【前回までの記事】
「葦編三絶」という言葉は、孔子が「易経」という書物をとじ紐(ひも)が三度も切れるほど繰り返し読んだという故事から来ています。
なぜ三度も繰り返し読んだかというと、その内容が理解できなかったからではなく、理解が浅かったと思ったからです。
一般に、難しい本を読む場合の理解は、何層にも分けて考えることができます。
1回目に読む場合、理解するところは、自分が既に何らかの形で理解しているものに近いところに限られます。
2回目に読むと、自分の理解が1回目より進んでいるために、もう一段深く新しいことを理解することができます。
3度目に読むと、さらにもう一段深く理解ができるようになります。
このように繰り返し読めば、それだけその本の内容の理解が深まります。
しかし、1回目に呼んだだけでも一応自分なりに理解したつもりにはなっているので、自分の理解が浅い理解だという自覚がないのが普通です。
本を繰り返し読むことが大切なのは、繰り返し読むことによって理解を深めることができるからです。
子供が同じ本を繰り返して読むときも、同じような理解の深化があります。
だから、本をたくさん読む子よりも、同じ本を繰り返して読む子の方が、理解力も語彙力も増えてくるのです。
次は、私(森川林)が繰り返し読む場合の具体的なやり方です。
参考になるかどうかわかりませんが、こういうやり方もあるということで見ていただければいいと思います。
私の場合、1回目は、本に傍線を引きながら読みます。
借りた本の場合は、小さい付箋をつけながら読みます。
付箋として使っているのは、「コクヨ タックメモ 付箋超ミニサイズ 25x7.2mm 100枚x4本 ミックス メ-1097N コクヨ(KOKUYO) ¥258」です。
長さが2.5cmだから、かなり小さく使いやすいと思います。
最近は、kindleも線を引けるようになり、それがクリップに残されるようになっています。
しかし、クリップはいい機能なのですが、私の場合は線を引くところが多すぎるのでクリップに入りきらずあまり役には立っていません。
また、kindleには、線を引いた箇所にメモを取ることもできるます。
これは、特に優れた機能だと思いますが、Kindle Paperwhiteではまだ音声入力に対応していないので、この機能は今のところ使っていません。
スマホのkindleアプリなら使えるのでしょうが、スマホの場合、表の明るいところで読むには画面が見にくいので、読むのはもっぱらKindle Paperwhiteです。
音声入力をするようになったら、Lineも、携帯メールも、すべて音声で書くようになってしまったのでキーボード以外に指で打つことはほとんどなくなってしまいました。
さて、繰り返し読む話の続きです。
傍線を引いた本は、2回目にはその傍線を引いた箇所だけを読み直します。
そして、そのときに、さらにもう一度傍線を引きたくなる場合は二重に線を引いておきます。
kindleの場合は、二重の傍線機能がないのでこれは使えません。
スマホのkindleアプリの場合は、色を変えて引くことができると思います。
2回目に読むと言っても、最初から最後まで全部読むわけではなく、自分が1回目に傍線を引いた箇所だけを読むということです。
ですから、かかる時間はせいぜい15分程度です。
2回目に読むために、1回目に傍線を引いておくということです。
普通は、2回読んで終わりですが、参考になると思った本は3回以上読みます。
3回目には、1回目と2回目に線を引いた箇所を中心にノートに書き出します。
ノートに書き出している間に、いろいろなことを考えつくので、それも一緒に書いていきます。
ノートに書くときのやり方は、ちょうど構想図を書くときのように、散らし書きでA4のノートのおもて面がいっぱいになるように書き出します。
普通、横書きノートには、上から下にというひとつの方向で書いていくことが多いと思います。
しかし、この書き方だと、余白ができて無駄があるので、複数ページにわたって書くようになる場合が出てきます。
ノートに書き出す意義は、書いたものが一覧できることですから、できるだけノートの1ページの中にすべてが盛り込めるように書けるといいのです。
一覧できるのがなぜいいかというと、最初の方に書いたことと、最後の方に書いたことが同時に目に入るので、全体像がつかめるからです。
以前は、私も上から下にという一方向で書いていましたが、ノート1ページに収める書き方を考えているうちに、矢印を使って四方八方に書くような書き方になりました。
これは、マインドマップの書き方に似ていますが、マインドマップの場合は中央から周辺に一方向に広がる形なので、その形に制約されて自由に話を広げることができないと自分では思っています。
