フキノトウ
●動画:https://www.youtube.com/watch?v=S6ZmVFWoy7U
志望理由書の書き方は、これまでに何度も書いているので、多くの人が知っていると思いましたが、そうでもないようです。
小学生でも、中学生でも、生徒本人に任せると、内容が薄くなります。
お父さんやお母さんなどの人生経験のある人が見てあげて、その子の個性が出るように書くことが大事です。
読書感想文は、感想ではなく実例を書くということを言っていますが、それと同じように、志望理由書は、理由を書くのではなく実績を書くことが大事です。
理由は、誰が書いても同じになります。
その理由の裏付けとして自分の実績を書くのです。
実績は、できるだけ数字や固有名詞などのデータがあるものにします。
志望理由書は、手書きで書きますが、手書きで直接書くと字数の調整ができません。
下書きは、パソコンで、生徒が普通に書く文字の大きさで1行何文字になるかを数え、最後の行までぴったりに埋まるように調整します。
1行少ないのも、行をはみ出るのもよくありません。
最後の行の最後のマスあたりに、句点の「。」が来るように書くのが理想です。
実は、高校生の場合でも、志望理由書を本人に任せてしまうのはよくありません。
親が客観的な立場で見てあげることが必要です。
学校によっては、志望理由書を何枚も書かせるところがあります。
その場合は、志望理由書の内容でほぼ合否が決まっていると思います。
ただ、志望理由書は表現の工夫でうまく書けるわけではありません。
最も大事なのは、アピールするだけの具体的な実績があることです。
その実績は、学校の勉強以外のもので、知的なものであることです。
読書感想文とか自由研究などで、賞を取ったようなものあるといいと思います。
また、長い間続けたというのも実績になります。
リーダーの役割を担ったというのも、価値ある実績です。
お父さんやお母さんが、子供のそういう実績を探してそれを志望理由書に盛り込むようにするといいと思います。
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自転車にとまったシジュウカラ
●動画:https://www.youtube.com/watch?v=3PO7Ol8tlAY
先日、高校生の生徒から、「会話の書き出しってよくないんですか」と質問されました。
朝日新聞の「炎の作文塾」というコラムで、「会話文から始めないで」という記事があったそうです。
その記事では、「文章講座の講師の中に、『文章は会話文から始めなさい』と教える人がいるらしい。そういう講師を信用してはいけない。」「会話文で始めると、独りよがりの文章になりがちだ。文章によほど習熟してくれば別だが、会話文で始めるのは、やめた方がいい。」「○○さんはヘンな講師に習ったのだろうか。」などと書いてあったそうです。
思わず、
本多勝一氏の「中学生の作文技術」を連想してしまいました。(笑)
こういう記事を書く人の視野の狭さは、読み手にも伝染するようで、このようなコラムを読んでいるとつい、「○○をしてはいけない」「○○しかない」という発想をしてしまいがちです。
文章でいちばん大事なものは中身です。表現は、中身をスムーズに伝えるためにあります。
私がこれまでに読んだ本で最も難しかったものは、ヘーゲルの「精神現象学」と「大論理学」でした。
それは、訳者の訳し方にもよりますが、すべて文末が「である。」で終わっていました。しかも、それぞれの一文が長く、「……である。……である。……である。」という感じで延々と最後まで書かれていました。
しかし、中身があるので、その文末の単調さは決して欠点のようには見えませんでした。表現よりも中身が大事という考え方の見本がここにあります。
ですから、本当は、書き出しの工夫は二次的なことなのです。しかし、もし同じ中身の文章があった場合、読みやすい面白い表現と単調で堅苦しい表現とでは、もちろん読みやすく面白い方に価値があります。
特に、現代のように、多くの人が文章を書く時代では、表現の工夫は文章の重要な要素となります。
表現の工夫の一つとして、書き出しの工夫があります。
私が、書き出しの工夫として参考としたいと思っているものに、團伊玖磨(だんいくま)氏のエッセイがあります。「九つの空」(朝日新聞社)からいくつか引用してみると、こういう書き出しです。
「燃えるような夕焼けが空と海を一杯にしていた。今しも水平線に沈む太陽を右に、船は南へ南へと進んでいた。」
「黄昏(たそがれ)の銀座通りには、一日の勤めを終った人の波が流れていた。夏の残照が、僅かに暮れ残っている天頂近くの数片の鰯雲を紅に染めていて……」
「夏だと言うのに何処迄も続く鉛色の空を、十五世紀に出来た古い大学の塔が黒い針のように突き刺していて、その針の先だけが……」
エッセイなのでこういう工夫がしやすいとも言えますが、実は小論文でもこのような書き出しをすることができるのです。
