公立中高一貫校では、作文の試験があります。言葉の森では、9月ごろから志望校の過去問に合わせた課題で作文を書く「受験コース」が始まります。このコースは、高校入試、大学入試についても同様です。
作文は、答えというものが一つではない世界なので、自分なりに考えて書いていくことが大切です。
作文の勉強には、字数、構成、題材、表現、主題、表記などの分野があります。このうち、字数、構成、表現、表記については、練習を重ねていけば力がつきます。しかし、題材と主題に関しては、生徒の側の事前の準備が必要になってきます。ここが、自分で考える要素になるのです。
事前の準備でいちばんよい方法は、テーマを見て、お父さんやお母さんが一緒に対話をしてあげることです。「もし、お父さんだったらどうするか……」「お母さんも、子供のころ、こんな話が……」という話をしていくのです。
ところで、小学校6年生以上でそのような話をオープンにできるようにするためには、小学校1、2年生のころから、家族での対話が日常生活で自然に行われている必要があります。
小学校の低中学年では、暗唱や音読の自習を聞いてあげる時間があります。そのとき、お父さんやお母さんは、「次の週の課題で、作文はどんなことを書くのか」ということも聞いてあげてください。また、小学校3年生以上は、題名課題や感想文課題になっているので、次の週の課題を聞いて、それに関連した話をお父さんやお母さんがしてあげることもできます。
このような家族での対話が、子供が自分で考える土台になっていくのです。
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これまで、読書の大切さを書いてきました。ひとことで言えば、作業的な勉強、つまりできる問題をただ解くような勉強をするよりも、読書をする方が頭がよくなるということを説明してきました。
しかし、ここで考える必要があるのは、読書だけでは考える力を育てるのには不十分だということです。
例えば、よく本を読んでいる子の中でも、なるほどよく考えていると思わせる子がいる一方で、ただ読書の量が多いだけで、作文を読んでもあまり考えているようには見えない子がいるという問題があります。
一般に、考える子は、本を読むのに時間がかかることがあります。考えながら読むので、速くは読めない本があるのです。ところが、そういう本でも同じペースで読み終える子がいます。それは、考えずに読んでいるからです。
考えずに読んでいる子の作文は、下手ではありませんが、あまり面白くはありません。つまり、創造性が感じられないのです。(もちろん、それは固定的なものではありません)
では、その創造性はどこから来るのでしょうか。その前に、創造性とは何かということについて考える必要があります。
創造性とは、似ているものの異なる面、異なるものの似ている面を見る力です。両者の間にある隙間を発見することが創造性です。
読書は、材料を提供しますが、考える力のない子は、AとBの二つの材料の間にギャップを感じません。AはAとしてそのまま受け取り、BはBとしてそのまま受け取り、AとBを並列的に読みます。それは、なぜかというと、ABそれぞれの読み取り方が浅いからです。
例えると、ゾウという書物を読むのに、鼻と耳と脚を別々に読み取って、ゾウという全体像を読み取っていないということです。つまり、浅い読み方とは、狭い範囲で読み取ったことをただ集めたという読み方で、深い読み方とは広い範囲をひとつの全体として読む読み方です。この広く深く読む力は、別の言葉で言うと、抽象的なレベルにまで深めて読む力ということができます。
現代の受験の仕組みでは、試験に受かるための頭のよさは、主に記憶力のよさと結びついています。しかし、本当の頭のよさとは、ディベートをする頭のよさです。これは、物事を構造的に抽象化して読む力です。
では、そういう読む力はどこから来るのでしょうか。それは、1冊の本を何度も繰り返して読み、その本を全体的に把握することによって身につきます。
何度も繰り返して、その本を全体的に読み取るためには、その本自体に本物の深みがあることも必要ですが、本のレベル以上に大事なことは、繰り返して読むことそのものです。繰り返し同じ本を読むことによって、広く深く本質的に読む力がついてきます。
この繰り返して読む効果を抽出した勉強法が、言葉の森で現在行っている長文暗唱という練習です。
人間の思考力は、生まれつきはそれほど変わりません。変わるのは、思考力を育てるコツを知っているかどうかです。そのコツとは、小中学生の時期に繰り返して読む力をつけることです。
多読で材料を広げ、暗唱で思考力を深めるということが、これからの勉強の重要な柱になってきます。考える力を育てることによって、初めて読書の豊かな材料が生きてくるのです。
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構成図は、作文を書く前に、自分が考えついたことを全部並べてみるという方法です。
考える分野が未知のものであるほど、途中でいろいろな仮説が出てきます。どのような理由や方法や原因や対策があるかという仮説です。
ここでいくつかの仮説の候補が出てきたときに、Oリングテストを使えるのではないかというのが、今考えていることです。
以前、「パワーかフォースか」(デヴィッド・R・ホーキンズ著)という本を読み、アメリカにキネシオロジーという手法があることを知りました。
Oリングテストは、あるものが身体によいかどうかということを、筋肉の反応に聞くという手法です。ホーキンズのキネシオロジーは、これを身体だけではなく、社会現象にまで拡張したものです。
