facebook記事より。
====
手を上げようと思えば、手が上がります。
足を上げようと思えば、足が上がります。
それは、脳から運動神経が手や足に走っているからではなくて、もともと人間が手足と一体の存在だからです。
その一体を媒介するものとして、あとから感覚神経や運動神経が生まれたのです。
同じように、世界がもともと一体だったから、それを媒介するものとしてインターネットが生まれました。
同じように、もともと人間は世界の知識と一体だったから、それを媒介するものとして教育が生まれたのです。
「読書百遍意自ずから通ず」という言葉があります。
難しい文章でも繰り返し読んでいると、いつの間にか頭に入るのは、もともと人間が本を理解できるようにできているからです。
読書も作文も、無理に書かせたり、無理に読ませたり、直したり注意したりすることを極力避けて、いいところを認めてあげていると、自然に上手になっていくのです。
そのわかりやすい例が音読です。
子供に長文を読ませると、大体最初はいろいろな欠点があります。
息継ぎが下手だったり、はっきり読まなかったり、声が小さかったり、読み間違えたりと、気になるところがたくさん出てきます。
しかし、それを注意していると、読み方が上手になるどころか、お母さんやお父さんの前で読むことを嫌がるようになります。
反対に、いつも、「上手に読めるようになったねえ」と褒めていると、本当に上手に読めるようになっていきます。
それは、もともと人間が上手に読めるようにできているからなのです。
今日も、薄曇りでやや蒸し暑い夏の一日のスタートです。
でも、この夏も、地球も、人間も、もともと一体のものだと思えば……やはり暑いか。(^^ゞ
今日も、元気にいい一日をお過ごしください。
(中根)
====
facebook記事より。
====
手を上げようと思えば、手が上がります。
足を上げようと思えば、足が上がります。
それは、脳から運動神経が手や足に走っているからではなくて、もともと人間が手足と一体の存在だからです。
その一体を媒介するものとして、あとから感覚神経や運動神経が生まれたのです。
同じように、世界がもともと一体だったから、それを媒介するものとしてインターネットが生まれました。
同じように、もともと人間は世界の知識と一体だったから、それを媒介するものとして教育が生まれたのです。
「読書百遍意自ずから通ず」という言葉があります。
難しい文章でも繰り返し読んでいると、いつの間にか頭に入るのは、もともと人間が本を理解できるようにできているからです。
読書も作文も、無理に書かせたり、無理に読ませたり、直したり注意したりすることを極力避けて、いいところを認めてあげていると、自然に上手になっていくのです。
そのわかりやすい例が音読です。
子供に長文を読ませると、大体最初はいろいろな欠点があります。
息継ぎが下手だったり、はっきり読まなかったり、声が小さかったり、読み間違えたりと、気になるところがたくさん出てきます。
しかし、それを注意していると、読み方が上手になるどころか、お母さんやお父さんの前で読むことを嫌がるようになります。
反対に、いつも、「上手に読めるようになったねえ」と褒めていると、本当に上手に読めるようになっていきます。
それは、もともと人間が上手に読めるようにできているからなのです。
今日も、薄曇りでやや蒸し暑い夏の一日のスタートです。
でも、この夏も、地球も、人間も、もともと一体のものだと思えば……やはり暑いか。(^^ゞ
今日も、元気にいい一日をお過ごしください。
(中根)
====