ゲストさん ログイン ログアウト 登録
 Onlineスクール言葉の森/公式ホームページ
 
記事 1315番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/5/11
クラウド時代のソーシャルサービスと教育 as/1315.html
森川林 2011/07/22 18:13 



 クラウドという言葉は、もう古いと思う人もいるかもしれませんが、これは、今もなお、これからの社会を特徴づける根本的な概念です。

 クラウドというのは、単に自社サーバーで行っていた業務を、アマゾンやgoogleのサーバーを借りて行うというようなものではありません。単にこれまで切り離されていた情報がネットワークを介してつながるというだけではなく、もっと根本的に、情報の主体と客体がそれぞれクラウドの雲の中でつながってしまい、境目がなくなるということなのです。



 今、私たちは、インターネットで本を買おうとすれば、アマゾンで買うか楽天ブックスで買うかという選択をまず最初にすると思います。しかし、そういう選択をしなければならないのは、クラウド化がまだ十分に進展していないからです。クラウド化の完成された社会では、本を買うという選択だけがあり、その選択がどこの書店で行われるかということはクラウドの中に隠れて見えなくなります。これは、アマゾンにとっても楽天ブックスにとっても同様です。書店もクラウドの中にあり、顧客もクラウドの中にいます。

 そういう状態が嫌だからといって、自分の周りの雲だけをきれいに吹き消して見通しをよくするということは、言い方を変えれば、オープンからクローズドになることです。そして、オープンなクラウドの雲はますます広がり発展していくのに対して、クローズドな透明性はますます狭く小さくなり衰退していきます。

 これは、具体的には次のようなことです。ある人が、アマゾンで本を注文したとします。しかし、それがアマゾンの中で品切れであった場合、アマゾンはその注文を楽天ブックスに回します(今はまだそうなっていません。これは、クラウド化が進展したあとの話です)。すると、買い手は、どこで買ったという意識なく本を手に入れることができます。これは、買い手が楽天ブックスで買った場合も同様です。

 ところが、ここで、アマゾンが注文を楽天ブックスに回すのはもったいないからと、自社の品切れが解消するまでその注文をとどめておいたらどうなるでしょうか。これは、自分だけクラウドの雲の中に境を作って売上を確保しようとすることです。しかし、そのようにして境を作った途端、買い手はその境のある売り手を選択しなくなるのです。



 これを今のソーシャル・ネットワーキング・サービスにあてはめると、どうなるでしょうか。

 googleがfacebookに対抗して、新しくgoogle+というソーシャルサービスを開始しました。facebookをやっている人の中には、既にmixiもやっているし、ブログも複数運営しているし、twitterもやっている、というが多いと思います。この上更に、google+も始めるとなると、これらのソーシャルサービスをどう使い分けたらいいのかと頭を悩ます人も出てくるでしょう。しかし、そこで頭を悩ますのは、まだこれらのソーシャルサービスがクラウド化が十分に進展していない過渡期の状態にあるからです。

 クラウド化の進んだ社会では、個々のソーシャルサービスはクラウドの雲の中にのみこまれます。既にいま、twitterの投稿を自動的にfacebookに連携させたり、ブログの記事をやはり自動的にfacebookのノートに連携させたりすることができるようになっています。記事を投稿する個人の関心は、記事を書くことにあるのであって、どこに投稿するかということではなくなっています。

 これまでは、さまざまなソーシャルサービスを使い分けるという考えがありました。同じ記事をあちこちのソーシャルサービスにコピーするのは、読者に対して失礼だという感覚もあったと思います。また、検索エンジンに検索されやすくするために、同じ記事をコピーしたり、同じようなリンクを多数のブログにつけたりするのは、ルール違反だという感覚もありました。

 しかし、これからはそうではなくなってきます。ある記事を書いた個人は、その記事を多数のソーシャルサービスに同じように発信します。それは意図してそうするというよりも、ソーシャルサービスの中で自動的にそのような連携が行われるようになってくるからです。

 facebookの操作になじんでいる人は、facebookから情報を発信するでしょう。すると、それがブログにも、twitterにも、google+にも連携されて同じように発信されます。その情報を読む人は、やはり自分が操作的になじんでいるところからその情報を読み取ります。ある人はブログから読み取り、ある人はtwitterから読み取り、ある人はgoogle+からその情報を読み取ります。そして、コメントを返すときは、それぞれのソーシャルサービスから、その情報に対して返信をするのです。書く人はfacebookから、読む人はgoogle+で、そして、読んだ人がgoogle+で返信したコメントは、書いた人がfacebookで読み取るという形になります。もちろん、こういう状態になるにはまだしばらく時間がかかるはずですが、大きな方向はもう変わりません。



