日本語は、読み書きになると漢字などがあって難しくなりますが、聞き話すことに関しては、他の言語よりもずっと簡単です。
「日本語が世界を平和にするこれだけの理由」の著者である金谷武洋さんによると、日本語が簡単なのは、第一に文法が簡単だからです。
例えば、名詞の性別がなく、冠詞もありません。
動詞は、主語によって形が変わりません。例えば、be動詞が、I am、You are、He is……などと変化することがないのです。
第二に、発音が簡単だからです。
日本語の音素数は、あいうえおの母音と、KSTNHMYRWの子音、濁音のGZDBP、拗音の小さい「ゃゅょ」、撥音の「ん」、促音の小さい「っ」など、合計22ぐらいです。
これに対して、英語は45もあります。
だから、日本語は同音異義語が多く、ダジャレなども作りやすいのです。
このように簡単な日本語でありながら、世界中の書物が次々と翻訳され、日本語だけで学問の世界がカバーできます。
しかも、金谷さんによると、外国人が日本語を学び、日本で生活していると、本人が気づかないうちに優しい性格になり、話し方も穏やかになるというのです。
また、日本を訪れる外国人の多くが日本を好きになります。
このような日本と日本語のよさが、これから更に世界に広がっていくと思います。
言葉の森が作文教室を始めたころ、作文教室というような教室はどこにもありませんでした。そういうニーズ自体がなかったのです。
私(森川林)は、普通の勉強なら独学でできるものだと思っていました。だから、普通の勉強は、国語でも算数数学でも教えるつもりはありませんでした。
これに対して、作文の場合は、他人の目でないと自分の作文を評価することができません。だから、作文だけは教室があるべきだと思ったのです。
最初のうちは、作文を勉強したいという子がいないので、ほとんど人が集まりませんでした。しかし、ちょうど2000年のころ、インターネットが広がりだすと、インターネットの通信で参加する人が増え出したのです。
ロングテールという言葉があります。リアルな店舗だと、年に1回か2回しか買われないようなものは、置いておくスペースがもったいないので店には並べられません。よく売れるものだけが、狭い店舗に並びます。
しかし、人間のニーズには、誰でも同じようによく買うものと、買う人がきわめて少ない個性的なものとがあります。
その個性の狭い先端が、長いしっぽのように伸びている状態がロングテールで、インターネットによって、その先端のニーズにまで情報が届くようになったのです。
作文の勉強は、地域で通えるぐらいの距離のところにいる人ではマーケットが小さすぎるので教室としては成り立ちません。(今は、成り立っていますが)
しかし、インターネットを経由すれば、世界のすみずみの小さいニーズにも直接情報が届くので、こういうロングテールの教室も成り立つようになったのです。
しかし、ここまでは、どこでもよくある話です。
ネット技術の発達によって、1人の先生が、世界中にいる子供たちを教えるということができるというのは、今のMOOCなどでも既に行われていることです。
今起きている新しい変化は、先生が生徒に教えるという形ではなく、子供たちが相互に交流できる場が生まれ、その交流を生かす勉強ができるようになっているということです。
先生の役割は、教えるというよりも、それらの交流を建設的なものに組み立てる仕組みづくりになります。
もっと大きな目で見ると、これまでのような生産者が消費者に対して物を売るという形ではなく、消費者自身が生産者に働きかけ生産に関与するという流れが生まれているのです。
しかし、この動きを生かす方法は、まだ充分に開発されているとは言えません。
言葉の森では、今後、このネットを使って生徒が参加できる形の勉強を進めていきたいと思っています。
そのひとつが、プレゼン作文発表会です。
また、この生徒が主体的に参加する仕組みを、作文以外の教科の勉強に広げたものが寺子屋オンエアです。
更に、この仕組みを勉強以外のさまざまな活動に広げるものが、これから企画するオンエア特別講座です。
これらの新しい教育を、地域で作文指導を進めている森林プロジェクトの人たちと協力して作っていきたいと思っています。