高校生に書き出しの工夫を説明すると、実力のある生徒は、内容もあり書き出しの表現も工夫した文章を書いてきます。中身と表現を兼ね備えた文章を書くことが小論文指導の一つの目標です。
しかし、書き出しの工夫には、書きにくいものと書きやすいものとがあります。情景の書き出しなどは、比較的書きにくい書き出しです。情景の書き出しがしにくい場合は、会話の書き出しなどで書きやすく工夫することがあります。
ところが、表現の工夫には両刃の剣の面があり、ありきたりの工夫では、かえってしない方がいい場合も出てきます。会話の書き出しなどは、特にありきたりになりやすいので、かえって工夫が逆効果になることもあります。
そこで、その工夫を批判するのは批評家です。教育の観点からは、不充分な工夫であってもその将来の可能性を生かす方向に指導していくのが正しいやり方です。
今、小中学生で会話の書き出しを練習している人は、この工夫が終点ではなく、今後の工夫の準備であると考えて練習していってください。
(2006年2月2週号の言葉の森新聞をもとに加筆修正)
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ヤマバトが餌台で餌を食べているので、仕方なく地面で餌を食べているスズメたち(笑)
●動画:https://www.youtube.com/watch?v=7ADLUJJQgec
言葉の森では、作文の構成を立体的にするために、自分の今の話だけでなく、次の段落で自分の昔の話や、自分とは違う別の人の話や、調べたデータの話などを入れるような指導をしています。
作文の構成を立体的にするために、最もいいのは、保護者への取材です。
場合によっては、おじいちゃん、おばあちゃんへの取材もあります。
例えば、「がんばったこと」という題名で書くとしたら、お母さんやお父さんに、「子供のころ、がんばった思い出はある」と聞くのです。
ここで、お母さんやお父さんが、子供時代の面白い失敗談などを話します(笑)。
すると、子供は喜んでその話を聞きます。
子供は、日常的に大人と話をする機会があまりありません。
友達と話すときと比べて、お母さんやお父さんと話をすると、語彙が自然に増えます。
大人と話すことによって語彙が増えると、感想を書く部分が充実してくるのです。
子供の作文でよくある結び方は、「とても楽しかったです。またやってみたいと思います。」というようなパターン化された書き方です。
なぜ、こういうありきたりな感想を書くかというと、感想を書くための語彙がないからです。
親子の会話が増えると、この感想の部分が長く書けるようになります。
中学入試の作文でも、差がつくのは感想の部分です。
体験実例は、誰でもそれなりに書けます。
しかし、感想の部分は、抽象的な語彙を使う力がなければ、「とても楽しかったです」のような書き方になってしまいます。
ところで、お母さんやお父さんがすごくいい話をしてあげたのに、子供はそれを聞いただけで、作文の中に書かないことがあります。
それは、その話を子供が消化し切れていないからです。
しかし、それは子供の心の中に確実に残っています。
だから、話を聞いただけで十分なのです。
この親子の対話が、作文教育の最も重要なところです。
小学5、6年生は、感想文の課題が、中学入試の説明文のレベルの文章になります。
「読書とは」「勉強とは」「遊びとは」「多様性とは」「日本の文化とは」というような抽象的なテーマになるのです。
こういうテーマで親子が対話できることは、子供にとって貴重な経験になります。
本当は、中学生、高校生になっても、親子の対話が続けばいいのですが、中学生は自立する時期なので、親との対話を避ける子も出てきます。
だから、中学生、高校生は、データ実例として、ネットなどを検索して探した似た話を組み合わせて構成を立体てきにしていくといいのですが、検索は時間がかかります。
そこで、今考えているのは、ChatGPTと対話をして、構成を立体的にすることです。
Gmailは、13歳からは自分のアドレスが作れます。
すると、そのアドレスで、ChatGPTのアカウントが作れます。
自分の体験実例だけで物足りないときは、お母さんやお父さんに似た話を聞くか、ChatGPTに似た話を聞くようにするといいのです。
たぶん、近い将来、勉強に関する質問は、AGI(汎用人工知能)でカバーできるようになります。
先生に相談したり質問したりするよりも、AGIに相談したり質問したりするようになります。
すると、大事なことは、結局、本人の個性と創造性になります。
知識のベースは、だれも同じになります。
個性と創造性のもとになるものは、身体的なところに根ざした知識と経験です。
身体的な知識の代表的なものは、読書と作文と数学と歴史(特に日本史)です。
身体的な経験は、個性と挑戦と感動と共感です。
