中学の入試問題には、人生論あり、比較文化論あり、言語論ありで、小6の生徒が普通に読むような文章ではありません。
作文も、「人間は」とか「人間にとって」という大きい一般化した感想を書かなければなりません。
しかし、お父さんお母さんが、自分の子供のころをふりかえってみるとよくわかると思いますが、小6でそういう一般化したことを自然に考えられる子は早熟な子だけです。
ある調査によると、「人間は」ということを自然に書ける子は、小6の50パーセントしかいないそうです。
では、どうしたらいいかというと、考えはそこまで行かなくてもいいから、語彙だけを先に豊富にしておくのです。
その方法が問題集読書です。
しかし、問題集読書をひとりでコツコツやれる子はまずいません。
問題集の文章をエッセイ集のような感じで楽しく読めるのは、かなり実力のある子です。
だから、寺子屋オンエアでは、問題集読書をチェックすることをメインにして、希望によって先生に音読のメッセージを送れるようにしています。
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言葉の森の作文指導は、小学校低学年のときは楽しく書くのが基本です。間違いを直すことばかりに熱心な指導では、確かに間違いは直りますが、それよりもすぐに書くことが嫌いになってしまいます。
間違いは、作文の中で直すのではなく、読む力をつける中で直すのです。
一年生で会話をカギカッコで書くことと改行することができない子がいたとします。この子に、カギカッコと改行を教えて、次回から直るということはまずありません。何度も何度も同じことを教えても、それができるまでに何ヶ月もかかるのが普通です。
なぜかというと、普段の日常会話で、会話にカギカッコがついていたり、改行されたりしていることはないからです。あったら、漫画です。
会話のカギカッコと改行は、本の中で現れます。本を読んでいる子は、自然に、会話はカギカッコがついていて改行されていることを見ています。そういう読書の蓄積がある子は、もし会話のカギカッコと改行ができていないときも、一度説明するだけで次回からはすぐに正しく書くことができるのです。
言葉の森の作文指導は、低学年のころは楽しい作文ですが、高学年になると考える作文になります。
低学年のころの楽しい作文の経験があるからこそ、高学年の考える作文も同じように楽しく取り組めるのです。
考えるというのは、抽象的に考えるということです。
例えば、意見について理由を書くというときに、理由が書けずに実例を書いてしまう生徒がかなりいます。自分の経験したことに結びつけて書くことはできるのですが、誰にも共通する一般的な理由として書くという抽象的な思考ができないのです。
この考える力、思考力も、読む力から来ています。
子供たちが読む本は、物語文がほとんどです。物語文は、ストーリーという事実中心に書かれているので、わかりやすく誰でも読めます。
これに対して、説明文や意見文は、ストーリーがありません。その代わりに、物事の因果関係などの抽象的な構造が文章の骨格になっています。こういう文章を読むことによって、作文を書くときも抽象的な構造のある作文が書けるのです。
ところが、子供たちが楽しく読める説明文は、あまりありません。身近なところでは、小学生新聞に載っているコラムなどが読みやすい説明文ですが、こういう文章が本として出されることはほとんどありません。
そこで、おすすめするのが、国語の入試問題集です。入試問題集の問題文の中には、読みにくい悪文もありますが、概して内容的に優れたものが多いからです。また、内容に興味を持った問題文であれば、出典を参考にしてもとの本を読むこともできます。
しかし、この問題集読書は、家庭ではなかなかできません。形だけやっているように見えても、ただ眺めているような読み方をしている子が多いのです。
言葉の森では、寺子屋オンエアなどで、この問題集読書にこれから力を入れていきたいと思っています。
「思考力をつける作文と、その裏づけとなる問題集読書」
https://www.mori7.com/index.php?e=2300
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「私の友達」というテーマで作文を書いたとき、結びの感想に、「友情とは(人間にとって)」と書けるのが、精神年齢が成長している子です。
しかし、普通の小6の子は、そういうことはまず考えません。
小6の子にとって、友達とは、そこにいる具体的な友達だけなのです。
以前、自分が小6のとき書いた作文を読んだことがありますが、すごく幼稚でした(笑)。
小6のときの作文は、身近な話なら表現力の問題ですが、人生や社会についての話になると、その子の精神年齢に左右されます。
だから、作文を上手にするよりも、読む力をつけておくのがいいのです。
そこで身につけた語彙力が、その後の作文の中に生きてくるのです。
