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 作文検定 | 言葉の森 | 作文教室【公式】
 
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勉強と向上心 as/915.html
森川林 2010/05/26 20:22 
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 人間には、だれにも向上心があります。人生のある時期に、「よし、これからがんばってやろう」と思う転機のようなものが必ずあります。そして、その転機は往々にしてたっぷり遊んだりさぼったりしたあとにやってきます。

 親は子供の成長を願うあまり、幼稚園や小学校の低学年のころから、子供を向上させようとしがちです。しかし、本人に向上しようという自覚のない時期に勉強をさせると、やらせすぎる弊害の方が大きくなることがあります。この時期は、遅れる心配よりも、やらせすぎる心配の方をする必要があるのです。

 低学年のころ、真面目で、勉強もよくでき、本もよく読んでいた子が、中高学年になるとだんだん勉強しなくなるというケースはよくあります。また、小学校時代しっかり勉強していて小6まで真面目だった子が、中学生になって急にさぼりだすということもよくあります。

 こういう状態になると、親はとまどいますが、これは、いったん休んで、また子供自身が納得してがんばりはじめるまで待つしかありません。子供は、小さいころの勉強のやりすぎを、途中でたっぷりさぼることによって回復しているのです。

 一生がんばり続ける子も、一生さぼり続ける子もいません。ある時期さぼって自分を回復した子は、必ずまた自分の力でがんばるようになります。

 こういうことを見るにつけても、人間は、ブロイラーのように管理できるものではないということを思わされます。

 親と子では年齢が違うので、つい親は、子供のすべてをコントロールできるように考えがちですが、それぞれの魂の成熟度は、実はそれほど変わりません。一人一人は、自分でしか解決できない課題を持ってこの人生を生きているのです。

 親のできることは、年長者としての知識を生かしながら、子供を対等の人格を持ったものとして尊重していくことです。子供が未熟なように親も未熟です。お互い未熟な者どうしが試行錯誤の中で次第によりよい人生を築いていくというのが真実の姿にいちばん近いと思います。

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名無し 20140821  ▽
すいません。申し上げにくいのですが、ちょっと参考にしてもらってもよろしいでしょうか。

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旧小1の3月4週の読解問題の採点を直しました as/914.html
森川林 2010/05/25 15:17 
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 旧小1(現在小2)の生徒が3月4週に行った読解問題の採点が「山のたより」に正しく表示されていませんでした。
 原因は、新学期の切り替えと採点がぶつかっていたためのようです。
 該当者は、次の13名の生徒です(abc順)。今は正しく表示されています。どうも申し訳ありませんでした。<(_ _)>
 kariwa kihesi kikuhi kimeku kineyu kiriru kirito kisuwa kitato kitayu kitie rihimi torata 

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作文が苦手な子でも大丈夫 as/913.html
森川林 2010/05/25 10:45 
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 小学校1、2年生の子の保護者の方からときどき、「学校で日記や作文の宿題があるが、うまく書けない」という相談を受けることがあります。小学校5、6年生でも、苦手意識を持つ子は多いようです。

 言葉の森の作文指導は、どんなに苦手な子でも大丈夫です。そのコツは、事前指導にあります。

 一般に、通信の教室でも通学の教室でも、作文指導は、書いたあとの指導に力を入れることが多いものです。しかし、書いたあとの添削だけでは、作文の力はなかなか身につきません。

 スポーツの場合でも、サッカーなどで、「あのシュートがよくなかった」と言われて、次回からいいシュートができるようになるかというと、そういうことはありません。悪いシュートを注意することではなく、いいシュートを放つ練習をして初めて、いいシュートが身につくのです。

 作文の場合、その練習が、読書と暗唱と、実際に作文を書くことです。

 では、書けない子がいた場合、どのように指導するのでしょうか。言葉の森では、先生が生徒に書くことを教えてあげます。苦手な子の場合は、文そのものを言ってあげるような形で教えます。

 このやり方は、家庭でも生かすことができます。

 構成図を使う場合は、お母さんが鉛筆を持って子供の横にすわり、子供と話をしながら構成図をどんどん埋めていきます。十分ほどで構成図がほとんど埋まったら、「これを見て書いてごらん」と言えば、子供はすぐに書き出せます。構成図を使わない場合は、お母さんが一文ずつ言ってあげます。


 私(森川林)が教室で一文ずつ言う場合は、ときどき冗談を入れます。例えば、「料理を作ったこと」で書く場合、

先生 「はい、じゃあ、言うよ。『ぼくは、きのうブタの丸焼きを作りました』」

生徒 「えー! そんなの作ってないよ」

先生 「まず、近くの公園にブタをつかまえに行きました」

生徒 「だから、作ってないって。それに、公園にブタなんていないって」

先生 「じゃあ、何を作ったの」

生徒 「えーとねえ。玉子焼き」

先生 「じゃあ、『ぼくは、きのう、玉子焼きを作りました』。はい、書いてごらん」

生徒 「……。書きました」

先生 「まず、最初に、玉子を空手チョップでわりました」

生徒 「えー! そんなことしてないよ」

 こういう感じで書いていけば、親子が対話を楽しみながら作文を書いていくことができます。

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 意外に簡単な暗唱、問題集読書、四行詩。意外に難しい音声入力とフォトリーディング。実力のある子はよく書ける構成図 as/912.html
森川林 2010/05/24 10:05 
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 暗唱の指導を始めたころ、驚いたのは、小学校1、2年生で最初はつっかえながら読んでいたような子が、すぐにみるみる上手になっていくことでした。

