小学4年生の作文がよく書ける子のお母さんは、次のような疑問を持つことが多いと思います。
それは、作文もよく書けているし、読書もよくしているが、中学入試の作文や読書としては、このままでは不十分なのではないかという疑問です。
言葉の森では、小学5年生の課題から感想文課題が増え、その感想文のもとになる長文も急に難しいものになります。
この小5からの課題は、しっかり書けばそのまま中学入試の作文と同じことが要求されるものなので、準備もかなり大変になります。
このため、小4から小5に切り替わるときに、急に作文が書けなくなる子も多いのです。
小4から小5への質的な変化というものは、算数の分野でも同じようにあります。
それまでの、特に考えなくても作業的に解ける算数から、考えないと解けない算数に内容が大きく変化していくのです。
この変化は、子供の精神年齢の成長に対応したものです。
小学4年生のある意味で無邪気な小学生の感覚から、物事を構造的にとらえ、背後にある抽象的なものの本質に気づく時期が小学5年生なのです。
小学4年生で作文をよく書ける子は、楽々と書いている印象を受けます。
読書についても、遊びと同じような軽い感覚で何冊も読んでいきます。
それを見ていると、お母さんは、もう少し苦労するような作文や読書をさせる必要があるのではないかと思ってしまいます。
しかし、そこで年齢を超えた先取りをするよりも、今の年齢に合ったことを十分に満喫しておくことが大切になります。
知的なことに関しては、先取りの学習は意味がありますが、精神的なことに関しては、先取りするよりも今の精神年齢に合ったことを確実に消化していく必要があるのです。
だから、小4で作文がよく書ける子は、今の生活作文を更に充実させて、小学生時代の記念となる作文をたっぷり書いておくことです。
それだけではものたりないというのであれば、コンクールの入選を目指すというような方向でがんばるといいのです。
読書も遊びも、小学4年生の無邪気な時期にできることを十分にしておくことです。
その土台の上に、小学5年生の考える作文や考える読書が育つようになります。
そして、何よりも子供時代は、その子供時代を幸福に生きることが最も大切で、将来の準備のためにする苦労のようなものはできるだけ少なくしておく方がいいのです。
それは、やがて子供自身に、自ら苦労を求めて挑戦することに喜びを感じるような時期が来るからです。
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知的なことは、先取りをさせることができますが、精神的なことは先取りができません。
ある精神年齢にならないと、頭ではわかったつもりでも、実感ではわからないということがあるからです。
大事なのは、その子の精神年齢に合ったことを十分に満喫させることで、それが次の成長の土台になります。
それぞれの時期にその子が最も幸福だと感じる生き方をさせることが、最も自然で人間らしい生き方なのです。
「這えば立て立てば歩めの親心」という言葉がありますが、作文や読書にも似たところがあります。
子供が楽に楽しく自由自在に書いているように見えると、もっと難しい、苦しんで書くようなことをさせたいと思ってしまうのです。
しかし、はいはいの時期には、しっかりはいはいをさせることが大事です。
楽しんで書いている時期には、しっかり楽しませることが大事なのです。
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読書は、読解力の土台です。
読む力のある子は、毎日必ずと言っていいほど本を読んでいます。
読まないのは、風邪などで休んだときだけで、それ以外はいつも本を読んでいるのです。
この読む力が、学力の本質です。
読む力の周辺に、さまざまな教科の学力がついてきます。
だから、高学年になって成績が上がるのは、本を読む習慣のある子なのです。
そして、読書力を最も伸ばす必要があるのが、この小学校高学年の時期からの読書です。
それは、高学年になると、抽象的な語彙を理解する力がついてくるからです。
では、小学校高学年からの読書力は、どう伸ばしたらいいのでしょうか。
その答えのひとつが、子供たちの読書紹介です。
寺子屋オンラインで、作文や発表の勉強をしたあと、子供たちが思い思いに読書紹介をします。
低中学年のうちは、自分のことが中心で、ほかの人が紹介した本に関心を示すことはあまりありません。
しかし、高学年になると、ほかの人の読んでいる本に関心を持つようになります。
そして、誰かが自分の知らない難しい本を読んでいると、その本を図書館などで探して読んでみたくなるのです。
寺子屋オンラインでは、読書紹介のほかに、勉強のあとの空き時間を利用して暗唱発表を行っています。
この暗唱発表の効果が特にあるのが、小学校低中学年の子供たちです。
ほかの子の暗唱を聞いていると、自分も暗唱をしてみたくなるのです。
もちろん、高学年の子供たちにも暗唱をしている子はたくさんいます。
寺子屋オンラインは、もともとの作文や発表の勉強のほかに、読書や暗唱などいろいろな副産物があることがわかってきました。
今後、授業の曜日時間帯を大幅に増やして、希望する人は誰でもすぐに参加できるようにしていく予定です。
