公立中高一貫校では、ほとんどの学校が作文の入試を行っています。高校入試でも、推薦で作文の試験を行うところが増えています。大学入試では以前から小論文の入試がありましたが、最近更に推薦での作文試験が増えてきました。また、就職試験でもエントリーシートなど文章を書く機会が増えています。
社会人になってからも、自分の書いた文章を発表する機会はますます多くなっています。仕事以外にも、ブログなどで文章を書く機会は増えています。作文力の重要度は、年々高まっていると言えます。
作文は、自分で自分の書いた文章の評価ができないという点で独学の難しいものです。しかし、作文の勉強を進める上で最も大きな問題は、作文の評価に手間がかかることです。特に中学入試などで、大量に作文の採点をする場合、採点する側の負担はかなり大きいはずです。
ここで提唱したいのは、森リンという自動採点ソフトの活用です。森リンで評価するには、手書きで書いた文章をテキスト化するという手間はありますが、いったんテキスト化された文章であれば客観的な採点ができます。
人間が採点する方式では、採点するたびに、又は、採点する人によって点数がかなり動きます。人間には、文章や個々の表現に対する好みの問題があるからです。森リンは、語彙の多様性と分布をもとに文章力そのものを評価するので、何度採点しても同じ結果が出ます。
現在の森リンは、表記のミスをチェックすることにはそれほど力を入れていません。文の長さや、段落の多さ、常体と敬体の区別などをチェックする程度です。その理由は、表記のミスは人間が見ればすぐにわかるからです。しかし、これも人間の手間を減らそうと思えば、森リンのデータベースに、生徒のよく間違えそうな表記ミスを網羅して入れておけばすみます。また、漢字力や語彙力については、作文という形をとらなくても個別に試験を行えば十分にできます。
もう一つ、森リンは作文の内容の評価はしません。出されたテーマと書かれた内容が合っているかどうかということを機械で評価する方法が全くないわけではありませんが、内容の評価は機械が行うよりも人間が行うべきものです。
しかし、人間が文章を全部読んでその内容が的確かどうかを考えるというのでは、やはり採点の負担が大きすぎます。そこで、提案したいのは、言葉の森で行っているような構成と表現項目を指定した作文の課題を出すことです。
例えば、「○○というテーマで、60分以内に600-800字の作文を書きなさい。その際、一つの段落は150-200字でまとめるようにし、二番目と三番目の段落の冒頭にそれぞれ理由を書き、四番目の段落には反対意見に対する理解と名言を入れなさい。(名言は別表の名言集の中から選んでください)」というような出題の仕方です。
こういう形で書かれた文章であれば、採点者は一応全文に目を通すとしても、重要なポイントにしぼってチェックすることができるので、採点の能率が大幅に向上します。こういう構成と項目で書くことができていれば、それだけでもう基本的な作文力は十分にあると考えることができます。
以上は、採点する側の事情に沿っての話でしたが、作文を書く生徒の側についても、作文の勉強に森リンの活用を考えることができます。森リンの採点を使うと、自分の書いた作文がおおまかにどういうレベルにあるかを見ることができます。
将来の作文指導、特に中高生の作文小論文指導に関しては、この森リンのような自動採点ソフトを使った形が主流になってくると思います。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。森リン(103) 作文教育(134)
人間には、だれにも向上心があります。人生のある時期に、「よし、これからがんばってやろう」と思う転機のようなものが必ずあります。そして、その転機は往々にしてたっぷり遊んだりさぼったりしたあとにやってきます。
親は子供の成長を願うあまり、幼稚園や小学校の低学年のころから、子供を向上させようとしがちです。しかし、本人に向上しようという自覚のない時期に勉強をさせると、やらせすぎる弊害の方が大きくなることがあります。この時期は、遅れる心配よりも、やらせすぎる心配の方をする必要があるのです。
