子供は、自分にとっていちばん身近な親が見るように世の中を見ています。
子供の成長は模倣から始まります。
親が見たり考えたりしたりしなかったりするのを模倣しながら、子供は自分の見方や考え方や行動の仕方を身につけていくのです。
だから、親が読書好きなら、子供も自然に読書好きになります。
しかし、大事なことは、比較しないということです。親の読書好きが行き過ぎると、子供につい、「もっと本を読まなきゃだめ」というような言葉を言ってしまいます。
子供は、行動は模倣しますが、言葉にされたことは模倣しないのです。
親が楽観的に生きていると、子供も楽観的な人生を自然に歩むようになります。
親が取り越し苦労をしていると、子供も自然に先のことを心配して生きるようになります。
だから、親が、子供を見て、悪い面を直さないと将来が心配だと思い、注意ばかりしていると、子供は自然にその注意を受けるような方向に行ってしまうのです。
親は、子供のよい面、明るい面を見て、それが将来どんどん発展して立派な社会人になるように考えていくことです。
そして、そういうよい面が伸びていけば、今欠点に思われるようなこともすべて小さなエピソードになってしまいます。
ニュートンは、あるとき考え事に熱中していて、ゆで卵を作るつもりで、持っていた時計をゆでてしまったそうです。ニュートンだから、こういう失敗さえかえって愛嬌のあるエピソードになるのです。
欠点を見て、それを直そうとがんばるよりも、よい面を見てそれを伸ばしていくことを先に考えることです。
そういう親の見方が自然に子供に影響して、子供は自然によい子に育っていくのです。
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お母さん方はみんな謙虚なので、「うちの子はこんなこともできなくて、だめなんですよ」というようなことをよく言います。
それは日本の社会における謙譲の美徳なのですが、それを横で聞いている子供は、その言葉を親の期待のようなものと受け止めてますますそういう傾向を強くしてしまいます。
だから、親は、子供のいるところでは、できるだけその子のよいところを言っていくといいのです。
例えば、「うちの子は字がきたないんですよ」と言いたくなったら、「字がきたなかったんですが、だんだんていねいに書くようになってきたんですよ」と言うといいのです。
想念の出発点は言葉です。口に出して言うことが大切です。
子供の音読の仕方が下手で、注意したくなったら、
「だんだん読むのが上手になってきたね」
と言うのです。
ウソではない褒め言葉を工夫して言っていると、だんだん本当に上手になっていくのです。
暗示の力というのは確かにあると思います。子供は純粋なので、特に言葉の影響を受けやすいのかもしれませんね。
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△田んぼにいたサギ
国語の勉強というと、漢字の書き取りや国語のドリルと考えがちですが、それだけではもうこれからの学力に対応できません。
同じく、算数の勉強というと、計算の練習や算数のドリルと考えがちですが、それだけではやはりもうこれからの学力に対応できません。
もちろん、基礎的な知識と技能というものはいつの時代も必要なので、漢字の書き取りも計算の練習もやっておく必要はあるのです。
しかし、答えを出す勉強ばかりしていたのでは、今の成績はそれなりに上がりますが、本当に考える力は育ちません。
考える力を育てる勉強は、答えのない勉強です。あるいは、答えがいくつもあるような勉強です。
答えがない、又はいくつもある勉強は、一般に時間がかかります。簡単に済ませることももちろんできますが、自分らしく考えようと思うと、どうしても時間がかかってしまうのです。
しかし、勉強の能率を上げることを優先するのは、受験勉強の半年か1年間だけです。それまでの勉強は、能率を上げるよりも深く考える力を育てることに費やした方がいいのです。
言葉の森が今、オンエア講座でやっている国語・作文の勉強は、入試問題レベルの文章を読んで、四文で短い文章を書くことです。
四文の中身をふくらませれば、そのまま四段落の作文になりますから、構成の上では600字から1200字の作文を書くことと同じです。
しかも、その四文の中身に、自分の体験と、両親などへの取材と、結びの光る表現を入れる練習ですから、時間をかければすぐに作文になるほど密度が濃いのです。
これで、読解力と記述力の両方を同時につけていくのです。
もうひとつは、算数数学です。
算数数学は、問題を見て解いて答え合わせをして○をつけるだけでは、それほど考える勉強にはなりません。