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経済学者の森嶋通夫さんが、「なぜ日本は没落するか」という本の中で、自分の高校生時代を回想しています。
森嶋さんの考える力を伸ばしてくれたのは、高校や大学の先生よりも、高校時代の寺田君という仲のよい友達だったというのです。
学年が上がるにつれて、学力は、よい先生やよい教材によってではなく、よい友達によってついていくのだと思います。
先日行った日曜朝の親子作文体験学習は、全員が初めての参加でしたが、ほとんどの人が問題なくZoomの会場で作文の発表や本の紹
介や暗唱を行いました。
今後、このZoomで行う少人数の寺子屋オンラインクラスを大幅に広げていきたいと思っています。
人数が増えれば、学年別のクラス分けなども容易になるからです。
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学校は何のためにあるのでしょうか。
ほとんどの子にとって、それは友達と会うためです。
友達がいるから、又はかわいいあの子がいるから、学校に行きたくなるのです。
では、学校で友達と何をするのでしょうか。
勉強ももちろんあるでしょう。
しかし、友達とすることの中心は遊びです。
15分休みや昼休みのちょっとした時間に、限られた枠で自由に遊ぶことが楽しいのです。
あとに退屈な授業があるから、余計楽しいのかもしれません。
では、なぜ遊びが勉強よりも楽しいのでしょうか。
それは、自分が主人公として参加できるからです。
自分が、大きな背景の一人ではなく、ちゃんと名前を持った主人公として登場できるからです。
では、なぜ遊びでは主人公として参加できるのに、勉強では背景の一人になってしまうのでしょうか。
一つは、勉強の中身が、自分の興味や関心によってではなく、外側からの枠組みとして与えられるからです。
その枠組みを速すぎも遅すぎもせず、決められた速度で進まなければならないからです。
もう一つは、参加者の人数が多すぎるからです。
綱引きは遊びに似ていますが、綱引きに熱中する子はいません。
自分が大勢の仲間の人数の一人になってしまうからです。
それと同じように、勉強のほとんどは、教わる人数が多すぎるのです。
授業というものは、ほとんどの場合、楽しいのは教える人だけで、教わる人の多くは眠さを我慢しています。
だから、長い時間授業を聞いていても、頭にはほんのわずかしか残りません。
それで、仕方ないから、頭の残り具合をテストしなければならなくなるのです。
確かに、「銀の匙」を教えた橋本先生のように、みんなが熱中する授業もあります。
しかし、それは、子供たちのレベルが均質で、全員に教えることが、それぞれの生徒に個人的に教えることと一致するような恵まれたケースの場合です。
普通の学校の普通の授業で、日常的にそういう熱中できる授業をすることは、不可能とは言わないまでも、かなり困難です。
では、遊びのように子供たちが主体的に参加できる勉強をするには、どうしたらいいのでしょうか。
それは、第一に、勉強の内容が、それぞれの生徒の創意工夫ができるものになっていることです。
そして、第二に、全員が主人公として参加できるぐらいの、遊びと同じ少人数で勉強ができることです。
実は、これが、寺子屋オンラインの作文コースと発表学習コースです。
もちろん、寺子屋オンラインの勉強はまだ始めて間もないので、すべてのクラスが理想的にできているわけではありません。
参加者がまだ少ないために、同じ学年の子供どうしの交流が限られてしまうクラスもあります。
しかし、これはいずれ時間が解決していくと思います。
長く続けているクラスでは、学校はインフルエンザで休んだが、寺子屋オンラインだけには参加するという子もいます。
風邪を引いて休んではいるが、みんなの話を聞きたいので、授業だけは録画しておくという子もいます。
それらの子供たちが、北は北海道から南はシンガポールまで(2018年9月現在)、たまたま偶然寺子屋オンラインで会っただけの子供たちなのです。
寺子屋オンラインは、5、6人のメンバーが、互いの顔が見えるZoomの会場で、自分で工夫した勉強を発表するという、通学でも通信でもない、また単なる勉強でも遊びでもない、新しい勉強をするクラスです。
森林プロジェクトの作文講師資格を持つ先生の協力を得て、これからこの寺子屋オンラインの勉強を世界中に広げていきたいと思っています。
▽作文の体験学習を寺子屋オンラインクラスで受けることを希望される方は、ひとこと欄にその旨をご記入ください。別途資料をお送りします。
https://www.mori7.com/ftaikenn.php
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ロールプレイングゲームと勉強は似ています。
以前やったことが伏線になって、新しいステージに進めるからです。
欠けていた輪がつながるとき、人間はそこに知的な喜びを感じるのです。
しかし、ゲームがすぐにつながるのに対して、勉強はなかなか輪がつながるところまでいきません。
だから、輪になっていることに気がつかず、ただ退屈な尾根を登っているだけのような気がしてしまうのです。
その退屈さを補うものは、一緒に登る友達がいることです。
そして、そのうち、友達がいなくても登ること自体が楽しくなってくるのです。