 ところが、学年が上がり、本来上手に読めるような年齢になってくると、かえって暗唱するのに時間がかかるようになってきました。「棒読みでいいから音楽のようなつもりで読む」ということが、高学年になると、かえってわかりにくくなってくるのです。

 更に、中学生以上になると、文章が説明的な文章になってきます。また、中学生のころは、物事を理屈で理解しようとする時期なので、単純な暗唱がかえって難しくなってきます。この場合でも、説明文の暗唱をイメージ記憶を使ってやれば、かなり簡単にできるのですが、イメージ記憶のように無邪気なダジャレの精神が必要なものも、中学生のころは難しくなるようでした。

 しかし、小学生までの生徒は、長い文章の暗唱も毎回あまり苦労もせずにやっているようです。


 暗唱のほかに、もう一つ、事前の予想に反して意外によくできたものが、高学年以上の問題集読書です。読む文章が入試問題なので、難しくて嫌がる子が多いかと思いましたが、みんなかなり熱心にやってきます。もともと入試問題に取り上げられるような文章なので、難しいだけでなく、内容的にも読ませるものがあります。子供たちは、勉強と同時に、読むのが楽しいという面もあって読んでいるように思いました。


 もう一つ、予想と違って、意外と簡単だったのは、読書をしたあとの四行詩です。しかし、これは、小学校1、2年生には、ちょっと負担だったようです。それは、小学校低学年のころは、書くという作業自体に慣れていないという理由によるものです。しかし、小学校中高学年以上の子は、内容のある四行詩をよく書いてきます。特に、国語の実力のある子は、毎回優れた内容の四行詩を書いてきます。


 さて、次は逆に、予想に反して意外と難しかったものです。その筆頭は、音声入力です。慣れれば、これほど楽に活用できるものはないと思うのに、中高生の子はなかなかスムーズに音声入力ができませんでした。一つには、教室でやるので、人の目を気にしていたということもあると思います。もう一つは、構成図が充実していないうちに、入力しようとした子が結構いたことです。更に、日本語は、文末の処理が難しいので、構成図では文末を考えずにどんどん書けますが、それを文章化するときは、文末を考えないといけません。結局、文末の手直しをするのに時間がかかるという面が出てきたということもあったようです。


 もう一つ、意外と難しかったのは、フォトリーディングです。フォトリーディングのコツを覚えると、本を急いで読みたいときは、20分ぐらいで読むことができます。しかし、小学生の子供に、フォトリーディングをさせるのは、動機の面からも能力の面からもやや無理があったようです。フォトリーディングが活用できるのは、読む力がついた中高生以上になると思います。


 簡単とも難しいとも言えないのが構成図です。構成図には、その子の実力が表れてくるようです。中学生でよく書ける子は、構成図もかなり充実したものを書いてきます。10分ぐらいで構成図を完成させれば、もう作文に書くものと内容的には同じことを考え終わったと言ってもよいぐらいです。しかし、作文に書く内容自体が簡単な小学校中高学年の場合は、構成図を書くことが、作文を書くことと二重手間になると考える子もいるようです。

 ただし、将来のことを考えると、作文を書く前に、自分の書くことを考えておくという発想は大事ですから、これから構成図をもっと上手に書けるような工夫をしていきたいと思っています。

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4月の森リン大賞(中3-社) as/911.html
森川林 2010/05/22 09:47 
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 4月の清書をもとにした学年別の森リンベスト10です。

 中高生や社会人のみなさんは、難しい課題が多くなりますが、よく考えて書いています。




※ 1位の作品はよく書けていますが、段落が少ないので、やや読みにくくなっています。読みやすい段落の平均字数は150字ぐらいと言われています。次回の清書は、段落を工夫して書いてみてください。

4月の森リン大賞(中3の部67人中)

