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開成中学の国語の入試問題推測(その2) as/768.html
森川林 2010/02/07 06:53 


 昨日の物語文に引き続き、今日は、開成中学の国語の入試問題のうち説明文の推測です。
 あくまでも推測ですので、正式の入試問題ではありません。
 しかし、これを作ったあと、実際の入試問題を見たら(笑)、大体同じようなものでした。

■説明文

 「歴史に『もしも』はない」というのはよく口にされる言葉です。
 たしかに、「起きなかったこと」は起きなかったことですから、「起きなかったこと」なんか考えてもしかたがないのかも知れません。
 でも、どうして「あること」が起きて、「そうではないこと」は起きなかったのか。その理由について考えるのはなかなかにたいせつな知性の訓練ではないかと私は思っています。
 どうしてかというと、過去の「(起こってもよかったのに)起こらなかったこと」について想像するときに使う脳の部位は、未来の「起こるかもしれないこと」を想像するときに使う部位とたぶん同じ場所のような気がするからです(解剖学的にはどうか知りませんけれど)。

 歴史の勉強をすると、「出来事Aがあったために、出来事Bがその後に起きた」というふうに書いてあります。歴史的事件はまるで因果関係に基づいて整然と配列されているかのようです。けれども、ほんとうにそうなのでしょうか。というのは、私たちの世界で今起きている出来事の多くは「そんなことがまさか現実になるとは思いもしなかったこと」だからです。
 例えば、第二次世界大戦が始まる前に、ヨーロッパはいずれフランスとドイツを中心とした国家連合体になり、パスポートも国ごとの通貨もなくなるだろうと予測していた人はほとんど存在しませんでした。同じように、太平洋戦争が始まった頃に日米の緊密な同盟関係が戦後の日本外交の基軸になると予見していた人もほとんど存在しませんでした。
 でも、「そういうこと」がいったん現実になってしまうと、みんな「そういうこと」が起こるのは必然的であったというようなことを言います。
 でも、歴史上のどんな大きな事件でも、それを事前に予見できた人はいつでもほとんどいません。
 同じことが未来についても言えるだろうと私は思います。
 私たちの前に拡がる未来がこれからどうなるか、正直言って、私にはぜんぜん予測ができません。わかっているのは「あらかじめ決められていた通りのことが起こる」ということは絶対にないということだけです。後になってから「きっとこうなると私ははじめからわかっていた」と言う人がいても(たくさんいますが)、私はそんな人の話は信じません。

 未来はつねに未決定です。
 今、この瞬間も未決定なままです。
 一人の人間の、なにげない行為が巨大な変動のきっかけとなり、それによって民族や大陸の運命さえも変わってしまう。そういうことがあります。歴史はそう教えています。誰がその人なのか、どのような行為がその行為なのか。それはまだ私たちにはわかりません。ということは、その誰かは「私」かも知れないし、「あなた」かも知れないということです。

 過去に起きたかもしれないことを想像することはたいせつだと私は最初に書きました。それは、今この瞬間に、私たちの前に広がる未来について想像するときと、知性の使い方が同じだからです。
 歴史に「もしも」を導入するというのは、単にSF的想像力を暴走させてみせるということではありません(それはそれで楽しいことですけれど)。それよりはむしろ、一人の人間が世界の運行にどれくらい関与することができるのかについて考えることです。
 私たちひとりひとりの、ごくささいな選択が、実は重大な社会的変化を引き起こす引き金となり、未来の社会のありかたに決定的な影響を及ぼすかもしれない、その可能性について深く考えることです。もしかするとほかならぬこの自分が起点になって歴史は誰も予測できなかったような劇的な転換を遂げるかもしれない。
 そういう想像をすることはとてもたいせつです。
 【■2】何より、「私ひとりががんばって善いことをしても、何が変わるわけでもない」とか「私ひとりがこっそり悪いことをしても、何が変わるわけでもない」というふうに自分の歴史への参与を低く見積もって、なげやりになっている人に比べて、今この瞬間においてはるかに人生が充実しているとは思いませんか。

 「もしも歴史が」(内田樹の文章より)

■問一、著者は歴史がどのようなもので、歴史に「もしも」を考えることがどのような役割を持つと考えているか。八〇字以上一〇〇字以内で書きなさい。

 ……歴史は必ずしも因果関係で結ばず、かつてどのような可能性があったのかを考えることが未来に繋がり、歴史に「もしも」を導入することで、個人が世界の運行にどれくらい関与できるかについて考えることができるから。

■問二、【■2】「何より、『私ひとりががんばって善いことをしても、何が変わるわけでもない』とか『私ひとりがこっそり悪いことをしても、何が変わるわけでもない』というふうに自分の歴史への参与を低く見積もって、なげやりになっている人に比べて、今この瞬間においてはるかに人生が充実しているとは思いませんか。」という著者の意見に対して反論を述べるとしればどのようなことが言えるか。あなたが反論すると考えて自由に一〇〇字以上一三〇字以内で書きなさい。

 ……歴史や政治などという大きなものを背負うことが個々人の幸せになるとは限らない。歴史上、勝者もあれば敗者もあり、社会の仕組みや歴史は常に支配者の都合のよいようにつくられる。大きな政治・歴史よりも、個々人がいかに幸せを暮らすことができるかという社会を目指すべきであろう。