3度繰り返し読み、さらに書き写した本であっても、4度目、5度目に読めば必ずまた新しい発見があります。
しかし、そこまでやると時間がなくなるので、よほどの本でないかぎり繰り返し読むようなことはありません。
このように、何度でも繰り返して読むような本は、座右の書というものになります。
こういう座右の書を見つけることが、読書の一つの到達点ではないかと思います。
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大人になって、座右の書と言われるようなものがある人は幸福だと思います。
私はまだ、それに近いものはありますが、そういう本はありません。
本は、いくらたくさん読んでも、自分がわかることしか読んでいないので、あまり考えが深まることはありません。
繰り返し読むことによって、初めて自分がわからないことも読むようになり、そこで考えが深まっていくのだと思います。
と、ちょうどそんなことを考えていたとき、「にんげんクラブ」2017年12月号に出ていたKan.さんの記事を読んだら、本物がわかるようになるためには、専門書を読むといいと書いてありました。
ここで言う専門書とは、難解で1ページや2ページ読むのにも苦労するような本で、それを最後まで読む経験をするということです。
繰り返し読む本に出合うということと、難しい本を読むということは、自分を超える読書という点で同じだと思いました。
ちなみに、私が20代のころ初めて読んだ難しいと思った本は、サルトルの「存在と無」でした。
そして、それよりも難しいと思ったのは、ヘーゲルの「精神現象学」でした。
一応読み終えたものの、99パーセントぐらい理解できませんでした(笑)。
そのあと、イポリットの「精神現象学の生成と構造」を読んだら、やっとヘーゲルの言っていることがおぼろげながらわかってきました。
これ以上難しい本には、その後会っていません。
会っても読まないと思いますが。
うちの子2人が、熱中して繰り返し読んでいたのが、漫画の「スラムダンク」でした。
漫画は一度読んだら目につかないところにしまうとしていたのですが、「スラムダンク」だけは例外でいつでも読めるところに置いておくことにしたからです。
どのくらい繰り返し読んだかというと、ひとつのシーンの背景の観客席の人の表情まで覚えていて話してくれるぐらい深く読んでいたのです。
勉強では、こういうことはありませでしたが。
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先日あるきっかけでZoomというオンラインウェブ会議ツールのことを教えてもらいました。
ちょうど10月末に「ズームオンライン革命!」という本が出ていたので、言葉の森で立ち上げたZoomを使っていろいろとテストをしてみました。
その結果、googleハングアウトよりも、もちろんskypeよりも使いやすい面が数多くあることがわかりました。
今後のオンライン教育はこのZoomを使って、誰でも参加しやすい形で運営していきたいと思っています。
言葉の森の教育方針は、オンラインで勉強の効率を高めながら、リアルな人間と自然との結びつきを大切にしていくことです。
このオンライン+人間+自然、そしてもう一つは日本の文化の根底にある道の精神というものを結びつけた教育を行っていきたいと思っています。
それを、日本語の特に作文を中心として行っていく予定です。
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今後、海外生徒の授業の振替指導なども、skypeなどを使わずにzoomで対応できるようにする予定です。
また、これまで交流の少なかったfacebookグループも、このzoomで話し合いの場を持ちたいと思います。
オンライン作文も、自学自習クラスも、思考発表クラブも、保護者懇談会も、個人面談も、そして宴会も(笑)、これでやっていこうと思っています。
そう言えば、昔、チャット宴会というのをやっていましたが、今度はzoom宴会になると思います。
先日、ブレンデッド教育という本を読みましたが、(こういう英語の使い方はやめてほしいと思いますが(笑))、これはオンラインとリアルな学校を融合した教育で、アメリカで大きな成果を上げているようです。
しかし、今後は、このリアルの部分も次第にオンライン化されていくはずです。
そして、最後に残る本質的なリアルと、幅広いオンラインが、社会全体に広がっていくのです。
その最後に残るリアルが何かということが、そのオンラインを活用する人や組織の原点になるのだと思います。
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オンライン教育は、ビジネスにはなりません。
