読書の量だけ多くても、国語の成績は上がらないという人がいます。
しかし、ここに重要な勘違いがあります。
確かに、読書の量を増やしても、国語の成績にはあまり大きな影響はありません。(短期的に言えばほとんど影響ありません)
その理由は、(1)子供たちが読む本は、入試問題を解くのに必要とされる読解力よりも易しいのが普通で、(2)また、読書が読解力に反映するまでには、思っている以上に時間がかかるからです。
しかし、大事なことは、読書は国語の成績を上げるためにするものかということです。
その子の人生という大きな視野で見た場合、国語の成績を上げることと、読書によって何かを得ることと、どちらが豊かな実りをもたらすでしょうか。
国語の成績とは、人為的に作られた重箱のようなものです。
読書とは、自然に広がる大きな海や山のようなものです。
だから、国語の成績を上げるコツは、すぐに教えることができるのです。
しかし、そんな重箱の隅をつつくテクニックに習熟するよりも、広い海や山で遊んだ方が楽しいから、本好きな子は読書をするのです。
国語の成績を上げることと読書をすることは、十分に両立します。
それは、自分の好きな面白い本を読みながら、その一方でもっと難しい文章を繰り返し音読したり暗唱したりすることによってです。
その結果は、作文に現れてきます。
国語の成績は、目的ではなく結果です。
国語の得意な子は、国語の勉強などをとりたててしていない子です。
読書をしても国語の成績は上がらないという言葉を真に受けて(笑)、読書をやめてしまうことのないようにね。
ということで、facebookグループ「読書の好きな子になる庭」。
http://www.facebook.com/groups/118437524908264/
前回の関連記事「国語力と読書の関係」はこちら。
https://www.mori7.com/index.php?e=1625
昨夜の突然の雨も去って、今日は快晴。
でも、だんだん日が昇るのが遅くなってきました。
夜が長いと、日中にえさを食べる小鳥たちはお腹がすくだろうなあ。(と余計な心配を)
その点、人間は恵まれています。
それでは、今日もいい一日を過ごして、秋の夜長はたっぷり読書でも。
(中根)
写真は、ベランダに朝ご飯を食べに来たスズメたち。
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人生の基本は学力です。(学歴という意味ではなく)
学力の基本は国語力です。
国語力の基本は読む力です。
読む力はどうしたらつくかというと、毎日続けることによってです。
以上のことを逆に言うと、
人生の基本は、スポーツや芸能ではありません。(そこでがんばっている人は、もちろんそれでいいのですが)
学力の基本は、英語や数学ではありません。(それらは点数の差がつきやすいということなのです)
国語力の基本は漢字を書く力ではありません。(むしろ漢字を読む力を含めた読む力です)
読む力はどうしたらつくかというと、集中して国語の特訓をすることによってではありません。
以上、いろいろ差し障りがありそう……。(^^ゞ
だから、いちばん大事なのは、読むことを中心にした学習を毎日続けることですが、毎日続けるために大事なことは、楽にできる分量にとどめて無理せず気長にやることです。
言葉の森の勉強を始めたばかりの人がよくやってしまうのが、最初からがんばりすぎることです。
例えば、作文を書くのに3時間もかけるとか、毎週の長文の音読も、読解マラソン集の音読も、暗唱長文の暗唱も、読書も、問題集読書も、最初からすべてやってみるとかいうことです。
生活の中での勉強のスタイルには個人差があり、また勉強の能率にも差があります。
楽に続けるために大事なことは、身近にいるお母さんが子供の様子を見て、随時判断し、早めに軌道修正してあげることです。
しかし、軌道修正をする一方で、大きな原則というものも必要です。
子供が何を言おうが、これだけは続けるというものがあると、子供の気持ちも安定するのです。
その原則の第一が読書です。どんな本でもいいから(「怪傑ゾロリ」でもいいから)毎日10ページ以上の読書をすることです。(ちなみに、「怪傑ゾロリ」は文章も内容も優れたいい本です。)
最低限、この読書だけを毎日欠かさずに続けていればいいのです。(この方法はまたいつか説明したいと思います)
そして、読書はできるので、もう少し何かをしたいという場合の第二が、毎日の長文の音読です。長文の音読のような2、3分でできる短い勉強を毎日続けるために大事なことは、朝ご飯前などの確実にできる時間を確保することと、最初のうちはアラームなどをセットして習慣がつくまでアラームを開始の合図にすることです。
この読書と音読が続けられれば、国語力は確実に向上します。
更に、もう少し何かができる余裕があるという場合の第三が、長文の暗唱です。暗唱は、小学校低学年のころは楽にできます。しかし、中学年、高学年と上がるにつれてだんだん暗唱ができなくなり、中学生、高校生では暗唱はかなり難しくなります。それは、決められた回数を声を出して繰り返すだけという単純なことをせずに、理解して覚えようという気持ちが出てくるのがこの小学校高学年以降の時期だからです。
しかし、音読で回数を繰り返して暗唱するというコツをつかんだ子は、英文の暗唱なども楽にできるようになります。
以上の読書、音読、暗唱までできれば、家庭学習としては、もうほかに何もしなくてもいいぐらいです(笑)。