○をつけたあとに、もうひと工夫して、自分でも同じような似た問題を作ってみるのです。
似た問題ですから、中身の数字を少し変えるだけでももちろん似た問題です。これなら時間はかかりません。
しかし、もっと工夫して、問題文を変えたり、もとの問題から更に発展させた問題を作ったりすることもできます。これは、凝りだすと時間がいくらあっても足りません。
自分の関心に応じて、自分なりの似た問題を作っていると、問題の構造をより深く理解できるようになります。
それは、今の点数を上げる勉強ではなく、将来の考える力を育てる勉強なのです。
大学入試に合格することまでをゴールとすると、そういう遠回りをするよりも、短時間で能率よく解法を覚える方がずっと時間の節約になります。
しかし、本当のゴールは大学に合格することではなく、その先にある大学生活や社会生活で自分なりの学問や仕事ができることです。
途中までの方向は同じようなものですが、ゴールはできるだけ先の方に置いて置くことが大事なのです。
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これからの勉強は、問題を与えられてそれを解くだけという受け身の勉強ではなく、問題を自分で作るような勉強になると思います。
問題を作るためには、その問題をは当然解けなければなりません。だから、問題を作るというのは、解くだけよりもずっと難しい勉強なのです。
しかし、なぜこういう勉強があまり行われていないかというと、それは評価をするという仕組みに乗りにくいからです。
勉強は評価のためにあるのではなく、子供たちの真の実力を育てるためにあるのだという原点を忘れないようにしたいと思います。
○がついて、先生に褒められて嬉しいというのは、実は大した嬉しさではありません。
それは、ちゃんとやれば誰でもできることだからです。
工夫して自分だけができるようなことをするのが本当の嬉しさです。
勉強の仕方にも、そういう工夫ができると思います。
これは、力がつきそうですね!!
いい学校に入ることを目的にするのではなく、いい人生を送りたいですね。
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△図は「科学のふしぎな話365」(日本科学未来館監修)より
「タイの中にタイがいる」
マダイを食べると、その胸のところに小さなタイの形の骨があり、胸びれを支える役目を果たしています。
オメデタイが二重になるので、江戸時代から縁起物として大切にされてきたそうです。
知らなかった。
「世界最大の生き物はキノコ」
キノコの本体は菌糸で、太さは髪の毛の10分の1ぐらいしかありませんが、ずっと遠くまで広がっていて、キノコによっては数平方キロメートル、重さにすると数千トンになるそうです。
キノコを何回も繰り返し割くと、細い糸のようなものになります。これが菌糸のかたまりだそうです。
知らなかった。
「シャボン玉はどうしてできる」
水の泡がすぐに壊れるのは水の分子の表面張力が強いからで、そこに石けんを加えると、表面張力が弱くなるので泡が壊れにくくなります。
壊れにくいシャボン玉を作るコツは、PVA洗濯のりを入れて一晩寝かせておくのだそうです。
知らなかった。
身近にあるもので、科学的な話で、実際に確かめてみることができて、親子で一緒に楽しめる。
小学校3、4年生ぐらいまでは、勉強にかける時間を少し減らして、こういう半分遊びのような実験にかける時間を増やしていく方が、考える力のある子が育つのではないかと思います。
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頭で理解するだけでなく、実際に手を動かして確かめてみる。
そういう機会を増やしていくことが、子供たちの生きた思考力を育てます。
国語の勉強は、文学的な感性を育てるだけでなく、こういう科学的な思考力を育てる勉強でもあるのです。
「タイの中にタイがいる」を見て、今度、おめでたい日にタイを食べてみようと思いました。
おめでたい日……。何かあるかなあ。
……毎日がおめでたいと言えばそうも言えるが。
大人になっても、改めて知って驚くことがあります。遊びながら、おいしいものを食べながら、子どもと話したいですね。
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△小さな花に、小さなシジミチョウ
「ほかの勉強はまあできるのですが、国語だけが苦手で……」という相談を時どき受けます。
おどかすようですが、そういう場合は要注意です。国語のレベルまでしか、ほかの勉強も伸びていかないことが多いからです。
