3月16日10時から約4時間、サーバーの移転作業を行いました。
大量のデータとソフトを移行するため、移転完了後もデータ送信エラーなどが残りました。
主なエラーは、次のものです。
・作文の丘から送った作文が文字化けをしたり、データそのものがあとで消えたりした。
・作文の丘から送った画像が一時表示できない状態になった。
・保護者掲示板から送ったデータが文字化けをした。
・森リンの採点ができなくなった。
・ふりがなのページが使えなくなった。
3月28日現在、大体のエラーは解決しました。
ただし、消えたデータは復活しませんので、作文の丘から送った作文が消えてしまった人は、申し訳ありませんがもう一度お送りください。
また、森リンとふりがなについては、茶筅(ちゃせん)というソフトを別途入れる必要があるため復旧は少し遅れます。
以上、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。もうしばらくお待ちくださるようお願いいたします。
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国語の勉強は、音楽やスポーツと似ています。
理屈がわかったからできるものではなく、そのことに慣れるまでに時間がかかるのです。
例えば、読書がそうです。
易しい本は読めるが、難しい本が読めないという場合、それは難しい本を読むことに慣れていないのです。
慣れてくれば、その面白さがわかるようになります。しかし、慣れなければ面白さはいつまでもわかりません。
記述や作文もそうです。
書き方の理屈が理解できたからといって、すぐにそのように書けるわけではありません。
上手な子の書き方の例を見せて、このように書いてごらんと言っても、もちろん書けるわけではありません。
時間がかかるのです。
だから、勉強法は、毎日気長にやることです。
記述の練習も、ある時期に集中して特訓をするのではなく、毎日問題集の文章を読んで自分なりに50字の感想を書くという練習をするのです。
そのときに、心がけることは、書いたり消したり考えたりせずに、考えたあとに一息で書くようにすることです。
入学試験には、常に時間制限があります。
その時間制限の範囲で書く練習をしていると、そのスピードにも慣れてくるのです。
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「記述力をつけるために」
https://www.mori7.com/index.php?e=2373
記述力をつけるためには、まず難しい文章を読み取る力をつけることです。そのためには、問題集の問題文を読書がわりに読む方法が有効です。それも、一度で終わるのではなく、同じ問題集を5回繰り返し読んでいくようにします。
読む力は書く力の土台ですが、書く力には独自の要素もあります。それがスピードと字数と構成力です。勉強の仕方は、問題集の問題文を読み、自分なりの感想を50字なら50字と字数を決めて書きます。
そのときに大事なことは、書きながら考えたり、途中で消したり読み返したり直したりせずに、最初にしばらく考えたあと字数ぴったりまで一息で書くようにすることです。
作文の字数とスピードは、慣れという面があるので、それぞれ自分なりの癖のようなものがあります。努力して速く書こうとすれば、だんだん速く書けるようになります。長さも、努力によって長く書けるようになります。
書き方のコツは、第一に、文中の言葉をできるだけ使うことです。自分なりに考えたことを書くのは大事ですが、そのままでは幼稚な書き方になることが多いので、それを文中の少し難しい言葉を使って書くようにするのです。
第二に、要求された字数いっぱいまで書くことです。「50字から100字の間でまとめる」というのであれば、書く力のある子は自然に100字いっぱいまで書こうとします。だから、採点する側も、多く書いている子の方に好意的な見方をするのです。
第三に、難しい問題のときも空欄にはしないことです。何を書いていいかわからないときは、設問の文章を一部引用しながら書くぐらいでもいいのです。ただし、これはあくまでも試験のための方便で、これで実力がつくわけではありません。
第四に、物事を対比するような形で書くことです。ただ、「Aである。」と書くのではなく、「Bではなく、Aである。」又は、「確かにBもあるが、しかしAである。」という書き方をすることです。実際にそういう形で書かない場合でも、考え方としては、物事を対比して輪郭をはっきりさせておくことが大事です。
第五に、物事の二面性に着目して書くことです。これも、ただ「Aである。」と書くのではなく、「Bであるとともに、Aである。」「Bである一方、Aでもある。」「Bであると同時に、Aである。」という書き方をするということです。