MOOCも、結局そこがひとつのネックになっていました。
スタディサプリも、たぶんそこが最も苦しいところでしょう。
もうひとつのネックは、参加者の触れ合いの不足ですが、それはいずれ解決します。
ZOOMなどのツールが発達してきているからです。
ビジネスにならないというネックは、もっと根本的な問題です。
なぜビジネスにならないかというと、それは、今のオンラインが、コピーできるものを対象にしているからです。
コピーできるもののやりとりが中心であれば、それがどんなに優れたものであっても、それでビジネスを成り立たせることはできません。
だから、これからのオンラインは、コピーのできない創造を中心にしていかなければならないのです。
教える先生の側も創造的に教え、教わる生徒の側も創造的に答えるような、そういう創造のやりとりです。
言葉の森の思考発表クラブ、今すこしそういう雰囲気になっています。
今度、自学自習クラスも、そういう創造のある勉強にしていきたいと思っています。
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「葦編三絶」という言葉は、孔子が「易経」という書物をとじ紐(ひも)が三度も切れるほど繰り返し読んだという故事から来ています。
なぜ三度も繰り返し読んだかというと、その内容が理解できなかったからではなく、理解が浅かったと思ったからです。
一般に、難しい本を読む場合の理解は、何層にも分けて考えることができます。
1回目に読む場合、理解するところは、自分が既に何らかの形で理解しているものに近いところに限られます。
2回目に読むと、自分の理解が1回目より進んでいるために、もう一段深く新しいことを理解することができます。
3度目に読むと、さらにもう一段深く理解ができるようになります。
このように繰り返し読めば、それだけその本の内容の理解が深まります。
しかし、1回目に読んだだけでも一応自分なりに理解したつもりにはなっているので、自分の理解が浅い理解だという自覚がないのが普通です。
本を繰り返し読むことが大切なのは、繰り返し読むことによって理解を深めることができるからです。
子供が同じ本を繰り返して読むときも、同じような理解の深化があります。
だから、本をたくさん読む子よりも、同じ本を繰り返して読む子の方が、理解力も語彙力も増えてくるのです。
(つづく)
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写真は、昔の本、竹簡です。
こういう竹に書かれた本を読んでいたから、とじひもが三度も切れたのでしょう。
先日、もう既に何度か読んでいるはずの本を読んでみると、前に気づかなかったことが書いてあることに気づきました。
理解するというのは、その時点で自分が理解できる範囲のものを理解するということに過ぎません。
だから、たくさん読んでも、理解が深まることはないのです。
これは、算数や数学の勉強をするときも同じです。
問題集を何冊も解いても実力はつきません。
1冊の問題集を、できないところが1問もなくなるまで繰り返し解くことで本当の実力がつきます。
(ただし、もうできた問題は解かなくていいのですが)
こういうことを、もっと塾や学校で教えてあげればいいと思うのですが、そういう話はほとんど聞きません。
なぜ本を繰り返し読む子が少ないかというと、ひとつには本が豊富すぎるからです。
しかし、もうひとつには、繰り返し読むことの大切さを知らない人が多いからです。
と言っても、子供が読みたくない本を繰り返し読ませても逆効果です。
繰り返し読みたくなる本を見つけるのが最初です。
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先生「プレゼン作文発表会に参加したい人は、ウェブから申し込んどいて」
S君「それ、なあに」
Y君「プレゼントがもらえる発表会なんだよ」
S君「へえ」
ちがうだろ!
でも、意外とそう思っている子が多いのかと思った、昨日の会話でした。
プレゼン作文発表会とは、ただ作文を棒読みするような発表会ではなく、その作文の中身に関連する、写真、絵、物、音楽、動作、問いかけなどを自由に使って行う発表のことです。
https://www.mori7.net/hpk/
今回は、直接ウェブカメラの前で発表する形にしたので、果たしてどのような発表になるでしょうか。
(前回までは、事前にyoutubeアップロードだったので、ちょっと敷居がたかかったかもしれません。)
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