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小1の勉強は簡単です。
しかし、この小1のときの勉強のスタイルが、その後の子供の勉強スタイルの土台になります。
だから、勉強の中身ではなく、勉強の仕方を工夫することです。
そのやり方は、子供が何をどういう手順でやるのかを教えで、きるだけひとりで勉強をする習慣をつけることです。
そして、子供が勉強している間、親は近くにいてにこやかに見守るような立場にいるのです。
じっと見守っていると、つい注意をしたくなることも出てくるので、親も近くにいて読書をしたり仕事をしたりしているといいのです。
子供が何かを聞いてきたら、いつも優しく教えてあげ、何度同じことを聞いても、何度も同じように優しく教えてあげます。
子供が小さいころの勉強は、親の精神修養だと思ってやることです。
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小学1年生で勉強することなど、たかが知れています。どの教材でも誰が教えても、大差ないものです。ですから、市販の教材でも通信の教材でも自由に選んで、身近なお母さんが教える形で十分に勉強できるのです。
しかし、大事なのは、このときの勉強の仕方です。勉強の中身そのものは誰でもできる(できなければならない)基本的なものなので、どういう教材をどう教えてもできるようになります。しかし、そのときの勉強の仕方は、実は千差万別なのです。
そして、このときの勉強の仕方が、その後の子供の勉強の仕方の土台になります。だから、この時期は、何をやるかとか何を身につけるかということよりも、どうやるかということが大事になってくるのです。
では、どうやればよいのでしょうか。
まず第一に大事なことは、明るく楽しくやることです。少学校低学年は、苦しい勉強をする時期ではありません。苦しい勉強の方がやりがいが出てくるのは、もっとずっとあとになってからです。小学1年生のときは、できるだけ楽にできるように、少しでも子供が困っていることがあったら、どんどん手助けしてあげることです。
これは、作文でも同じです。低学年の子に、無理に自分の力で書かせる必要はありまぜん。楽に書かせることが大事で、そのためにはいくらでも助け舟を出してあげることです。
しかし第二に、自分のペースで自主的にやる勉強スタイルを作ることです。そのためには、何をいつどういう順序でやるかということを、一つの流れとして作り、子供が自分の意思でその流れに乗るようにすることです。
よく、お母さんが、「次は、これ。それが終わったら、今度はこれ」と指示するような勉強の仕方をしている家庭が多いのですが、それでは、やらされる勉強になってしまいます。勉強の開始は、親が指示しないと始められないこともありますが、どういう順序でやっていくかということは、子供が自主的にやるような仕組みを作っておくことです。
「小学1年生の勉強の仕方が、その後の勉強のスタイルを作る」
https://www.mori7.com/index.php?e=2306
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子供が小さいときの勉強でいちばん大事なことは、親がいつもにこにこしていることです。
勉強の中身などはどうでもいいのです。
子供には、勉強を教えすぎないことが大事です。
しかし、もう一つ大事なことは、矛盾するようですが、子供が何かを聞いてきたら、できるだけ脱線して話を続けることです。
子供は、この脱線が好きなのです。
小学1年生から自分で勉強するスタイルが見につくといいですね。
子どもが小学生になった途端、「自分でやりなさい」「自分で調べなさい」と言っていたような気がします。
「子供が何かを聞いてきたら、いつも優しく教えてあげ、何度同じことを聞いても、何度も同じように優しく教えてあげます。」
こんな優しい態度で接してあげたらよかったなぁと反省。
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算数の成績に遺伝はありません。
後天的な努力によって成績が上がります。
国語は後天的な努力によってはなかなか成績が上がらない気がします。
しかし、国語も先天的なものではありません。
短期間の努力で成績が上がらない気がするのは、国語力は生活の中で身につくからです。
例えば、学校でまだ習っていない漢字を読める子がいた場合、それは漢字の読みの勉強をしているよりも、読書の中で自然についたと考えられるのです。
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頭のよさが関係ある勉強というと、算数数学を挙げる人が多いと思いますが、算数数学は練習の仕方で成績がよくなるので、後天的な努力型の勉強です。もちろん努力には時間がかかりますが、やれば誰でもできるようになります。