以前、小さいときから英語をやっているので、今では英語の本の方をよく読んでいるという小学校高学年の子の話を聞いたことがあります。
易しい本を読むレベルで言えば、日本語の本以外に英語の本も読めるというのはいいことです。しかし、難しい本を読むときは、日本人は母語である日本語でなければ深く読むことはできません。
だから、学年が上がり勉強内容が難しくなるにつれて、英語の本を読めるかどうかよりも、何語であってもよいので難しい本を読めるかどうかの方が重要になってくるのです。
国語力をつける基本となる場所は家庭です。
家庭で読書の習慣をつけ、更にその学年相当よりも少し難しい文章を音読する習慣をつけていくのです。
言葉の森が今行っているのは、寺子屋オンエアで問題集読書の習慣をつけることです。更に、毎日の音読もskypeのビデオメッセージで先生に送るようにすすめています。小1~3の生徒の場合は、読書実験クラブというオンエア講座を開いています。
しかし、これらに参加しなくても、家庭で読書と音読の習慣を毎日つけられればそれで十分です。
小学2、3年生までは、子供も親の言うことをよく聞きますから、この時期までに毎日の読書と音読の習慣をつけていくことが大事です。
そして、本当に力がつくのは小5以降の思考力が育つ時期ですから、小学校高学年からは特に力を入れて問題集読書を続けていく必要があります。
この国語力が、他の教科すべての土台となっていくのです。
国語力が既に十分ついている人が、これから力を入れていく分野は作文力です。
それは、これからの学力が記述力として評価されるようになってくるからです。
知識をたくさん知っているだけなら、コンピュータでもできる時代です。
力仕事が機械に取って代わられたように、単純な知的作業は既にコンピュータに取って代わられています。そして、その範囲はこれからますます拡大していきます。
人間ができるのは、知識を覚えることではなく、知識を組み合わせて新しいものを作ることです。これが、人間の本来の得意分野です。
なぜ人間の得意分野が新しいものを作ることなのかというと、人間は未来に対して夢や希望を持つことができるからです。夢や希望があるから、自然に新しいものを作りたくなるのです。
その新しいものを作ることを準備する力が作文力です。
だから、小学校高学年からは、説明文や意見文の形で作文を書く力をつけていく必要があるのです。
言葉の森の作文指導の特徴は、小1から高3まで一貫して勉強できることです。
受験に小論文があることがわかってからあわてて勉強を始めるのではなく、小学校1年生から作文を書く習慣を生活の中に作っておくといいのです。
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算数、英語、理科、社会と同じような教科の学力のひとつとして、国語の学力があるのではありません。
国語は、学力そのものなのです。
漢字や文法やことわざの知識や古文や漢文と同じような国語の分野のひとつとして、作文があるのではありません。
高学年以降になると、作文は学力の集大成なのです。
国語の勉強の基本は簡単です。要するに、読むことだけです。
しかし、考えながら読むことが大事なので、学年に応じて考える文章を読む必要があるのです。
というのは、考えなくても読める文章もあるということです。
小学1年生の子にとっては、漫画も考える文章です。
しかし、小学校高学年の子にとっては、絵で助けてもらう漫画は考える文章とは言えません。
(でも、漫画が悪いというのではありません。読書好きの子のほとんどは、漫画も好きだからです。)
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人間の才能とは、その人が時間をかけたものです。
生まれつきの差異などよりも、その後の時間のかけ方によるものの方がずっと大きいのです。
今は、才能というとと勉強的なことで考えられがちですが、世の中に新しいものを生み出す力はすべて才能です。
だから、その子が時間をかけて飽きないものを見つけてそれを育ててあげることが大事なのです。
さかなクンの半生記を書いた「一魚一会(いちぎょいちえ)」を読んで、改めてそう思いました。
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さかなクンの伝記を読むと、泥団子に熱中したり、ゴミ収集車に熱中したりした子供時代に、いつもそれを優しく見守っていたお母さんの存在に気がつきます。
わざわざ車で遠出して、ゴミ収集車の車庫まで連れていってあげたのですから本格的です。
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