踊りたまえ大地の子らよ
おむふ

 人はいずれ“歩く”ことを忘れるかもしれない。 古来の生物でヒラコテリウムというものがいた。多くの人が知らないであろう。うさぎほどの大きさのさえない哺乳類である。まだ豊麗であった原始の森に住まうさすらい人であった。今から5400万年の太古、人類の祖先が樹木から離れ生活するはるか以前のことだ。さすらうヒラコテリウムはやがて森を離れ草原へと赴いた。その地で外敵に追われながら生きるうちに彼らの一族はしかるべき体へと進化を遂げてゆく。長き距離を走り自分を狙う呪わしい外敵から逃れることができるだけの体。パラヒップスの登場である。そして彼らは大地と菜の甘美なる力によりついに進化の果てに、そう馬となったのだ。ここまではよかった。生物が自然と共に華やいだ世界を謳歌していたこのときは・・・。だが、優雅に彩られたこの世はこれまでにみない寸鉄のごとき生物に淘汰されていった。人類である。彼らは自分の足で歩かぬ術を知る種族である。自然の中で栄えたあの“馬”をはじめとしてその延長線上にある馬車、そして1769年フランスのキュニョーが三輪蒸気自動車を製造してからというもの人はますます自分の足を使わずに生きてゆくことを憶えていった。今日ではかつての石炭は電気にかわり、危うき航海を経てたどり着いていた他国へと飛行機により行けるようになった。このように航空力学、海洋学、地学、化学と科学文明は大地は当然、今では巡航探査で深海底へ行き、ボイジャー一号などは太陽系外へ向かう時代であるから世界を淘汰する勢いを持っている。しかしこの科学文明と人類の進化は私には少し異常に思われる。今までの生物の発展とは先述した馬のように自然に適した様態、自然と共存してゆくためのものである。だが本来あるべきこの発展から人は外れているように思われる。農耕のための土地の開拓、科学文明発達のための地球資源の異常な使用。これらのすべてが自然に従うというよりも、自分らの手で世を変え便利な世につくりかえていこうとしているようにみえる。だからこそ思うのだ。便利さを追求するあまり馬、車と歩くという行為を怠り人はいずれ歩くことすら忘れてしまうのではなかろうかと。手間の多くが省かれ、幸と富のあふれる潤沢な生活が日常茶飯事となる。そうした世界が予見できるのが今日の人類の有様だ。だがこうも思う。科学文明による快適さを求めるのも生物として当然であるかもしれないが己の感受性を磨くのは鉄と電気(エレキ)ではなく、味彩と香り豊かな自然ではなかろうか。人類史は今ここでそれを感じ、有意義な“手間”というのを考えるべきなのではなかろうか。単に便利さのみが人生の至福ではなかろう。エルフという空想の種族がある。北ヨーロッパの民間伝承に登場するもので、北欧神話におけるかれらは自然と豊かさをつかさどる小神族である。森や泉に住むとされ、自然と共存している種族だ。もちろん伝説上の種族であるが私はエルフのようにあれたらと思う。エルフの生き方こそ私の思うものであり理想である。しかし、人々は伝説のようになれるのだろうか。今の便利な世になじんだ我々にとって今から有意義な“手間”を思い出しその中で生きる喜びを感じ心を磨いていくことはできるのだろうか。エルフのように生きるにはどうしたらいいか。それについて考えていく。

 第一に“手間”から得るものを今一度感ずることにより科学文明への過剰な執着を避けるという方法がある。だれしも一度は自分の血肉をもってして動き、自然の未知を知る喜びを知っているはずである。今日でも登山が世界中で行われていることがそれを示唆する一つの証拠である。“山に登る”という手間のかかるものの中にも人々は豊かさと喜びを感じている。こうしたように、今まで忘れていた自然の豊かさを振り返る機会をつくるべきなのではなかろうか。今の社会人は異常なほどに多忙である。特に不景気とされる今の社会では残業・職探し・他に受験勉強と人々は時間に追われてしまっている。そうした環境下においては少しでも手間を省きできるだけ便利にすごしていきたいと思うのは当然のことといえよう。むしろそういった一刻が己を左右するという状況で手間を楽しむということのほうが異常である。便利さへの依存の原因は現代社会のせわしなさにあるだろう。今の社会の失態は民に時間の余裕を与えていないことにある。ドイツの哲学者ニーチェはいった。「わたしが神を信ずるなら、踊ることを知っている神だけを信ずるだろう。」実際にニーチェは踊るわけではないが、頭脳ではなく体を動かし自分の中の抑圧を解放していく感覚を、踊りの高揚感として実感せよということである。この考えは肉体感覚だけでなく、日々の発見の喜びや豊かな感性にも同様のことをいえる考えだろう。そうとも今一度便利さ以外にも“生”の喜びをおぼえるあの感覚を感じる必要がある。そのためにもまず異常にせわしないこの社会を根幹から変えていく必要があるだろう。そうすればおのずとエルフの生き方に近づくはずである。

 第二の方法に科学文明の中でも本来の生きる喜びを感じられるようにするということがある。今までの私の説明ではまるで社会が悪、自然が善というようにも思われてしまうものであるが私はそんなことは毛頭考えていない。勧善懲悪をなしてゆくつもりではない。むしろ文明は多くの恩恵を我々にもたらしていると思う。自然に勝るとも劣らない恩恵だ。ロボット工学による義手の開発や食品の安全のための加工、水の消毒などが恩恵の例である。その上、利便さを追い求め一途に文明を発展させてきた人々の歴史を尊くも感じる。だからこそ文明に依存することなく“手間”と“文明”矛盾しているようにもみえるこれらを共存させていかなければなるまい。ビル街の屋上に緑の広場をつくったり、公園を増やし、自然を取り入れたりすることもこの共存に一役かっている。こうしたこころみに望み利便と手間との適度な共存をしてゆけばなにかが生まれ出でるはずだ。

 利便さにあふれた生活はたしかにちょっとしたゆとりをもたらすものであるかもしれない。また手間を省くというのは人類の古来からの心意気ともいえる。しかし自然の魅力を感じ有用な手間をつくることにも大いなる意味がある。それを思い出すことが我々の課題であり使命である。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1位●踊りたまえ大地の子らよおむふ92259471879484
2位●人間が時間に追われるようになったのは。snow boy90125264778887
3位●untitled(「・ω・)「がおー87128558677790
4位●過去か未来ではない今という選択arugebak83166157879980
5位●古きよきものVS斬新奇抜音楽大好き少年83116154748387
6位●効率的に生きることいちごサクラ83111954646987
7位●弟と私とたまに母とたまぁに父S-124080126356598787
8位●歩いてはじめてわかることポチト8085457717489
9位●自分なりの生き方をファラオ7883054587192
10位●ゴミを活用できる人AIRIOKA7676447627389



