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無の文化と教育3 as/1343.html
森川林 2011/08/31 17:04 



 素読には、孔子の「読書百篇意自ずから通ず」と同じような学習法がとりいれられています。大事なのは、繰り返し読むことであって、読んで理解できないところを誰かに解説してもらうという学習法ではありません。

 読んでわからないところを解説してもらうと、わかったような気がしますが、その理解は表面的なものにとどまります。

 繰り返し読むことによって全体を把握し、それが自分の成長ととともに次第に深まっていくというのが素読の学習法です。



 江戸時代の寺子屋の学習の中心は、日本語の読み書きの学習でした。今の教科で言えば、国語の時間がほとんどで、そこに算盤という計算の練習が加わったような形でした。

 読み書きというのは、社会生活を行う上で欠かせないものですが、特に読み書き教育が重視されたのは、それが人間の成長と深く結びついていたからです。



 教育において、言語教育を重視するのは、言語脳が人間の進化の最もあとから発達した機能だからだと考えられます。

 教育の分野には、音楽教育、運動教育、絵画教育などもあります。しかし、それらの教育では、個々の分野の教育にとどまり、全人的な教育には広がりません。

 言語教育は、言語の習得にとどまらず、人間の成長全体に影響する教育になります。それは、最も新しい言語機能が活性化することによって、脳の他の機能も活性化するからです。

 アメリカの教育実践で、脳に先天的な異常があり身体の動作が不自由だった子が、幼児期に読み書きの練習をすることによって身体機能までも回復したという報告があり、再現性が確認されています。

「赤ちゃんに読みをどう教えるか」

http://www.amazon.co.jp/dp/4925228013

 言語の教育は、それだけ教育の重要な柱なのです。



 ところが、これまでの欧米流の有の文化の言語教育は、一般に次のような形で行われていました。

 まず最も単純で易しい文字を覚えます。次に、単語を覚え、短い文を読み、その文が理解できるようになったら、長い文章を読み、次第に難しい文章を読んでいくという流れです。易しいものから難しいものへ少しずつ進んでいくという方法です。

 これに対して、無の文化の言語教育は、正反対とも言っていいものです。

 まず、難しい漢字が使われていて内容も難しい論語などのテキストを、そのまま丸ごと音読します。そして、それを暗唱できるまで繰り返し読んでいくのです。文章の内容の理解とは無関係に、ただ声を出して読み続けることが素読という学習法です。

 手習いも同じです。ただ手本となる文字を何十回何百回となぞり書きするだけです。その手本となる文字は、ひらがなについては「いろは」、漢字については千字文という中国の詩などでした。内容が子供向けかどうかという配慮などはなく、大人の社会に通用しているものをそのまま丸ごと自分のものにすることが求められたのです。



 欧米の有の文化の教育法では、子供向けの教材が必要になります。そして、その教材をどういう手順で発展させていくかというカリキュラムが必要になります。すると、そこで、教材とカリキュラムに精通した先生が必要になり、先生の教える場所としての学校が必要になります。

 その結果、欧米の教育は、金銭的な余裕のある一部の上流階級の子弟だけに限られたものになりました。欧米では、教育を受けた人だけが社会を動かすエリートで、教育を受けない人は家畜と同じようにただ受け身で命令を聞く存在であればよいと思われていたのです。そして、その文化は、今も続いています。

 これに対して、日本の無の文化の教育は、教材もカリキュラムも先生も学校も必要ありませんでした。大人は、自分が子供のころ習って身についている「いろは」や論語を、同じようにただ子供に伝えればいいだけでした。ただ、ある程度分業した方が能率がいいからという理由だけで、寺子屋というシステムができていたのです。決して、寺子屋方式という教材、カリキュラム、先生、教室が教育に欠かせなかったわけではありません。これが、欧米の教育と日本の教育の大きな違いで、この違いが、欧米と日本の大衆の識字率の驚くほど大きな差を生み出していたのです。

 日本の教育では、教育はエリートだけではなく、誰もが等しく同じように受けられるもので、反復して曇りを拭い取るという同じ教育法によって、誰でも同じように本来の人間としての能力を発揮できるようになると考えられていました。

 欧米流の有の文化の教育は、今の世界の教育の主流です。子供が学びやすいように、学年別に細分化された教材を作ります。子供がつまずくところは更に細分化して教材を完備します。そのようにして、大量の複雑化した教材に囲まれて勉強する形なので、学校と先生がなければ教育が行われないと考えてしまうのです。

