言葉の森は、作文の専科教室です。作文の指導だけを約30年間続けてきました。
なぜ、ほかの勉強、例えば漢字の書き取りとか、計算練習とか、国語の問題とか、算数数学の問題とか、英語の問題とかいうわかりやすいものをやらなかったかというと、そのような勉強は、誰かに教わらなくても自分でできるものと考えていたからです。
これに対して、作文の勉強というものは、第三者の見る目がないと自分では評価のしようがありません。作文は、音楽やスポーツに似ていて、他人からの評価がないとうまく勉強できないのです。
しかし、その後、意外と作文以外の基礎的な勉強のできていない生徒がいることがわかり、途中から国語の読解問題なども言葉の森の勉強の中に入れるようにしました。
この国語の読解問題の解き方のコツは、かなり優秀な生徒で、既に中学3年生や高校3年生の受験モードに入っている生徒でも、よくわかっていないことがありました。これは、たぶん今でもそうです。
毎月第4週の読解問題は、しばらく前から2問だけに絞って課題フォルダに掲載していますが、これは2問とも正解にしてもらうためです。読解問題は、理詰めで解いて満点を取ることで初めて力がつきます。6割できたとか7割できたとかというところで満足していたのでは実力はつきません。満点を取ることを目指し、もしできないところがあったら答えを見て、なぜそうなのかと自分で理屈で理解して初めて力がつくからです。
さて、話は戻って、言葉の森では、独学では勉強しにくい作文の勉強を、小学1年生から高校3年生まで、場合によっては幼児から社会人まで長年指導してきました。
大学入試の小論文は、実は言葉の森の指導は、ほかの予備校などの指導よりもずっと優れていると思います。予備校でも小論文の指導を受け、言葉の森でも小論文の指導を受け、両方を比較できる立場にいる受験生が、皆同じように言葉の森の指導がわかりやすく役に立ったと言っているからです。もちろん、小中学生の作文指導も同様です。
作文は進歩の遅い勉強ですが、言葉の森のやり方で続けていけば、誰でも必ず上達します。高校生のように入試の小論文を意識して勉強している場合は、大体1年間で自分でもうまくなったという実感がわきます。本当は、教える先生の目から見ればもっと早くから上達しているのですが、本人が自分で実感としてうまくなったと感じるのは1年間ぐらいたってからです。
ところが、作文の面では上達している生徒が、意外にも、普通の教科の勉強では苦手なものがあったり、能率の悪い勉強をしたりしているということがよくありました。
それは、なぜかというと、国語の読解問題の解き方と同じように、勉強の仕方がよくわかっていないままただ時間をかけて勉強しているというケースが多かったからです。
その勘違いした勉強の仕方の根は、小学生時代から始まっているようでした。
勉強は、本来もっと短時間で簡単に楽しく済ませられるものです。それで実力がつくのです。
ところが、勘違いした勉強法で勉強していると、長時間の複雑な苦しい勉強をしていながらなかなか実力がつきません。しかし、その複雑な苦しい勉強の仕方の方が、子供も親も先生も、真面目にしっかりやっているように感じてしまうのです。
本当は、小中学生の成長には、勉強よりも、遊びや趣味や読書や対話のような勉強以外の自由な時間が必要なのですが、多くの親や先生は、そういう自由な時間は無駄な時間と考え、生活時間をできるだけ勉強で埋めようとしてしまいます。
その結果、小学生の最初のころは成績がよくても、中学生、高校生と学年が上がるにつれて、思考力や集中力の不足が表面に出てくるようになり、かえって成績が伸び悩むことも多いのです。また、自由な時間の少なかった子は、大学生や社会人になってから創造力の不足が表面化してきます。
こういうことがわかってきたので、言葉の森では、作文の勉強とは別に、独自の方法で小中学生の全教科の勉強を見る仕組みを作りました。それが、寺子屋オンエアです。(つづく)
次回は、寺子屋オンエアの仕組みを説明します。
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日本は、ICT教育が遅れているということを言う人がいますが、そこで描かれているICT教育は、
・生徒数あたりのコンピュータが多くて、
・ICT教育のできる先生が多くて、