4月の森リン大賞(高1高2高3社の部147人中)

人の死は心の死
LOLLIPOP

 脳死にまつわる社会問題に我々が今悩まされている原因は、人間の死に対しての私たちの認識や理解の混乱のように思われる。心臓死は、血流が途絶えることで全身の生命活動が停止し、身体の一部がまだ動いているということはない。しかし脳死の場合は、脳の活動が停止したとしても、全身の生命活動の停止がそれと同時に起こるわけではない。人格はなくなってしまったのに心臓は動き続けることができ身体は生きている。その人の人格はないのに身体は生命活動を続けているという状態は死であるのか。人の死について、また死の扱いについてよく考えるべきだと思う。

 そこで、脳死状態にある人から正常に動いている臓器を他へ提供することがあるが、この時のその人の人格を考えてみたい。考えること話すことなど人としての人格を失った人の了解なしで、勝手に臓器が取られてしまう。もし、身体の生命活動の停止を人の死ととらえるならば、この臓器提供という行動は全く問題ではない。しかし、この行為に対してためらいの意があるために議論されているのが今の日本の現状である。その人の人格の死は、身体が動いていても死になるのかと悩まれている。植物や動物には人間の人格に値するものはおそらくないであろう。それらは、自然の中で生命をつなぎとめるために、共存するために生きていると思うからだ。しかし、人間は他の生き物にはない能力が備わっており、特に心というものがある。これは、人間と他の動植物との大きな差だと思う。人間らしいと言われる根源には、おそらく心があるかの相違があると思う。人の優しいとか意地悪だとか性格すなわち人格の基となるのは心だろう。そして、この心というのは決して目に見えるものではない。その人自信を感じるのは心である。そのために、考えや思いを伝える働きを支えている脳が死んでしまうとその人の人格は勿論、心も死んだことになる。人と動植物の大きな違いである心が失われた身体は人間であるのに人間味を失ったまま身体だけが生きていることになるので、私たちはこの状態を人の死だと割り切って言えないのだ。

 脳死患者の臓器移植で死の扱いについて考えてみる。脳が死んでいても心臓が動いている限り他の臓器も活動しているので生物的に生きていることになる。新聞である家族の一人の脳死患者に臓器を移植して長期間、身体だけ生きることになったという記事を読んだことがある。身体的生命は今のテクノロジーのおかげで他者の臓器に支えられてリレーのように生をつなぎとめることができる。しかし、私が読んだ家族は身体だけでも動いてるのだから意地でも死なすまいというように思えて、脳死者本人のためなのか疑問に感じた。死と生の中間にいる人にとって何が一番良いのかは本人に聞かないと分からない。だが、死というものは必然的に誰にでも訪れることであり、自然の営みの中で私たちが生まれたように、死も自然の成り行きのままに迎えるのが望ましいのではないかと思う。

 ますます医療のテクノロジーが発展し続ける非人間化する世界の中で生きていることを自然を通して冷静に考え、死について向き合うべきである。人の死は、生命的な死ではなく、人格の死である。脳死も心臓死も人格が喪失した時点で人の死と捉えることができると思う。しかし、その人が周りの人々の心に残したことは消えることはなく、その人を思う心の中に生き続けるのである。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1位●人の死は心の死LOLLIPOP92140071828596
2位●あなたは学生ですか?カエル89101066889192
3位●手間が導く幸せBABY★BLUE87144858869492
4位●人間の内面的部分さくら86107959898887
5位●隠れる心理とサングラスいさせ85137661727581
6位●マーブル状に存在しているくま王子85115362607583
7位●ゴミを生かすメグ84133352667980
8位●さて十九世紀のまいう8392758698393
9位●知る喜びちこちこ83111252708189
10位●技術と人間ゆうちゃり~8399153807690


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森リン(103) 子供たちの作文(59) 

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4月の森リン大賞(小6-中2) as/909.html
森川林 2010/05/21 09:50 
修 削

 4月の清書をもとにした学年別の森リンベスト10です。

 感想文課題のときも、自分らしい個性的な実例が上手に書けています。




※ 1位の作品は、要約の部分がかなりありましたが、ほかの段落もよく書けていたので、代表作品としました。次回の清書は、要約の部分は省略するか、自分なりの説明に書き換えてみてください。

4月の森リン大賞(小6の部132人中)

里山を歩いていると
ひたえ

 今、美しく維持されている里山は、必要なてまひまを、すべて里山の人々の善意に負っている。だが、わたしは、里山を私有財産という枠組みの中だけで考えていたのでは、守れないと思う。都市に暮らす人々が、大切な里山を維持してもらえるように里山の人々に対して相応の負担をするべきではないかと考えている。また、開発が進む里山では、野生動物たちが訪れる森が分断されることが多くなった。このため、野生動物の交通事故が増えているようだ。だから、人間の側の注意と配慮がもっと必要だ。野生動物にとって一番いいのは、緑のコリドーという、野生動物の体を隠してくれる緑の廊下だ。緑のコリドーを伝わって、里山の野生動物が姿を見せてくれたら、どんなに楽しいだろう。そして、大切なのは、野生動物とのほんとうの付き合い方をわたしたちがしっかり知ることだ。