 このようなクラウドの状態に置かれるのが嫌だからといって、自社のソーシャルサービスにいる会員の情報を囲い込みするところは、クラウド化の発展から取り残されていきます。個人の関心は、どこのソーシャルサービスを使うかということではなく、どういう情報を発信するかというだけになるからです。

 個人は1人で、使えるソーシャルサービスは多数あります。これは、1軒の家に多数の玄関があるのと同じです。だれでも、どの玄関からでもその家に入れます。そして、どの玄関から出るのも自由です。しかし、もしある玄関から入った場合に限り、出るときもその玄関からしか出られないとすれば、人はすぐにその玄関を使わないようになるでしょう。よほど、その玄関に愛着があれば別ですが、普通の人間の関心は家に入ることであって、玄関を通ることではないからです。

 iphoneのOSかアンドロイドのOSかというのも、この選択に似ています。玄関の大きさに10倍ぐらいの差があれば、人はたとえクローズドの不便な玄関であっても、その不便さを我慢するでしょう。しかし、2倍以内の差であれば、多くの人はたとえ小さくてもオープンな玄関の方を選ぶはずです。クラウド化の進展とは、こういうことなのです。



 そして、このクラウド化は、ソーシャル・ネットワーキング・サービスの世界に留まりません。これからの社会は、政治も、経済も、教育も、文化も、遅い早いの違いはあれ、すべてこのクラウド化の雲の中にのみこまれていきます。もちろん、タイミングというものは必要で、雲がまだ広がっていない分野で、自分だけオープンになるというのは賢い決定とは言えません。しかし、いずれどの分野にも、この雲が押し寄せるとしたら、考え方だけはクラウド化に対応したオープンなものに切り換えておく必要があります。



 しかし、クラウド化がどれだけ進展しても、クラウドの雲の中にのみこまれないものももちろんあります。実は、そこに人間の本質があるとも言えるのです。

 クラウドは、人間の生活を確かに便利にします。しかし、人間は便利さのために生きているのではありません。便利さの雲の中に解消しないものが人間の本質で、それは身体性とも言うべきものです。

 ある個人がある特定のことに好みや関心を持ち、特定の過去の経験を持ち、特定の人に出会ったり、特定の行動をとったりするところに、人間の身体的な特質があります。

 将来、教育のコンテンツは限りなくクラウド化していきます。知識や方法は抽象的なものですから、クラウド化されればされるほど便利になっていくのです。しかし、例えば、ある子供がいるということは、その子供を育てた特定の家庭があり、その子供が生活する特定の地域があり、その子供と長い時間かけて接する特定の先生や友達がいるということです。

 この特定の家庭や、特定の地域や、特定の先生や友達が、クラウド化の進展にもかかわらず、決して雲の中にのみこまれることのない確実な地面として残ります。ところが、その地面は、過去の時代のように孤立した地面ではありません。広がる雲によって世界につながる地面になっているのです。

 言い換えれば、クラウド化によって限りなく便利になったソーシャル・ネットワークのプラットフォームを使って、世界中で最も優れた教育コンテンツをフルに利用して、家庭と地域の協力で小さな寺子屋教育が行われるというのが、未来の教育の姿になっていくだろうということなのです。

この記事に関するコメント
コメントフォームへ。

同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
教育論文化論(255) facebook(29) 

記事 1314番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/5/11
「桃太郎」を例にした感想文の書き方 as/1314.html
森川林 2011/07/21 17:29 



 みんながよく知っている「桃太郎」を読んで感想文を書く練習です。このような形で書いていけば、読書感想文は簡単です。

 感想文のコツは、似た話を長く書くことです。1日に書く分量を400字ぐらいにしておき、3日か4日で全部仕上げるようにすれば負担がありません。

 以下は、小学校5、6年生ぐらいで書く感想文の例です。

▼1日目

 緑の山と青い川、桃太郎が生まれたのは、こんな自然の豊かな村だった。しかし、その村は、毎年来る鬼のためにとても貧しい村だった。(情景などがわかるようにして書き出しを工夫する)