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国語や作文の勉強を上手に教えられる人が少ないのは、教えてすぐにできるようになることを要求するからです。
親子の作文の勉強がうまく行かないのもそれが原因です。
作文の勉強は、気長にやって、いつも褒めて、慣れるまで待つという姿勢が必要なのです。
作文の勉強を始めたばかりのころは、どの子も、机の上が消しゴムのカスでいっぱいです。
しかし、だんだん書き慣れるにつれて、消す回数が少なくなってきます。
勉強の最初から、できるだけ消さずに書くようにしていくといいのです。
消すのはうっかり書き間違いの1文字だけ、2文字以上は消さないというのが原則です。
毎日コツコツ続けることが大切ですね。
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子育てに正解はありません。
どんなに子育てが上手にできているお父さんやお母さんでも、それなりにいろいろな失敗や試行錯誤をしています。
子供が成長の過程で、初めていろいろなことを経験するように、親も子育ての過程で、初めていろいろなことを経験します。
そのときに大事なことは、便利なマニュアルのような方法はないと思っておくことです。
子供にも、親にも、それぞれ異なる個性があります。
どの子にも共通するようなことも、もちろんありますが、その子だけにしかあてはまらないこともあります。
そこで必要になるのが、親のさまざまな工夫です。
そして、その子のことを本当に考えて工夫するのは、どんなに優れた先生よりも、素人の親の方がまさっているのです。
「学校に通わず12歳までに6人が大学に入ったハーディング家の子育て」という本には、普通の親が普通に試行錯誤をしながら子育てをした経験が書かれています。
舞台はアメリカですが、親の工夫と失敗と成功の過程とそのときの心の動きは、日本の場合でも全く変わりません。
大事なのは、親が自分の責任で工夫していくことです。
ついでに言うと、その工夫を応援する場として行っているのが、言葉の森の思考発表クラブや自主学習クラスの企画です。
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「本を読まない子、言うことを聞かない子、集中力のない子、ゲームばかりしている子など、問題のある子への対応には、工夫が必要」
https://www.mori7.com/index.php?e=2367
子供はいろいろな問題を抱えています。問題のない子などはいません。というよりも、もし問題がないとしたら、それ自体が将来大きな問題となります。問題がないというのは、学校や家庭という人為的な環境に適応しているということですから、社会というより自然に近い環境になると、かえって適応できなくなることがあるのです。
では、これらのさまざまな問題にどう対応するかということですが、多くの場合、問題には一見簡単な解決法があるように見えることがあります。それは、工夫の必要のない解決法です。
どうして工夫の必要のない解決法があるかというと、子供には、強制という方法が可能だからです。
例えば、本を読まない子には、先生に強制的な宿題を出してもらうとか、ゲームばかりしている子には、強制的にゲーム機を捨ててしまうとかいう方法です。
そういうやり方で問題を解決すると、一見問題は現象面としてはなくなったかのように見えます。しかし、その強制がなくなったとき、問題は再び大きく出てくるのです。
問題の解決に、強制以外のものを考えるというのが工夫です。
その工夫に必要な要素には、子供本人の自主性を生かすということがあります。
人間は、必ず自主性を持っています。自主的にやろうとしないから強制するという発想をしてしまうと、子供の自主性はますます育たなくなります。
小さな問題のうちから自主性を生かして問題を解決するように工夫していると、大きな問題が出てきたときも、その自主性を更に生かして解決することができるようになるのです。
と、こんなことを考えたのは、オカメインコをカゴから出して遊ばせたあと、またカゴに戻すのが大変だったからです。(ずいぶん話が飛躍しましたが)
同じペットでも、犬の場合は、人間の意図がわかるので、自主性を生かして飼育することができます。しかし、鳥の場合はそういう自主性にあまり期待できません。
朝、オカメインコと文鳥をカゴから出して1時間ほど遊ばせたあと、カゴに戻そうとすると、文鳥はすぐに戻るのに、オカメインコはなかなか戻ろうとしません。
最初のころは素直に戻ったのですが、慣れてくると、遊びの方が楽しいことがわかってきたので、自然には戻らなくなってきたのです。
しかも、静かに遊んでいるならいいのですが、すぐにパソコンのキーを外したり、人が書いているシャーペンの芯をかじったりするので、そのつど仕事が中断します。
