっと……したらいいのに」というより高い水準を要求することが多いからです。
中学生の時期の子供は、外見とは違って内面生活はいろいろな不安を持っています。
だから、周りの人、特に母親は、その子に何かを求めるのではなく、その子が今のままでいいのだと安心させてあげることが大事です。
だから、「先生の話、聞かなくても自分で書けるってすごいね」とか、「いろいろなことがあって忙しいのに、早く仕上げてえらいね」とか、「課題のヒントをつなげて書くなんて、なかなか要領いいね」とか、今やっていることをそのまま認めてあげるといいです。
そして、あとは、この話とは違いますが、もし時間があればまた講師を再開してください(笑)。
これから、いろいろ新しい面白いことをする予定なので。
でも、すぐでなくてももちろんいいですが。
お忙しい中、お返事をありがとうございました。
先生のご指摘の通りだと思います。
講師の立場にあるときは、子どもにのんびり構えられるのですが、我が子となると、要求はどんどん高くなってしまいます。
いけないと思いつつ、やってしまうのが親かな・・・修行が足りません。
子どものほうは、親の期待を嫌がりつつも、本能的にそれにこたえようとするのですね。
最近は、子どもが自分で自分を追い込んでいく姿も見られるので、ひやっとします。反省の日々です。
どんな年齢になっても、子どものありのままを認めることがどれほど大切か、思い知らされます。
それは、教育だけではなく、人間社会のあらゆる面に通じることですね。
思春期の子どもを育てていると、自分に自信がどんどんなくなっていきます。
昔、言葉の森の先生方が、我が子の作文指導をあえてほかの先生にお願いしていました。その気持ちが今はよーくわかります。
時間はあるのですが、気持ちの余裕がない状態です、涙。
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