作文の勉強を通して、どの子も豊かな教養を身につけていくといいと思います。
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ジャーマンダー セージ
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野口悠紀雄さんの「
『超』創造法 生成AIで知的活動はどう変わる?」という本を読みました。
この中で、野口さんは、キーワード文章法という文章の書き方を説明しています。
これは、キーワードをいくつか書き、とりあえずそのキーワードをもとにChatGPTに文章を作ってもらい、そのあと、それを参考にして自分で文章を書くというような方法です。
(詳しくは、本書の112ページをごらんください。)
私が、この話を読んで、最初に感じたのは、「野口さんのような文章を書くプロでも、最初のきっかけを作るのが大変なのだなあ」ということでした。
野口さんは、このきっかけ作りが難しいという理由を「慣性の法則」と呼んでいます。
作文を書くというのは、実は、最初の書き出しを始めるところがいちばんエネルギーを必要とするところです。
書き始めれば、次々に文章が続いていきますが、最初の書き出しのところで、慣性の法則を破るだけの力が必要になるのです。
(高校の物理で学びますが、静止摩擦力は運動摩擦力よりも一般に大きいということです。)
作文クラスの場合は、みんなが一斉に書き出すので、この慣性の法則を打ち破りやすいところがあります。
通信教育で、自宅で自分ひとりで勉強する場合は、この最初のきっかけがなかなか作れません。
慣性の法則は、家庭学習にもあてはまります。
勉強は、他人に教えてもらうよりも、自分ひとりでやる方がずっと能率がいいのですが、自宅で自分ひとりでやるときの最初のきっかけ作りが難しいのです。
そこで、受験生などは、よく図書館に行って、そこで勉強を始めるということをします。
予備校の自習室に行って勉強するということもあります。
「勉強を始める」ということには大きなエネルギーが必要としますが、「行く」ということには、エネルギーを必要としません。
「行く」がきっかけになり、いざ図書館や自習室に着いてみると、その流れで「勉強する」も無理なく始められるのです。
言葉の森では、このきっかけ作りのために、昔、自習室を作りました。
現在、1日に2、3人が自習室を利用していますが、参加者が多い方がきっかけ作りには役立ちます。
自習室に入るには、「何時から、何を始めて何時までやる」という記録のページがあります。
この記録が蓄積できると、自分の勉強の経過が残ります。
経過が残るということ自体が、勉強を続けるきっかけになります。
冬休みは、自由時間が多いので、つい惰性的に過ごしがちです。
自習室は、朝から晩まで、土日も含めていつでも開いています。
学校に行くときと同じように、朝起きて8時になったら自習室に入って勉強するという流れができれば、勉強のきっかけをつかみやすくなります。
自習の記録を続ければ、自分がどれだけやったかということが残るので、それも励みになります。
この自習室を活用するために、今後、問題集のページが進んでいない生徒や、読書が進んでいない生徒には、自習室の参加を義務づけるようにしたいと思っています。
ただし、ここで保護者に注意しておきたいことは、子供はすぐに勉強を始めるわけではないということです。
言葉の森の通学教室時代、教室に来た中学生や高校生は、最初はパソコンに入っているゲームをひとしきりして、それから作文を書き始めました。
みんな、よくできる子たちです。
人間は、機械のように、ボタンを押せばすぐにスイッチオンになるというものではありません。
時々息抜きをしたり、寄り道をしたりしながら、少しずつ本道を進んでいきます。
そういうおおらかな気持ちで、子供の勉強の様子を見ておくといいと思います。
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メジロとみかん
●動画:https://www.youtube.com/watch?v=htFP7KPMYN4
英語の学習には、長い時間がかかります。
だから、英語の成績がよい人は、勉強のできる人です。
入試では、英語の実力を見れば、その生徒の全学力の実力がわかると考えられています。
例外は、帰国子女の英語力ですが、日本にずっといた生徒で英語のよくできる人は、勉強をしっかりしてきた人です。
英語は、学力全体の評価の基準になるものとして大事です。
ところで、保護者のほとんどは、英語で苦労したことがあります。
だから、子供には早めに英語を習わせておきたいと考えます。
====
子どもにさせたい習い事は、6年連続で「英語・英会話スクール」「プログラミング教室」が上位に
https://woman.mynavi.jp/kosodate/articles/32498