そして、つかまえようとすると、うまく逃げて、天井近くの人の手が届かないところに止まり、「アホー、アホー」と、そりゃカラスだ。そうではなく、高いところでのんきに毛づくろいなどをしているのです。
この解決策には、いろいろな方法が考えられました。。
いちばん簡単なのは、カゴから出さないことです。もうひとつ簡単なのは、飛べないように風切羽をときどき切ることです。あるいは、虫取り網で無理やりつかまえてカゴに戻すという方法もあります。
しかし、いずれの方法も、オカメインコ本人の自主性を生かしたやり方とは言えません。自主性を否定した解決策で対応すると、その後もずっと自主性を否定し続けるやり方しかできなくなるのです。
そこで考えた方法は三つ。
第一は、カゴをもっと大きくして、外で遊ぶのと同じような快適な環境にすることです。しかし、これは手間がかかるので、すぐにはできません。
第二は、カゴの中に入れる餌の量を1日で食べ終わってしまうぐらいに少なめにして、外で遊んでいるうちに空腹を感じて戻りたくなるようにすることです。これは、ある程度うまく行きましたが、急いでいるときは使えません。
第三は、オカメインコ本人が、つかまえられたということがわからないぐらいすばやくうまくつかまえるという、つかまえ方を工夫することです。これは、最初はうまくつかまえられず失敗することもあるかもしれませんが、努力次第で上達するという展望があります。
しかし、ただ何も言わずにつかまえるのでは、インコ本人の自主性を生かしているとは言えません。そこで、つかまえる前には、「さあ、そろそろつかまえるよ」と言って、本人が納得してからすばやくつかまえることにしました。そして、まるでつかまえていないかのような優しいつかまえ方でそのままカゴに戻すと、本人は何ごともなかったようにすぐに餌を食べ始めました。
ということをやっていたときに、ふと、これは子供の育て方でも同じだなあと思ったのです。
強制が可能に思えるようなときにこそ、人間の工夫が求められているのだと思います。
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プランターにもうスミレが咲いていた。
昨日から、急にあちこちに野の花が咲き出した。
そして、今日は春の雨。
自然はうまくできている。
勉強も、生活も、すべての基本は家庭です。
世の中に、いい学校、いい先生、いい参考書というのはもちろんありますが、それらを生かすのが土台となる家庭です。
その家庭は、親の毎日の工夫によって作られているのです。
オカメインコのお話、じつに納得しました。共感しました。
情報を利用することがあっても、情報に利用されないよう、しっかり自分の子育てをしていきたいですね。
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小学校低学年の子供は、親が熱心に関われば、その熱心さに応じて必ず成長します。
「主人の足跡は畑のこやし」というように、親の関わりの度合いに応じて子供は成長していくのです。
しかし、それが行き過ぎるときがあります。
それは、熱心さを出しすぎてしまうときです。
例えば、勉強を教えるときに、親が工夫したり準備したりすることは大事ですが、その工夫や準備が生かされないときに、子供を叱ってしまうことがあります。
もし、親が熱心に関わっていなければ、もともと叱る必要はありません。
熱心だからこそ叱るのですが、子供はその叱られた方を強く覚えてしまうのです。
小学校低学年のころは、それでもうまく行きます。
しかし、それが積み重なって小学校4年生ぐらいになると、子供は自立心が出てくるので、次第に親に反発するようになります。
本当は、小学校高学年から中学生にかけての勉強が次第に難しくなる時期にこそ、親が子供の勉強の内容を把握している必要があります。
しかし、子供がだんだん手に負えなくなると、学習塾に行かせるかたちで勉強を丸投げしてしまう家庭が多いのです。
学習塾に勉強を見てもらうようにすると、親はますます子供の勉強の様子がわからなくなります。
わかるのは、塾からもらってくる点数だけになるので、点数が上がった下がったということでしか子供の勉強を見ることができなくなります。
中学生で、塾に行って熱心に勉強しているが、成績が今ひとつぱっとしないという場合の多くはこういうケースです。
勉強の仕方の根本が違っていることが多いのですが、親が勉強を見ていないのでそれがわかりません。塾の先生は個別指導をしているわけではないので、やはりわかりません。
子供はそれなりに一生懸命勉強しているのですが、その勉強が、わかる問題を難問も解いていたり、わからない問題はわからないまま飛ばしたりというような、成果の出ない勉強になっていることが多いのです。