 森には、運動のため、楽しむためだけではなく、体を休ませるためというのもある。森の緑は、人に安らぎを与えることもできるのだ。わたしの家族はよく、山などへキャンプに行く。それは、安らぎを感じることでもあり、いままでにたまった疲れを取るためでもある。そういう目的で、キャンプに行くのだ。キャンプであたりの山道によく、「ごみを捨てるな」などという立て札がある。立て札は、ここに来た人がやっていたことの、悪さの証拠でもあるので、どんなにきれいな風景の山でも、そういう立て札があると、せっかくの気分が壊れてしまう。だから、一人ひとり、個人個人が気づいていかなくてはならないことなのだ。

 野生動物の安全について、緑のコリドーというように、例えば、絶滅寸前の動物を保護する活動がいろいろある。その中で、先日、トキのような大切な鳥が、ある日突然テンに襲われてしまい、九羽も死んでしまう事件があった。保護する中で、周りの危険に常に注意を払わなければならない。

 山の自然や生き物を守るために、人間が手を加えて、動物がより良いくらしになればいいのだとわたしは思うけれど、ぎゃくに、自然に影響が出てしまったらどうだろう。人が手を加えて、ひとつの生き物は住みやすくなったけれど、それにかかわる生き物に影響が出てしまう。こんなことは決してないとは言い切れない。

人間にとって自然はただ楽しむだけの存在ではなく、生きていくために欠かせない存在なのだ。前に国語の教科書に載っていた、「サクラソウとトラマルハナバチ」という話では、サクラソウを守るためには、受粉をするためにトラマルハナバチが必要で、そのトラマルハナバチのすみかになる穴を掘るネズミが必要になる。この三つの生き物がひとつでもいなくなると、他のすべての生態系が崩れてしまう。だから、自然を守るためには、人間だけでなく、それに関係するすべての生き物を守っていかなければならないのだ。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1位●里山を歩いているとひたえ84116556617587
2位●神様は一番えらいドレミ8288756677896
3位●物事の土台まかじろう8112735710611384
4位●難しい野性動物すずめ8195653607590
5位●普段の小さな〝ありがとう〟なみり80106549607690
6位●第一歩のための目標あんこ80112849546287
7位●里山は日本の宝コレルリ79897448210487
8位●目標の役割ブレイド79104943819884
9位●さようなら、山田先生バナナ佐々木78104846649783
10位●山は生きているしもん7882652607581


※ 1位の作品は、書き出しの1マスが空いていなかったので直しておきました。ワードで入力したものをそのままフォームに貼り付けると、ワードのスペースは書式だけのスペースなので消えてしまいます。いったんメモ帳などにコピーし、メモ帳の上でスペースをつけてからフォームに貼り付けておくといいと思います。

4月の森リン大賞(中1の部108人中)

他を認める
闇の女帝

 普段私たちはコインを丸いものとしか見ない。でも見方によっては薄い長方形や短い棒状に見えることがある。それは誰でも承知しているが、実際に「コインは長方形だ」というと変な目で見られてしまう。けれど物事をいろいろな視点からみていろいろな感想を持つのはいいことなはずだ。なぜなら皆が同じ視点から物事をみれば、そこから生まれるものは何もないからである。しかし、奇想天外な見方をしてうまれた新しい事実は、大概発表すると世の中の批判や野次の的となる。だから、新しい意見を出すことに躊躇する人や世の中の常識、見方に満足する人が増加して、私たちの創造力はますます失われていく。どうして、こうも人は新しい考えを拒絶するのだろうと私は考えてみた。

 理由①。自分の意見より、新しい意見を推す人が増えれば自分を支持してくれる人が誰もいなくなってしまう、ということに恐れを抱いているから。だから新しい意見に猛反発したり批判したりして、どんな行動をとっても新しい意見を潰そうと企んでしまう。意見というのは誰かに支持されることによって、初めて意見とよべる。発案者だけが支持する意見なんて、恰好悪いと思っている人が多いのだ。しかし、実際はそんなことはない。今では当たり前になった地動説、しかし昔では天動説が信じられていた。更に天動説に多少のほころびがあっても、天動説を支持する者は圧倒的に多く、たびたびそのほころびは無視されてきた。そんな中、出てきたのはガリレオ・ガリレイである。ガリレイは、木星の衛星、金星の満ち欠け、太陽の黒点などから地動説は正しいと確信し、地動説についての本を出版した。それを理由にガリレイは裁判にかけられてしまい、有罪判決を受ける。そして彼は「それでも、地球はまわっている」という有名な言葉を残し、亡くなってしまうのだ。ガリレイは一人でも(内密に支持したひともいるかもしれないが)、自分の意見をちゃんと持ち、結局その意見は正しかった。自分の意見に自信を持って、支持する人が減っても、新しい意見を叩き潰すのはいけないことだと思う。

 理由②。自分の意見は正しいと思いこんでいるから。これは一番いけないことだと思う。思い込みというのはよく災難を引き起こすものだからである。自分の意見を正しいと思っている人は、自分の意見に陶酔して、素晴らしい意見を出した自分に自惚れているのだろう。もしくは、視野が狭く一方的な見方しか認められないのかもしれない。しかし、自分にだって盲点はあるだろう。他人の意見をきくことで「あっ」と思うことがあるに違いない。そして、その意見を認めるか、認めないかでその後の将来は大きく変わってしまうのだ。その意見を認めれば、より強力な意見ができ新しい見方に納得することができる。しかし、意地を張って自分の意見を押し通せばやがて決裂することだろう。他人の声に耳を傾ける広い心をもたないと、物事は進まないのだ。

