小学3年生ぐらいで、国語の成績が悪いというのは、算数やほかの教科の成績が悪いというのとは、性格が違います。
算数は、主に学校の勉強時間の範囲で学ぶものですが、国語はそれまでの8、9年間の家庭生活の中で育ってきたものだからです。
国語力は、国語の勉強によってではなく、国語的な生活の中で身についてくるのです。
国語的な生活とは、何よりも、本を読む生活と、親子で話をする生活です。
読書について言えば、毎日1時間本を読む子と、毎日30分を読む子との差は、その30分が何年間も続いた差です。だから、これは多少の勉強の量では逆転しないのです。
言葉の森では、国語力をつける勉強として、(1)音読(又は音読と暗唱)(2)読書(3)対話、をすすめています。しかし、これは誰でもできる最低限の勉強です。もちろん、最低限の勉強であっても毎日続けていれば、国語力はついてきます。
しかし、ここでついた国語力は、国語の成績とは多少異なります。
現在の受験勉強を目標にした国語の場合、国語の成績は、実際の国語力よりも、国語の問題を解く技術の方が大きな差になっています。
だから、国語力があってもあまり国語の成績のよくない生徒や、逆に国語力がそれほどないのに国語の成績がよい生徒がいるのです。
国語の成績を上げるためには、言葉の森の毎月第4週目の読解問題で全問正解の百点を目標とすることです。
ここで、理詰めに百点を取る練習をしていれば、国語の成績は必ず上がります。この読解問題で、60点や70点を取っているのであれば、それは問題の解き方がよくわかっていないということです。
国語の成績を上げるために家庭でできることは、全国的な模擬試験などの信頼性のあるテストを、親子で全問を理詰めに解いてみることです。
一度でも、この理詰めに解くというやり方を身につけると、それからは国語の成績が上がります。また、不正解だったときも、なぜ正解でなかったのかを考えることができるようになります。
ところが、実は、中学3年生や高校3年生の受験期になってもまだ、こういう理詰めに解くというやり方を身につけていない生徒がほとんどなのです。
しかし、それでも、わずか1、2回のアドバイスで、次のテストからはすぐに成績が上がります。
その意味で、国語の成績を上げるのは実は簡単です。しかし、成績が上がるのはその生徒のもともとの国語力の範囲までです。
だから、大事なことは、何よりもまず、音読と読書と対話によって、毎日の生活の中で国語力を育てる勉強を気長に続けていくことです。
更に、音読、読書、対話以外に余力があり、やる気のある人は、小学校高学年以上になってから問題集読書に取り組むといいでしょう。
しかし、問題集読書は、音読や読書や対話と同じように張り合いのない勉強なので、勉強に対する自覚のない小中学生のうちは、なかなか続けられない人も多いようです。
そこで、言葉の森では、今、寺子屋オンエアなどで問題集読書をチェックできる仕組みをつくることを考えています。
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小動物を飼っていると、自主性に任せることの大切さをよく感じます。
手っ取り早く言うことを聞かせるには、禁止や命令や強制が役に立つように見えますが、強制を続けていると、強制でしかコントロールできなくなります。
これは人間でも同じです。
しかし、自主性に任せるというのは、放任ではありません。自主性と放任の違いは、自覚の有無です。
自主性を育てるには、子供の成長のかなり早い時期から取り組む必要があります。
まず、自主的に行うことの大切さを、言葉で自覚させるようにします。
次に、実際に自主性に任せるようにします。最初は、自主的にやりやすいところから始めることが大事です。ハードルの高いことを最初から要求してしまうのはよくありません。
そして最後に、自主的にできたことを褒めてあげます。
たまに、短く厳しく叱ることはあるかもしれませんが、年中小言を言うような叱り方はしません。
勉強も、やることとやる時間を決めて、本人が自主的にやれるようにします。
そして、自主的にやることの大切さを、言葉で折に触れて自覚させるようにします。自覚をさせるという働きかけがなければ、ただの放任になってしまうからです。
自主性に任せていると、なかなかやり出さないことがあります。それでも気長に待っていることが大切です。
しかし、最後までやらなかったとしたら、それはきちんと叱らなければなりません。
そして、なかなかやり出せなかったということは、多くの場合ハードルが高かったことが原因ですから、分量を減らすなど、自主的にやりやすい仕組みに変えておくことです。
勉強は、中学生の後半以降になって本人が本気になれば、親が止めてもやるようになるものです。
そのためにも、小学校時代は、勉強をさせることではなく、自主的にさせることを重点にしておく必要があるのです。
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このテーマ、今まさに悩んでいるところです。
わが娘は小6、あと半年で中学生。。。このままでいいのか?
