授業中、先生の話を聞いているうちに寝てしまう人がいます。
また、難しい本を読んでいるうちに寝てしまう人もいます。
昔、高校生の感想文授業で、「方法序説」の一つの章を読ませていたら、みんなそのまま寝てしまったことがありました。
デカルトは難しいわけではないのですが、関心がない内容なので退屈だったのでしょう。
しかし、友達とおしゃべりをしている途中に、寝てしまう人はあまりいません。
また、自分が何かを発表しているときに寝てしまう人もいません。
寝てしまうかそうでないかは、脳が活性化しているかどうかによるのです。
受け身で聞いているときや見ているときは、脳があまり働かなるときがあります。
しかし、自分から主体的に参加しているときに、眠くなるようなことはありません。
頭をよくするためには、この脳が活性化するような機会をできるだけ持つようにすることです。
ところが、子供たちの勉強の場面は、多くの場合、何十人かでまとまって一つの授業を聞いているか、あるいは家庭でひとりで黙々と自習をしているかというのがほとんどです。
こういう学校での集団授業も、家庭でのひとり学習も、脳の活性化という点ではあまり理想的な勉強環境ではありません。
ただし、受験直前で勉強に燃えているときは、ひとり学習のときの脳の活性化は、普段の勉強とは比較になりません。
だから、受験の時期の1ヶ月は、それ以前の時期の何ヶ月分にも相当するのです。人によっては、何年か分にも相当することがあると思います。
しかし、一般の勉強では、集団授業もひとり学習も、あまり脳が活性化する勉強にはなりません。
これらの勉強の仕方とは反対に、少人数のグループ学習をするときは、自分が参加する度合いが高まるので、自然に脳が活性化します。
最もわかりやすい例が、数人でひとつのテーマについてディスカッションをしているときです。
ディカッションではなく、ただのお喋りの場合もそうです。お喋りをしながらあくびをするような場面はまずありません。
人間がグループで交流をするとき、最も話がはずみやすいのが5人から6人の集団だと言われています。
だから、子供たち勉強も、集団授業やひとり学習以外に、5人から6人の同じレベルの子供たちの交流という形で行う機会がときどきあるといいのです。
そういう環境を可能にするのが、インターネットを使ったライブのオンライングループ学習です。
言葉の森では今、自主学習クラスや思考力ラブというオンライン学習機会を作っています。
このオンラインの学習は、少し工夫すれば、同じ学年または同じレベルの子供たちが活発に交流する場にすることができます。
作文の勉強をはじめとして、これから子供たちが取り組む学習を、この頭脳が活性化するような仕組みを生かして取り組んでいきたいと思ってます。
先日の小4~6の思考発表クラブでは、夏休み中でみんなに余裕があったせいもあると思いますが、授業が終わっているのにまだ子供たちが 名残惜しそうにおしゃべりをしていました。
「それじゃあ、みんなまた来週ね」と何度か言っても、また次々に話が新しい始まるという感じでした。
こういう全員参加型の勉強を、これから多くの人が取り組んでいく時代が来るのだと思います。
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私事になりますが、昨日は、本当はどうでもいいと思うような仕事をしていたので、ミスばかり。
用紙を入れ間違えたり、宛先を貼り間違えたり。
我ながら気合いが入っていないことがよくわかりました(笑)。
しかし、この反対に、気合が入っているときの仕事は、一発で正確にできます。
勉強もたぶん同じ。
集中力の有無は、精神論では片付けられません。
自然に集中してしまう環境作りが大事です。
その環境の一つが、友達の存在と、自分が参加する機会があることだと思います。
少人数学級とか、複数担任制とかいう言葉がありますが、本当は生徒が5、6人で勉強し合うような場があればいいのです。
しかし、それでは、継続的な運営はコスト的に成り立ちません。
ここを工夫するのが、将来の教育におけるシェアリングエコノミー(共有経済)になると思います。
ところで、もちろんシェアリングエコノミーは終着点ではありません。
終着点となる目標は、創造教育で、その土台として共有型の教育があるのです。
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結論から言うと、どちらも大切です。
と、それで終わってはあまりにもあっけないので、以下その説明です。
人間がその人生で遭遇するさまざまな問題の多くは、先人も同じように遭遇した問題です。
だから、既にいろいろな形で答えが出されています。