パソコンの前で、生徒と先生がにこにこと勉強しているようなイメージの教育です。
ICTという言葉や、パソコンやインターネットという物にとらわれている教育なのです。
教育の本質は、子供が何をいかに学ぶかというソフトであり、そこには学ぶとは何かという哲学のようなものがなければなりません。
しかし、今言われているICT教育は、学ばせる道具だけに目が向いているように思えます。
コンピュータとインターネットは、確かに活用できるツールです。しかし、その活用の仕方は、まだ初歩的な段階にとどまっています。
今考えられているICT教育の意義は、
・インタラクティブ(双方向的)な操作で楽しくできる
・個々の生徒の進度に応じた対応ができる
・僻地でも同じ教育が受けられる
という程度のものです。
その程度の意義でICT教育が考えられているならば、ICT教育と、これまでの通常教育との差はほとんどないと言ってよいでしょう。
もし違いがあるとすれば、それは、低学年の子や勉強の苦手な子に、インタラクティブな個別対応ができるというところだけで、高学年の生徒や、勉強の普通にできる生徒には、特に目立った差はありません。
むしろ、多くの普通にできる生徒は、インタラクティブに取り組まざるをえないICT教育にわずらわしささえ感じると思います。
かつて、子供たちに読書の面白さを伝えるためにといううたい文句で、参加者の対話や劇などを通して本に触れるという試みがありました。
読書嫌いな子にとっては、本に触れる機会になったかもしれませんが、読書好きな子にとっては、自分ひとりで本を楽しむよりも、ずっと遠回りで味わいの薄い読書経験にしかならなかったと思います。
それと同じようなことが、今のICT教育の発想に感じられるのです。
これは、民間で行われているICT教育についても同じです。
民間の場合は、もともとの動機がコスト削減ですから、優れた教材を提供できるのはいいのですが、結局多様なコピーを個々の生徒の進度に応じて割り振ることに情報通信技術が使われているだけです。
ニワトリにえさをやって、どのニワトリもその食べ具合に応じて成長させるということなら、そういう方法にも十分価値があります。
しかし、それは、ごく低学年のうちか、勉強の苦手な子にとって必要なレベルであって、その子が学年が上がり、勉強が普通にできるようになってきたら、そういうコピーの教材にはもう飽きたらなくなってくるのです。
教育の本質は、紙と鉛筆を使ってひとりで学ぶ時間の中にあります。その時間を確保するために、情報通信技術が使われる必要があります。
情報通信技術が前面に出るのではなく、子供の勉強が中心で、その勉強を支えるものとして、目立たない情報通信技術があるというのが、真のICT教育なのです。
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今のICT教育は、子供が楽しく取り組めるように動画や音声のリッチコンテンツを多用し、それぞれの子供の進度に応じたきめこまかい教材提示や評価ができるように教材を細分化し、スモールステップ方式で単元化するという方向に進んでいます。
この方向は、これまでの、黒板による一斉授業よりもはるかに効率のよいものです。
しかし、そのICT教育の背景にある教育観に、ブロイラーを育てるような発想を感じることがあります。
その教育観をひとことで言えば、教育とは与えるべき餌をいかに効率よく食べさせてその子を成長させるかにある、というようなことになると思います。
効率よく餌を食べさせるというのは、教育の初期には確かに大事です。漢字を覚えたり、計算の仕方を覚えたり、理科や社会の基本的な知識を覚えたりするのは、教育の出発点であり、だれでも身につけなければならない土台です。
しかし、人間の成長にとって大事なのは、その出発点のあとに、自分の足でどう歩いていくかという時期の教育です。
ICT教育の多くは、低学年の子供や勉強の苦手な子供が、楽しく効率よく勉強できるようにするという点では、さまざまな工夫がなされています。
しかし、その先の学年の教育や勉強の得意な子供の教育に関しては、かえってICTのサービスが邪魔になっている面もあるのです。
勉強の得意な子は、紙の上に書かれている文字情報を自分で読み取り理解するのが、一般に最も能率のよい勉強法です。動画や音声が流れたり、ゲームの要素があったりする教材は、かえってわずらわしいものなのです。