遊びが面白いのは、自分が主人公になれるからです。
勉強が面白くないのは、先生だけが主人公だからです。
だから、勉強も遊びのようにすればいいのです。
その秘訣は、みんなが主人公になれる少人数でやることです。
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作文は、他の教科の勉強と違って、○や×がつくような正解がありません。
だから、よく書けたとか、面白いものが書けたとか、頑張って書けたとか、そういう評価が中心になります。
確かに、言葉の森の作文指導の場合は、項目ができたかどうかで生徒が自分で○×をつけられることと、森リン点で点数が出るという違いはあります。
しかし、基本は○×がつく性質のものでなく、内容がよく書けたかどうかというところが作文の評価の中心になります。
すると、作文がよく書けるようになるためには、材料を準備してくるとか、意欲的に書くとかいう、作文以前の心構えのようなものが大事になってきます。
作文を初めて書くときは、誰でも頑張って書くので上達もしやすくなります。
しかし、評価に具体的な○×がつかないために、だんだんと書くことに慣れてマンネリ化してくることがあります。
だから、本人の意欲をいかに持続させるかということが、作文指導で重要なことになってくるのです。
言葉の森のこれまでの指導は、担任の先生が毎週の電話で個別に話をする中で、子供たちの意欲を持続させるという指導法が中心でした。
しかし、寺子屋オンラインで複数の生徒が作文を発表し合う形で勉強していると、子供たちの作文を書く際の意欲が更に持続するようになってきました。
その結果、作文が苦手だった子もどんどん上手になり、作文がもともと好きだった子は更に高度な作文に挑戦するということが起きてきました。
これからの勉強は、作文に限らずどの分野でも、先生にただ教わるだけのものではなく、子供どうしが互いに発表し感想述べ合うようなものになってくると思います。
今はまだ参加者が限られているので、複数の学年が混在していますが、今後は寺子屋オンライン作文クラスに参加する生徒を増やし、学年別に分けた指導にもっと時間がとれるようにする予定です。
ただし、異なる学年の生徒の作文を読むことも参考になるので、それは毎月の発表交流会でカバーしていきたいと思います。
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少人数クラスのいいところは、参加者全員に、発表と質問と感想を述べる機会があることです。
すると、普段、学校などでは発言しない子も、自然と発言するようになります。
また、みんなの読書紹介の司会なども、ほとんどの子が持ち回りでできるようになります。
聞くだけの勉強であれば、居眠りしながらでも受けることができますが、自分が司会をしたり、また司会でなくてもいつでも自分が何か言わなければならなかったりする勉強だと、自然に集中するようになります。
同じ時間の勉強でも、受け身の勉強と参加的な勉強では、密度が何倍も違うのです。
そして、更によいことは、自分が発言したり、ほかの人が発言するのを聞いたりしているうちに、コミュニケーション力がついてくることです。
コミュニケーションは慣れですから、コミュニケーションの本をいくら読んでも身につきません。
実際に、必要に迫られてコミュニケーションをとる中で、自然に身についてくるものです。
寺子屋オンラインのクラスは、当初、学力、発表力、創造力をつけることを目的として始めましたが、それらに加えてコミュニケーション力がつくという意外な副産物があるいことがわかってきました。
特に感心するのは、教えたわけではないのに、どの子も、ほかの人の発表のよいところを中心に質問や感想を言うことです。
読書も作文も苦手な子の場合、上達にはかなり時間がかかります。
先生が、「毎日、本を読むんだよ」と言っても、「はい」と返事だけするものの、実際には家で読んだ気配がないという子もときどきいます。
これまでのマンツーマン指導では、そういう子に本を読ませることはかなり難しいことでした。
しかし、寺子屋オンエアの少人数クラスになると、毎回の「読んでいる本の紹介」があるので、どの子も必ず本を読んでくるようになります
そして、だんだん本の内容も、レベルが上がってきます。
小中学生の場合、勉強を進める上で友達の力というのは、かなり大きいということがわかりました。
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作文を書くのが好きで得意なはずなのに、受験用の模試を受けたら、ひどく点数が悪かった、という話がときどきあります。
しかし、これまで、そういう子がしっかり合格しているのです。
それは、なぜかというと、大きく分けて二つ理由があります。
第一は、作文小論文の模試の採点は、結構いいかげんだということです(笑)。
○×で点数が決まる試験と違って、記述や作文は、採点する人の主観がかなり入ります。
そして、採点する人は、文章を書く力がない人も多く、そういう人がかなり曖昧な基準で採点しているのです。
そういう採点で高得点を出すコツは、結びの5行の感想や意見の部分に力を入れていくことですが、子供はまだそこまでは考えません。