 ある日、いつものように、おばあさんが川で洗濯をしていた。すると、川上から大きな桃がドンブラコッコ、ドンブラコッコと流れてきた。(物語の序盤から引用する)

 ぼくは、一年生のころ、父と母と弟でキャンプに行った。キャンプ場には、きれいな川があり、その川の近くでぼくたちはバーベキューをした。食べたあとのお皿を洗うと、川の流れがすぐに汚れを運んでくれる。ぼくは、昔の人はこんなふうに川で洗濯をしたのかなあと思った。(自分自身の体験を書く)

 さて、その川のキャンプでのいちばんの思い出は、冷やしておいたスイカがいつの間にか流されてしまったことだ。夜冷やしておいて、次の日に食べようと思っていたスイカが、朝起きてみるとなかった。一緒に冷やしておいた父のビールはそのまま残っていたので、たぶん夜のうちに川に流れていってしまったのだろう。

 ぼくは、ふと、桃太郎の生まれた桃も、上流でだれかが冷やしておいたのではないかという気がしてきた。(この感想は主題に関係なくてもOK)

▼2日目

 桃から生まれた桃太郎は、一杯食べると一杯分、二杯食べると二杯分大きくなった。しかし、桃太郎はいつまでも食べては寝るだけで何もしようとしなかった。(物語の中盤から引用する)

 ぼくの小さかったころの話を、父と母に聞いたことがある。最初三千グラムで生まれたぼくは、一年たつころには、もうその三倍の十キログラム近くになっていたそうだ。ぼくの今の体重は三十五キログラムなので、生まれたときの約十倍になっている。そんなに大きくなるまで何杯ご飯を食べたかはわからないが、たぶん最初のころの桃太郎と同じようにぐんぐん大きくなっていったのだろう。(身近な人に取材する)

 母に聞くと、ぼくは小さいころ、自分から言葉をしゃべろうとせず、まるでお地蔵さんのようにいつもにこにこ人の話を聞いているだけだったそうだ(「まるで」という比喩は文章を個性的にする)。母は、そのことを少し心配していたらしい。たぶん、そのときの母の気持ちは、いつまでも食べて寝るだけの桃太郎を見ておじいさんやおばあさんが感じた気持ちと同じではなかったかという気がする(「たぶん」という推測は自然と感想になる)。

▼3日目

 やがて成長した桃太郎は、犬と猿とキジを連れて鬼を退治に出かけた。犬は噛み付き、猿は引っかき、キジは目を突っつき、桃太郎は鬼を投げ飛ばした。(物語の終盤から引用する)

 ぼくは、この戦いぶりを見て、ふとぼくたちのサッカーチームを思い出した。サッカーには、もちろん、噛み付きや引っかきはない。まして目を突っついたりしたらすぐに退場だ。しかし、足の速い次郎君、シュート力のある和田君、ピンチのときでもみんなを笑わせるケンちゃんなど、ぼくたちのチームは、それぞれの得意なところを生かす点で桃太郎のチームと似ているのではないかと思った。

 このことを父に話すと、父は、こんなことを言った。

「桃太郎がいなかったら、鬼には勝てなかったけど、桃太郎が四人いても、やはり鬼には勝てなかっただろうなあ」(長い会話をそのまま書くと味が出る)

 ぼくは最初、桃太郎だけが主人公で犬や猿やキジは脇役だと思っていたが、次第に全員がそれぞれの役割で主人公なのだと思うようになった。どうしてかというと、みんなそれぞれの長所があり、その長所でお互いの短所を補い合っているからだ(「どうしてかというと」などの接続語を使うと感想も長くできる)。(結びは、本の主題に関する感想を書く)

▼4日目

 鬼を退治し、宝物を持って村に帰った桃太郎は、それからどうしただろうか。きっと、もう鬼の来ない平和な村で、豊かな自然に囲まれて楽しく過ごしたにちがいない。おばあさんが洗濯をしているきれいな川の横で、犬や猿とキジと水遊びをしている桃太郎の姿が思い浮かぶ。(書き出しと結びを対応させる)

