ガクアジサイ
●動画:https://youtu.be/nxiulFnu9cg
オンライン少人数クラスの教育というのは、言葉の森が初めて始めたことなので、ほかに比較できるような教室はありません。
オンライン少人数クラスの教育は、集団一斉指導の教育ではありません。
しかし、単なる個別指導の教育でもありません。
それらの教育とは異なる、生徒どうしの発表と交流、生徒と先生の対話を中心にした5人以内の少人数クラスでの教育です。
これまでの勉強スタイルの多くは、生徒が教室で先生の話を聞き、そのあと家庭で行う宿題を出され、時どき教室でテストをされるというかたちでした。
この従来の教育には、三重の無駄がありました。
第一は、先生の話を聞く授業は、わかることもわからないこともひととおり聞かなければならないという無駄です。
勉強は、参考書や問題集を自分のペースで進めた方がずっと能率がいいのに、授業では最初から最後まで先生の話を聞かなければなりません。
私は、小学校高学年のころ、授業が退屈で、教科書にずっと落書きを書いていました。
そのときの担任の先生は、後に校長先生になるとてもいい先生でした。
しかし、私は授業を聞いているだけの時間が退屈で仕方なかったのです。
今も、このように感じて授業を受けている子供たちは多いと思います。
第二は、学校から出される宿題は、その多くが無駄だということです。
できることを何度もやらされる一方、できないことも通り一遍でしかできません。
自分で判断して、できない問題を中心に自習をすればいいことを、人に指示されて全員一律の宿題をやらされるのですから、時間がかかるだけでそのわりに中身はあまりありません。
宿題が必要なのは、自分で勉強できない生徒だけでいいのです。
第三は、単なる評価のためだけのテストという無駄です。
テストは、過去の評価のためのテストでなく、未来の指導のためのテストであるべきです。
しかし、今のテストは、結果を評価するためだけのテストになっています。
そのため、重要なことをテストするよりも、生徒が間違えやすいことを中心にテストをするという本末転倒のテストになっています。
テストの目的は、点数をつけることではなく、100点が取れるまで指導することにあります。
だから、点数をつけることはゴールではなく、指導のスタートです。
答えのあるテストは、100点が取れるまでやることが当然なのです。
授業の無駄、宿題の無駄、テストの無駄という現在の教育の三重の無駄は、今の教育体制のもとでは解決できません。
教える先生の工夫では、この無駄の多い教育を変えることはできません。
根本的に、教育のプラットフォームと、教育に対する考え方つまり教育観を変える必要があるのです。
オンライン少人数クラスの教育は、友達と一緒に行う学習を基本としています。
それは、5人以内という人数を限定したクラスだからできる学習です。
オンライン少人数クラスでは、読書紹介とか、一人一言の時間とか、先生のちょっとした雑談とか、勉強の中身とは一見関係のない無駄に見える時間があります。
しかし、それらは無駄ではありません。
生徒が身につける勉強の中身は、家庭での自主学習によるものです。
授業での先生の役割は、生徒の家庭での自主学習の状況をチェックし、必要に応じてアドバイスをし、生徒たちが自由に発言できるクラス作りをすることです。
そのときに、ひとつのクラスで友達と一緒に勉強しているという環境が必要になるのです。
子供たちが成長したときに残るのは、友達と一緒に勉強した経験と、家庭で行った自主学習の蓄積です。
学習とは、知識をブロイラーのように詰め込むことではなく、人間の経験として身につけることです。
人生の一部として身につけた学習が、生きた学習になるのです。
教育は、生身の人間の関わりの中で行われる必要があります。
少人数クラスの学習は、集団一斉指導の学習とも個別指導の学習とも違います。
しかし、この新しい学習スタイルは、まだ十分に理解されているとは言えません。
教える先生の側も、つい昔ながらの一斉指導や単なる個別指導の教え方になりがちです。
また、保護者の方も、生徒がお喋りばかりしていて無駄の多い授業だとみなしがちです。
しかし、このオンライン少人数クラスの教育が、これからの新しい教育の姿です。
AI時代に、勉強のスタイルと勉強の目的は大きく変わります。
与えられた知識を詰め込み再現する教育から、新しいものを創造し発表する教育に変わるからです。