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しかし、PISAの常に上位にいる日本人が、なぜ英語だけは苦手なのでしょうか。
それは、英語の学習法の問題ではありません。
日本語と英語の相性が悪いからです。
そのことは、英語圏の人にとっても同様です。
英語圏の人にとって、日本語は最も学びにくい言語なのです。
====ChatGPT
英語圏の人にとって日本語を学ぶのは難しいとされています。その理由はいくつかあります。
構造の違い: 英語と日本語は基本的な構造が異なります。英語は主語-動詞-目的語(SVO)の順序ですが、日本語は主語-目的語-動詞(SOV)の構造を取ります。これはアルファベット、文法形式、礼儀、言語の基本的な構成に至るまでの違いをもたらします。
複雑な文字システム: 日本語は平仮名、片仮名、漢字の3種類の文字を使用します。平仮名と片仮名はそれぞれ46文字ですが、漢字は10万以上あり、日常的な使用のために約2,000の漢字(常用漢字)を覚える必要があります。この文字システムの複雑さは、26文字のアルファベットに慣れている英語話者にとって大きな障壁となります。
漢字の複数の読み方: 漢字は「音読み」と「訓読み」の2つの読み方があります。これにより、漢字を効果的に学習し使用することが複雑になります。例えば、「山」という漢字は「サン/セン」(音読み)または「ヤマ」(訓読み)と読まれ、文脈によって適切な読み方が決まります。
大きな語彙: 日常会話に必要な語彙数は、日本語では英語よりも多いです。日本語の日常会話の90%を理解するには約10,000語を知る必要がありますが、英語では約3,000語です。これは、同じ意味の複数の言葉が存在し、日常会話で異なる起源(和語、漢語、外来語)の言葉が使用されるためです。
発音と文法の挑戦: 日本語の発音は母音と子音が少ないため比較的簡単ですが、漢字の読み方を学ぶ際の発音の違いや、長音の正しい発音の習得は難しいとされています。また、五段動詞活用、敬語(けいご)、助詞の使用など、文法にも難しさがあります。
曖昧な表現: 日本語では曖昧な表現がよく使用されます。これは文化的な側面を反映しており、直接的な拒否や肯定を避けるため、あるいは礼儀を保つために使われることがあります。
これらの挑戦にもかかわらず、日本語の発音や文法構造(性別の区別や冠詞の規則がないなど)は、学習者にとって比較的簡単な面もあります。日本語を学ぶ難しさは、学習者の母国語や日本語に似た構造を持つ言語への熟練度に大きく依存します。例えば、中国語話者にとっては漢字がそれほど難しくないかもしれませんが、英語話者にとっては文法が全く異なるため難しいと感じることがあります。
日本語は世界で最も難しい言語の一つとされていますが、毎年約100万人が日本語能力試験(JLPT)を受験し、そのうち最高ランクのN1に毎年5万人以上が合格しています。日々コツコツと勉強すれば、日本語を習得することは可能ですので、勉強を続けてください。
総じて、日本語学習の難しさはその多様性にあります。構造、文字システム、語彙、発音、文法など、多くの面で英語との大きな違いが存在します。しかし、これらの挑戦を乗り越えれば、日本語の習得は非常に価値のある経験になるでしょう。
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日本人が英語を学びにくい以上に、外国人も日本語を学びにくいのです。
しかし、日本語は、50音表に見られるようにシンプルな構造でできています。
単数形と複数形による違いとか、男性名詞と女性名詞による違いもありません。
冠詞や定冠詞もありません。
だから、日本語は、会話の言語としては学びやすいのです。
====ChatGPT
日本語のシンプルさは、多くの言語学習者にとって魅力的な特徴の一つです。以下は、日本語が持ついくつかの簡潔さや使いやすさの例です:
性の区別がない: 日本語には男性名詞や女性名詞の区別がありません。これは、例えばフランス語やスペイン語のように、名詞に性がある言語とは対照的です。これにより、名詞の性に基づいた合わせ方や形容詞の変化を覚える必要がなく、学習が容易になります。
単数形と複数形の区別がない: 日本語では、ほとんどの名詞に単数形と複数形がありません。例えば、「犬」は一匹の犬も複数の犬も指すことができます。文脈や他の言葉(数詞など)によって、話されている内容が単数なのか複数なのかが明らかにされます。
冠詞がない: 日本語には英語の "a", "an", "the" のような冠詞が存在しません。これにより、名詞を使う際の複雑さが減り、言語の構造がより直接的かつシンプルになります。
文法の規則性: 日本語の文法は比較的規則的で、例外が少ない傾向にあります。動詞の活用なども一定のパターンに従い、これが学習者にとっては覚えやすさをもたらします。