しかし、更にもう一歩進めて勉強をしたいし、またそういう余裕があるという人の場合は、入試問題集の問題文を読書がわりに読む練習です。
この問題集読書は、黙読でも傍線を引きながら読むとか、又は声を出して読むとか、又はいい文を抜き書きするとか、という作業をしながら読むことが大事です。難しい文章は、ただ黙読しているだけでは続かないからです。
しかし、くれぐれも注意したいのは、最初に書いたように、たくさんやることではなく長く続けることです。
がんばって数か月しかできなかったというのでは力がつきません。
物足りない分量だが何年も続いているというときに初めて力がついてくるのです。
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昨日に引き続き、対話の話です。
対話のきっかけは、子供からの説明がベスト。
子供がちょっと難しい長文を毎日音読していて、その内容を週末の家族の団欒の時間にお父さんやお母さんに説明します。
そのときに大事なことは、その説明がどんなに下手でも短くてもわかりにくくても、それをそのまま認めてあげることです。
間違っても、「そんな説明じゃわからない」「もっとくわしく」などと言ってはいけません。
でも、最近、いろいろな子に話を聞いてみると、ほとんどの家庭でそういうことを言っていたようです(笑)。
まったく……。注意されてがんばる子や、間違いを指摘されて上達する子などいないと何度も言っているのにね。
お父さん、お母さんは、自分の子供のころをふりかえって、どういうときにやる気が出たかよく考えてみてください。
親に小言を言われてから急にやる気が出てきたなんて人いないでしょ(笑)。
言葉の森で、先日、作文発表会をやりました。
みんなの前で、自分の作文を(できれば暗唱して)発表するのです。
中には恥ずかしがり屋で、やりたくないと言っていた子がいましたが、それはそれで参加不参加は自由です。
しかし、リハーサルでみんなの発表を聞いているうちに、そういう子も、「やってみる」と言い出しました。
それは、なぜかというと、リハーサルで、一切何も注意せず、どんな発表の仕方も全部褒めてあげたからです。
これが、「もう少し声を大きく」とか「姿勢をよくして」とか「もっとゆっくり」などといちいち言っていたら、みんなもっと緊張する暗い真面目な発表会になったでしょう。
子供時代に、そんな真面目なことをする必要などありません。
どんなことも、面白おかしくどんどん褒めて明るくやっていくのがいいのです。
だから、もちろん叱ることがあっても、明るく強く元気いっぱいに叱れば、その叱り方は一瞬で、いつまでも尾を引きません。
対話の命は脱線です。
子供がひとこと説明したら、お父さんお母さんがそれに尾ひれをつけて、自分の好きなことをどんどん喋っていけばいいのです。
すると、子供も、「なるほど。そういう適当なことでいいんだ」と負けずに自分の言いたいことを言い出します。
だいたい、人前で自分の言いたいことや自慢話を言って、認めてくれるところなど家族以外にありません。
と言っても、お母さんと子供が一対一でまるで面接か何かのように話すだけでは、雰囲気が盛り上がらないということもあります。
そういうときは、近所の子供やお母さんお父さんも入れて、対話の会です。
子育てには、親の企画力もちょっと必要なのです。
ゴニョゴニョゴニョ。木の実の秋は、リスも対話です。
「だから、対話リスって言うんだ」
「そりゃ、違うでしょ」
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日本人の対話は、欧米人のディベートとは違います。
意見の異なる部分を論破し合うのではなく、実例の異なる部分を認め合うのです。
だから、子供との対話も同じ。
子供が、「こんなことがあって、こう思った」と言ったら、親は、「お母さんは、そう思わないわ」などと言わずに、「お母さんも、(それと似た話で)こんなことがあったわ」と言うのです。
すると、お父さんがやってきて、「パパは、ちょっと違うけど、こんなことがあったぞ」などと言うのです。
そうして、互いに異なる実例を共有し合うのが対話です。
ときどき、似た例を探すのに、インターネットで検索してホームページをコピーして渡す人がいます。みんなやっていると思いますが(笑)。
でも、いちばんいい実例は、そういう正確ないデータよりも、お父さんやお母さんの体験談です。
ところで、お父さんは物事を説明的に理解しているので、なかなか体験談が出てきません。
しかし、子供が喜ぶのは、お父さんの自慢話です。
ここで、お父さんが自慢話を始めたときも、お母さんは、「私は、そうは思わないわ」などと言わずに、「私にも、似た例があるわ」と続ければいいのです。
似た例を広げていくことで、子供の創造力も広がります。
なぜかというと、子供は、自分の体験と異なる似た例を知ることで、その隙間を埋めようとするからです。
そして、対話は子供の思考力も育てます。
対話の中では、「どうして」という言葉がよく出てきます。
異なる実例を理解しようとするとき、子供はそれを自分の知っているメタ言語で理解しようとするからです。
今日は、昨日にもまして更に快晴。(超快晴とでも言うのかなあ)
まだ朝ですが、秋の夜長はみんなの自慢話で家族の対話を楽しんでください。
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
(中根)
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