「車輪を新しく発明し直す必要はない」という言葉があるように、自分の問題だからといって、自分が独自に答えを考える必要はないのです。
既に用意されているよりよいものをすばやく見つけそれを利用する力が、答えを見つける力です。
この力を育てるために、学校教育では、答えのある問題を用意しているのです。
しかし、世の中にあるさまざまな問題は、歴史の進展によって新たに生まれた問題であることが多いものです。
例えば、イエス・キリストや、釈迦や、聖徳太子の時代には、現在の人類が直面している核兵器や環境汚染の問題はありませんでした。
だから、これらの問題は、現代人が過去の文献から答えを見つけようとしても見つかりません。
それどころか、その問題が問題と意識されるまでは、問題自体も見つかっていないのです。
こういうことが、個人の人生にもあてはまります。
例えば、政治家、経営者、最先端の科学者などは、自分の人生と社会の現実が結びついています。自分が社会に働きかけ、社会の変化が自分の生活に反映するという生活を送っています。
こういうときは、答えを見つけるよりも、答えを自分で作り出すか、あるいは問題そのものを自分で作り出すかしなければならないのです。
答えを見つける勉強に慣れていると、問題を見つけることを忘れてしまいます。
今の受験を目的とした教育は、答えを見つける勉強に過度に適応させるようにできています。
過去の事例を見つけることは得意だが、新しい問題を提起することは苦手だという人は、時代の変革期にはかえって社会の進歩を遅らせることもあります。
「学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)」という言葉は、答えを見つける力と、問題を見つける力の両方が大事だということを表しています。
これを現代の言葉で言い換えると、基礎の学力は自学自習で確実に身につけ、思考力、表現力、創造力はそれとは別に他者との関わりの中でじっくりと育てていくということになるのです。
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「これからの勉強は、答えを見つける勉強ではなく、問題を見つける勉強になる」というのは、基礎学力がある人が言えばそのとおりです。
しかし、基礎学力がないまま、そういう方向に進むと、かつてのゆとり教育のマイナス面が出てしまうのだと思います。
答えを見つける力と問題を見つける力は、右足と左足のようなもので、これまでは答えを見つける足の方ばかり鍛えてきたということなのです。
自分で何かを新しく作るのは苦手だが、既にあるものを的確に評価するのは得意だという人がいます。
その反対に、評価は苦手だが、新しいものを作るのは得意だという人がいます。
紺屋の白袴というのは、どちらというと後者。
だから、優れた生産者がいればいいというのではなく、優れた消費者がいることもまた大切なのです。
ということが、最近わかってきました。
問題を作る人も、答えを見つける人も、どちらも必要なのです。
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先日、人生百年時代に関する記事を書きました。
人間が普通に100歳まで生きるような社会になると、既に破綻しかけている年金制度は確実に破綻します(笑)。(笑い事ではありませんが)
定年は、今の60歳や65歳ではなく、80歳や90歳にしなければなりません。
そのときに、その人の行っている仕事がITの分野だったらどうなるでしょう。
IT技術の進歩に応じて、新しい知識や技能を毎年のように身につけなければなりません。
若いときに苦労して身につけた技術が陳腐化して、全く役に立たなくなるという場合もあるでしょう。
技術進歩の早い分野の仕事は、若い人が担うもので、ある程度の年齢になったら、技術の進歩に影響される仕事からは少しずつ手を引いていくのがいいのです。
では、技術の進歩が遅い仕事、あるいはない仕事というのはあるのでしょうか。
それがあるのです。
その典型的な分野が教育や芸術や宗教です。
しかも、それらの分野は、技術の進歩に無理してついていく必要がないばかりでなく、その仕事に携わる年数に応じて日々習熟していくのです。
特に教育の分野については、経験年数の効果は大きくなります。
子育ては、一人目が最も苦労しますが、二人目はかなり楽になります。三人目、四人目、五人目、六人目となれば(おそ松くんの一家のようですが)、最後の六人目の子供は目をつぶっていてもうまく子育てができるようになるでしょう。
そして、この経験年数の効果とともに大きいのが、教育の仕事は自分をふりかえることで進歩するという面があることです。