低学年のころ、真面目で、勉強もよくでき、本もよく読んでいた子が、中高学年になるとだんだん勉強しなくなるというケースはよくあります。また、小学校時代しっかり勉強していて小6まで真面目だった子が、中学生になって急にさぼりだすということもよくあります。
こういう状態になると、親はとまどいますが、これは、いったん休んで、また子供自身が納得してがんばりはじめるまで待つしかありません。子供は、小さいころの勉強のやりすぎを、途中でたっぷりさぼることによって回復しているのです。
一生がんばり続ける子も、一生さぼり続ける子もいません。ある時期さぼって自分を回復した子は、必ずまた自分の力でがんばるようになります。
こういうことを見るにつけても、人間は、ブロイラーのように管理できるものではないということを思わされます。
親と子では年齢が違うので、つい親は、子供のすべてをコントロールできるように考えがちですが、それぞれの魂の成熟度は、実はそれほど変わりません。一人一人は、自分でしか解決できない課題を持ってこの人生を生きているのです。
親のできることは、年長者としての知識を生かしながら、子供を対等の人格を持ったものとして尊重していくことです。子供が未熟なように親も未熟です。お互い未熟な者どうしが試行錯誤の中で次第によりよい人生を築いていくというのが真実の姿にいちばん近いと思います。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
すいません。申し上げにくいのですが、ちょっと参考にしてもらってもよろしいでしょうか。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。子育て(117) 小学校低学年(79)
旧小1(現在小2)の生徒が3月4週に行った読解問題の採点が「山のたより」に正しく表示されていませんでした。
原因は、新学期の切り替えと採点がぶつかっていたためのようです。
該当者は、次の13名の生徒です(abc順)。今は正しく表示されています。どうも申し訳ありませんでした。<(_ _)>
kariwa kihesi kikuhi kimeku kineyu kiriru kirito kisuwa kitato kitayu kitie rihimi torata
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。生徒父母連絡(78)
小学校1、2年生の子の保護者の方からときどき、「学校で日記や作文の宿題があるが、うまく書けない」という相談を受けることがあります。小学校5、6年生でも、苦手意識を持つ子は多いようです。
言葉の森の作文指導は、どんなに苦手な子でも大丈夫です。そのコツは、事前指導にあります。
一般に、通信の教室でも通学の教室でも、作文指導は、書いたあとの指導に力を入れることが多いものです。しかし、書いたあとの添削だけでは、作文の力はなかなか身につきません。
スポーツの場合でも、サッカーなどで、「あのシュートがよくなかった」と言われて、次回からいいシュートができるようになるかというと、そういうことはありません。悪いシュートを注意することではなく、いいシュートを放つ練習をして初めて、いいシュートが身につくのです。
作文の場合、その練習が、読書と暗唱と、実際に作文を書くことです。
では、書けない子がいた場合、どのように指導するのでしょうか。言葉の森では、先生が生徒に書くことを教えてあげます。苦手な子の場合は、文そのものを言ってあげるような形で教えます。
このやり方は、家庭でも生かすことができます。
構成図を使う場合は、お母さんが鉛筆を持って子供の横にすわり、子供と話をしながら構成図をどんどん埋めていきます。十分ほどで構成図がほとんど埋まったら、「これを見て書いてごらん」と言えば、子供はすぐに書き出せます。構成図を使わない場合は、お母さんが一文ずつ言ってあげます。
私(森川林)が教室で一文ずつ言う場合は、ときどき冗談を入れます。例えば、「料理を作ったこと」で書く場合、
先生 「はい、じゃあ、言うよ。『ぼくは、きのうブタの丸焼きを作りました』」
生徒 「えー! そんなの作ってないよ」
先生 「まず、近くの公園にブタをつかまえに行きました」
生徒 「だから、作ってないって。それに、公園にブタなんていないって」
先生 「じゃあ、何を作ったの」
生徒 「えーとねえ。玉子焼き」