 日本の無の文化の教育は、学校や先生がなくても成り立ちます。吉田松陰は、下級武士の子で貧しかったので、山の畑で父の農業を手伝いながら勉強しました。

 欧米では、学校に行けないということは、そのまま教育を受けられないことを意味していました。日本では、学校に行こうが行くまいが、家庭の生活の中で教育を受けることができたのです。(つづく)



 素読には、孔子の「読書百篇意自ずから通ず」と同じような学習法がとりいれられています。大事なのは、繰り返し読むことであって、読んで理解できないところを誰かに解説してもらうという学習法ではありません。

 読んでわからないところを解説してもらうと、わかったような気がしますが、その理解は表面的なものにとどまります。

 繰り返し読むことによって全体を把握し、それが自分の成長ととともに次第に深まっていくというのが素読の学習法です。



 江戸時代の寺子屋の学習の中心は、日本語の読み書きの学習でした。今の教科で言えば、国語の時間がほとんどで、そこに算盤という計算の練習が加わったような形でした。

 読み書きというのは、社会生活を行う上で欠かせないものですが、特に読み書き教育が重視されたのは、それが人間の成長と深く結びついていたからです。



 教育において、言語教育を重視するのは、言語脳が人間の進化の最もあとから発達した機能だからだと考えられます。

 教育の分野には、音楽教育、運動教育、絵画教育などもあります。しかし、それらの教育では、個々の分野の教育にとどまり、全人的な教育には広がりません。

 言語教育は、言語の習得にとどまらず、人間の成長全体に影響する教育になります。それは、最も新しい言語機能が活性化することによって、脳の他の機能も活性化するからです。

 アメリカの教育実践で、脳に先天的な異常があり身体の動作が不自由だった子が、幼児期に読み書きの練習をすることによって身体機能までも回復したという報告があり、再現性が確認されています。

「赤ちゃんに読みをどう教えるか」

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 言語の教育は、それだけ教育の重要な柱なのです。



 ところが、これまでの欧米流の有の文化の言語教育は、一般に次のような形で行われていました。

 まず最も単純で易しい文字を覚えます。次に、単語を覚え、短い文を読み、その文が理解できるようになったら、長い文章を読み、次第に難しい文章を読んでいくという流れです。易しいものから難しいものへ少しずつ進んでいくという方法です。

 これに対して、無の文化の言語教育は、正反対とも言っていいものです。

 まず、難しい漢字が使われていて内容も難しい論語などのテキストを、そのまま丸ごと音読します。そして、それを暗唱できるまで繰り返し読んでいくのです。文章の内容の理解とは無関係に、ただ声を出して読み続けることが素読という学習法です。

 手習いも同じです。ただ手本となる文字を何十回何百回となぞり書きするだけです。その手本となる文字は、ひらがなについては「いろは」、漢字については千字文という中国の詩などでした。内容が子供向けかどうかという配慮などはなく、大人の社会に通用しているものをそのまま丸ごと自分のものにすることが求められたのです。



 欧米の有の文化の教育法では、子供向けの教材が必要になります。そして、その教材をどういう手順で発展させていくかというカリキュラムが必要になります。すると、そこで、教材とカリキュラムに精通した先生が必要になり、先生の教える場所としての学校が必要になります。

 その結果、欧米の教育は、金銭的な余裕のある一部の上流階級の子弟だけに限られたものになりました。欧米では、教育を受けた人だけが社会を動かすエリートで、教育を受けない人は家畜と同じようにただ受け身で命令を聞く存在であればよいと思われていたのです。そして、その文化は、今も続いています。

 これに対して、日本の無の文化の教育は、教材もカリキュラムも先生も学校も必要ありませんでした。大人は、自分が子供のころ習って身についている「いろは」や論語を、同じようにただ子供に伝えればいいだけでした。ただ、ある程度分業した方が能率がいいからという理由だけで、寺子屋というシステムができていたのです。決して、寺子屋方式という教材、カリキュラム、先生、教室が教育に欠かせなかったわけではありません。これが、欧米の教育と日本の教育の大きな違いで、この違いが、欧米と日本の大衆の識字率の驚くほど大きな差を生み出していたのです。

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 国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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