その新しい教育のひとつの姿が、言葉の森のオンライン少人数クラスの教育なのです。
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ハクチョウソウ
保護者懇談会で、低学年の生徒の保護者の方から、「授業のあと、くたびれて書き終えられないので……」と相談がありました。
小学校高学年や中高生でも、そういう人がいると思います。
したがって、翌日中に書き終えて送信するということにしたいと思います。
しかし、「今日はできないから、いつかやる」ということは認めません。
必ず授業中に書き出して、その日か、翌日の間に書き終えて送信するというふうにしてください。
中学生、高校生は定期テストと重なるときがあると思います。
その場合は、
・休むか、
・他のクラスに振り返るか、
・時間を15分とか30分とか区切って、要約と感想だけでまとめるとか、
いずれかやりやすい形を工夫してください。
作文は、長い勉強なので、無理をせずに続けていくことが大事です。
細くても長く続けていれば、それに比例して必ず上達します。
上達の目安は、字数点と森リン点の推移です。
作文の点数推移のページで、グラフが右肩上がりになっているかどうかを確かめてください。
https://www.mori7.com/oka/sk_tenn.php
字数は、年間100~200字増えていることが上達の目安です。
字数は、小6以上で、コンスタントに1200字以上書けるようになることが目標です。
森リン点は、年間2ポイント上昇していることが上達の目安です。
森リン点は、小6以上で、平均的に86点以上になることが目標です。
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ナミアゲハの幼虫
●動画:https://youtu.be/yTtkD8BVhEw
つい言ってしまうのが、否定する言葉です。
「ちゃんと勉強しなきゃだめじゃない」
「しない」「だめ」というダブルの否定の言葉を聞いて、「よし、がんばろう」と思う子はまずいません。
そういうときは、
「勉強すると、こんないいことがあるよ」
という言い方をすればいいのです。
ただし、子供を誘導するためにこういう言葉を使うのではありません。
明るく楽しく暮らしていくために、日常会話の端々で肯定的な言葉を使うということです。
注意されたり否定されたりして育った子は、それなりにいい子になります。
だから、ある程度の注意は必要です。
しかし、その度合が強いと、その子の生き方が萎縮したものになります。
つまり、失敗しないこと、注意されないことを中心に生きるようになってしまうのです。
子供が音読をしているとき、近くで聞いているお父さんやお母さんは、ついひとこと注意をしたくなると思います。
それが、多くの子供が音読を嫌いになる原因です。
どんな下手な読み方をしていても、そこで、うそでもいいから、お父さんやお母さんが、
「音読、だんだん上手になってきたね」とか、
「難しい文章をよく読んでいるね」とかいう言葉掛けをするのです。
すると、不思議なことに、何の注意もしないのに、だんだん音読が上手になってくいきます。
肯定的な言葉掛けをすると、その言葉に一致する方向に現実が動いていくのです。
「うそでもいいから褒める」これが、子育てのキーワードです。
ただし、繰り返し言いますが、これは子供を誘導したりコントロールしたりするためではありません。
生きていることは、基本的に肯定的なことだと伝えるための声掛けなのです。
▽参考記事
「「やる気のない子」と叱る前に親ができる10の事 「指示・命令・脅迫・説得」で人は動かない」
https://toyokeizai.net/articles/-/674443
子育ての上手なお母さんは、自然にやっていることです。
全部読む必要はありませんが、次の言葉は覚えておくといいと思います。
====引用
(1)(一歩先のことを伝える)【例:早く起きなさい→ご飯できたよ】
(2)「やる気になる時間帯と場所を見つけてみない?」
(3)「まずは1つ(1分)だけやってみたらどうかな?」
(4)「別にいいんじゃないやらなくても」
(5)「いい感じだね?」
(6)「ありがとう、嬉しい、助かった!」
(7)「着実に前進しているね?」
(8)「どちらからやる?」
(9)簡単、簡単!