人が20代のころに、「小さいとき、もっとああいうことをしていればよかった」と思うことと、その人が40代のころに思うことと、60代のころに思うことは、かなり違ってきます。
貝原益軒は、「和俗童子訓」という教育論を80代で書きました。
ルソーは、「エミール」を40代で書きました。
どちらの教育論があてになるかといえば、80代の知恵で裏打ちされたものの方だと思う人が多いでしょう。(ルソーファンのみなさん、ごめんなさい(笑))
教育の仕事の進歩は、タブレット授業の仕方やデジタル黒板の使い方を身につけるようなところでなされるのではありません。
自分の過去をふりかえり、それを今いる子供たちに重ね合わせることによってなされるのです。
年をとって、経験年数を重ねるほど技術が進歩していくというのが、教育の仕事の特徴です。
それは、芸術や宗教にもあてはまりますが、世の中に新しい価値を創造する力は主に教育が担っています。
これからの長寿社会の進展を考えた場合、教育の仕事というのは、最も可能性のある仕事の分野になるのです。
しかし、それはもちろん、今の受験教育のような教育ではありません。
受験教育と少子化の進展という面から見れば、教育は先行きの展望のない仕事のように見えます。
しかし、創造教育という面から見れば、少子化はむしろ充実した教育の土台であり、新しい未来の仕事の可能性を最も持っている分野だと言えるのです。
言葉の森では、今、森林プロジェクトによる作文講師資格講座を開いています。
これは、作文教育を中心に、自主学習教育、思考発表教育、自然合宿教育などをオンラインネットワークを利用しながら進めていくものです。
オンラインを利用した教育と言っても、特に難しい技術的な習得が必要なわけではありません。
スマホやSNSに慣れるように、オンラインに慣れることで身につくものです。
人生百年時代の長寿社会に向けて、未来の仕事を、新しい教育の分野で作っていきましょう。
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人生百年時代に最も有望な仕事は、教育の分野の仕事です。
少子化が問題になるのは、子供を量の面からしか見ていないからです。
創造教育の面から考えれば、大事なのは量ではなく質なのです。
芸術家、宗教家、教育者の中には、百歳近くになってもいい仕事をしている人がいます。
これが、プロレスラーや、百メートル走者や、IT技術者などと違うところです。
これからの時代は、若いときにできる仕事と、年をとってからこそできる仕事の二つのわらじを履いていく必要があるのです。(宗教家は仕事ではないかもしれませんが(笑))
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思考発表クラブでは、毎週、最初に生徒が今読んでいる本の紹介をしています。
そのあと、作文の構想図を発表し、自分の自由な学習を発表し、互いに感想を述べ合います。
本の紹介を始めた最初のころは、本番となる授業の作文構想図や算数の似た問題の話に入る前のウォーミングアップのつもりでした。
しかし、それぞれの生徒が自分の読んでいる本を紹介するというやり方がなかなか面白く、今ではこの読書紹介が、最初の15分から20分の勉強の柱の一つになっています。
この本の紹介は、最初のうちはどの子も難しく思っていたようです。
しかし、毎週紹介を続けているうちに、どの子もかなり上手に本の説明と心に残ったことの説明をできるようになりました。
生徒がまだ小1や小2のころは、ほかの人がどういう本を紹介しているかということにはまだ大きな関心はないようです。
しかし、小3や小4になると、ほかの人がどんな本を読んでいるか、そして自分がどんな本を紹介するかということに強い関心を持つようになります。
だから、「○○さんが先週紹介してい本が図書館にあったので、私も借りてきて読んでみました」というようなことがよくあります。
小5や小6になると、読んでいる本のレベルも大人並みになります。それぞれの生徒がかなり個性的な読書をしているので、その紹介を聞いているだけで互いの知的な刺激になるようです。
毎週読書の紹介をするわけですから、読書が進まず1週間同じ本を読んでいたというようなことはまずありません。
ひとりで読書をしていると、読む習慣が途切れるということもありますが、本の紹介という主体的に参加できる授業が待っていると思うと、毎日読み続ける生活が自然にできるようになるのでしょう。
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参加者に授業のアンケートをとったところ、読書紹介がいちばん面白いという結果になりました。
読書好きな子が多いというせいもあるのでしょうが、友達どうしのやりとりが楽しいようです。