 しかし、どうしても負けられない相手に気づかされたことはなかなか認められないものだ。でも、そこで認める、強い心を持つひとが真の英雄、真の勝者となるのだろう。だから、私は物事をいろいろな角度から見るのはよいことだと思う。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1位●他を認める闇の女帝87131658899189
2位●レトリック感覚の重要性よっしー85154852627583
3位●矛盾…バービー85118468607381
4位●あだ名はよい(清書)コッペパン84113953698092
5位●「文字」と「映像」でチョコボ84102956657992
6位●様々なところから見るさおりん84168757577687
7位●友達と打ち解けたいあなたへR&Y84117059606984
8位●あだなはよいかなつみかん83119649607989
9位●多角的な視点はるかぜ83105459667690
10位●矛盾は嫌なヤツ?ことのは82130862618987



4月の森リン大賞(中2の部77人中)

「私」の存在
hikari

 「私」とは何のか、このことは人間にとって、もっとも根本的な「ふしぎ」である。外界と自分との比較で、「私」の存在意識がだんだんと分るようになり、そうすることで「私」の実感も生まれてくるのだ。「私」の「ふしぎ」を忘れた「たましい」を忘れたヒトにとって、それを理解してもらうという点で、そしてその「ふしぎ」を自分の物語にするという点でも、児童文学は重要な手段であると言えよう。

 「私」は唯一の存在である。今の自分は、隣の誰かになることも、その人の未来、あるいは過去を歩んでいくことが不可能である。それが現世の理であり、変えることのできない事実なのである。

 私の小学校時代の後輩に、U子とK子がいる。彼らは本当に瓜ふたつの一卵性双生児だ。本当に瓜ふたつ…とは言っても、どちらかがクローン人間、あるいはニセモノであるわけではない。性格や趣味や考え方、成績だって違う。U子は少しおてんばで、ピンク色が好きだが、K子はおっとりしていて水色が好きだ。ちなみに、最近聞いた話なのだが、二人とも中学受験をしたそうだ。ふたりとも同じ中学に行くものだと、周囲はてっきりそう思っていた。ところがどっこい、私立に進学したのはK子のみだったのだ。残念ながらU子は不合格だったそうだが、今では地元の中学に、元気に通っているとのことだ。二人が意気投合している姿は、私がまだ小学生だった頃には良く見かけられた。よく似通った彼らだが、一人ひとりが違う心を持った唯一の存在であることに、変わりはない。最近では中学が違うためか、二人を見ることが、めっきり減ってしまった。けれども、ふっとした時に見かける彼らの姿は一人ひとりが生き生きとして見えた。

 けれども、自分と似通った存在だっている。「私」の「ふしぎ」を自分のモノ、つまり物語にするという時に、文学は非常に役立ってくれることは、前にも書いた。私の場合、「武士道シックスティーン」という物語を参考にさせていただいている。その物語は、剣道をする、二人の女子高生が主人公で、二人が交互に語り継いでいくという流れだ。私はその中の磯山香織という主人公の一人に共感している。私は剣道をしているが、目立った成績も持っていないし、さほど強くない。というより弱い。剣道オタクの彼女と私では、似ている所など、ほとんどない(と思う)。けれど、香織が、この先自分が剣道を続けていくかの道に迷った時、わたしはもの凄く彼女に共感できた。何故なら私も幾度なく、そんな経験をしたことがあるから。

 私は剣道を、幼稚園生の頃から始めた。年が経つにつれてやめる人もいれば始める人もいて、終いにはごくわずかの人しか残らなかった。私は正直、なんで剣道をするのかよく分らなくて、けれどやめたら何かに負けてしまうような気がして、続けていた。私が中学に入ったら剣道以外の部活に入ろう、と決めたのは、小六の春。でも私は中一の春、剣道部に入部した。理由は簡単、結局私は、もうひとりの負けず嫌いな自分に負けられなかった、という訳だ。ただ、また以前と変わらない不安が、むくむくと頭をもたげてきた。そんな時、私は彼女に会ったのだ。自分と同じように悩む女の子。年や努力、実力の差はあっても、香織は私に答えの糸口を見つける手助けをしてくれた。何だかんだ言ったって、結局私は剣道が好きなんだ、と分らせてくれた。仲間が大好きなんだ、と。私に大切なことを教えてくれた彼女は今も、私の目標のような存在になって、助けてくれている。

このように、「私」の存在は、様々なとらえ方ができる。だが、最も大切なのは、「カメラマンは、レンズのほこりを払うまえに目のほこりを払わねばならない」というように、まずは自分の存在を、自分で理解する段階から見直していきたいと思う。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1位●「私」の存在hikari86155452758095
2位●古いものと新しいものたけたけ85118962618689
3位●道草に道草本因坊841243619010589
4位●長所・短所の自己管理ピプリー84164752637186
5位●私かまむ8399359788583
6位●大人と子どもの抱く「不思議」きとみ83205758626687
7位●私の「不思議」パダワン81104551667774
8位●新しいもの 古いものまりい7987652647284
9位●利点が楽しみに201系781494518610593
10位●aかりる7886651577284