だから、よく書けたはずなのに点数がが低いということが起きてくるのです。
第二の理由は、子供が見当違いのところで表現の工夫をしてしまうことがあることです。
特に、小学生の場合は、それまで書いていた作文が、生活作文的なものなので、会話やたとえのような出来事の表現に力を入れてしまうことがあります。
書き出しの工夫や、動作情景の結びの工夫なども、もともとは出来事中心の作文で練習したものですから、主題の方が中心になる受験作文とは重点が違います。
だから、表現を工夫して書くほど、かえって受験作文として点数が低くなるということも起きてくるのです。
では、そういう子は、今後どういう勉強をしたらいいのでしょうか。
答えは簡単です。
受験作文用の練習をすればいいのです。
それまでの作文の練習は、表現項目を工夫することが目的でしたが、受験作文は、合格する作文を書くことが目的です。
作文力がある生徒は、目的の違いに応じてすぐに受験作文に合った作文を書くことができるようになります。
これは、何度も書いたことですが、実力をつけることと勝負に勝つことは違います。
受験作文の目的は、実力をつけることではなく、合格する作文を書くことです。
目的を切り替えて勉強していけばいいのです。
しかし、それでも、模試の作文で悪い点数を取ることがあります。
そういうときは、「模試の作文の採点をしている人って、あなたの作文のよさがわからないんだね」と言っていればいいのです。
さて、この模試の作文の点数とやや似た話で、学校では勉強がよくできているはずなのに、塾の模試を受けたらひどい点数だったということもよく聞きます。
これは、受験の勉強のための訓練をしていないからです。
受験の問題は、パズルと同じようなもので、解き方を教わったことがあれば解けるが、解き方を教わっていないと実力では時間内に解ける人はまずいないという性質があります。
だから、点数は参考にしてもいいが、いちばん確実なのは、お母さんが見るその子の普段の言動から感じるのが本当の実力だと考えておくといいと思います。
実力のある子は、受験のための勉強を始めればすぐにできるようになるからです。
もうひとつの似た話で、小学校低中学年のお母さんが、周囲の子と比較して自分の子が遅れているのではないかと焦るということもよくあります。
小学校低学年のころは何でも素直に吸収できる時期なので、英語をやれば英語ができるようになり、算数に力を入れれば何学年も先の算数もできるようになるということが普通にあります。
しかし、それがそのままずっと続くかというとそういうことはまずありません。中学生になり、高校生になるころには、小学校低学年で先取りした学力は、意味のなかったものになっていることが多いのです。
低学年のときに苦労して勉強したということは、その苦労と引き換えに、自由な遊びの時間や読書の時間を抑制したということですから、長い目で見ると、小さいうちの勉強面での苦労はしない方がいいとさえ言えるのです。
小学1年生から4年生までの勉強では、基本的に難しいものは何もありません。
だから、4年生までの勉強で高得点を取る努力をするというのは、あまり意味がありません。
その時期は、苦手なものを作らないでおくということを基準に勉強していけばいいのです。
そして、その分、本当の実力につながる読書と対話と作文に力を入れていくのです。
お母さんが、子供の勉強について迷ったら、自分がその子と同じ年齢のときにどんなことをしていたか思い出してみるといいと思います。
たぶん、大して勉強していないのに、普通に小学校を卒業し、中学、高校へと進み、高校生のときはちょっとがんばって勉強して、やがて今の大人になった自分がいて、小学校のときの勉強が何の役に立ったのかということはもうわからないぐらいと思います。
そのかわり、小学生のときに楽しく遊んだ思い出や熱中して読んだ本が、今の自分を形成しているかけがえのないものだったと感じることが多いと思います。
そういう自然な子育てをしていればいいのです。
つまり、勉強に力を入れるのは、本人が自覚して勉強したいと思う年齢になってからで十分で、まだ勉強以外のことに関心がある時期は、勉強は苦手にならないぐらいでよく、そのかわり、本当の実力につながる読書、対話、作文に力を入れていくといいのです。
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子育てに迷ったら、自分がその子と同じ年齢だったころ、どういうことに喜びを見出していたのかを思い出してみるといいと思います。
すると、そのころの勉強が今の自分を形成しているのではなく、そのころの遊びや読書や友達が今の自分を形成していると感じると思います。
そこを基準にして子供を育てていけば、大きく外れることはないのです。
受験というのは勝負の世界ですから、勝負に勝つための勉強をしなければなりません。
いずれ今のような受験という制度そのものがなくなると思いますが、とりあえず今のところはそういうものがあるので、受検をするときは、勝つための勉強だと割り切ってやっていく必要があります。
しかし、そういうときでも、勝つことがすべてだとは思わないことです。
いちばんの目的は、子供が幸せに暮らすことだからです。
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