勉強の本質は、人に教わることではありません。授業を聞いている時間は、まだ何も身についていない時間です。授業のあと、ひとりで机に向い、復習をしたり予習をしたり自分で考えたりする時間が本当の勉強の時間です。
しかし、今のICT教育は、そういうひとりで考える時間を生かすという発想があまりありません。
言葉の森では、現在、ネットとパソコンを利用した独自のICT教育を構想しています。
教育の最も基本的なツールは、モニター画面やキーボードやマウスではなく、本とノートと鉛筆です。その本とノートと鉛筆を活用するために、ネットとパソコンがあるという発想をしていく必要があると思います。
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寺子屋オンエアのページを更新しました。
https://www.mori7.net/teraon/
毎日の自習の教材で、新たに、小1からの問題集読書読書を取り組むことにしました。
しかし、難しい文章だけでは読む量が少なくなります。その子の好きな本を読む時間は、どの学年でも必ず必要です。
====寺子屋オンエアのページからの引用。
入試問題集は、文章は時事的で優れた内容のものが多いのですが、受験という差をつけるテストであるため、問題自体は参考にならないものも多く含まれています(例えば、ほとんどの人が解けないような問題があるなど)。また、ページ数が多いため、1冊を年間を通して5回繰り返すという読み方はなかなかできません。
入試問題の問題集読書は、これからも読書がわりに楽しく読む教材として使い、それとは別に市販の「ハイクラス国語読解力問題集」(小1~小6・中学生)を、寺子屋オンエアの時間の問題集読書の中心にしていきます。
・小学生は学年別で、「ハイクラステスト国語読解力問題集」(受験研究社)
・中学生は1-3年共通で、「ハイクラステスト国語長文」(受験研究社)「これでわかる国文法」(文英堂)
やり方は、次のようになります。
(1)国語読解力問題集の問題集読書は、小1から中3まで取り組むことができます。
(2)1日2ページぐらいを目安に取り組みますが、それより少なくても多くてもかまいません。
(3)最初に、自分の読むページの分だけ、問題集に答えを書き込みます。(問題を解くのではなく、先に答えを書き込み、その答えと問題をセットで読んでいくという勉強法です。)
(4)問題集読書は、国語の勉強の得意な人は黙読で読んでもかまいませんが、普通の人や苦手な人は、長文と問題と答えを全部音読で読んでいってください。特に、今回は長文だけでなく問題と答えを読むことも入るので音読の方が頭に入りやすくなります。
(5)読んでいる途中に、自分で線を引きたいと思ったところに線を引きます。線を引くのは、大事なところだけでなく、面白いと思ったところ、よくわかったところなど自由です。線は、カラーのペンではなく、できるだけ鉛筆やシャープペンで引いてください。何度も繰り返し使うものは、カラーペンよりも鉛筆やシャープペンの方が向いています。
(6)問題集読書をしたあとに感想を書いて、先生に伝えます。感想は、長文を読んだ感想だけでなく、問題の答えに関する感想でもかまいません。
感想の書き方にも、字数や項目の目標がある方が書きやすいので、次のようにします。
・字数は50字以内(つまり10mmの方眼罫のノートで2行~3行です。できるだけ50字ぴったりにまとめましょう。句読点も1文字として数えます。)
・表現項目は、「たとえ」又は「自作名言(○○はAではなくBである)」のいずれかを入れるようにします。
・感想の内容は、自分なりにわかったこと、理解したこと、思ったことなどですが、「わかった」「思った」などは特に書かなくてかまいません。
(7)このようにして1冊の問題集が最後まで終わったら、また最初に戻り同じようにやっていきます。1冊を1年間で5回繰り返して読むことが目標です。
====引用ここまで。
勉強で大事なのは、問題を解くことではなく考えることです。
ですから、問題の答えは先に書き込んでおき、どうしてそういう答えになるのかを考えるという勉強ができればそれがいちばん能率のよい勉強になります。
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