 いま、ぼくたちの街に、桃太郎が戦うような鬼はいない。しかし、ぼくたちの街には、桃太郎が暮らしていた緑の山や青い川もない。もし、桃太郎がいまここにいたら、人間にとって戦う相手は鬼ではなく、きれいな自然を取り戻すことになるかもしれない。そして、その桃太郎とは、たぶんこれからのぼくたちなのだ。(「人間」という大きい立場で考え、自分のこれからの行動に結びつける)

この記事に関するコメント
コメントフォームへ。

本好きん 20110724  
なるほど、こんな感想文を書いたら、先生方やPTAのご父兄はいたく感心されるに違いないし、受験戦争にも勝てそうだ、というのが私のこの感想文を読んだ感想だ。

だが、そこで私は自問する。待てよ、本当に子供がこんな「感想」を持つであろうか?もちろん、それをおわかりの上で、受験戦争を勝ち抜くためにも、このように書けば万人受けするよということ出紹介されているのだろうが、ちょっとひねくれた子供だった私にはどうも納得がいかないのだ。

私が子供の頃、この物語を聞いて最初に思ったことは、「きじやさるや犬たちは、あんなおっかない鬼と戦うのに、キビ団子しかもらえなくてもいいのかな?強い鬼と戦ったらお供の動物が死ぬかもしれないのに、桃太郎は動物たちにお団子ひとつしかあげないなんて・・・。物語では桃太郎はヒーローみたいだけど、私から見ると桃太郎はひどい!人間って、知恵があるのって、ずるい!私だったら絶対桃太郎についていかない!」というものだった。(大人になった今も、この感想はあまり変わらない。)

まあ、こんな感想文書く子は受験に成功するはずはありませんが、感想文って思ったことを書くものであって、100人いたら100人全く違う考えがあってもいいものだと思うのですがね。





森川林 20110724  
 そういう見方も、もちろんあります。
 私は、当然そういうアプローチで書いたものを認めます。自分らしいものの見方、考え方をしている子は、その個性を伸ばしていくようにすすめます。
 しかし、最初の出発点はそうではないのです。
 子供たちは、もっと単純に明るいもの美しいもの肯定的なものが好きです。
 しかし、肯定的なものから出発しても、そこには必ず暗い面やうその面があります。それに気がついて、ものの見方は次第に複雑になっていくのですが、大人がその暗い見方やうその見方を最初に教えるものではありません。
 本好きんさんの見方は、ひとつの貴重な個性ですが、多くの人はそういう感想文の書き方を参考として載せてほしいとは思わないでしょう。
 本当は、このサンプルでいろいろな見方の例を書いてもよかったのですが、それでは話が複雑になって何を言いたいのかわからなくなるので、シンプルな例を載せたのです。

ジャスミン・リリー 20140807  
こんな、感想文があるなんて、さすが日本!次は、この桃太郎の題名を教えて欲しいです!

Corosatiko 20140819  
とてもためになり夏休みの宿題の感想文の参考になりま〜す

ハイタカ 20150819  
凄くいい感想文でした。

匿名 20150830  
ためになった

はーたん 20171220  
上手い


匿名 20180818  
夏休みの宿題の感想文にしたい

同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
読書感想文(19) 
コメント11~20件
……前のコメント
【合格速報】栃 森川林
 おめでとう!  受験勉強中も、硬い説明文の本をばりばり読 3/13
受験作文と入試 森川林
将来の作文入試は、デジタル入力になり、AIで自動採点するよう 3/13
大学入試が終わ 森川林
大学生になっていちばん大事なことは学問に志すこと。 18歳 3/12
【合格速報】東 森川林
 T君、いつも椅子に腹ばいになってずっと本を読んでいたものね 3/11
1月の森リン大 森川林
 小1から高3までの作文が並ぶと、学年に応じて、みんなの考え 3/11
未来の子育て、 森川林
 「今は、勉強が大事なのだから、自分のしたいことは大学に入っ 3/8
未来の子育て、 森川林
 かつて、三井三池炭鉱は、日本のエネルギー産業の花形で、安定 3/7
未来の子育て、 森川林
幼児期や小学校低学年のころは、何でも吸収できます。 しかし 3/6
未来の子育て、 森川林
 今の日本の受験勉強は、清朝末期の中国の科挙に似てきています 3/5
朝の10分間読 森川林
 読書は、読む力と理解する力です。  草野球とプロ野球では 3/4
……次のコメント