では、もっと頭のよさに関係がある勉強は何かというと、それは国語力なのです。その国語力の中でも、小学生の場合は作文力が、中学生の場合は語彙力や読解力が、頭のよさに関係が深いというイギリスの心理学者の調査結果が出ています。
国語は、特に勉強をしなくても誰でもある程度はできるので、それほど差のつく勉強だとは思えないと思います。確かに、日常の話題のような易しい語彙だけで済ませられる国語の問題は、できる子もできない子もほとんど差がつきません。
作文でも同じです。身近な生活作文を書く範囲では、国語の得意な子も苦手な子も、同じようにそれなりの文章を書けるのです。
差がつくのは、抽象的な語彙が出てくる読解や作文の課題になったときです。そのときに、本当の学力のある子とない子の差が出てきます。そして、その差は、学年が上がるにつれてますます広がっていくのです。
「頭のよさは国語力に出る」
https://www.mori7.com/index.php?e=2304
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では、読書力をどうやってつけたらいいかというと、いちばんいい方法は、オンエア講座で、友達相手に本の紹介をすることではないかと思います。
読書自体の面白さが最も大切ですが、読み続けるきっかけは友達も読んでいるからということが多いのです。
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読書実験クラブや思考国算講座で、子供たちに読んでいる本の紹介をしてもらうと、みんなとても上手に本の中身を説明してくれます。
もちろん、低学年の子の多くは、最初から最後まで本のあらすじを言うような紹介が多いのですが。
そのお互いの本の紹介を聞いて、自分もその本を読んでみたという子がときどきいます。
こういう交流が広がれば、読書も更に楽しくなると思います。
小学生のころは、読書が好きなら勉強など何もしなくても大丈夫だと思います。
何もしなくてもというのは、学校の勉強だけでということです。
ただ、今は学校によっては荒れているところもあるかもしれないので、その場合はスタディサプリなどで補強しておけばいいのです。
教科書は、先生が教えることを前提にして作られているので、教科書だけでの独学は難しいと思います。
教科書の代わりになるものは、教科書準拠の参考書と問題集で、そういうものもいくつかあります。
数学の読解問題も、国語力がないと解けない場合がありますね。
先日、小4の娘がビブリオバトルをやりましたが、友達に読んでもらいたい本を一生懸命考えていました。本嫌いの子にリサーチして、読めそうな字数を聞いたり、男女問わず興味を持ちそうな題材の本を探したり……。相手に面白さがどう伝わるかを工夫している姿に考える力がついてきているのだなあと思いました。また逆に紹介された本の中にも、自分のテリトリー外の本があったようで、また読書の幅が広がりました。
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子供の成長は近くで見ているとわかりません。
逆に、どうしてこんなにいつまで言ってもわからないのだろうと思うときもあります。
しかし、それでも気長に褒め続けて毎日の読書や音読をさせていると、ある日突然、いつの間にかこんなにできるようになっていた、と思うときが来るのです。
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毎日わずか2、3分、同じ文章を音読して半年間もすると、いつの間にか語彙力がついてくるから、読解力も表現力もついてきます。
ところが、多くの人は、あるときふと思い立って集中的に難しい勉強に取り組んで、しばらくすると飽きてしまいます。
雨だれではなく、どっと夕立が降るような勉強です。夕立はさわやかですが、もちろん岩は岩のまま変わりません。
では、雨だれのような勉強をどうさせるかというと、それはやはり、雨だれのように毎日優しく同じ勉強をさせる大人が必要になるのです。
子供は自動機械ではないので、一度ボタンを押したらそのままずっと続ける、というようなことはまずありません。
気が散りやすく、飽きやすく、脱線しやすいからこそ、人間らしい創造性があるのです。
その飽きっぽさを是認した上で、毎日同じように同じことをさせるのが家庭学習のいちばんの要です。
寺子屋オンエアの勉強は、この雨だれのような勉強なのです
「勉強は、雨だれ岩をも穿(うが)つようなもの」
https://www.mori7.com/index.php?e=2303
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(2月中はサーバー移転により記事を書く時間が取れないため、言葉の森のこれまでの記事の中から話題になったものを引用して記事を書かせていただきます。森川林)