※その他の問題は省略。
※解答例はインターエデュのページのものを使わせていただきました。
http://www.inter-edu.com/nyushi/2010/kaisei/jap.php


 昨日の物語文に引き続き、今日は、開成中学の国語の入試問題のうち説明文の推測です。
 あくまでも推測ですので、正式の入試問題ではありません。
 しかし、これを作ったあと、実際の入試問題を見たら(笑)、大体同じようなものでした。

■説明文

 「歴史に『もしも』はない」というのはよく口にされる言葉です。
 たしかに、「起きなかったこと」は起きなかったことですから、「起きなかったこと」なんか考えてもしかたがないのかも知れません。
 でも、どうして「あること」が起きて、「そうではないこと」は起きなかったのか。その理由について考えるのはなかなかにたいせつな知性の訓練ではないかと私は思っています。
 どうしてかというと、過去の「(起こってもよかったのに)起こらなかったこと」について想像するときに使う脳の部位は、未来の「起こるかもしれないこと」を想像するときに使う部位とたぶん同じ場所のような気がするからです(解剖学的にはどうか知りませんけれど)。

 歴史の勉強をすると、「出来事Aがあったために、出来事Bがその後に起きた」というふうに書いてあります。歴史的事件はまるで因果関係に基づいて整然と配列されているかのようです。けれども、ほんとうにそうなのでしょうか。というのは、私たちの世界で今起きている出来事の多くは「そんなことがまさか現実になるとは思いもしなかったこと」だからです。
 例えば、第二次世界大戦が始まる前に、ヨーロッパはいずれフランスとドイツを中心とした国家連合体になり、パスポートも国ごとの通貨もなくなるだろうと予測していた人はほとんど存在しませんでした。同じように、太平洋戦争が始まった頃に日米の緊密な同盟関係が戦後の日本外交の基軸になると予見していた人もほとんど存在しませんでした。
 でも、「そういうこと」がいったん現実になってしまうと、みんな「そういうこと」が起こるのは必然的であったというようなことを言います。
 でも、歴史上のどんな大きな事件でも、それを事前に予見できた人はいつでもほとんどいません。
 同じことが未来についても言えるだろうと私は思います。
 私たちの前に拡がる未来がこれからどうなるか、正直言って、私にはぜんぜん予測ができません。わかっているのは「あらかじめ決められていた通りのことが起こる」ということは絶対にないということだけです。後になってから「きっとこうなると私ははじめからわかっていた」と言う人がいても(たくさんいますが)、私はそんな人の話は信じません。

 未来はつねに未決定です。
 今、この瞬間も未決定なままです。
 一人の人間の、なにげない行為が巨大な変動のきっかけとなり、それによって民族や大陸の運命さえも変わってしまう。そういうことがあります。歴史はそう教えています。誰がその人なのか、どのような行為がその行為なのか。それはまだ私たちにはわかりません。ということは、その誰かは「私」かも知れないし、「あなた」かも知れないということです。

 過去に起きたかもしれないことを想像することはたいせつだと私は最初に書きました。それは、今この瞬間に、私たちの前に広がる未来について想像するときと、知性の使い方が同じだからです。
 歴史に「もしも」を導入するというのは、単にSF的想像力を暴走させてみせるということではありません(それはそれで楽しいことですけれど)。それよりはむしろ、一人の人間が世界の運行にどれくらい関与することができるのかについて考えることです。
 私たちひとりひとりの、ごくささいな選択が、実は重大な社会的変化を引き起こす引き金となり、未来の社会のありかたに決定的な影響を及ぼすかもしれない、その可能性について深く考えることです。もしかするとほかならぬこの自分が起点になって歴史は誰も予測できなかったような劇的な転換を遂げるかもしれない。
 そういう想像をすることはとてもたいせつです。
 【■2】何より、「私ひとりががんばって善いことをしても、何が変わるわけでもない」とか「私ひとりがこっそり悪いことをしても、何が変わるわけでもない」というふうに自分の歴史への参与を低く見積もって、なげやりになっている人に比べて、今この瞬間においてはるかに人生が充実しているとは思いませんか。

 「もしも歴史が」(内田樹の文章より)

■問一、著者は歴史がどのようなもので、歴史に「もしも」を考えることがどのような役割を持つと考えているか。八〇字以上一〇〇字以内で書きなさい。

 ……歴史は必ずしも因果関係で結ばず、かつてどのような可能性があったのかを考えることが未来に繋がり、歴史に「もしも」を導入することで、個人が世界の運行にどれくらい関与できるかについて考えることができるから。

■問二、【■2】「何より、『私ひとりががんばって善いことをしても、何が変わるわけでもない』とか『私ひとりがこっそり悪いことをしても、何が変わるわけでもない』というふうに自分の歴史への参与を低く見積もって、なげやりになっている人に比べて、今この瞬間においてはるかに人生が充実しているとは思いませんか。」という著者の意見に対して反論を述べるとしればどのようなことが言えるか。あなたが反論すると考えて自由に一〇〇字以上一三〇字以内で書きなさい。

 ……歴史や政治などという大きなものを背負うことが個々人の幸せになるとは限らない。歴史上、勝者もあれば敗者もあり、社会の仕組みや歴史は常に支配者の都合のよいようにつくられる。大きな政治・歴史よりも、個々人がいかに幸せを暮らすことができるかという社会を目指すべきであろう。

※その他の問題は省略。
※解答例はインターエデュのページのものを使わせていただきました。
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