掲示板の記事1~10件
Re: 読解検 森川林
 ご質問ありがとうございます。  こういう質問ができる 5/10
男は、というか 森川林
男は、というか、自分は、あれこれ説明はしない。 聞かれれば 5/10
大事なのは理念 森川林
大事なのは理念だ。 損得や利害ではない。 遠くの星を目指 5/10
読解検定4月中 あうせれ
問3のAが×だと思いました。←「小学校低学年らしい男の子」と 5/8
マスクしない、 森川林
マスクしない、ワクチン打たない、消毒しない。 人類は、何十 5/7
まだ夜なのに、 森川林
まだ夜なのに、小鳥が鳴いている。 元気がよくていいや。 5/7
夜の山道を車で 森川林
夜の山道を車で走っていると、なぜか左側が暗い。 降りてみる 5/7
競争から創造へ 森川林
競争で勝つということは、負ける相手がいるということだ。 大 5/6
人はみな、未来 森川林
人は皆、未来に生きている。 親がレールを敷こうとしている未 5/4
Re: 読会検 森川林
 千個というのは、立方体のことなので、例えば、1辺が1ミクロ 5/3

RSS
RSSフィード

QRコード


小・中・高生の作文
小・中・高生の作文

主な記事リンク
主な記事リンク

通学できる作文教室
森林プロジェクトの
作文教室


リンク集
できた君の算数クラブ
代表プロフィール
Zoomサインイン






小学生、中学生、高校生の作文
小学1年生の作文(9) 小学2年生の作文(38) 小学3年生の作文(22) 小学4年生の作文(55)
小学5年生の作文(100) 小学6年生の作文(281) 中学1年生の作文(174) 中学2年生の作文(100)
中学3年生の作文(71) 高校1年生の作文(68) 高校2年生の作文(30) 高校3年生の作文(8)
手書きの作文と講評はここには掲載していません。続きは「作文の丘から」をごらんください。

主な記事リンク
 言葉の森がこれまでに掲載した主な記事のリンクです。
●小1から始める作文と読書
●本当の国語力は作文でつく
●志望校別の受験作文対策

●作文講師の資格を取るには
●国語の勉強法
●父母の声(1)

●学年別作文読書感想文の書き方
●受験作文コース(言葉の森新聞の記事より)
●国語の勉強法(言葉の森新聞の記事より)

●中学受験作文の解説集
●高校受験作文の解説集
●大学受験作文の解説集

●小1からの作文で親子の対話
●絵で見る言葉の森の勉強
●小学1年生の作文

●読書感想文の書き方
●作文教室 比較のための10の基準
●国語力読解力をつける作文の勉強法

●小1から始める楽しい作文――成績をよくするよりも頭をよくすることが勉強の基本
●中学受験国語対策
●父母の声(2)

●最も大事な子供時代の教育――どこに費用と時間をかけるか
●入試の作文・小論文対策
●父母の声(3)

●公立中高一貫校の作文合格対策
●電話通信だから密度濃い作文指導
●作文通信講座の比較―通学教室より続けやすい言葉の森の作文通信

●子や孫に教えられる作文講師資格
●作文教室、比較のための7つの基準
●国語力は低学年の勉強法で決まる

●言葉の森の作文で全教科の学力も
●帰国子女の日本語学習は作文から
●いろいろな質問に答えて

●大切なのは国語力 小学1年生からスタートできる作文と国語の通信教育
●作文教室言葉の森の批評記事を読んで
●父母の声

●言葉の森のオンライン教育関連記事
●作文の通信教育の教材比較 その1
●作文の勉強は毎週やることで力がつく

●国語力をつけるなら読解と作文の学習で
●中高一貫校の作文試験に対応
●作文の通信教育の教材比較 その2

●200字作文の受験作文対策
●受験作文コースの保護者アンケート
●森リンで10人中9人が作文力アップ

●コロナ休校対応 午前中クラス
●国語読解クラスの無料体験学習