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森リン(103) 子供たちの作文(59) 

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4月の森リン大賞(小1-小5) as/908.html
森川林 2010/05/20 09:38 
修 削
 4月の清書の森リン大賞が決まりました。

 生徒のみなさんには、4.4週の「山のたより」に、自分の点数の推移と併せて掲載しています。

 小5の「なぞのたびびと」君は、結びのダジャレをうまく工夫していますね。






4月の森リン大賞(小1の部34人中)

順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1位●マーチきしせ6028738445680
2位●おともだちもっち6027241435287
3位●体育のこときゆけ5939742435284
4位●きゅうしょくきおら5932238435277
5位●きゅうしょくきよれ5926838435081
6位●バレエのリハーサルのこときけは5710837504880
7位●すなばくうり5510537504973
8位●コンビニうらら5510637504973
9位●だいめいなしきらお5510737504967



4月の森リン大賞(小2の部88人中)

順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1位●矢田川たんけんたいみやまのはるかぜくん6747444466595
2位●さあ行くぞ、水泳大会へ!とらたいがくん6651039567684
3位●まちきれなかった遠足ハリーポッター6633241576889
4位●きょうはさむいねこまつな あやめ6639446445696
5位●なつかしかったしゃたくきりと6556242466380
6位●リトルシェフサークルきりる6543741466089
7位●おそうしきダイアナ6561041435986
8位●かみのけをきったよ!!おはなちゃん6548443445984
9位●春休みの思い出リリー6550148435787
10位●たのしかったな私の誕生日レオマワールドひゆあ6538941515687



4月の森リン大賞(小3の部136人中)

順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1位●清書(十五分ゆめの中)ふうこ7172944597184
2位●がんばり坂の通学路レモネード7180446537187
3位●そうじですっきり!きけひ7076538537283
4位●新しいクラスおゆな6983147486976
5位●たくさん旅をする実や種ちーちゃん6954542506886
6位●学校へ行く道かなろ6956942546786
7位●お花見は楽しいすももちゃん6985141456484
8位●つう学ろりすっぴ6977338446090
9位●白いカラスひなた6973358455887
10位●宮内先生から大原先生にかわって~!ゆいゆ69110551455786



4月の森リン大賞(小4の部137人中)

順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1位●きけんなミイラ取りさやか7687643588583
2位●イタズラ ラララメゾピアノ7587648498381
3位●ふしぎな時計レモン7492744517489
4位●庭そうじゆかり7486043506989
5位●北海道の思い出いかめしショコラ74124951496386
6位●不思議な料理スヌーピー73110447476577
7位●ミイラになったら困っちゃうクリスタル7384942466586
8位●ミイラはちょっときらいですなるちゃん7378946496286
9位●大事けん発生フックー72110242456981
10位●動物たちの大きらいなシャンプーなっち7272042516489



4月の森リン大賞(小5の部137人中)

くずかごのないくらし
なぞのたびびと

 くずかごを持たない人はいないだろう。でも、くずかごはやはりただのくずかごだ。大きなくずなかごを部屋に置き、不必要なものを捨てて、日々のくらしの姿勢を作るべきだと筆者は言うが、ぼくは筆者の書いた、『たくさん捨てる』ということに反対だ。なぜ反対かは、たとえば日本人全員が、一日に百個のゴミを一年出したとすると、約五兆個にもなる。そんなことをしたら、ちりがつもれば山となるということわざのとおり、日本がゴミの国になってしまうではないか。いくら海をうめたてても、うめたてる場所には限りがある。いつだったか、清掃工場を見学した時に、案内役の作業員が、
「東京湾の最後のうめたて場所は、計算ではあと五十年したらなくなってしまうのです。」
と話していたのを思い出す。ぼくたちの子孫はいったいどうなるのだろうか。

 しかし、筆者がなるべく手に入れないと書いたことには賛成だ。要るもの、たとえば、食料などは食べるためなら買っても良いだろう。なぜかというと、食べ物が無いとうえ死にしてしまうからだ。では、要らないものとは何だろう?月間お買い得品や、十個入りの商品など、まとめて買うとお得だからといって、まんじゅうでもチーズでも、今すぐ必要でないのに買ってしまうことがある。そして、食べないうちに賞味期限切れになる。それを捨てるのならば金をドブに捨てているようなものだ。それだったらそのお金をユニセフなどに寄付した方が、人が助かるのだからいいに決まっている。

 ぼくの部屋にはゴミ箱が無い。この間、ぼくが学校から帰ると、
「このゴミ箱、ちょっと貸して。」
母が勝手に持って行ってしまった。母になぜゴミ箱を持ち出したかを聞いてみた。
「雄介の部屋以外からはゴミがよく出るんだけど、雄介のへやからはまったくゴミが出ないのよね。リビングのゴミ箱もいっぱいで足りなくなったの。買い直さないでも、雄介の部屋のゴミ箱を使えばいいと思ったから。」
ハァー。どうせこんなことだと思った。

 「必要なとき、必要なものを、必要なだけ」というのがぼくの父の口ぐせだ。母は父の言うことを実行している。ぼくは、車を買うのに高い外車、家はお城みたいに広く、召使いさんまでついている家庭ではなくて良かったと思った。我が家のくらしがしゃんとしていることが、よくわかる。

