国語力は、あらゆる学力の基礎となるものです。それは、人間が言葉によって思考するからで、英語も数学も理科も社会も、その教科の勉強を学ぶためには国語的な理解をすることが前提になるからです。
ところで、国語の勉強というと、多くの人は漢字の書き取りのようなものを連想するようです。しかし、漢字力というのは、国語力のごく一部で、しかも国語の本質とは関係の薄い一部です。なぜなら、世界中のさまざまな言語における国語の勉強で、漢字を学ばなければならないというのは、日本や中国や台湾などのようなごく一部に国だけだからです。漢字は、国語力の本質ではないのです。
しかし、人間というのは、読めない文字は理解できません。たとえ、その漢字の意味が、表意文字としておぼろげながらわかったとしても、やはり読みのわからない漢字は、理解に自信が持てないのです。だから、漢字の書き取りは、国語力の本質ではないが、漢字の読み取りは国語力の第一の条件になります。
ここから出てくる結論は、漢字の書き取りは特に先取りする必要はないが、漢字の読みだけはできるだけ学年を先取りした方がいいということです。
漢字の読みがよくできる子は、読書をよくしている子です。ふりがな付きの本を読んでいるうちに、自然に読みだけはできるようになるのです。しかし、児童書は、漢字の読みを先行させるという点では、書かれている内容が児童向けなので、かえって不十分なところがあります。児童書には難しい漢字は出てこないので、漢字の読み取りの力はあまりつきません。
そこで、言葉の森では、子供たちが毎日暗唱したり、音読したりする長文に、学年よりも上の漢字を盛り込む形の勉強を考えています。
実は、この発想は、中国の千字文や、日本のいろは48文字などに見られるように、先人がさまざまな例を残しています。しかし、現代の文章に合うようなものは、まだあまりありません。(あることはありますが、まだ定番となるようなものはないという意味です。)
言葉の森では、毎月1か月で約1000字の長文を暗唱する子が多いので、1年間で約12000字の文章を暗唱することになります。
まず、小1から小3までの3年間の間に読む長文の中に、小学校で習う教育漢字約1000字を盛り込みます。そして、小4から小6までの3年間の間に読む長文の中に、中学で習う漢字約1000字を盛り込みます。合計すると、小1から小6までの暗唱長文約72000字の中に、約2000字の漢字を盛り込むのですから、それほど難しいことではありません。
また、暗唱だと時間がかかりますが、その長文を見て音読するだけなら、漢字の読み方を覚えるのはもっと簡単にできます。この漢字の読み方を先取りして学習するというのが国語の勉強の第一段階です。
そして、小1から小3までの間に、小6までに習う教育漢字の読み方を覚えてしまえば、小4から、すぐに中学入試問題集の問題集読書に取り組むことができます。これが国語の勉強の第二段階です。(つづく)
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最近、言葉の森の体験学習を始める人の中で、次のように言う人が増えています。
「今まで、○○で作文の勉強をしてきたけど、やはり全然書けないので、言葉の森にした」(○○には、いろいろな名前が入ります)
今年の春は、他の作文通信講座が、中高一貫校入試の作文試験に対応しようとしたためか、一斉に宣伝を行いました。ある通信講座などは、週に何度も広告を出し、それも小学生新聞を1面全部使うような派手なカラー広告を出していました。しかし、そこで書かれている内容は、これまで言葉の森が書いてきたことの焼き直しのようなものばかりでした。
タレント教育評論家が監修しているので、いい教材だと思った人も多いのだと思いますが、実際の指導内容については、いろいろな指導法の寄せ集めです。
その結果、カラフルな楽しそうな教材に(そして、毎週ではなく月に1回とか2回とかいう手軽な料金に)惑わされて、そういう通信講座で作文の勉強を始めてみた人も多かったと思います。
ところが、楽しくできそうな気がして始めてみたものの、そういうところでは実際の指導のノウハウがなくただ赤ペンを入れるだけの添削が中心なので、結局、課題が少し難しくなるともう続けられなくなるのです。
ところが、いったん赤ペンによる添削だけで、作文がなかなか書けなくて苦しい思いをした子供は、もう作文という言葉だけで拒否反応を示すようになります。作文のような表現する勉強は、嫌いにさせるのは簡単です。間違いを注意だけしていれば、だれでもすぐに書くことが嫌いになります。しかし、世間のほとんどの赤ペン添削は、そういう間違いを直す指導が中心です。
この春、言葉の森以外の作文通信講座で作文の勉強を始めた子の中には、作文が苦手になった子がかなり多かったと思います。いったん作文が嫌いになると、もうほかのところでまた作文の勉強を始めてみようという気にはなかなかなれません。
だから、作文の勉強は、電話指導で確実に書けるところまで指導する言葉の森で始めていくことが大切なのです。
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英語の勉強を始めるのは、小学校4年生からです。4、5、6年生というのは、日本語の能力が既に安定していると同時に、外国語を習得する能力がまだ高い時期だからです。
これが、小学校1、2、3年生で英語の勉強をするようだと時期的には早すぎます。小学校3年生までは、日本語の能力を確実に身につけていく時期ですから、この時期に日本語以外の言語の勉強をすると、日本語能力が正しく成長しなくなる可能性があります。
今の親の世代は、自分が英語で苦労してきたために、子供にその苦労をさせまいと思い、早期の英語教育をさせる傾向があります。しかし、早期の英語教育はうまく行かなくても問題はありませんが、日本語教育がうまく行かないとそれは一生の問題になります。現代は、CDやDVDなど機器を利用した教育が可能なので、やりすぎの危険性は昔よりも高くなっています。
英語教育を始めるのに遅すぎるという心配はありません。しかし、早すぎとやりすぎによる危険性だけは親が注意しておくべきだと思います。