娘は頑固な性格なので、幼少期から本人の自主性に任せてきました。親が何も言わなくても、なんでもまじめにこなすので、学校では優等生、勉強も運動もできる(田舎の公立小学校なので、やればすぐにトップにはいけるかと思います)。
その一方で自由奔放で親の言いつけを守らないところもあり、バランスよくのびのびと育っていると安心していました。
4年生になると、突然に、子供がダンスを習いたい、塾に通いたいといいだし、「まあ、やりたいなら・・・」と特に何の期待もせず通わせました。
塾は友達の影響というより、学校の勉強が物足りないからという理由でした。(受験塾ではなく、学校より難しいことを勉強する学習塾です)
ところが、一生懸命やっていたのは最初の半年くらいで、すぐに手を抜くようになりました。
まじめに取り組むが本気ではやらない。
そつなくこなすだけ。
怒られないように、まじめにやるだけ。
そういうやり方は学校以外の場所では通用しません。
ダンスでも塾でも先生に怒られ、怒っても娘には届かないので、見捨てられている状態です。
親としては、結果を出してほしいという気持ちはなく、がむしゃらに取り組むことを通して精神的に成長してほしいという思いが強いです。
いつまでも優等生に安住してほしくない。
その思いで、手抜きをしていることがわかったときは、がつんと怒るのですが、怒られると頑張る、つまり、強制されて努力しているような形になり、それはいいのか?と自問自答の日々です。
かといって、一年間、口を出さずに見守っていても、何も言われないことをいいことに、手を抜きまくりの一年間でした。
「他人から指摘されても無駄、本人が気づかないと何も変わらないから、見守るしかない」という意見も聞きます。
習い事で自由時間もなく、読書すらまともにできない忙しい生活なのに、だらだらと習い事に通わせていいのか?
勉強は中学卒業までは学校中心でOK、本気でやるなら精神的にも成熟してくる大学受験でよい、それまではゆっくりと時間を使い、多種多様な体験をしてほしいと親の私は考えているのですが・・・
自主性と尊重する。強制すべきところは強制する。どこまで見守り、どこで怒り、どこまで怒るべきなのか、道を見失いました。
指導者の立場でいるときは客観的にほかのお子さん、お子さんと親御さんの関係性などを分析して見ることができたのに、自分の子となると難しいです。
てを抜くというのは、手を抜けるぐらい頭がいいということなので(笑)心配は要らないです。
小学校高学年から中学生にかけては、特に手を抜く時期です。この時期は、自分というものがまだなく、他人から言われたことをやるだけですから、要領よくやるということに流れやすいのです。
中3になれば、もっと自覚をして自分で取り組むようになると思います。
でも、それまで待てないと思うので、当面は、本人が自然に熱中してしまうような面白いことをいろいろさせてみることだと思います。勉強などはすぐにできるので、勉強ということから離れて本人の関心のありそうなことを与えて様子を見るといいと思います。
くれぐれも、少しでも勉強に結びつくようになどとは思わないことです。
アドバイスありがとうございます。
「手を抜けるぐらい頭がいい」という見方、目から鱗で、思わず笑ってしまいました。
(昨日は追い詰められて泣いていた・・・)
先生の指摘されること、納得します。
たしかに、教え子たちも自分自身の思春期時代も、教師や周りにやらされていただけですね。
自分自身が自覚を持って取り組んだのは高校生のときでした。
オリンピックを目指すようなレベルのお子さんをテレビで見ていると、浅田真央さんなど、好きなことならがむしゃらに取り組めるものだと思っていました。
そういう子供は特別なのか、または、そういう子供でも根本部分では周囲のプレッシャーからやっているだけなのか、わかりませんが・・・いずれにせよわが子は平凡な子なので、比べることが土台おかしいですね(苦笑)
娘は異様なまでに好奇心旺盛なので、しばらく自由に泳がせて、寄り道も人生経験、忍耐強く見守りたいと思います。
気持ちが楽になりました。
ありがとうございました。
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