先生 「じゃあ、『ぼくは、きのう、玉子焼きを作りました』。はい、書いてごらん」
生徒 「……。書きました」
先生 「まず、最初に、玉子を空手チョップでわりました」
生徒 「えー! そんなことしてないよ」
こういう感じで書いていけば、親子が対話を楽しみながら作文を書いていくことができます。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。家庭で教える作文(55) 作文の書き方(108)
暗唱の指導を始めたころ、驚いたのは、小学校1、2年生で最初はつっかえながら読んでいたような子が、すぐにみるみる上手になっていくことでした。
ところが、学年が上がり、本来上手に読めるような年齢になってくると、かえって暗唱するのに時間がかかるようになってきました。「棒読みでいいから音楽のようなつもりで読む」ということが、高学年になると、かえってわかりにくくなってくるのです。
更に、中学生以上になると、文章が説明的な文章になってきます。また、中学生のころは、物事を理屈で理解しようとする時期なので、単純な暗唱がかえって難しくなってきます。この場合でも、説明文の暗唱をイメージ記憶を使ってやれば、かなり簡単にできるのですが、イメージ記憶のように無邪気なダジャレの精神が必要なものも、中学生のころは難しくなるようでした。
しかし、小学生までの生徒は、長い文章の暗唱も毎回あまり苦労もせずにやっているようです。
暗唱のほかに、もう一つ、事前の予想に反して意外によくできたものが、高学年以上の問題集読書です。読む文章が入試問題なので、難しくて嫌がる子が多いかと思いましたが、みんなかなり熱心にやってきます。もともと入試問題に取り上げられるような文章なので、難しいだけでなく、内容的にも読ませるものがあります。子供たちは、勉強と同時に、読むのが楽しいという面もあって読んでいるように思いました。
もう一つ、予想と違って、意外と簡単だったのは、読書をしたあとの四行詩です。しかし、これは、小学校1、2年生には、ちょっと負担だったようです。それは、小学校低学年のころは、書くという作業自体に慣れていないという理由によるものです。しかし、小学校中高学年以上の子は、内容のある四行詩をよく書いてきます。特に、国語の実力のある子は、毎回優れた内容の四行詩を書いてきます。
さて、次は逆に、予想に反して意外と難しかったものです。その筆頭は、音声入力です。慣れれば、これほど楽に活用できるものはないと思うのに、中高生の子はなかなかスムーズに音声入力ができませんでした。一つには、教室でやるので、人の目を気にしていたということもあると思います。もう一つは、構成図が充実していないうちに、入力しようとした子が結構いたことです。更に、日本語は、文末の処理が難しいので、構成図では文末を考えずにどんどん書けますが、それを文章化するときは、文末を考えないといけません。結局、文末の手直しをするのに時間がかかるという面が出てきたということもあったようです。
もう一つ、意外と難しかったのは、フォトリーディングです。フォトリーディングのコツを覚えると、本を急いで読みたいときは、20分ぐらいで読むことができます。しかし、小学生の子供に、フォトリーディングをさせるのは、動機の面からも能力の面からもやや無理があったようです。フォトリーディングが活用できるのは、読む力がついた中高生以上になると思います。
簡単とも難しいとも言えないのが構成図です。構成図には、その子の実力が表れてくるようです。中学生でよく書ける子は、構成図もかなり充実したものを書いてきます。10分ぐらいで構成図を完成させれば、もう作文に書くものと内容的には同じことを考え終わったと言ってもよいぐらいです。しかし、作文に書く内容自体が簡単な小学校中高学年の場合は、構成図を書くことが、作文を書くことと二重手間になると考える子もいるようです。
ただし、将来のことを考えると、作文を書く前に、自分の書くことを考えておくという発想は大事ですから、これから構成図をもっと上手に書けるような工夫をしていきたいと思っています。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。暗唱(121) 音声入力(10) 構成図(25) 問題集読書(33) 四行詩(13)