発音の単純さ: 日本語の音節は限られており、母音はわずか5つ、子音も少ないため、発音が比較的容易です。これは、音声の多様性が著しい言語(例えば英語)に比べると学習の障壁を低くします。
これらの特徴は、日本語が言語学習者にとってアクセスしやすい言語である理由の一部を示しています。文法的な複雑さが少なく、言語の構造が直感的であるため、基本的なコミュニケーションスキルを習得することが比較的容易になります。もちろん、漢字のような挑戦的な要素もありますが、基本的な文法と発音の単純さは、日本語学習の魅力的な側面です。
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日本語と外国語の間には、学びにくい面と、学びやすい面の両方があります。
しかし、総じて言えば、日本人が英語を学ぶとか、外国人が日本語を学ぶとかいうこと自体に、そもそも無理があります。
そのことを実感として感じている人は多いと思います。
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子供に英語を習わせても話せるようにならない理由
https://agora-web.jp/archives/231217232619.html
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では、どうしたらいいかというと、何も問題はありません。
言語の違いは、今後、AGI(汎用人工知能)によってカバーされるようになります。
例えば、ネット上のAGIに接続されたへドッセット(イヤホンとマイクがセットになったもの)があれば、どの国の人とも自由に話ができるようになります。
英語でも、中国語でも、スワヒリ語でも、何語の人とでも自由に話ができるようになるのです。
英語を真面目に勉強してきた人や、今、英語を真面目に勉強している人は、この展望に反発を感じると思います。
坂本龍馬の逸話と同じです。
剣術を真面目に練習してきた人に、「これからは、刀の時代ではなくピストルの時代だ」と言い、次に、ピストルを準備してきた人に、「これからはピストルの時代ではなく『万国公法』という書籍の時代だ」と言ったという話です。
時代は、大きく変わっています。
教育で、何よりも大事なのは、創造性を育てることです。
英語だけでなく、国語も、算数数学も、理科も、社会も、知識の勉強は、単なるツールです。
ツールは、すべてAGIに任せることができるようになります。
ツールではない身体的な勉強は、日本語と数学と歴史です。
日本語と数学と歴史は、知識としてではなく、身体的に把握しておくことが必要だからです。
その身体的な勉強の中で最も大事な学力は日本語です。
日本語の学習で大事なことは、難しい本を読む力をつけることです。
目先の流行にまどわされることなく、本当に必要な勉強を続けていきましょう。
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英語を過度に学ぶ必要はありませんが、他の言語を学ぶという意味はあります。
それは、人類の、ものの見方、考え方の多様性を学ぶためです。
例えば、アラブには、ラクダに年齢による名前の区別があります。
====ChatGPT
ハウァール (Hawar): 生後数日の子ラクダ。
ファシル (Fasil): 1歳のラクダ。
ジェダア (Jedaa): 2歳のラクダ。
ヒーアル (Heear): 3歳のラクダ。
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日本人なら、「ラクダはラクダだろ」で終わるところですが、これが文化の違いです。
日本の場合で言えば、シラスと煮干しとイワシは、別の魚のような名前をつけられていますが、本当は単なる大きさの違いです。
たぶん、海のない国では、「さかな」で全部間に合うようになっていると思います。
日本語における風の吹き方。
====ChatGPT
さわさわ - 軽やかで心地よい風の音や感じ。
びゅうびゅう - 強く吹き荒れる風の音。
ひゅうひゅう - 冷たく強い風が吹く音。
ごうごう - 非常に強く吹き鳴らす風。
そよそよ - 穏やかで優しい風の音。
わさわさ - 力強く、多くの葉を揺らす風。
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雨の降り方
====ChatGPT
ざあざあ - 大量に激しく降る雨。
しとしと - 静かで細かい雨。
ぱらぱら - まばらな雨。
ぽつぽつ - 少量の雨が断続的に降る様子。
どしゃぶり - 突然の激しい雨。
びしょびしょ - 服が濡れるほどの雨。
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