これは、親が少しでも勉強に関わればすぐにわかることですが、いったん子供の勉強から離れてしまうと、親が改めて関わることはかなり難しくなります。
塾に行くのは、別にいいのです。友達と一緒に勉強した方が張り合いがあるというなら、それはそれで全くかまいません。
しかし、その塾の勉強の内容と、その宿題の内容と、その宿題の勉強の仕方を親が一応見ておく必要があります。
では、中学生になっても親が勉強の内容を把握できるようにするためには、どうしたらいいかというと、小学校低学年のころから、いい親子関係を作っておくことです。
そのために、親の接し方は、熱心であるがその熱心さを表面に出さないということです。
そして、子供が親の熱心な準備や工夫に対して、同じように熱心に応えなくても、笑って認めるような度量をもって接していくことなのです。
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小学校1、2年生の子はみんな素直です。
だから、その素直さに甘えて、やりすぎないようにすることです。
何でも言うことを聞く時期だからこそ、本人の自主性を伸ばしていくことが大事です。
自主性の中には、親の希望する方向と違うものもあります。
それも笑って認めてあげるのです。
過ぎたるは及ばざるが如しという言葉のとおり、熱心さが行き過ぎると、肥料をやりすぎて植物を腐らせてしまうというようなことがよくあります。
食事と同じように、子育ての熱心さも、八分目までで抑えておくという配慮が親には必要です。
例えば、新しい面白い問題集などを与えると、子供は一日目から何ページもやってしまおうとすることがあります。
そのときに、子供が自分でやろうとしているのだからと、そのままやらせてしまうと、数日ですぐに飽きてしまいます。
初日に、やりすぎを抑えておくからこそ、長く飽きずに勉強を続けることができるのです。
中学生になっても親が勉強の内容を把握し、塾に任せっきりにしないようにしていきたいですね。
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低学年のときの作文指導は、実は簡単です。
書き方の間違いもまだかなり多いので、それを直して、直ったことを褒めていれば作文が上達するような感じがします。
だから、学校でも塾でも通信教育でも、低学年の作文指導に力を入れていることが多いのです。
しかし、この低学年のうちに、高学年の作文につながるような指導がないと、課題がだんだん難しくなるにつれて作文が書けなくなります。
そして、たぶんほとんどの作文教室がそういう結果になっているのではないかと思います。
作文の勉強を家庭で続けていると、だんだん親子喧嘩になる場面が増えてきます。
それは、子供が、難しい課題になってくると、だんだん作文が書けなくなってくるからです。
作文を書くというのは、高学年や中学生以上の生徒にとってはかなり負担の大きい勉強です。
まず1200字の作文を1本仕上げるには、時間は1時間から1時間半かかります。しかも、その間休みをとるようなことはできません。
学校の宿題などをいろいろ片付けなければならない中で、毎週作文の時間を確保して、難しい文章を読んで考えて書くということにはかなり強い意志力が必要です。
しかし、そういう苦しい勉強を続けてきた子は、大学生になるころには、必要に応じて楽に文章が書けるようになるのです。
低学年の作文の勉強で大事なのは、作文の土台となる読書と対話にも力を入れていくことです。
そのために、言葉の森では、長文音読、暗唱検定、自主学習クラス、思考発表クラブなどのオプションの勉強に力を入れています。
そして、勉強の中で続けるのは最も難しいと言われる作文の勉強を中心にして、あらゆる教科の勉強の力をつける指導を目指しているのです。
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卒業生からのメッセージ「言葉の森の思い出」
https://www.mori7.com/index.php?e=2108
今年、慶應義塾大学文学部に合格したKMさんが、「言葉の森の思い出」という話を書いてくれました。
KMさんは、小1から言葉の森で勉強し、森リン大賞にも何度も選ばれていました。
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私が言葉の森で作文の勉強を始めたのは、小学1年生の8月でした。
やっと、電話で知らない人と、なんとか話すことができるようになったのが、そのころだったのです。
初めは、本当に、聞かれたことに「はい」と返事をするのがやっとでした。「いいえ」すらも言いにくかったので、沈黙してしまったり。そうすると、先生が「じゃあこうだったのかな?」と逆の質問をしてくれて、やっと「はい」が言えるときに口を開くというような状態でした(笑)。