(10)「ヒントは〇〇」「制限時間30秒ね」【クイズ化する言葉】
====
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あと、言わない方がいい言葉のひとつは、でも。
子供が何か言ったら、まず、「へえ、そうなんだ」と聞いてあげることです。
「でも、なんとかでしょ」「でも、それは……」などと言うと、話が発展するよりも縮小します。
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犬も人間も年を取ると筋力が落ちるようです。
私が(いやいや)散歩をして(させられて)いるとき、あまりにゆっくり歩くので、道行く人が「がんばって!」と声をかけてくれることがあります。
そんなとき、少しだけファイトが湧きますが、基本的に自分のペースは崩しません。
私は、元々無理をしない性格なのです。
昨日は、美容院→診察の日でした。定期的に巡ってくる最悪の日です。
ママは、私の後ろ足の筋力の衰えについて獣医さんに相談していました。
私は、獣医さんのアドバイスを他人事のように聞いていたのですが、急に待合室の真ん中で屈伸運動をさせられる羽目になって焦りました。
獣医さんは、私の後ろ左足を手で押さえ、反対の手で右後ろ足を上下に動かしました。
こうすると筋肉がつくそうなのです。
私は、マッサージはいいけど、屈伸運動は嫌だなあと心の中で思いました。
案の定、家に帰ると、その屈伸運動をやらされました。
ママは、まだ慣れていないので、苦心しているようでした。(一応ダジャレね。)
これが毎日続くのかと思うと気が重いのですが、ママは自分のスクワットだって続かないのだから、私の屈伸運動もそのうちうやむやになるのではないかと期待しています。
「継続は力なり」ならぬ「継続はお蔵入り」!
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△2018年のサマーキャンプより
サマーキャンプは、2019年まで実施していましたが、2020年のコロナ騒動から休止していました。
昨年2022年は、キャンプを実行する予定で募集しましたが、ちょうど8月にコロナのピークが来るという見込みになったので、途中で休止を決定しました。
これまでのサマーキャンプは、東京駅から新幹線で那須塩原駅まで行くようにしていましたが、今後は、新宿から高速バスで直接、那須合宿所の近くまで行くことを考えています。
しかし、まだコロナの余波があるようで、高速バスの運行が限られているようです。
したがって、利便性と安全性を考え、2023年のサマーキャンプは、休止にしました。
今後、状況が変われば実施することがあるかもしれませんが、当面は2023年は休止ということでご了解ください。
実は、サマーキャンプは、子供たちと保護者と講師との交流があり、とてもいい思い出になるのです。
そのかわり、子供たちの集まりですから、いい出会いもあるかわりに、ちょっとしたトラブルもあります。
しかし、それらのトラブルも含めて、リアルな体験は、オンラインでは体験できないものですから、子供たちの成長にとっていい経験になります。
合宿所のある那須は、水の豊富なところで、近くにはいろいろな生き物がいる水たまりや、小さい子供でも遊べる浅くて広い川もあります。
できるだけ早く、サマーキャンプが再開できるようにしたいと思っています。
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チガヤ
●動画:https://youtu.be/6Ha9LqMiNjE
言葉の森で、低学年の総合学力クラスの子を教えていると、低学年の子供だけあって、その子の個性がよく出てきます。
いちばん顕著なのは、授業の終わりの「一人一言」という自由な発言の時間です。
このときに、喜んで自分のことを言う子がいます。
こういう子は、自由にのびのび生きていると言っていいと思います。
しかし、自分のことを言わない子がいます。
自分の個性が出ないようなことを、いつも言う子がいるのです。
なぜ個性を出さないかというと、私は、人に注意されることを避けているからではないかと思います。
間違ってはいけないから、正しいことだけを言わなければならないと考えているようなのです。