さて、小学校4、5、6年生から始める英語の勉強の教材は、英語の文章と英語の音声です。まず、子供が興味の持てそうな易しい英語の物語の本を選びます。その場合、CDがついていることが条件です。
日本で出版された英語の物語の本は、日本語による説明が不必要に入っている場合があるので、英語圏で出版されたものの方がいいようです。
昔、私は、教材としては、中学の英語の教科書がいいと言っていました。しかし、最近の中学の英語の教科書は、短い会話ばかりが載っているので、教材としてはあまりふさわしくありません。しかも、教科書に載っているその簡単な会話ばかりの文章とは結びつかない形で、文法的な勉強をするようになっています。こういう勉強の仕方では、英語はかなり勉強のしにくい教科になります。これは、むしろ、子供たちの間に、できる子とできない子の差をつけるための勉強になっているような気さえします。つまり、教科書と学校の授業だけをやっている子は実力がつかず、教科書と授業以外の勉強をやっている子だけが力がつくような仕組みになっているのです。
英語の教育では、まず英語圏の絵本など(CD付き)を選びます。この本のCDを繰り返し聞き耳を英語に慣れさせると同時に、その英語をそのまま暗唱できるようにします。慣れてきたら文章も暗写できるようにし、それと同時に単語の意味や文法的な説明をしていきます。
毎日CDを5分から15分聞きます。勉強するのは小学校4年生以上ですから、子供が自分でCDを聞くように習慣づけていきます。
日本語の暗唱は、言葉の森では1か月で900字を暗唱するようにしていますが、英語の場合は1か月で200から300ワードが目安です。1日に暗唱するワード数は、20から30ワードです。この30ワードなら30ワード分を20回から30回音読で繰り返すと、日本語と同じように丸ごと暗唱できるようになります。
暗唱する前に、子供が自分で辞書を使い、単語の意味と読み方を調べるようにします。
単語の意味は、ノートなどに書き出します。読み方は、英語の文章にふりがなをつける要領で書き込んでいきます。
親や先生は、その意味や読み方のふりがなを見て、不適切なところがあれば直してあげます。家庭学習で大事なことは、子供ができるだけ自分の手でやっていくようにすることで、親や先生が子供たちに教える場面は少なくしていくことが大事です。
次は国語の勉強法です。(つづく)
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勉強をすれば頭がよくなるというのは、普通の話ですが、勉強をして頭が悪くなるような勉強の仕方もあります。
しかし、なぜそういう勉強の仕方をしてしまうかというと、その勉強でそれなりに点数がよくなるからです。
目に見える形で表面に出てくるのは点数ですから、親も子もつい点数を上げることを目標にしがちです。しかし、点数は勉強の目的ではありません。勉強の目的はひとことで言えば、頭をよくすることです。その計測の方法のひとつとしてテストがあるのです。
小学校低中学年の子で、勉強や宿題が忙しいから本を読む時間がないというようなことを言う子がいます。
勉強が忙しいというだけあって、みんなそれぞれ学年相応よりも賢くしっかりしています。しかし、そう見えるのは小学校の間だけで、中学、高校と学年が上がるにつれて、成績が見劣りするようになってくるケースが多いのです。
頭のよさの基本は、考える力です。考える力のもとになるのは、考えるための語彙の豊富さです。そういう生きた語彙は、読書のように生きた言葉と接することによって身につきます。熟語集のように知識として身につけるものは、生きた言葉にはなりません。
しかし、テストというものはその性格上、大量に客観的に採点する必要から、死んだ知識をたくさん覚えているクイズマニアのような子の方が、自分の頭で考える生きた知識を持つ子よりも、往々にしてテストの点数がいいことがあります。
だから、そのテスト結果を見て、「本など読む暇があったら、テストに出る知識のひとつでも余計に覚えておいた方がいい」という発想になりがちなのです。
もちろん、ただ何の本でも読んでおればいいというのでは、本の読み方としては不十分です。本当は、その学年に応じて少し難しい抽象的な語彙も含まれた本を読んでいくことが大事です。
しかし、それでも、テスト対策向けの知識を覚えるような勉強をするよりも、どんな本でも読書をしていた方が頭の成長にはずっといいのです。
次は、頭をよくする本の読み方です。(つづく)
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なるほど( ̄^ ̄)ゞ
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漢字かな交じり文だから、漢字が思考をイメージ化し、かながそれらを結びつける。
母音言語だから、音声となった言葉が心に響いてくる。
膠着言語だから、てにをはの助詞と文末の助動詞に気を配る集中力が生まれる。
だから、頭をよくするいちばんの勉強は日本語を使うこと。
日本人は、そんな日本語を使っているから、勉強麺では本当はとても有利な立場にいるのです。
しかし、その日本で学力格差が生まれているのは、日本語の学習(国語ね)がうまく行っていないからです。
日本語の学習の大部分は、学校ではなく家庭で行われています。
だから、家庭での日本語環境を豊かにすることが、これからの教育の大きな課題になると思います。
(中根)
静かな夜明け前。遠くでヒグラシが鳴いています。
今日も暑くなりそうな予感。
「宿題なんかお母さんがやってあげるから、あなたは楽しく遊んできなさい」
って言ってくれるお母さんがいたらいいなあ(笑)。
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頭をよくする勉強として日本語を使うというのは、具体的には、ちょっと難しい文章を繰り返し音読することです。
言葉の森では、これまで受験生には、入試問題集の問題文を読書がわりに読むことをすすめていました。
今、これをもっと発展させた勉強を開発しているところです。
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