それでも、先生の質問に答えるかたちで、書くことを決め、電話の後に、今度は母が同じような質問をするので、その答えを作文用紙に書いていったというような記憶があります。
できあがった、確か100字程度の作文は、作文と言えるようなものでもありませんでしたが、返却された作文を見ると、先生が、作文用紙いっぱいに花丸をつけてくれていて、たくさんの「上手!」「うまい!」「すごい!」という文字が踊っているのを見て、大変満足し、「これからも続ける!」と宣言したのでした。
低学年の間は、基本的に毎週そのような調子で気分よく書いていたのですが、字数ランキングに燃えて、ひたすら長く(内容の薄い作文を)書いていたこともありました。かなり時間もかかりましたが、「すごく長くかけたねえ!」と、先生に褒めてもらえるのが嬉しくて、とにかく長く、1000字、2000字と書いていたのです。今思うと、先生にご迷惑だったような。思い出してみると、母もいつも先生に謝っていたような記憶が蘇りました(笑)。
中学年になると、題名が決まっていたので、最初は書きにくく感じましたが、このころは、課題について、父や母や祖母に取材をするのを楽しんでいた時期でもありました。感想文課題は、内容も難しいし、書くのが大変でしたが、先生もいつもヒントを与えてくれたし、両親も、協力してくれました。
5年生になると、長文の内容はさらに難易度が上がり、そのときの私にとって、「難しい」というより「分からない」文章になってしまいました。しかし、たとえ長文全体をよく理解できなくても、感想文を書くことができるように説明してもらえたし(実際、それでなんとか形になっていたと思います)、また、何度も音読をしているうちに、最初は全く分からなかった文章が何となく理解できるようになる、という経験もできました。おかげで、難しい文章に取り組むのが怖くなくなったというか、落ち着いてくり返し読めば分かる、と信じて読めるようになりました。この経験は、その後の中学受験でも、大学受験でも役に立ったと思います。
また、私は、低学年のころから自分でパソコンで作文を書いていたのですが、「今読んでいる本」の欄を利用して、担当の先生と雑談をしたこともいい思い出です。例えば、当時流行っていたドラマの原作小説を読み、それを読書欄に書くついでに、お気に入りの主演俳優の話を書くと、先生も講評の中で返事をくれて、翌週の電話でまた好きなアイドルの話をしたり……といった具合に盛り上がったのも、とても嬉しかったです。言葉の森では、学校の先生よりも長く一人の先生に習うこともあるので、そのような交流が深まるのも楽しいことだと思います。
中学受験を挟み、言葉の森をお休みした時期がありましたが、再開後に取り組んだ勉強は、より具体的に受験小論文に役立ちました。小論文の構成を教えてもらって、どんな形で、どんな順番で書いていけばいいのか、という枠を決められるようになり、中学3年間で勉強した書き方で、ほぼどんなテーマにも対応できる自信がつきました。
実際の第一志望校の小論文課題は、制限字数が短かったのですが、基本的には、言葉の森で教わった「構成」「題材」「表現」「主題」を意識することで、対応できました。そのおかげで、他の教科の勉強に多くの時間を割くことができ、また、例えば、英語の長文を読む際にも、言葉の森の勉強で身につけた日本語読解力に助けられたと思うので、やはり、作文の勉強は、多くのアドバンテージを与えてくれたと思います。
本当に感謝しています。ありがとうございました。
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昨日、小学生のころから言葉の森を始めて高3になる生徒が、最後の作文を書いていました。
難しい課題の作文でしたが、説明を聞いて、いつものようにさらさらと1000字近く書いて、
「4月からもう来ないと思うと、なんか寂しい」
などと言って帰っていました(笑)。
簡単なように見えますが、与えられた課題で人に読ませる文章を書くというのは、大人でもなかなかできません。
作文の勉強というのは、続けていれば必ず上達するということを改めて感じた日でした。
作文は、教えてすぐに上達する子と、なかなか上達しない子がいます。
しかし、どんな子でも、続けていれば最終的には必ず上達します。
言葉の森の通学教室で高3まで作文の勉強を続けていた子供たちの中には、最初から得意な子もいましたが、最初はかなり苦手だという子もいました。
それぞれみんなそれなりに途中のスランプなどもありましたが、最終的にみんな楽に上手に書けるようになっていきました。
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