成績のよさと、自分を出さないことは、一致していることが多いです。
その背景には、きちんと子育てをしているお母さんがいると思います。
きちんと子育てをしているので、子供もきちんとしていて成績もいいのです。
しかし、その分、お母さんに注意されることのないように先回りして無難なことしか言わない生き方を身につけたように思うのです。
私は、子供はワイルドに生きるのがいいと思っています。
自分から進んでいろいろなことをやってみて、失敗したり、成功したりという経験が大事です。
人に指示されたとおりにやっていれば、失敗はほとんどありません。
しかし、そのかわり自分で成し遂げたという喜びもあまりありません。
湯川秀樹氏が、好きな数学をやめて物理学に転向したのは、数学の先生が、先生の教えたとおりの方法で解かなければ答えが合っていても×にするという教え方だったからです。
その数学の先生は、それなりに考えてやっていたことでしょうから、それはそれでいいのです。
しかし、才能のある人は、決められたやり方でやるよりも、自分らしいやり方でやりたいと思うのです。
子供をきちんと育てることが大事なのは、小学2年生ころまでです。
小学3年生になったら、次第に、親の言うことよりも、自分で判断して行動するように仕向けていくことです。
指示に従うよりも、自分で考えて行動する方が大事だということを教えていくのです。
私は、日本のガラパゴス入試が、子供たちを指示待ち人間にしているように思います。
決められたとおりに能率よくやらなければ成績は上がりません。
自分らしさを抑える方が、能率はいいのです。
しかし、その能率のよさは尊重しつつも、能率に負けない主体性を育てていくことが大事だと思います。
▽参考記事
「問題を与えられないと解けない…日本の「受験秀才」が実社会で成功しない根本原因」(野口悠紀雄)
https://president.jp/articles/-/69314
====引用
……「問題を発見する能力」は、学校教育ではなかなか訓練できません。その結果、受験秀才は、問題が与えられればそれを効率的に解けるのですが、どんな問題に取り組んだらよいのかが判断できないのです。
しかも、問題に答えがあるとは限りません。答えがない問題を捉えてしまう危険があります。
これらについての勘を養うことが重要です。それは、受験に必要な能力とは違うものです。
受験秀才はそれができず、「指示待ち人間」になってしまう危険があります。これが受験秀才の最も大きな問題です。このため、受験で成功しても、人生で成功するとは限りません。
====
野口悠紀雄さんは、東大の工学部で学び、その後、アメリカの大学で経済学を学んだ人ですから、受験秀才と言ってもいいと思います。
しかし、野口さんの書いている本を見ると、すべて独自の考え方で、まだ誰も言ったことのない話を展開しています。
だから、受験秀才をはるかに超えた人なのです。
その野口さんの言っていることは、やはり説得力があります。
私は、受験秀才は、クイズ番組のような分野に向いていると思います。
しかし、クイズ番組でいちばん強いものは、これからはChatGPTになります。
人間は、クイズ番組を超えなければならないのです。
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ヨーロッパでは、ChatGPTに対する規制が強化されつつあります。
それは、ヨーロッパが衰退した国々だからです。
「欧州のチャットGPT規制、アルトマン氏「適応できなければ事業を停止する」」
https://www.yomiuri.co.jp/economy/20230525-OYT1T50143/
新しいテクノロジーが登場したとき、それを規制する側に回るか、活用する側に回るかという最初の選択は大事です。
基本は、活用したあとに、必要に応じて規制をすることです。
この大きな方針の順序を間違えないことです。
日本では、いまだに「欧米ではこうなっている」という人がいますが、欧米はもう参考になりません。
日本は、日本の独自の方針を打ち出していくことです。
※この話は、一見、子供の教育に関係がないように見えるかもしれませんが、子供たちの成長は、日本の政治によって作られた教育環境に支えられています。
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ホタルブクロ