しかし、社会現象まで広げると、恣意的な要素が出てきます。現に、ホーキンズのキネシオロジーは、アメリカ文化の影響を強く受けています。つまり、アメリカ人の価値観や集合意識に、結果がかなり影響されているのです。
しかし、そういう限界を見きわめた範囲で使えば、これらの手法は、思考の無駄な遠回りを減らすことができるのではないかと思いました。つまり、間違った仮説で考えを深めることが少なくなるのではないかということです。
ところで、Oリングテストやキネシオロジーがなぜ可能なのかというこは、まだ立証されていません。Oリングテストは、米国で特許を取得するなどその効果は実証されていますが、仕組みは実はよくわかっていません。科学として考えるためには、物理的な因果関係が必要になりますが、物理的な媒体がまだ見つかっていないのです。
そこで、ここは発想を変えて、これらの手法を、科学の問題としてではなく、哲学と工学の問題として考えていけばよいのではないかと思います。つまり、理屈はまだわからないが、何しろ役立てばよいという考えです。
では、具体的にどうするかというと、あることを考えるために構成図を書いた場合、途中で仮説がいくつか出てきます。すると、それらをOリングテストやキネシオロジーでチェックします。そこで、いちばん妥当性が高いものを中心に考えを進めていくということです。
また、自分ではよい考えだと思っていても、Oリングテストやキネシオロジーなどでチェックをすると、それほどの結果が出ないことがあります。それは、まだ考えを深める余地があると見ることができます。
Oリングテストやキネシオロジーは、ひとりでものを考えるときのよい相談相手になるという感じで使っていけるのではないかと思います。
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今年の3月に、小5以上の希望者を対象に問題集読書と四行詩の練習を1週間分だけしました。
2011年度用の問題集は、全国で6月前後に発売されます。それが発売されるようになってから、本格的に問題集読書の指導に取り組むことを計画しています。
通学教室では、現在、教室にある問題集を貸出方式で読んでいます。小学校高学年や中学生以上の生徒は問題集読書ですが、小学校低中学年の生徒は、教室にある本を貸出して、普通の付箋読書をしています。小学校5・6年生は、普通の読書でも問題集読書でもどちらでもいいというようにしています。何しろ、毎日本を読むということが大事だからです。
今、読書の大切さが再認識されるようになり、学校でも読書指導に取り組むところが増えてきました。しかし、子供たちの中には、「本は学校で読んでいるから、家では読まない」「家では勉強が忙しいから、本を読んでいる暇がない」というようなことを言う子がいます。これは、実は、さかさまです(笑)。学校は勉強するところで、家は本を読むところです。
読書の結果がはっきり表れるのは、中学生になってからです。家で本を読む習慣のある子は、国語、数学、英語とも成績が上がります。本を読む習慣のない子は、その反対です。この傾向は、もちろん小学校時代からも表れています。
しかし、家で本を読む習慣と、学校での本を読む指導との間に、相関関係はありません(特に中学生以上の場合)。本を読む習慣をつけるためには、家で独自に本を読む家庭の文化を作っていく必要があるのです。そのためには、親が日常生活の中で折に触れて本を読んでいるということが大事です。
図式的に言えば、親が本を読まず、子供も本を読まず、勉強ばかりに力を入れている家庭の子は、次第に成績が下がります。逆に、親も子も本を読み、勉強は普通にやっているという子は、学年が上がるにつれて次第に成績が上がってきます。
家庭で本を読む習慣をつけるためには、最初は、毎日の時間を決めて、家族全員が一斉にそれぞれ好きな本を10ページ以上読むというような意識的な取り組みをしていく必要があります。家庭の文化を変えるというのは、それぐらい気合いを入れないとできません。
本を読む力のある子は、小学校高学年以上になると、問題集読書のような歯ごたえのある知的な文章を読むことに喜びを感じるようです。子供たちの書いた四行詩を読んでいると、そういうことが感じられます。
しかし、本は毎日読んでいても、四行詩は二、三日しか書かないという子もかなりいます。それは、本読みは気楽にできるが、ノートを取り出して何かを書くという作業はなかなか気楽にはできないからという理由によるものだと思います。
そこで、今考えているのは、本を読むときは読むことだけに徹底させて、付箋を貼りながら読むだけにするという方法です。そして、1週間たったら、付箋を貼った箇所をもとに四行詩をまとめて書くという形です。付箋を貼ること自体は、全く負担はありません。かえって、読んだ結果が残るので、読書がはかどるようになります。付箋を貼ってある箇所を見れば、四行詩はすぐに書くことができます。
通信教室の場合は、先生が本を直接チェックすることができないので、小学校低学年の場合は、読んだ本の記録をシールなどを貼る簡単な形でお母さんに見てもらうことを考えています。小学校中学年は、付箋読書を中心に四行詩を書いて提出する形というです。小学校高学年、中学生、高校生は、問題集読書を中心に四行詩を書くという形です。
以上のような読書指導の計画を現在考えています。
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