「雄介。」
母が走って来た。
「クズクズしていないで、宿題しなさい!」
「ゴミんなさい。お母さぁ~ん。宿題、やるよぉ~。」


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1位●くずかごのないくらしなぞのたびびと79102052699483
2位●何が必要で何が不必要かピッピ79109448547084
3位●わかれたって、いっしょだよ。ミント79110944536887
4位●九州最南端 鹿児島旅行さやの78761388011093
5位●さよなら四年四組リラックマ78110647628990
6位●目立たなくても大切な物まーりん78114651497083
7位●お別れ会シャーロック・ホームズ7780941658186
8位●くずかご学ぴょんぴょん76132846477093
9位●ピンチ!はなはな7681253556683
10位●くずかごの話を読んでらんら7690859516189


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森リン(103) 子供たちの作文(59) 

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国語のテストの見直し方 as/907.html
森川林 2010/05/19 15:23 
修 削


 国語の模試の結果が返ってきたときに、意外に点数が低くて驚くということがあります。それは、普段の学校のテストと比べて、傾向と難度が違うためです。

 模試のように難度の高い問題を、学校のテストのように易しい問題のつもりで解くと、ほとんど×になるという場合があります。だから、模試の準備ということは必要ありませんが、どういう難度で出るか知っていた方が、本当の実力がわかります。

 では、テストが返ってきたあとは、どのように見直しをしたらいいのでしょうか。

 例えば、選択肢の問題で、1、2、3、4とあって、3が正解の場合、「なぜ3が正解なのか」ということを理解するだけでは不十分です。「なぜ、1と2と4がそれぞれ不正解なのか」ということを、個別に取り上げて理屈で説明できるようにしておく必要があります。そこで、もし親が理屈で説明しきれないような問題であれば、それはできなくてもよい問題と考えておきます。

 そして、そのあと、子供がテストをするときは、いつも同じように理詰めに解くスタイルを守らせるようにします。

 中高生で、テストの問題部分がきれいなままの子がかなりいます。選択肢の問題の場合は、ひとつひとつの選択肢の文に、傍線や×や△や?をつけて、自分がどのような考えでその選択肢を選択したか、又は、選択しなかったかということがわかるようにしておきます。そういう解き方をして初めて、そのテストが返ってきたときに、間違いを次の勉強に生かしていくことができるのです。

 ですから、模試などの場合は特に、判断しかねる問題は勘で選ぶようなことはせず、空欄のまま残しておいて×にしてもらった方が実力がつきます。

 国語のテストは、解き方が半分、実力が半分です。ということは、実力だけでも、解き方のコツを知るだけでも十分ではないということです。

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手書きの作文と講評はここには掲載していません。続きは「作文の丘から」をごらんください。

主な記事リンク
 言葉の森がこれまでに掲載した主な記事のリンクです。
■小1から高3まで、年間の作文指導と結びついた作文検定
●評価サンプル
●知識偏重の教育から思考力重視の教育へ
AIと独自アルゴリズムを組み合わせた「日本語作文検定」がリニューアル


●【重要】7月の新学期から作文用紙と封筒用紙の配布を廃止します――手書きの人は作文ノートの利用をおすすめします
●森からゆうびん2026年2月
●思考力を育てる作文教育

●本で最も進んでいるオンライン教育――少人数の対話と個別指導 無料体験学習 受付中。
●詰め込む学習から、創造する学習へ。小1から高3のオンライン少人数教育。小1から高3のオンライン少人数教育。
●担任制で対話のある、5人以内の少人数オンライン教育

●小学1、2年生は作文を始める適齢期です
●小学3・4年生は、作文がいちばん伸びる時期です
●小5・小6から、作文は「考える作文」に変わります。

●高校入試につながる作文力を、中学生から
●入試小論文に対応した作文評価を提供する作文検定(高校向け)
●入試小論文に対応した作文評価を提供する作文検定(塾高校向け)

●学校のための日本語作文検定(学校向け)
●学年ごとの「書く力」が一目でわかる(学校向け)
●総合型選抜・小論文評価業務に関するご提案(大学向け)

●学習塾のための日本語作文検定(塾向け)
●「書ける」ことが塾の強みになる(塾向け)
● 小1からのオンライン作文で、「読む力・書く力・考える力」を一生ものにします(生徒向け)

全国初の本格的な日本語作文検定作文の客観的評価で、誰でも作文が好きになり実力がつく。特許取得の独自のアルゴリズムとAIによる対話型600字講評。(学校塾向け)
●担任制で対話のある、5人以内の少人数オンライン教育 言葉の森
●詰め込む学習から、創造する学習へ。小1から高3のオンライン少人数教育。

●小1から始める作文と読書
●本当の国語力は作文でつく
●志望校別の受験作文対策

●作文講師の資格を取るには
●国語の勉強法
●父母の声(1)

●学年別作文読書感想文の書き方
●受験作文コース(言葉の森新聞の記事より)
●国語の勉強法(言葉の森新聞の記事より)

●中学受験作文の解説集
●高校受験作文の解説集
●大学受験作文の解説集

●小1からの作文で親子の対話
●絵で見る言葉の森の勉強
●小学1年生の作文

●読書感想文の書き方
●作文教室 比較のための10の基準
●国語力読解力をつける作文の勉強法

●小1から始める楽しい作文――成績をよくするよりも頭をよくすることが勉強の基本
●中学受験国語対策
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