・いつもの公園に行くと、いつもと同じような鳥が2羽、いつもと同じように草原の上を散歩していました。
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雨だれ岩をも穿つは、いつも思い出したい言葉だと思います。
難しい勉強をさせればよいというわけではありません。焦らず着実に家庭学習の習慣をつけることが大事なのですね。
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言葉の森は、作文専科の作文教室を35年間続けてきました。だから、作文指導の難しさというものがよくわかっています。
最近、受験に作文が増えてきたために、学習塾や通信教育で作文講座を開くところも増えてきました。
しかし、そういう新しい作文教室は、言葉の森がもうとっくに通り過ぎてきたところに力を入れているように思えるときがあります。
その一つは、作文の大切さを力説していることです。例えば、考える力がつく、入試で記述力が問われるようになる、などです。
もちろん、大切さを説くのはいいのです。しかし、本当はもっとその先を行く必要があるのです。
では、その先はどこかというと、それは、意欲的に作文の勉強を続けさせる工夫です。
作文の大切さということをいくら言っても、作文の勉強のように苦しいことは子供はなかなかやりたがりません。
入試に作文試験があるという場合は、子供も意欲的なので教えやすいのですが、そういう目標がないところで、小中学生に作文を教えるというのはかなり工夫が必要です。
その工夫の一つは、先生との関わりを強めることです。それが毎週の電話指導です。電話指導をきっかけに作文を書くスタイルができれば、提出が滞るということは少なくなります。
また、近年は、電話指導以外に、オンラインで先生やほかの生徒との交流ができる企画も並行して行っています。それが、オンエア講座やプレゼン作文発表会です。
また、このオンラインの講座を生かして、国語力以外に子供の学力の重要なもう一つの要素である理数力の指導も受けられるようにしています。
新しい作文教室が力を入れて宣伝しているもう一つは、小学校低中学年の子供たちの成果を強調することです。
例えば、スラスラと書けるようになった、いろんな知識が身についた、などです。もちろん、低中学年で成果が上がるのはいいのです。しかし、本当はもっとその先を行く必要があるのです。
小学校低中学年の成果の先にあるものは、真の実力をつけることです。
真の実力とは、小学校高学年、更には中高生になってからの高度な説明文、意見文、論説文を書く力です。
そのために、言葉の森では、作文指導の土台となる国語力、読解力の育成に力を入れています。
その一つが、暗唱検定や音読の自習や国語問題集読書などで読む力をつける指導です。
また、オンエア講座などでは、作文の予習のやりやすくするために、次の週の作文の解説を行い、それをもとに家族で作文の課題についての対話ができるような工夫をしています。
このような工夫をしている結果、言葉の森の作文課題の提出率は現在94パーセントになっています。小学生から中学生までの生徒の毎週の作文課題の提出率ですから、通信教育のわりにはかなり高いと思われると思いますが、本当はこれでも不十分です。
提出率は、風邪や旅行で休んだ以外はすべて100パーセント提出できるのが本来の姿です。
誰でも経験があることだと思いますが、人間は、一度でもさぼると、あとはずるずると全部さぼってしまうという傾向があります。
だから、課題提出率が90パーセントを切っていたら、それは10回に1回は提出しなかったといことですから、親が言わなければやらないレベルに近づいているということです。
言葉の森では、今後、この課題提出率を100パーセントにすることを目指して、これからの指導に取り組んでいきたいと思っています。
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作文指導が難しいのは、教えるところではありません。
子供に意欲的に書かせるところが難しいのです。
だから、ここで、子供と先生やほかの友達との人間的な関わりが必要になるのです。
作文の課題提出率は100パーセントが基本です。
もちろん、風邪で休んだり、旅行で休んだりしたときは休んでいいのです。
しかし、うやむやのうちにやらなかったという日が1日でもあると、あとはずるずると休み続けるとなることが多いのです。
だから、課題提出率が80パーセント程度というのは、親が口うるさく言ってやっとやらせているレベルです。
ちなみに、言葉の森は94パーセント。まだまだ不十分です。
楽しく書くからこそ提出率も高いのですね。中高生でも忙しい中、しっかり提出している生徒さんが多いです。
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