親や先生にすすめられた本よりも、友達が読んでいる本に関心を持つというのは、学年が上がるほど自然なことになります。
そのときに、読書好きな子が互いに良書を紹介し合えるというのは、はたから見ていても、とてもうらやましいことだと思います。
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これからの人間の寿命は、100歳を超えることが当然のようになるという予想がされています。(「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)100年時代の人生戦略」リンダ グラットン)
現在は65歳で定年になっても、まだ働く力は十分にあり、しかも年金だけでは将来の生活が不安だという状況があります。
これが、100歳まで長生きすることになるとしたら、人生設計を根本から考え直さなくてはなりません。
定年後の人がもし早めに新しい仕事を見つけることができれば、定収があることによって安心感は増しでしょうし、仕事をすることによって生活に張り合いが出てきます。
新しい仕事をする上で大事なことは、その仕事をできるだけ長く続けていくことです。
それは、長く続けることによって、その仕事に習熟し、自分の持ち味を生かせるようになるからです。
では、何がこれからの仕事として有望なのかというと、それはこれからの社会で価値が増すものに関わる仕事です。
今後の世界で価値が出てくるものは、食料でも、エネルギーでも、ゴールドでも、不動産でも、あるいは何らかの資格や学歴や知識や技能でもありません。
というのは、これからの時代は、エネルギーや資産や個人の能力は、技術革新や人工知能の代替によって価値が低下することが考えられるからです。
また、物だけでなくサービスも、次第に供給過剰に陥り、激しい競争の中で行われるようになります。
そういう時代に、最後に価値あるものとして残るのは何かと言うと、それが人間の創造力なのです。
創造力あるいは創造がどのくらい価値あるものかというと、例えば緑色植物が発明した光合成が現在の地球にもたらした価値を考えてみればわかります。
また人間の創造に限ってみても、言語の発明、火の利用の発明、車輪の発明、水車の発明などが、どれくらい大きな富を生み出したかは十分に想像できると思います。
だから、最も価値ある仕事は、創造することなのです。
創造する仕事は、自分が創造することに限りません。創造する子供たちを育てることも、創造的な仕事です。
これまでの教育は、子供たちが一人前の社会人になるように、決められた知識を覚えさせることが中心になっていました。
だから、子供の個性や創造性は二の次でした。
しかし、これからは子供たちの個性と創造性を育てることが、社会全体の目標になります。
なぜなら、それが豊かな社会を作るために最も役立つことであり、同時にそれが子供たちの幸福な生き方にとっても最も望ましいことになるからです。
決まった知識を覚えさせるこれまでの教育の場合は、一斉授業や一斉テストで十分でしたが、子供の創造性を育てるためには、それぞれの子供の個性に応じたていねいな働きかけが必要になります。
そのためには、現在のように30人学級で、先生1人が30人を教えるようなやり方ではなく、生徒1人に1人又は複数の大人がつくようなスタイルで教育をしていく必要があります。
そのようなていねいな教育によって、どの子もその個性によって社会に新しいものを創造する力を育てていくようになるのです。
この子育ての教育に最も適しているが、年配者です。それは、年配者は長い人生経験の中で、子供時代に必要なものは何だったかということが、理屈ではなく実際の経験としてわかるからです。
自分自身や自分の身近な人の子供時代を思い出すことが、未来の子供たちを育てる貴重な示唆になるのです。
創造する教育のための子育てと、それを担う高齢者の教育事業への参加という社会の仕組みに最も近い位置にあるのが日本だと思います。
言葉の森の森林プロジェクトによる作文講師資格講座も、こういう大きな流れの中で行っていきたいと思っています。
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これからの教育は、教える教育ではなく育てる教育になります。
なぜなら、知識を詰め込む教育から、創造性を育てる教育への転換がこれから起こってくるからです。
その育てる教育に役立つのが、長い人生経験のある人の知見です。
ちょうどどこかの絵本にあった、インディアンの子供たちが古老の周りに座って話を聞くというような教育がこれからの新しい教育のイメージになっていくのです。
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