●動画:https://youtu.be/O5QX4oFiLII
スマホのやりすぎ、ゲームのしすぎ、YouTubeの見すぎで困っている家庭は多いと思います。
こういう新しい問題は、親の子供時代の経験がないので、途方にくれることが多いのです。
だから、これらは、親が試行錯誤で工夫してコントロールするしかありません。
大事なことは、目の前の現象をどうコントロールするかということではなく、それ以前の子育てをどうしていくかということです。
子供が幼少期のうちに、親子で話し合ってルールを決める習慣を作り、そのルールを守る習慣を作ることが大事です。
そういう幼少期のルールができていないまま、中学生になってからあわててコントロールしようとしてもできるものではありません。
勉強の習慣についても、読書の習慣についても同じです。
子供が小学1年生のうちに、毎日決まった勉強をするとか、毎日必ず読書をするとかいう習慣をつけておくことです。
子育ての中心は、家庭です。
学校でも、塾でも、偉い人のアドバイスでもありません。
何事もやり直すのに遅すぎることはありません。
子供が中学生になってからでもいいので、親子で話し合って妥当なルールを決め、そのルールの守られ状況を時どき確認するという習慣を作ることです。
こういう習慣作りがむずかしいのは、それが単なる習慣ではなく、家庭の文化を作ることでもあるからです。
勉強などは、やる気になればすぐにできるようになります。
しかし、文化はなかなか作れません。
文化とは、朝起きたら家族にあいさつをするとか、返事はいつでも「はい」と言うとか、椅子にはきちんと腰掛けるとか、席を立ったら椅子をしまうとか、履物はきちんとそろえるとか、夜は何時までに寝るとか、朝は何時までに起きるとか、起きたら布団は自分でたたむとか、食事を食べながらスマホやテレビを見ないとか、人の悪口は言わないとか、下品な流行語は使わないとか、近所の人にもあいさつをするとか、そういう細かいことの積み重ねです。
これらは、言ってすぐにできるものではありません。
何ヶ月も繰り返して、やっと少しずつできるようになるものです。
だから、勉強よりもずっと難しいのです。
文化作りは、全部やるのではなく、まずどれかひとつルールを決めてそれを守る習慣を作り、少しずつ家庭の文化として作っていくことです。
私は、この文化作りに、オンラインクラスの作文や総合学力はぴったりだと思います。
それは、親が関われることと、親も子供の様子を見ることができるからです。
見るというのは、一緒に参加するかたちでも、別のPCから参加するかたちでも、あとでレコーディングを見るかたちでも、いずれでもできます。
作文の場合は、似た話の準備を親子でする機会があります。
総合学力は、毎週、国語や算数や暗唱や発表の準備をする機会があります。
また、いずれの場合も、読書紹介の準備をする機会があります。
こういう機会を生かして準備を習慣化していくことが、家庭の文化作りの第一歩です。
▽参考記事
「研究者が思わずゾッとした「子どものスマホ使用時間と偏差値の関係」小中学生7万人調査でわかった衝撃の事実」
https://president.jp/articles/-/69373
====引用
スマホ等の使用時間が長くなればなるほど、平均以上の成績を表す灰色の棒の数が明らかに減っていく様子が見てとれます。
衝撃的なのは「3時間以上」の結果です。灰色の棒が1本も残りませんでした。この結果からわかることは、スマホ等を1日3時間以上使用している子どもたちは、どれだけ勉強を頑張っていても、きちんと睡眠時間を確保していたとしても、成績が平均未満に沈んでしまっているということです。
====
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時どき、「読書をしないので先生からも言ってください」と言われることがありますが、読書は家庭の文化です。
家庭の文化を作れるのは、親だけです。
親が言ってもさせられないことを、他人がさせることはできません。
読書合宿などという方法もあり得ますが、それよりも家庭で読書の文化を作ることです。
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